017:炎に包まれる体育館

 その魔力の変動に真っ先に気が付いたのは、意外にも勇であった。巫実の魔力が体育館内で暴走し始めた途端、その体が彼女の魔力を受けて、ピクリと反応したのである。

 焔と颯汰がゲラゲラと笑いながら、適当に駄弁って体育館へと向かっている中で、勇はピタリと足を止めて、その異様な空気に動揺を見せていた。額に脂汗を流し、体育館の方へと目を向けた。

 それから、勇はここが廊下である事を忘れて、直ぐに駆け出し始めた。その際、焔と颯汰の間を縫うようにして走ったので、2人は思わず呆然としてしまった。それからワンテンポ置いて、焔が勇に向かって話しかけた。


「勇ッ! 廊下を走るな!」

「いや、今すぐ巫実さんの所へ行かんとダメなんじゃ!」


 そう言って、勇はとっとと体育館へと向かっていった。

 そんな勇の姿がぼんやりと見えなくなったところで、今度は焔が体育館から巫実の魔力を感じ取り、その異常に気が付き始めた。そして、焔は顔を上げて、体育館がある方へと視線を向けた。


「こ、これは……!」

「えっ? 何、どうしたの」


 魔法の素質が本当に皆無の颯汰は、全く何にも感じられなかったようで、焔の様子のおかしさに驚いていた。

 焔はこの以上魔力を感じ取るなり、居ても立っても居られなかったようで、そのまま体育館に向かって走り出した。颯汰は焔まで走り出したものだから、2人に何とか追いついてやろうと自身も走り始めた。


「ま、待ってよ、焔!」


 そんな颯汰の言葉に耳を貸す事も無く、焔は動揺に鼓動が速くなりながら、体育館に向かってひたすら駆け出した。


(伊和片さんの身に何も起きてなければ良いが……!)


 勇は体育館に辿り着くなり、その光景に絶句した。


「……! こ、これは!」


 体育館はすっかり炎の世界に包まれていた。どうやら、試験に使う蝋が垂れた時の為に床に木材の板などを敷いていたのが原因らしく、松部から駆り出された生徒スタッフですら延焼を止める事が出来なかったようだ。

 試験会場にいた生徒達は悲鳴を上げながらも、命からがらに体育館から廊下へと避難していた。その際、延焼を防ごうとした松部の生徒が、これ以上は危険であると察知し、勇が辿り着くと同時に廊下に踏み込んでいた。そして、ポツリと呟いた。


「ッ、は……水掛けても消えないって、どういう事だ」

「……!」


 勇はそれを聞いて、言葉を失った。

 炎というものは水をぶっ掛けて延焼を抑え、消えるものだと思っていた。松部の生徒ならば魔力も相当なものであろうし、このぐらい消火する事も容易いものと思っていたが――予想に反して、巫実の魔力が大きいのだろう。そんな強靭な炎を見て、勇は焔の先程の言葉を思い出していた。

 ――彼女が今まで暴走せんかったのは、基礎魔力が低すぎるが故に、暴走する魔力すら引き出す余裕が無かったからじゃよ――。

 ――そして、巫実は、今、その基礎魔力を魔法鉱石によって底上げしている。

 基礎魔力を底上げしただけでこうやって大きな妖力が引き出されてしまったこと、そして、巫実の中にどれだけの素質が眠っていたのか、今、ここではっきりと映し出された。巫実の基礎魔力がこうならない為に、無理くりにでも上がらなかったのだろう。

 流石の勇と言えども、この烈火の中に飛び込む勇気もなく、地団駄を踏んでいた。


(いや……でも、火傷覚悟でワシが助けに行かんと!)


 そうして勇が体育館に踏み込もうとしたところで、焔の声が後ろから聞こえてきた。


「勇ッ! 待ちんさい、ワシも一緒行くけぇ!」

「――焔!」


 勇は驚き、その端正な女顔を思わず目を丸くして見た。

 気が付けば、焔は勇の肩をガッチリと掴み、勇の足を一旦止めた。そして、彼が止まったのを確認してから、焔は続けた。


「この魔力――いや妖力か。少なくとも、並大抵の魔法使いじゃ対処出来ん。松部の者達が苦戦してるのも無理もない話じゃ」

「……」


 そうなれば、魔力を持たない勇が1人で勝手に突き進み、侵攻するのは危険な行為であり、死に繋がる恐れが大きいだろう。

 しかし、焔ならばその状況を打開できると言わんばかりに、その後の言葉を続けた。


「じゃけぇ、ワシならどうにでもなる。ワシは自分でも言うのも難じゃが、並大抵じゃないからのう」

「えっ?」


 勇が驚いている間にも、焔は言い放った。


「ワシの魔力なら、あの子の妖力に対抗できる。こちとら魔力ランク一番上の甲じゃ」

「……!?」


 勇は唐突な焔の新事実に口をあんぐりと開けてしまった。

 焔は続けて、


「まぁ、勉強が出来なさすぎて実技的な面は伸びなかったのは事実なんじゃが、こうなったらワシの魔力に賭けるしか無いじゃろ。幸い、火を消すぐらいなら初級魔法でも何とかなる。魔力でゴリ押しするけぇ」

「……わかった。焔がそう言うなら、ワシもそれに従う」

「うん、良い子じゃ」


 焔は勇のその返答に満足して頷くと、今度は火中にある体育館の方へと目線を定めた。彼は火から伝わる魔力の状況や、道筋、その他諸々を把握しながら、その体に己の魔力を集中させ始めた。その魔力からは、焔が本来ならば強力な魔法使いになり得た事が、ビシビシと伝わってくる。格闘専攻とは言え、優秀な魔法家系である不知火の血は、しっかりと彼の体に受け継がれているのだろう。

 そして、焔はその手の中に水の球を作り始めた。そして、勇に釘を刺した。


「この様子だと、一度火を消したところで、また復活する可能性がある。その前に一気に彼女の元へ駆け抜けて、助けなければならん。勇、お前ならそれが出来るはずじゃ」

「焔……」

「良いか、一気に駆け抜けるぞ」

「……ああ!」


 瞬間、勇の目の前で燃え盛っていた炎が水をぶちまけられて、ジュワッと消えた。どうやら、焔がさっさと水を放ったらしい。


「行くぞッ!」

「おうっ!」


 そうして、2人は炎で渦巻く体育館の中へと飛び込んだ。周りは「危ない!」だの「危険だからやめろ!」だの、当然のように制止の言葉を掛けたものの、一度覚悟を決めた男達に、そんな制止は一切聞かなかった。


 勇と焔は体育館の中をひたすら駆け巡った。焔が火を消し、勇がそこに飛び込み――しかし、幾ら探せども、巫実の姿はどこにもなかった。焔が火を消したところで、その炎は一分もすれば復活してしまい、同じ場所に長居は出来なかった。

 焔と勇は暫く駆け抜けた後、自分らの周りがすっかり炎に囲まれている事に気が付き、方角感覚があまりにも曖昧になっていた。自分達がどちらに向かい、どちらを既に捜索したのか――曖昧であった。

 2人は背中を合わせて、周りを見た。


「思ったより手強い炎じゃけぇ。これ、下手に長引くと今度はワシらが干からびて死ぬぞ」

「ッ……」

(巫実さん……)


 普段から鍛えている自分達ですら、この炎の熱に耐え切れるかどうかという話なので、あの小柄で華奢な巫実には耐え切れないものであろうと思われる。出来るだけ早く彼女を見つけたいが――先程のように魔力を感知出来れば、と、勇は悔しがっていた。

 そんな中で、何処からかバリ、と、何かが折れる音がした。

 そして、


「――ッ!」「うぉっ!」


 勇と焔は勢いよく後退した。同時に、ゴン、と、体育館の木製の床へと勢いよく落ちた。どうやら、勇の眼前にバスケットゴールの一部が落ちてきたようだ。網の部分がわかりやすく、燃えている。

 勇はそれを見て、体育館自体が消失してしまうのも時間の問題だと思い、脂汗を流した。


(巫実さん……今、どこに……!)


 そして、勇はキョロキョロと見渡した。


(アンタが生きてなきゃ、ワシがここにいる意味がない……頼む、どうにか無事でいてくれ……!)


 ――その時だった。

 勇のその願いが彼女に届いたのか、そうじゃないのか、定かではない。きっと、タイミングがピッタリと合っただけに過ぎないのだろう。

 しかし、あまりにも出来過ぎているタイミングで、それは勇の耳の中へと飛び込み、入ってきた。


『いさむ、くん……? そこに……いるの……?』

(!)

「巫実さん……!?」


 勇は思わず顔をバッと上げて、その声のする方向をよく感じ取った。もし、あの声が巫実のものならば――魔力の出処がはっきりするかもしれない。

 そして、勇は再び聞き取った。


『助けて……お願い……。私、どうしたら良いか分からないの……』

「……巫実さんッ!」


 勇はこの声で魔力の出処を掴む事が出来た。距離だけで言えば、そう遠くない位置だ。そうとなれば、焔の魔力で、思い切って此処から巫実のいる方角まで水をぶち撒けるのが手っ取り早いかもしれない。


「勇? どうした?」

「焔……その」


 巫実がいると思しき方角に人差し指を向けながら、焔に言い放った。


「あっちに向かって水をぶっ放してくれんか。魔力があるんなら、そんぐらい出来るじゃろ」

「ま、まぁ、いいが……もしかして、伊和片さん、向こうにいるのか」

「……多分」


 と、勇は頷いた。確証は無いし、間違っている可能性はある。しかし、彼女の声は向こうから聞こえてきたような、そんな確信が彼の中にあった。

 焔はそんな勇を見ると「分かった」とだけ、小さく呟いて、その手の中に水の球を作り始めた。さっきまではある程度の大きさになると、そのまま炎の中に放り込んでいたのだが、今回はその大きさを上回って、両手で水球を作っていた。

 数秒して、かなりの大きさになると、焔は勇に言い放った。


「勇。ドでかくぶっ放すけぇ。少しそこ、退いてろ」

「お、おう!」


 そして、勇はその場から離れるだけ離れて、焔の様子を見た。

 焔は目を閉じて、意識をより、集中させる。

 途端、


「っぁ、ぁああああ――――ッ!」


 焔は大きく膨れ上がった水球を大きく投げた。水球は床が抉れる勢いで炎の中を駆け巡り、その一帯から炎が消えていった。床は大きく抉りつつも、その黒焦げ具合から相当燃えていたであろう事がわかる。

 水球は炎と共に蒸発すると、何かしらにぶつかったような「バシャア!」という衝突音と共に、そこから消えていった。焔はそれに違和感を覚えつつ、今ので魔力をかなり消耗したのか、勇に先に行くように促した。


「っ……はぁ……。勇、お前だけでも行け。此処まできたら、ワシ1人でもどうとでもなる。伊和片さんが向こうにいるかもしれんのじゃろ」

「でも、焔がいないと……」

「良いんじゃ!」


 焔は怒鳴り付けるように大きく声を張り上げた。それから、小さく笑みを浮かべて、言った。


「あの子は、お前にしか助けられんのじゃろ。なら、お前がとっとと行って、部外者は後から駆け付けるべきじゃ」

「ほ、焔……」

「早く行かんと、炎がまた道を閉ざすぞ。さぁ、行け」

「……分かった! 後でしっかり来るんじゃぞ!」


 勇は焔の要請を受け入れて、そのまま勢いよく駆け出した。

 焔を1人であの場所に放っておくことは出来ないものの、彼1人でも別に問題ないのは勇もこの場でひしひしと感じ取っていたし、何よりも焔自身がそう言うのだから、それに従うしかなかった。


(焔……ありがとう! そして、すまん!)


 そして、そのまま開かれた道を駆け抜けていき――勇は炎の壁に出会した。


「ッ!?」

(か、壁ッ!?)


 勇はあんまりにもな状況に口をあんぐりさせて、思わず後ずさってしまった。気が付けば、自分が駆け抜けてきた道は炎で再び閉ざされてしまい、勇は絶体絶命と言わんばかりに、動揺してしまった。

 魔法も使えない、ただ拳しか使えない自分にここから先出来る事と言えば――このまま炎の中に飛び込んで、焼身自殺の真似事するぐらいでしかない。この先に巫実が巫実がいるとなれば、そうするしかないだろう。


(巫実さん……多分、この先に居るんじゃろうな……)


 勇はギュッと拳を握り締めながら、改めて目の前に拡がる炎の壁を見つめ直した。この向こう側から声が聞こえてきた、こうして立っているだけでも彼女の魔力と思しきものが感じられるという事ことは、巫実が向こうにいる証であった。

 彼女なら火だるまになった自分を受け入れて、一緒にそこで死んでくれるだろうか。それとも、自分を必死に助けようとその未熟な魔法で、火を消そうとしてくれるのだろうか。

 どちらにせよ、彼女の腕の中で死ねるのなら、と、勇が決心を固め始めた時だった。


「……?」

(こんな時に着信? 誰から……)


 胸ポケットに入れてあったスマートフォンのバイブが鳴った。勇は特に確認せず、ピッ、と、応答ボタンを押して、耳にスマートフォンを当てた。


「はい、もしもし?」

『ああ……出たわね。私よ、不知火媛乃よ』

「――媛乃さん!?」


 そう、このタイミングでまさかの媛乃が勇に電話を掛けてきたのであった。

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