011:氷上阪皇樹
「想定以上の魔力を使った事による視力低下と、記憶損傷に、体格縮小。そして、加齢の体質変化が見られます。分かりやすく言うと、不老不死です」
約180年前、魔修闘習高級専門学院大学部の医療科にて、助手、及び、氷上阪皇樹はそう診断が下された。
見た目の縮小化だけではなく、かなりの影響が彼の体を襲っており、彼への体の負担は相当なものであった。医者曰く「媛乃が必要以上に魔力の負荷を負わないように、彼がコントロールした」という話であった。媛乃はずっと自分にくっついて離れない皇樹の頭をそっと撫でた。
彼は小さくなってから、ずっとこんな調子なのだ。実の両親に会っても、媛乃の側がいいとずっと離れず、彼女の下で生活している。無理に引き剥がそうとすればギャン泣きして、拒否をする。その度に彼女の良心が痛み、離れる事が出来なかった。彼の両親にはそれでかなり迷惑を掛けたものの、そうなってしまうならば無理強いはできないと、了承を得た。
医者は続けて、
「不老不死体質は治りません。いえ、治すものでありません。ですが、魔法の概念が浸透している今、不老不死も珍しくはありません。折り合いがつくまで時間は掛かるでしょうし、今後について暫く考えてみてください」
「……はい、分かりました」
媛乃は医者の言葉に頷いて、そのまま医療科を後にした。
◇
媛乃は夕焼けに染まる道を歩きながら、皇樹と手を繋いで、住まいである不知火邸に向かっていた。皇樹は媛乃と一緒にいれて嬉しいのか、ニコニコと笑みを浮かべていた。
「ママ、ぼく達ふろーふしだって! ずっと一緒に居られるんじゃろ。ママのこと大好きだから嬉しいぞ!」
「あ……ぅ……そう、ね……」
(本当は……普通に先輩と結婚して、子供産んで……老後を過ごしてみたかった)
ママ――そう呼ばれるたび、彼にとって自分はそういう存在になってしまったのだな、と、複雑な心境になった。
ウェディングドレスに包まれた自分と、タキシードをピシッと決めて媛乃の横に立つ皇樹の姿は、何度も何度も想像し、その度に幸せな気分になれた。そして、それから普通に子供を産んで、2人で育てて、老後を過ごして――それが叶わなくなった今、媛乃の心情は何もかもがごちゃ混ぜで、辛いものだった。
小さくなった彼が執拗に媛乃の側にこだわるのも、魔法の後遺症らしい。あの魔法を使う際に、媛乃を守る為に、彼女の魔力を真っ向に受けた結果だと言う。
(先輩……どうして……)
それなら、いっそ、自分が魔法の負荷で死んで仕舞えば良かった、と、媛乃は後悔した。しかし、それは皇樹が独りになるという選択肢でもあり、結果的に、こうするしか2人が生存し、この世に居れる道はなかった。
皇樹は悲しげな媛乃を見て「?」と、不思議そうな顔をした。
「ママ、どうかしたか? ぼくが側にいるぞ!」
そして、皇樹が媛乃を抱きしめた。
(……そうね。貴方、私に何かあるとすぐに抱き着いてきたわね)
根本は一切変わらないんだな、と、媛乃は皇樹の頭をそっと撫でた。少し心配性で、おっちょこちょいな部分はあれど、彼はずっと媛乃を想って過ごしてきた。媛乃は見た目が見た目故に男子からの人気も非常に高かったし、嫉妬深かったが、それが何となく嬉しかった。
媛乃は皇樹の面影を感じ取ると、彼からそっと離れた。
「ごめんね、私は大丈夫よ。早く家に戻りましょうか」
「うん!」
そうして、2人は家へと歩いて戻った。
(……大丈夫。例え小さくなっても先輩は先輩だもの。何とかなるわ)
◇
小さくなっても、彼から媛乃への性欲は収まることはない。寧ろ、今の皇樹にとって、媛乃は手頃で、かつ、非常に極上の料理に見えた事だろう。綺麗な銀髪に、白く柔らかな肌。おっとりしていそうで優しげな顔は、非常に端正で、眩しく、美しい。そんな女性が自分の好意を無碍にせず、受け入れてくれ、そして、肯定してくれる。皇樹はそんな彼女を他の男に奪われたくなかった。
そして、そんな彼が媛乃の女としての部分を引き出すのは、遠くない未来だった。
その日の晩――媛乃と皇樹は完全に戻れないところまで来てしまった。
媛乃は茫然自失としながら、風呂場でシャワーを浴びていた。そして、先程までのことを思い返し、自分の体が彼の手で悦んでいたこと、そして、そこに皇樹の面影があった事に安心して、何度も何度も受け入れた。
けれども、今の皇樹は自分の大好きだった彼と言えども、自分より幼くなった姿だ。そんな彼からの要求に応えて受け入れてしまった自分が許せなくて、気持ち悪かった。
(私……何してるの……。幾らあの人だからって、許されないわよ、こんなの……)
しかし、要求に応えなければ、彼はそれで悲しみ、泣き出す。その表情を見ることだけは絶対に避けたかった。
(でも……こうするしか、無い。私はこうやってあの人を受け入れるしかない……。あの人を傷付けたくないのなら、そうするしかないんだわ……)
媛乃は一通りシャワーを浴び終えると、体を拭いて、寝間着に着替え、部屋に戻った。
部屋に戻るとベッドの上ですやすやと寝息を立てて寝ている彼の姿が、そこにあった。媛乃はギシ、と、ベッドの上に座って、彼の髪の毛を撫でた。皇樹は嬉しそうにふんにゃりと口元を緩ませた。
そうして暫くすると、皇樹が目を覚ました。
「……ママ?」
「あ……起きちゃったわね」
媛乃はクスッと小さく笑みを浮かべて、掛け布団の中に入っていった。
「大丈夫、寝てて良いわよ。私も眠いの」
「ママ……」
皇樹はぼんやりとした顔で、媛乃にギュッとしがみ付いた。そして、彼女の豊満なバストに顔を埋めて、気持ちよさそうに目を閉じる。
「このおっぱいも……ぼくのじゃ……」
「……」
媛乃はそんな呟きを聞くと、思わず目を伏せて、彼の頭を撫でた。
「……ええ。媛乃の体は、貴方が好きにして良いのよ。それで貴方の気が済むなら、そうして良い」
「ママ〜……」
皇樹はより、強く媛乃を抱き締めた。
媛乃もそんな彼の事を強く抱き締め返しながら、そっと目を閉じた。
(これで……良いのよね。私は……この子の好きにされて、それで良いの。それがお互いにとっての幸せなの……)
◇
そんな日々が続き、お互い戸籍上では婚姻届が出せる規定を満たせる年齢になった。
媛乃は自分の誕生日を迎えると、役所で婚姻届を出した。この際、いろいろと書類が必要になる為、皇樹側の書類を用意するのに少々難儀したし、お互いの家の了承を取るのが少々面倒だと思っていたものの、両家ともあっさりと了承してくれた。色々と見ていた不知火家は受け入れるのが当たり前、みたいな感じだったが、皇樹側の家が普通に受け入れたのがかなり意外であった。
曰く――「自分達では一生面倒は見れないが、媛乃なら見ることが出来る。寧ろ頼みたい」と、いうことであった。
婚姻届を提出した後、媛乃は皇樹と帰路についていた。皇樹は媛乃の腕にしがみ付いて、これまでになく嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「これでママは本当にぼくだけのママじゃな。誰にも奪われることは無いんじゃ」
「……ええ」
(本当は、大人になった貴方と出したかったのだけど)
ウェディングドレス姿、皇樹に見せたかったな、と、媛乃は切なげな表情を見せた。この姿のままでは、結婚は愚か、お互いウェディングとタキシードを着て、写真を撮ることすらままならない。
皇樹は媛乃にすりすりと擦り寄りながら続けた。
「ママもぼくの事、好きじゃろ? ぼくはママのこと大好きじゃ」
「ぁ……」
(……婚姻届を出す、というのはそういう事なのよね)
今までのように頷いて誤魔化す事も、相槌を打つだけは許されない。はっきりと口にして、愛情を示さなければならない。
媛乃は声を絞り出した。
「――ええ、好きよ。周りからどう思われようと、私は貴方のこと、大好きよ」
「……えへへ!」
と、皇樹は嬉しそうに、
「やっとママから好きって言葉が出たな! 今度からは恥ずかしがらず言ってくれると、ぼくは嬉しいぞ!」
「ええ……そうするわね。貴方が喜ぶなら、幾らでも口に出すわ」
そして、媛乃は彼を抱き寄せた。
(私は……彼を一生愛さなければならない。でも、それは決して苦ではない。だって、私、今、この子が喜んでる顔を見て、すごく嬉しいもの……彼がそれで喜ぶなら、私は……)
*
「あの2人、これから頻繁に来るのか?」
「そうね。あの子達には普通に生きててほしいから」
助手と媛乃は勇と巫実が帰った後、研究室に残り、明日の準備をしていた。
普段、適当にあちこちに書類を分散させてしまっている為、まとめるのが大変であるが、媛乃は自分の責任であると、一枚一枚丁寧に確認して、明日必要かそうでないか振り分けていた。もし、皇樹が一緒ならば「媛乃さんは結構ズボラじゃからのう」なんて、苦笑いしながら手伝ってくれていただろう。
助手は散らばった書類をまとめながら、媛乃に言った。
「なぁ、ママ」
「ん?」
「さっきの写真の男、本当にそんなに好きなのか」
「えっ……」
媛乃は吃驚して、助手を見た。助手は今にも泣きそうな表情だった。どうやら、それだけあの写真の男――元々の自分の姿に執着しているらしい媛乃が嫌だったようだ。
助手は媛乃に続け、懇願した。
「さっきの写真、消してくれ。ママはぼくが好きなんじゃろ。嘘だったのか」
「あ、アレは貴方本人なのよ。何度も何度も言ってるじゃない」
そう、あの姿がかつての助手自身である事はよく彼に言い聞かせていた。自分と彼の間で大事な前提条件である為、彼がこうして荒れる度、根気強く言い聞かせていた。
ただ、今の彼の知能ではそれを理解する事が出来ないようで、拒否していた。
「ぼくはぼくじゃ! アレは別の誰かじゃろ! ママ、消してくれ! ぼく、ママが他の男と嬉しそうにくっついてる写真見るのが嫌なんじゃ!」
「ぁ……う……」
媛乃にとって、あの写真は大事な思い出の欠片だった。長く生き続けていれば、何れ、本来の皇樹の顔を思い出すことも出来なくなるし、媛乃はそれが怖かった。皇樹も二度と元には戻らないであろう事を考えたら、尚更だ。
媛乃が決断に迷っていると、助手はとうとう泣き出した。
「ママはぼくのじゃろ……他の男のもんじゃないじゃろ……。だから、消してくれ……。ママはぼくだけの女なんじゃ……」
「……っ」
――皇樹の時も、独占欲は相当強かった。
流石にこうやって駄々捏ねたり、なんてのはしなかったものの、他の男に対してかなり威嚇したし、嫉妬に狂った日は乱暴に肌を重ねられた。けど、媛乃はそれが「自分が愛されている」と強い実感を持つ事が出来、自分が「彼のモノ」になれるなら、自分を捨てる事さえも厭わなかった。それこそ、自分の人権なんて微塵も要らなかった。
そして、そんな彼が幼くなれば、こうやって自分に執着して駄々を捏ねるのも当然だった。自分の独占欲をひたすらに受け入れてくれる女性の存在――彼にとって、絶対に逃したくないであろう。
媛乃はスマートフォンを取り出して、データのバックアップを確認した。肝心の元データ自体はクラウドやパソコンの各所にとってある為、後から見ようとすれば幾らでも見る事ができる。
――そして、媛乃はスマートフォンのアルバムから、震える指で、自分と皇樹のツーショット写真を消した。
媛乃は震える手でデータを消したそれを、助手に差し出した。スマートフォンから消してしまったが故に、媛乃は泣き出してしまいそうで、彼の顔を直視ができない。
彼が嫉妬深いのは昔からよくよく知っていた筈で、でも、どこかその嫉妬深さを甘く見ていたのかもしれない。所詮は子供の言う事だから、と、真剣に取り合っていなかった。
「……これで、いいでしょ」
「……。……うん、いいぞ!」
そして、助手は消された結果に満足して、媛乃に強く抱き着いた。
「ママはもうあんな男の顔見なくていいんだぞ。ぼくがママの男じゃ、必要ないじゃろ」
「……そう、ね」
無邪気に笑い、自分の胸に埋もれる助手。媛乃はそれを突き放すことも出来ないし、拒否することも出来ない。幾ら小さくなって幼くなったと言えども、彼は自分が大好きだった皇樹そのものだ。だから、何をされても拒否できないし、何を要求されても突っぱねることは出来ない。
ただ――今は、泣いていいのかもしれない。
媛乃は涙が出ないように、と、上を向いていたが、やはりそれでも涙は出る。彼が「氷上阪皇樹」である以上、媛乃は彼を受け入れるしかないのだ。
(先輩……ごめんなさい。私は……もう、この子のモノになるしかないんです……ごめんなさい……ごめんなさい……!)
それが例え彼本人だと分かっていたとしても――媛乃の彼への謝罪は心の中で止まることはなかった。
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