014:不知火邸にて

 一般人が思いつく「典型的な魔法使い」と言えば、箒に乗って空を舞い、宙を裂く――そんな感じで、箒を移動手段にしている、というイメージであろう。当然、この世界に於いても、箒というのは移動手段の一つであるが――「免許制」なのである。車やバイクよりも特殊技能を必要とすることや、道筋の整理もなかなか難易度が高いことや、それにより落下事故も頻繁に起こりかねない事もあり、自動車免許と同じく18歳から取得可能とされている。また、魔法科学生の場合、魔法が使える授業以外の飛行も禁止にされている。

 当然、免許が取れない魔法使いや学生は、魔力を持たない一般人と同じく、地上を歩いて移動している。

 勇は巫実と共に道を歩きながら、空を見上げ、自分の頭上よりずっと高い位置にいる魔法使いの姿を見ながら、空は楽しそうだな、なんて思う。勇は魔力すら持ち得てないないため、ああやって空を飛ぶ事はできない。


 そして、本日は土曜日で学校も休日なのだが、勇と巫実は焔から「不知火邸で勉強をしないか」と、誘われており、待ち合わせ場所に向かっている最中だった。勇の土地勘も無いため、一旦は学校近くにあるコンビニでの待ち合わせをする事になっていた。

 巫実は外に出る際には自分の爆乳を晒したくないようで、しっかりとサラシを巻き、可愛らしいブラウスとロングフレアスカートでしっかりと清楚にまとめ上げていた。巫実のよそ行きの格好も非常に可愛らしく、勇は尻を触りたくなるのだが、人前では我慢していた。

 暫く歩いてコンビニへと辿り着くと、焔がコンビニ前のベンチに腰掛けて待機していた。こちらはこちらで、黄色いダウンジャケットを羽織り、その下にはタートルネックに黒のジーンズと、普通に男らしい格好であった。しかし、そのシンプルな服装がビシッと決まっており、美形は得だ、と、勇は頷いた。

 焔は2人の存在に気が付くと、ベンチから臀部を持ち上げて、こちらへと体を向けた。そして、ニッと笑みを浮かべて話しかける。


「うん、しっかり時間通りに来たけぇのぉ。今日はお婆ちゃんも呼んでるから、つきっきりで行けると思うけぇ」


 と、


「じゃ、ついてきんさい。案内しちゃるけぇ」


 そうして、3人で不知火邸に足を運ぶ次第となった。

 勇は不知火邸まで行く間にも、つい先日、水無月宏夜とエンカウントした事を話すべきなのか、ずっと迷っていた。


(生徒会長の敵だっていう話じゃ、出来れば報告した方が良いんじゃろうが……しかし、このタイミングで話すべき事でもない、よなぁ)


 うーん、と、勇は首を傾げて悩む。

 ただでさえ、今は試験の点数を上げる事を優先にしなければならず、勇が報告したところで余計な雑音にしかならない上に、心配させてしまう。だから、勇は出来れば知らせない方が良い、と、思えた。水無月宏夜が勇に目を付けているかもしれない、という点でも、焔は勉強そっちのけになってしまうだろう。

 焔は先程から何やら悩んでいるらしい勇に気が付き、心配になり、思わず話しかけた。


「賀美河くん、どうしたんじゃ。そがいに悩んで、君らしくもない」

「えっ……あー、いや」

(生徒会長、やっぱり鋭いのう〜)


 勇は焔に指摘されるなり、誤魔化すように苦笑して、続けた。


「いや、何でもない。試験があるの嫌だなーって考えておっただけじゃ」

「ん? そうか? まぁ、深くは聞かんが、何かあったらちゃんと言いんさい。溜め込むのは良くないからのう」

「肝に銘じておくわい」


 と、勇は返す。それから、焔の顔を見て、ふと、思い出した。

 ――よーく分かっとるじゃろ、おどれの記憶の状態――それはそれでええけど、親戚周りまで忘れてるのはちーとよろしくないけぇね――。


(生徒会長とワシが親戚、なぁ。全然想像付かんわ)


 勇は溜息を吐く。

 焔と自分が親戚同士なのは、焔のこちらに対する応対で、何となく分かる。こちらが記憶喪失である為、焔はある程度他人行儀であるものの、他の人間に比べてこちらをよく気にかけてくれるし、それが親類縁者だからという理由ならば、こちらも納得する。焔ほどの人物がわざわざ自分に絡む理由なんて、それ以外考えられないのである。

 一方で、自分と焔が血縁者である事に対して、しっくり来なかった。こう言っては難だが、勇はその辺によくいる糞餓鬼でしかないし、秀でている事といえば喧嘩ぐらいのものだ。一方で、焔は座学がダメダメと言えども、魔法も使えるし、生徒会長になれる程の人望もあるしで、こんな人物が親類縁者である事実がどうにも受け入れ難い。


「ほーれ、着いたぞ。そんなに遠くなかったじゃろ!」


 そうしているうちに、焔からそんな無邪気な声が掛かった。どうやら、不知火邸にたどり着いたらしい。

 勇と巫実は顔を上げて、それに気圧された。


(で、デカい……!)

(凄い……本当に「邸」なんだ……)


 目の前に聳え立つ木製の門だけでも分かる。この家は、普通の家ではない、と。

 焔が開いた先の空間も広々とした芝生や木々、岩の踏み場など、日本古来のものが並んでいる。当然、家も横に長い。向こう側まで家の空間が広がっている事を考えたら、相当な広さだ。これを見せつけられると、不知火家の人間が由緒正しき家の人間である事が非常によく分かる。

 よく分かる故に――なぜ、焔だけ座学が悲惨なのか、疑問はさらに深まるばかりである。

 日本特有の家の出入り口である引き戸を、焔はガラガラと開いた。


「お婆ちゃん、賀美河くんと伊和片さんが来たぞー」

「あら……もう来たの、早いわね。もう少し遅いかと思っていたわ」

「みんな、時間通りで偉いのう!」


 そうして、近くの部屋で待機していた助手と媛乃が玄関までやってきて、出迎えた。

 媛乃は3人を出迎えるなり、すぐ指示した。


「じゃ、すぐに上がりなさい。とっとと部屋を案内するから、そこで勉強よ。良いわね?」

「は、はい……」「はーい」「はいはい」


 そんな感じで、3人は不知火邸の建物内へと入り、媛乃に案内されて勉強会場へと向かった。

 途中、焔は勇に話し掛けた。


「なぁ、賀美河くん。そろそろ何か思い出したかのう。昔は長期休暇中にここに来ておったんじゃよ」

「えっ、そうなんか」


 勇は目を丸くして驚いた。勇からしたら、全く知らない家であり建物で、初見なのだが――焔からしたら、何度も会っている親戚の子供を家に上げているだけのようだ。

 しかし、勇は全く何も思い出せなかった為、首を横に振った。


「残念ながら、なーんにもじゃ」

「……そうか。思い出せたら良いのう」


 なんて、焔は笑ってみせた。

 勇は微塵も何もかも思い出せない自分に対して、どこにぶちまけて良いのか分からない複雑な感情に襲われた。


 いざ、勉強会を開いてみれども、やはり焔の脳みそでは何もかもが追いつかない。四則計算の基礎中の基礎が全く分かっていないし、何なら、巫実の方が飲み込みが早い。媛乃の用意した問題を、先に解けるようになったのは、巫実であった。

 媛乃は巫実の答案を見ながら、その頭を撫でた。


「偉い。偉いわよ、ハムスター。ご褒美に私のおっぱいを吸う権利を与えるわ」

「あ、あぅう……要らないです……」

「お婆ちゃん、そういうのは助手さん相手だけにしておきんさい」

「そう? というか、焔、アンタ、うちの兄によく似てきたわねぇ。不知火の男は勉強が微塵も出来ないけど、アンタは特にだわ。顔も性格も含めてね」


 媛乃はそんな事を言いながら、巫実から離れた。巫実は顔を真っ赤にしつつも、自分の答案が媛乃から褒められた事に、少し嬉しさを覚えた。自分にも勉強が出来たのだな、と。

 焔は溜息を吐きながら「しかしなぁ」と、数学の教科書を見た。


「こんなの頭で考えるより、電卓でパパーとやった方がええじゃろ。その方が正確じゃろうし」

「馬鹿ね。電卓だって公式覚えなきゃ使い物にならないんだから、ちゃんと勉強なさい」


 と、


「この家、電卓は無いけど算盤そろばんはあるわよ、ほら」

「いや、どこから出すんじゃそんなもん! というか何で算盤だけ!?」


 媛乃は何処からか算盤を取り出し、それを焔達に見せつけた。確かに古風な家ゆえに、算盤ぐらいはあるだろうが、何故すぐに取り出せる位置にあるのか、非常に謎である。

 焔は頭を抱えながら続けた。


「電卓は無いって何なんじゃ〜。逆にこんな家なら何個かあるじゃろ」

「スマートフォンのアプリで我慢なさい。横画面にすると、数学者しか使わないような項目が沢山出るわよ」

「うわ、本当じゃ! 高校や大学数学で使うような項目がめっちゃ出てくるけぇ!」


 焔と媛乃が電卓アプリの機能の豊富さを話している最中で、勇は算盤を見ていた。


「……」

(……な、なんか、使い方が分かるぞ)


 時代が進み、今はすっかり算盤は一部の習い事にしている小学生や人間にしか使えない骨董品になってしまっている。しかし、勇はそんな算盤を見て、すぐに使い方が分かったらしい。

 そんなわけで、自分の算数の問題を解くために、少々借りてみる事にする。


(えーっと……確か……)


 パチン、と、算盤の珠を揃えつつ、計算に合わせて弾く。勇がリズム良くパチンパチンとその音を鳴らす為、計算が上手く行き、問題を次々と解いているのが分かる。媛乃達はその音を暫く聞くなり、勇の方へと振り向いた。勇は算盤をさっさと使いこなし、軽快に珠を弾いて鳴らしている。

 そのうち、勇は算盤を使って出された問題を一通り計算し終えた。そして、こちらを見ていた媛乃に確認した。


「媛乃さん、ちと頼む。算盤でちょっとズルしたかもしれんが、使い方が合ってれば全部正解しておる筈じゃ」

「そうね、分かったわ。私も使い方について気になってたから」


 そう言って、媛乃は勇が使っていたノートを受け取り、答案内容を確認した。暫くそれらを見比べて、自分でも計算してみた後、媛乃は頷いて、勇にノートを返した。


「田舎ボーイ……全部正解よ。よくここまで算盤を使えたものね」

「媛乃さんからそう言って貰えて光栄じゃ」


 と、勇はノートを受け取った。

 媛乃は続けて、


「にしても、貴方がここまで算盤使えるなんてね。何処かで習ったりしたのかしら?」

「いーや」


 媛乃のその言葉に首を横に振り、


「なんか……体が覚えていた、というか、記憶が覚えていた? みたいでのう。もしかしたら、記憶を失う前に算盤で何かやっていたのかもしれん」

「そうなんかぁ? お前、算盤習ってる素振り微塵も見せんかったぞ」

「いや、これは確実に記憶の奥底で覚えておる」


 記憶喪失前の勇を知っている焔に対して、勇はそう言って、


「なーんか、就職の不利有利に関わるとかで、結構やらされていたような記憶がぼんやりと……。ただ、誰にそれを言われたか、強制されたか、みたいなのは全く思い出せんのじゃ」

「えっ、就職?」


 この中で唯一社会人経験のある媛乃が首を傾げて、不思議そうに勇を見ていた。


「ちょっと田舎ボーイ。貴方、何歳なのよ。算盤が就職に有利だったのなんて、それこそかなり昔じゃないの。私が生まれるずーっと前の昭和時代で……それはもう、大昔の事じゃないかしら」

「ふぁっ!?」

(あ、あれ……? どういう事じゃ)


 勇はまさかの媛乃の指摘に対して「???」と沢山のクエスチョンマークを頭に浮かべて、首を傾げていた。ただでさえ記憶を失い、何もかもが曖昧になっていると言うのに、そこへ更に時代が曖昧になる事実と来た。何かしらの記憶がごちゃ混ぜになっているのか、そうでないかは定かではないものの、自分の記憶は相当交雑しているのかもしれない。

 媛乃は「そうね」と、首を傾げて、言い放った。


「貴方のこと、これから田舎ボーイじゃなくてジジイって呼ぶ事にするわ。私より年寄りな事言い出すんだからジジイで良いわよね。ハイ、決定」

「やーい、ジジイじゃ〜」

「いや、それは流石に嫌じゃが。ワシはこれから中学生になる事だし、あと、生徒会長も乗らんでくれんか!」


 そして、一同でわいのわいの騒ぎ始める。

 勇からしたら、今の年齢でジジイ扱いされるのも嫌であるし、ジジイ扱いされる事で巫実からの扱いもどうなるか――思春期らしく気になるところである。

 とはいえ、巫実はその辺さして気にしていないようで、突っ込み疲れた勇に微笑み掛けた。


「ふふ。勇くん、算盤使えるんだ。私全く分からないから凄いと思うよ」

「まぁ……流石にジジイ扱いされるのは想定外だったが」

(やっぱり巫実さんはワシの癒しじゃ〜……)


 巫実の柔らかい微笑みで、疲れ切った勇の心が浄化される。と、同時に、


「巫実さんのおっぱいに埋もれたい……」

「お、お家に帰ってからね……」


 と、相変わらずの助平な餓鬼んちょ具合でもあった。

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