016:制御できないもの

「私……本当にこんな幸せで良いんでしょうか。こんな素敵な旦那様も居て、鈍臭くて体が弱い私にとって、あまりにも欲張りじゃないでしょうか……」


 ――そんな、可愛らしい鈴のような女性の声が耳の中に入った。

 時間は夜の22時前後だろうか。電気が消え、真っ暗な部屋の中で、女性は自分の旦那に押し倒されていた。女性の姿は暗がりで上手く見れないものの、外から申し訳程度に漏れてくる光で照らされる分には、相当な美少女だった。白い肌に、おっとりとしたトロンとした目。そして、黒紅色の艶のある長い黒髪。寝巻き使っている着物ではだけている胸元から、胸の大きさも相当なものと見受けられる。

 そんな誰もが認めるような美少女が、自分をそうやって卑下していたので、旦那の方はこう返してしまった。


「そんな事は無い。お前さんはすごい綺麗なんじゃ。他の誰が拒否しても、ワシが幸せにしちゃる」


 そして、女性の頬に触れる。ほんのりと暖かく、そして、優しい体温であった。そして、それは何処となく愛おしく感じるもので、旦那はすりすりと撫でていた。

 女性はそれに対して恥ずかしそうに目を伏せて、顔を真っ赤にしていたが、反面、口元は嬉しそうにはにかんでいた。自分の手を旦那の手に重ねて、うっとりと目を閉じた。


「ふふ……貴方はいつもそう言いますね。本当に私は貴方が旦那様で、幸せ者です」


 それから、女性の手は、旦那の首の後ろに回った。すると、はだけた浴衣から、乳房が大きく見え始めた。浴衣では耐えきれない大きさのものが、旦那の前で露わになる。

 それから、女性は目の前の旦那を見て、言葉を続けた。


「挙式前で、少し早いですけど……私を至さんのモノにしてください。私、この日をずっと待ってました……一目見た時から」

「む……桜花さんがそう言うなら、本当に待たせてしまったんじゃのう。しかし、本当にそんな事言ってしまっていいんか?」


 旦那・至はちょっと悪戯っぽく笑ってみせる。彼は成人男性ではあるが、若干茶目っ気があるようで、こんな時でも子供心を忘れないようだ。

 女性・桜花はコクンと小さく頷いて、


「私……貴方に染まりたいんです。そこで私の人格や自我が邪魔なら、それを捨てます。ですから――どうか、遠慮しないで」


「……くん。……むくん。勇くん、起きて」


 そして、その意識は巫実の鈴のような可愛らしい声で、現実へと引き戻された。

 勇はゆっくりと目を開いて、自分の目の前にいる制服姿の巫実の顔を見た。巫実は相変わらずの可愛らしい顔で、少し困ったようになかなか起きない勇を見ていた。それから、勇の頭をゆっくりと撫でて続けた。


「勇くん、大丈夫? 辛い夢でも見た?」

「え――ぁ……」


 気が付けば、勇の目には大量の涙が溜まっていた。勇は涙を寝巻きの袖で拭い取りながら、起き上がった。


「夢と言えば夢じゃが、そう悲しい夢じゃなかった筈じゃ。なーんか、ワシじゃない夢だったような」

「ふふ、そうなんだ。もしかしたら、前世の夢とか、そういうのかもしれないね」

「前世、か……」


 人は輪廻転生するとは聞く。記憶については引き継いでいる方が稀ではあるが、その根底にひっそりと眠っており、何かしらの記憶として出てくる事があるらしい。と、なれば、勇の夢もきっとそうなのだろう。そもそも、自分は至という名前ではなく、勇という名前で、巫実以外の女性を嫁として抱くなんてあり得ない話だ。

 しかし、と、勇は巫実をじっと見た。


(うーん、何処となく似ておるなぁ……)


 夢に出てきた桜花という女性――髪の色こそは正反対であれど、顔立ちや全体的な雰囲気は巫実にそっくりなのである。もしかしたら、自分の好みの女性が夢の中で具現化したのかと思ったものの、それならそれで巫実そのものが出てくる筈で、よく分からなかった。

 それに、あの艶めかしさ――普通の夢では絶対に再現出来ない、それこそ一度見た事なければああはならないだろう、と思う。

 勇の頭が本格的に冴えてきたところで、巫実は優しく笑いかけて、続けた。


「勇くん。今日は試験の日だから、お互い頑張ろうね。とりあえず遅刻しないように……準備しよ?」

「――ああ!」


 勇は言われて思い出した。

 ――今日は魔修闘習高級専門学院の学年末試験の日である。

 勇は巫実に言われるなり、とっととベッドから立ち上がって、感情に浸っている暇はないと、制服に着替え始めた。巫実も勇の着替えを手伝いながら慌ててつつ、彼が脱いだ寝巻きを抱き締めた。そして、そこに残った勇に体温に身を寄せた。


(……勇くん……私、今日、頑張るからね)


 その時、巫実の胸元のペンダントがキラリと光った。


「うーん、今回はなんとかドベは回避出来た……筈じゃ」


 なんて、自信無さげにポツリと呟くのが、焔であった。

 格闘を専攻している勇、焔、颯汰の3人は、中庭の木の下に集って、試験の手応えについて話し合っていた。勇は自分が勉強が出来ない事がしっかりと分かっていつつも、赤点は回避確実であり、颯汰は元々勉強が出来るため普段通りなら問題ない事が各々口から出た。

 一方で、焔は竹部・梅部の生徒会長の癖にこんな調子なので、2人はずっこけそうになりながら、焔に好き勝手言い放った。


「焔! お前、仮にも生徒会長なんだからしっかりしなよ! もしここで最下位だったら生徒会長の称号剥奪されるんだぞ!?」

「ワシが勉強出来ないのは仕方ないにしても、そのワシより成績悪いのはもっとダメじゃろ! お前、自分の立場解っとんのか!?」

「こうなったら、次はおれが生徒会長に立候補して、焔の代わりに生徒会牛耳ってやろうかな。万年ドベの生徒会長なんて頼り無いし。何よりも、そんな奴よりおれの方が模範生徒になれると思うし」

「おお、颯汰が生徒会長なら、皆、安心じゃのう! 焔も元生徒会長として推薦しやすい人材じゃろ?」

「いや……お前ら、好き勝手言ってくれるのう。まだ結果が出てる訳じゃないけぇ、ドベなの決めつけんでくれんか。そしてサラッと生徒会長に立候補するんじゃない」


 焔は呆れと苦みが混ざった顔で梅部2人を見つめつつ、臀部を預けていた地面から立ち上がった。


「勇からしたら、ワシの生徒会長の座よりも伊和片さんの方が重要じゃろ。彼女の進級にも掛かっておるし。まぁ、毎回ギリギリで通過しているとは聞くから、今回もそうだと信じたいがのう」

「いーや、今回は大丈夫じゃ」


 勇はそう言いながら、何処か自信満々に笑みを浮かべて、頷いた。何も知らない颯汰はそんな勇の様子にキョトンと首を傾げた。

 勇はぐっと拳を握り締め、言い放った。


「巫実さんは媛乃さんから、魔法鉱石ってヤツで作られたペンダントを貰ったからのう。基礎魔力を上げるとか何とかで、彼女の助けになるかもしれん」

「ああ……そうか。アレか」


 そして、焔は訝しげになる。

 勇は急に焔が何かを考えるように黙り込んでしまったので、頭の上に「?」と、クエスチョンマークを浮かべながら、その女顔を見ていた。その魔法鉱石を巫実が使う事で何か問題があるのだろうか。

 焔は暫しの間下げていた視線を、再び勇へと向け、言った。


「確かに無いよりはマシじゃよ。彼女の基礎魔力はこの年代には相当な低さであると聞くし、それを補助する道具は確実に必須じゃ。けれども」


 と、焔は一旦呼吸を置いてから、問いた。


「それを貰ったのはこの間、ワシの家に来た時じゃろ?」

「ああ、うん。それがどうしたんか?」

「……あまり考えたくは無いが」


 焔は少し言い辛そうにしていたが、続けて、


「伊和片さんの特殊魔力だと、逆に基礎魔力が半端になり――暴走の確率が非常に高くなる」

「!」


 勇が目を丸くする中で、焔は更に、


「彼女が今まで暴走せんかったのは、基礎魔力が低すぎるが故に、暴走する魔力すら引き出す余裕が無かったからじゃよ。そこに、基礎魔力を半端に上げてしまえば――あとは分かるじゃろ」

「ぅ……」


 勇は何も言い返せなくなった。

 媛乃の事なので、そこ込みで巫実に魔法鉱石を託したのだろうし、焔もこういう道具は必要だと断言している。どのみち、巫実の基礎魔力の低さについては、外因的なもので補う必要がある障害なのである。

 そして、焔は続けて、


「何にしても、このタイミングじゃ試験中に暴走する事も無きにしも在らずじゃろう。そうなれば、彼女は一発退学になりかねん。お婆ちゃん的にも賭けに出たんじゃろうな」

「……っ」

(逆に言えば、そこまでしないと巫実さんの絶望的な基礎魔力の低さは補えないという話か……!)


 媛乃を信頼していないわけではない。あの性格でも、仮にも長年生きてきた含蓄と、大きな知識がある。媛乃の判断は現状の巫実に於いて、非常に正しいものとは言えるだろう。しかし、焔の言う通りならば、今回の件は巫実にとっても危険な賭けだ。そして、それ程までに巫実の基礎魔力は低いのだ。

 勇は立ち上がり、焔に言った。


「なぁ、焔。試験会場は何処なんじゃ。魔法を使う以上、普通の教室ではやらんじゃろ」

「うん、試験会場は体育館じゃけぇ」


 と、焔は笑みを浮かべて、


「行くか、彼女を見守りに」

「勿論」


 勇は頷き、


「媛乃さんはワシが巫実さんの側に居るから、アレを託したんじゃ。前にも、巫実さんはワシが居る限り大丈夫だって、お墨付きを貰ったからのう」

「そうか、なら聞くまでもないな」


 そうして、焔が勇の意思を聞いて頷くと、今度は颯汰にも話しかけた。


「颯汰、お前さんも来い。なんかお前だけ連れて行かないのも気が引けるからのう」

「はいはい、そう言われると思ってました。おれも勇と伊和片さんの今後は気になるし、行くよ」


 颯汰は頷いて、立ち上がる。颯汰自身は帰りたい様子も見せたものの、やはりここは友人とその恋人の行く末を間近で見ていたいのだろう。部外者であると言えども、こういうことは何人かで見ておいた方が何かあった時に助けになる筈だ。

 そうして、3人の少年は体育館へと向かった。

 そして――焔の懸念が当たる事になろうとは、この時は誰も思ってもみなかった。


 魔修闘習高級専門学院、体育館。

 ここでは本日、魔法試験も行われていた。クラス毎に陣地を作り、場所を分けて、いろんな生徒が試験へと立ち向かい、合格していく。次々と他の生徒が合格していく中で、巫実はただ1人、ドキドキと胸の鼓動が早まっていた。


(媛乃さんから貰った魔法鉱石……効果出れば良いんだけど……)


 と、巫実は自分の制服の下にぶら下がっているペンダントを見つめるように、視線を下ろした。

 自分の基礎魔力が絶望的に低く、この先を見ても伸び代がないと分かっている今、媛乃から貰ったこのペンダントをアテにする他無かった。自分の基礎魔力そのものが伸びるわけでないが、今後、この学校に通いたいのならば、このペンダントを手放しては自分の学院生活の死を意味する。


「伊和片巫実さん。そろそろこちらに来てくださーい」

「は、はい……」


 呼ばれるなり、巫実は椅子から立ち上がって、スタッフである松部の生徒の案内に従い、そのまま試験の陣地へと向かった。巫実はこの学年でも劣等生である事実が広まっており、その見た目も合わさって、他の生徒からの視線をビシビシと感じていた。

 巫実は顔を青冷めさせながら、陣地へと立つ。

 スタッフの松部の生徒は淡麗な容姿を持った美少女であったが、どことなく視線が優しかった。巫実はその視線に安心しつつ、息を吐いて、目の前の蝋燭へと目を向けた。

 試験内容は至って簡単なもので、最初はこの蝋燭を20秒以内で規定の位置まで溶かす程の炎を魔法で出してから、今度はその炎を浮かせて、輪を作るというものである。平均的な生徒なら難なく突破出来るように設定されている難易度であるのだが、巫実は魔法に於いては常に劣等生。これでもかなり難しいであろう。

 しかし、今は胸元には媛乃から貰った魔法鉱石がある。この程度、難なくクリアできると思いたい。


(成功しますように……)


 巫実は自分の折り畳み式の魔法杖を伸ばすと、蝋燭に向かってその先を突き出した。


「炎――点火!」


 これで蝋燭に火が点けば、最初の関門は突破出来る――筈だった。

 次の巫実の目の前に繰り広げられたのは、明らかに過剰な炎の発火であった。


「――ッ、きゃっ!?」


 爆発するように大きく炎上し、蝋燭は20秒どころか、一瞬で跡形もなく溶けて、消え去った。巫実は呆然としてそれを見つめつつも、次の項目に取り掛からねばなるまいと、再び炎に意識を集中させた。

 しかし、それは炎を更に加速させ、彼女の周りを包んでいくこととなった。

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