010:媛乃と助手
「やじゃ! ママも行くんじゃ!」
――そんな助手の声が講義中の教室で鳴り響いた。
そろそろ竹部の授業も終わり、放課後に突入する頃なのだが、媛乃はまだ講義中。勇と巫実を迎えに行くのは助手の務めだったのが、直前になってやはり媛乃と一緒がいいと拒否。
助手はグイグイと媛乃の腕を引っ張りながら、連れて行こうとする。
「ママと一緒じゃなきゃ行かない!」
「ち、ちょっと待って……無理よ。今、講義中で……」
「じゃあ、終わるまで待つ!」
「そ、それもダメ……1人で行って……」
「やじゃ! 行かない!」
「あ、あぅう……お願いだから行ってぇ……」
講義中の生徒はこの2人のやり取りはすっかり慣れ切ったもののようで、いつも通り仲良しだなぁ、と、いう生温い目で見ていた。
そもそも、媛乃ほどの人物であればしっかりした助手を雇えるものだろうに、何故わざわざこんな子供を助手にしているのか、非常に謎である。見ている分には媛乃の活動の妨げにもなりそうで、見ていてハラハラもする。
一方で、普段はクールを気取っている自信家の媛乃が助手を目の前にすると、
「だから、ダメなの……私が行ったら講義止まっちゃうから……あぅう……」
――と、こんな感じで非常に気弱になるものだから、ついつい面白くて見入ってしまう生徒が多数なのである。流石の媛乃も子供相手には強く出られないのか、それとも他の感情があるのかはよく分からないが。
しばらくすると、生徒から声がかかった。
「教授〜、大丈夫です。今日の講義でやる事一通り終えたんでしょ。一緒に行ってあげてくださいよ」
「そうそう! オレら別に気にしないんで!」
「むしろ講義が早上がりでラッキー! って感じですんで!」
「あ、あなた達……」
(こいつら……絶対面白がってるわね……)
流石に生徒達が今の媛乃の状況を面白がっているのは、本人にも伝わるようだ。
とはいえ、講義を切り上げても全然構わない、という声には非常に助けられている気持ちであり、ここは甘えさせてもらうことにした。
「なら、それに甘えさせてもらおうかしら。講義は早めに切り上げるから、各々好きにしなさい。解散」
「お疲れ様でしたー!」
そして、講義を受けてきた生徒達は解散の令を媛乃から受けて、そのまま部屋の外へと出ていった。
助手はそんな媛乃と生徒達の様子をオドオドとしながら見て、訊ねた。
「ママ……一緒に行くのか?」
「そうね……行く事にするわ。準備があるから、もう少し待ってなさい」
「……わかった!」
途端、助手の顔がパッと明るくなった。媛乃はそんな助手の表情を見ると、どこかホッとしてしまうと同時に、こんなに甘やかして良いものか、と思ってしまう。
けれども、と、媛乃は首を小さく横に振って、その考えを取り消した。
(いえ、この現状に甘えさせて貰ってるのは……私だから。それを考えたら、このぐらい、甘やかしてるうちに入らないでしょうね……)
*
そして、学院の正門では、媛乃に言われた通り、勇と巫実が待ち構えていた。放課後という曖昧な時間指定だった為かは分からないが、助手の迎えがどうにも遅かった。何かしらが難航しているのであろうか。
勇はスマートフォンを胸ポケットから取り出して、時間を確認した。そろそろ16時を回り始めている。
「遅いのう、あのガキんちょ。媛乃さんが一緒じゃないと嫌とか言って、拒否ってんのかのう」
「凄い甘えん坊さんだったし、有り得そうだね……」
勇の見解について巫実も同意しつつ、
「場所の道までは分かるし、私達から行っても良いんじゃないかな……。どのみち長くお世話になるなら、媛乃さんの手を煩わせるわけにもいかないし……」
「そうじゃのう」
と、勇は顔を上げて、巫実の意見に頷いた。
これから媛乃は自分達が長く世話になるであろう、魔法使い関係者だ。ここまで甘えさせて貰うのも気後れがするし、こういう場合、いっそ自分達から行った方が向こうだって手間取らずに済むであろう。
「んー、じゃあ、行くか。こういう時の行動は早いに尽きるからのう」
「は、はいっ……」
そうして2人が大学へと向かい始めたところだった。
「待たせたわね、2人とも。さっき時間見たら16時回ってて吃驚よ」
「待たせたのう!」
丁度、媛乃と助手が勇と巫実を迎えに来たのであった。
勇は2人を見るなり「お?」と、不思議そうに見た。
「なんじゃ、結局で2人で来たんか。助手だけ来るって言っておったのに」
「まぁね。キリが良いところだったし、講義を早めに切り上げたのよ。タイミングが良かった感じね」
媛乃は淡々とそう言って、
「ここで立ち話も難だわ、早く行きましょう」
と、さっさと大学へと向かう。勇と巫実は思わず苦笑して、その後ろからついて行った。
途中、勇はふと気になって、助手に聞いてみた。
「なぁ、ガキ。お前さんと媛乃さんって、一体どんな関係なんじゃ」
「ん? ぼくとママはぼくとママじゃが? それ以上でもそれ以下でもないじゃろ」
助手はきょとんとした顔で勇を見つめながら、そう返した。しかし、助手はにやにやしながら「あ、でも」と、続けて、
「ぼくとママは、凄い昔にこんいんとどけって書類を役所に出した事があるぞ。ママは『これで私達はいつも一緒』って言っておったのう」
「こ、婚姻届……?」「!?」
勇の隣でそれを聞いていた巫実も、思わず目を丸くして小さな彼を見た。
婚姻届が出せるという事は、媛乃は勿論、助手の年齢も戸籍上は規定の年齢に達しているという事で、そういう意味でも驚くものだし、何よりも、あの媛乃がこんな子供相手とそんな物を出すとは夢にも思わなかった。一体全体どんな考えを持って、そんな行動を助手と取っているのか、媛乃の考えはよく分からない。
一方で、今の助手の話を聞いていた媛乃は、すぐに助手の腕を引っ張り、言い放った。
「こ、こら……他の人には言わない約束だったでしょ……」
「えー? でも、ぼくとママはラブラブじゃろ? それだけは伝えておいた方がええじゃろ」
「よ、良くないの……媛乃と少年はぱっと見じゃ姉弟のようなものなんだから」
「ぼくとママはラブラブなんじゃ! だからママはぼくのじゃ!」
「あ、あぅ……わ、分かったから、外でそういう事言うのダメ……」
媛乃は顔を真っ赤にして、眉を下げ、困惑したように周りを見て言い放った。あの媛乃がすっかり気弱になって慌てふためいてるのを見て、巫実と勇はギョッと目を丸くして見ていた。
「媛乃さんもああいう表情するんじゃのう。まるで巫実さんみたいじゃ」
「あ、あぅ……あぅ……あぅ……」
「あぅう……あぅ……あぅう……」
そして、巫実と媛乃が共鳴のように慌てる。勇はその光景が少し面白かったものの、媛乃を弄りすぎると後で彼女から雷が落ちそうで、それ以上は何も言えなかった。
*
そして、媛乃の研究室に辿り着き、勇と巫実は空いてる座席に座った。それから媛乃は紙コップに緑茶を注ぎながら、言い放った。
「まぁ……そうね。ハムスターの特殊魔力の内訳についてだけど」
媛乃がそう言い放った瞬間、勇と巫実の間に緊張が走った。何を言われるのか、そして、この先自分たちはどうすれば良いのか――そんな中、媛乃は静かに言い放った。
「99%が妖力、それ以外が魔力……という、内訳ね」
「……えっ?」「はぇ?」
2人はその結果に驚いて、思わず目を丸くしてしまった。まずはその内容が極端が過ぎてしまい、どうリアクションを取れば良いのか分からなかったからだ。
媛乃は続けて、
「だから、魔法使いになるには難しいけど、巫女になる分には問題がない、ということね。ただ、妖力が暴走しないとも言い切れないから、これからも要観察よ。良いわね?」
「は、はい……」
巫実はこくこくと首を縦に振って頷いた。そもそも魔力が薄く、妖力が圧倒的だと聞いて、巫実は何処か吹っ切れたような、割り切れたような表情をしていた。これで半端に魔力があったら、それこそ絶望するしかないのだが、そうでないのなら、まだ切り拓ける道がある可能性がある。
媛乃は続けて、
「まぁ、近いうちにそっちの先公共に取り合って、ハムスターだけ特殊授業という形で隔離された授業が出来るように頼んでみるわ」
「え……で、でも……」
――そこまでして貰うのは非常に心苦しい。
と、巫実が口にしかけたとき、優しく微笑んで媛乃は続けた。
「良いのよ」
と、
「私は貴女みたいな女の子がいつまでもドベにいて、それで周りから差別を受けるのは良くないと思ってるから。それにね」
媛乃は衝撃的な言葉を続けた。
「私も――同じだったのよ。特殊魔力が異様に高くて、基礎魔力はその半分。貴女よりも大分マシだったし、授業にはついていけた。でも、その特殊魔力を縦横無尽に振るったとき、私は普通の人間では無くなってしまった。そう、魔女になったのよ」
「!」
巫実は言葉を失った。
媛乃が自分と似たような状況だったと言うのもそうだが、それによって、こうやって魔女と言われるような不老不死を得たとは、少し信じられなかった。こういった体質は生まれつきで決まっているものだと、すっかり思い込んでいた。
その思い込みは勇も同じ気持ちだったのか、その表情から動揺が見えた。無理もない、そんな事が前提にあると思っていないのだから。
媛乃はポツリポツリと話し始めた。
「私はかなり昔、ここの竹部の生徒で――大好きな先輩が居たわ。先輩は男の人だったけど、魔法能力が凄かった。私もまぁまぁ良い成績だったけど、彼は魔法だけで首位になってた。それでいて、強くて、優しくて、本当に彼以外考えられなかった。行為の相性も最高だったわね」
「最後の情報いるか?」
「まぁ聞いてちょうだい」
勇の突っ込みに対し、媛乃はそう言って続けた。
「けれど、ある時、この学校の竹部で大火事が起こった。火元は不明だったけど、数多くの生徒がそこで命を失った。調べれば記憶はあると思うから、気になったら調べて頂戴」
媛乃は続けて、
「私と先輩は、消火の為に多くの魔力を使ったわ。爆発するように次々と燃えていく校舎の中を駆け巡った。そして――皆を助ける為に、学生では絶対に使う事ができない魔法に手を出すことになった」
「……!」
「その魔法は大人ですら使うのは禁忌とされていたものだったけど、それしか無かった。私の特殊魔力の高さと先輩の実力があれば何とかなるって……そう思っていた」
媛乃は目を伏せた。
「魔法は結果的に成功したわ。炎はしっかりと消えて、校舎の方は真っ黒焦げになっていたけど、他の学部への延焼はどうにかして抑えることは出来た。危険な賭けではあったけど、賭けには成功したし、それで全てが解決であると――誰もが思っていたの」
そして、
「けど、その代償は大きかった。私は魔力の爆発的火力により急激に基礎魔力が大上昇して、このように不老不死になってしまった。お陰で、180年近くはずーっとこの体でいるわ」
そう言って、媛乃は古い写真のデータを取り出すと、スマートフォンの画面でそれを勇と巫実に見せてきた。そこには、今と寸分変わらない制服姿の可愛らしい媛乃と、その横には勇と同じ学生服を着た少年の姿があった。その少年も媛乃の事が好きなようで、彼女のその肩をしっかり抱え、媛乃は嬉しそうに彼の胸元に寄り添っている。
誰が見ても、微笑ましい、中学生カップルの写真だ。
巫実と勇はそれをまじまじと見ながら、この媛乃にもこんな時期があったのかと感嘆したと同時に、その少年の面影に妙に見覚えがあった。
渋紙色少しばかり鈍い色をした茶髪に、少し伸びた髪の毛。そして、どこか見覚えのある健康的で素朴そうな顔。
一体どこでこの顔を見たのか、巫実と勇が疑問に思っているところへ、その正体はやってきた。
「ママ、またこの画像見てるのか! こんな男のどこが良いんじゃ!」
助手である。
巫実と勇はそりゃ嫉妬するよなぁ、と、微笑ましい目でぷりぷりしている助手を見ていたが、ふと、写真の男子と助手を見比べた。
――似ている。似過ぎている!
2人は思わず交互に写真と助手を見返した。あまりにも、あまりにも似過ぎていて、どう言及すべきか分からなかった。
媛乃は察した2人を見るなり、画像をしまって、言い放った。
「そうよ。助手はこの写真の男子と同一人物――
「――えっ」
「ぇ、えっ!?」
巫実と勇は「そんなことある!?」とすぐに声が出そうになるのを抑えていた。
助手は首を傾げて不思議そうに巫実と勇を見つめ返しているが――まさか、この子供が媛乃の想い人とは、夢にも思うまい。
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