009:私の存在意義

 それから暫く、巫実と勇は普通に日常を過ごしていた。本当にいつも通りで特に特記することはないものの、巫実にとって、それは今までの自分が得られなかったもので、とても特別なものであった。本当に勇が来てから、自分の人生に花が咲いた。そんな気がするのだ。

 巫実はある日の午後の授業をぼんやりと過ごしながら、勇の事を考えていた。


(こんな私が勇くんに出来る事って……やっぱり……)


 その日、巫実と勇はいつも通り家に戻り、夕食や風呂を済ませ、今日は巫実が勇の部屋を訪れていた。

 普段なら勇が巫実の部屋に訪れて入り浸って、そのまま寝落ちする、なんて事を結構な頻度で繰り返していたので、今日もそうなるもんだと勇は思っていた。しかし、巫実がこちらを訪ねてきたので、驚いたものである。

 巫実はまだまだ冬で寒いというのに、肌の露出が多い薄手のルームワンピースを着用して、部屋のベッドに座っていた。


「……」

(巫実さん……大学で見てもらってから、やっぱりおかしいよな……)


 勇は巫実の横に座って、彼女の横顔を見た。

 ――やはり、どうにもあの時から巫実の様子はおかしい。

 巫実は元から大人しく、気弱で、自分から何をしたがる性格でもないし、勇に対して積極的にアピールする訳でもない。ただ、最近は、巫実からのボディータッチもやたら増え、構いたがりになってきているような気がするのだ。

 エロガキの勇からしたら、それはそれで非常に嬉しいわけで、ついつい調子に乗って腰やら尻やら撫で回すのだが、その時の巫実のリアクションが妙に大人しいのである。まるで、勇が自分を抱いてくるのを待っているようだった。勇は流石にその先まで行く度胸は今の所ないし、どこぞの副会長と書記みたいなのにはなるまいと思っていたので、彼女に手を出す気は今の所ない。


(ワシもなぁ……エロガキだからなぁ……。そりゃ、巫実さんとアレコレしたいけど、キスすら済ませてないのに、そんな事出来るわけ……)


 勇がそうして悶々としている間にも、巫実は勇の太ももに自分の手を置いた。


「勇くん……? どうかしたの……?」

「ッ、ふ、巫実、さん……」

「……いつもみたいに、おっぱいとか、お尻とか、触らないの?」


 巫実の刹那げな視線が勇に刺さる。勇はそれを見続けたら、自分の理性が保たないと判断し、思わず目線を逸らしてしまった。


「な、なんか最近の巫実さん……ちょっと、エロすぎて、逆に触りづらいというか……。いや、巫実さん自体はエロいけど、こう、ワシの理性が行方不明になりそうな気がしてのう」

「もう……勇くんから沢山触ってきたのに」


 そう言って、巫実は勇に抱き着いた。巫実の爆乳やらなんやらが勇の体に密着し、勇の体が落ち着かない。


(ぐ、ぅう……まずい……)


 いつもならここで勇の手が巫実の尻に回るのだが、今回はそうしなかった。彼なりに男として堪えている証拠であろう。

 巫実はギュッと勇に抱き着きながら言った。


「……ねぇ、勇くん」


 と、


「私、勇くんの事……本当に大好きなの。助けてもらった時から、多分、一目惚れだったかもって……思ってる」

「……!」

「だから……私、勇くんの理想の彼女になりたいの……。勇くんが望むような女の子になりたいの……」


 巫実は顔を上げた。


「私、勇くんの彼女になれるなら……人形でもなんでもなりたいの……。それで勇くんが大事にしてくれるなら、私の自我なんて要らない……私としての人格なんて要らない……私、勇くんの好みで染まりたいの……」

「――巫実さんッ!」


 勇は思わず声を上げてしまった。感激から声を上げたのではなく、巫実が自分を大事にしていない怒りからくるものだった。

 巫実はビクッと体を跳ね上げて、思わず勇から離れた。


「勇、くん……?」

「……ッ、巫実さん」


 勇は思わず巫実の肩を押して、そのままベッドに倒してしまった。

 勇は巫実の顔を直視しないよう、腹の部分へと視線を落として、言った。


「ワシは……ワシは、巫実さんの性格も可愛いと思ってるし、理想的だと思っておる。だから、そんなこと、言わんでくれ。頼む」

「……勇くん、なんで?」


 巫実は不思議そうな顔で勇を見た。そして、微笑む。


「私は勇くんのお嫁さんになるんだから、勇くんの理想の女の子になるべきでしょ……?」


 と、


「でも、今の私を勇くんが大好きだって言ってくれるなら……それで良いよ。私、それも凄く嬉しいから……」

「巫実さん……」


 ――もしかしたら、巫実は自分が思っている以上に対応が大変な少女ではないか――と――はにかんで嬉しそうにしてる巫実を見て、勇は思った。

 巫実は兎に角、美少女だ。その事実は揺らがないものであるし、媛乃の反応からしたって他人からもそう見えてはいる筈なのだ。けれど、その美少女が突然自分を捨てたがるような事を言い出すもので、勇の脳内はそれに追い着く事が出来ない。

 勇にとって、巫実は理想的な美少女であり、それは最初に巫実にも言った。けれども、巫実は勇の理想に更に近付きたいと懇願しているわけで、余計に理解出来ないものがあった。そもそも巫実の存在自体、勇からしたら自分の妄想から飛び出てきたような美少女なのに、と。


(もしかして――ワシからの愛情表現が足りんのか!?)


 勇はその可能性に辿り着いた。

 学年が違い、普段は別行動が多い2人だ。勇はその間もずっと巫実の事しか考えてないが、巫実は逆に別行動であるが故に色々と不安になっているのかもしれない。もしかしたら、勇が他の女子へ行くのではないか、と。

 勇からしたら、巫実以外の女はただの人間ぐらいにしか思えないので、そんな可能性は0を突っ切ってマイナスのパーセントなのだが、巫実にはそんな事はなかなか伝ないのだろう。

 勇は「そうかそうか」と、頭を抱えて、巫実から離れた。


(う、うーん……そうか。これ以上の愛情表現となったら……やっぱり夜の営みとかそっちなんじゃろうが、それは避けたい、し……)


 そもそも、つい先日出会ったばかりでキスすらしてない状態でそういうことをするのは、やはり抵抗がある。巫実がどれだけ良いと言っていても、お互い時間がもう少し欲しい所だろう。

 巫実は勇がこちらから離れると、寂しそうな表情をしながら、上半身を起こした。


「勇くん……私、やっぱり、異性としての魅力……ない?」

「それはある! あるから、待ってくれ!」

(ぐ、ぅう……!)


 勇はどうにか折衷案を出そうと、色々と考えてみた。

 まずはキス済ませるのはそれはそうとして、後は自分にできる愛情表現と言えば――。


(……今までと変わらん気もするが、まぁ、言わんよりはマシじゃな)


 勇は改めて巫実へと向き直って、彼女の頬を撫でてみた。ほんのりと体温のこもった彼女の肌が気持ちいいのと同時に、自分の浅黒い手で、彼女の透き通るような白い肌がより際立った。

 巫実は勇に触られるなり、頬を朱色に染めて恥ずかしそうに勇を見た。いつもと違う雰囲気に、思わず緊張してしまったのだろう。


「あ、あぅ……い、勇くん……?」

「巫実さん」


 と、勇は顔を近付けて、


「ワシは巫実さんのこと好きじゃぞ。いや、こんなデカパイ美少女、本来ならワシ以外にも愛されて然るべきじゃ」

「え……?」


 巫実が困惑する中で勇は続けて、


「流石に夜の事は今の段階では早すぎるから踏み切れんが、一緒のベッドでスヤスヤするぐらいなら幾らでもしてやれるぞ。沢山抱き締めて、沢山頭撫でて……巫実さんもそれで良いじゃろ?」

「勇くん……」


 巫実は自分の頬に置かれた勇の手に自分の手を置くと、勇に言い放った。


「私……勇くんのモノのになりたいの……。私の存在意義を見失わないようにって……」

「巫実さん……」

「行為までとは言わないから……せめて、キスとか……沢山して? じゃなきゃ、私、ずっと不安で……辛いの……」


 巫実はその瞳からポロポロと涙を流しながら、今にも大泣きしそうなのを堪えていた。巫実は媛乃に見て貰ったあの日から、ずっと様々な物を抱えて、今日まで来たのだろう。

 勇はそんな巫実の表情を見て、キュッと胸が締め付けられるような気持ちになった。


(やっぱり、こんなに可愛い女の子がこんな表情してるのはダメじゃ……)


 勇はそう思うと、巫実の顔に自分の顔を更に近付けて、そのままお互いの唇を重ねた。


「っ……、ん……いさ、む……く……」


 気が付けば、力任せに再び押し倒していた。というよりも、勇の方がたかが接吻に気合いを入れすぎてしまったようだ。もう少し力を抜いて唇を重ねれば良かったものを、思わずグッと押し込むようにしてしまったのである。

 暫くしてから、唇を離すと、巫実は顔を真っ赤にしながら勇を見ていた。着ているルームワンピースの肩紐もずれ、今にでも片胸の全貌が見えてしまいそうだった。

 そして、巫実は更に強請る。


「勇くん……もっと、して……」

「……ああ」


 そうして、その日の夜は行為に及ばないまでも、ひたすら接吻の回数を重ねた。幾ら回数を重ねても、巫実が強請るので、それは彼女が寝落ちするまで続いた。唇にキスするのではなく、ほっぺや額に変えてみたり、首筋にキスマークを付けてみたりと、彼女が満足しそうな事は一通りやったつもりであった。

 勇は自分の筋肉質な片腕で巫実を腕枕しながら、電気がない、暗く染まった部屋の天井を見ていた。巫実は隣ですぅすぅと寝息を立てながら、ぐっすりと眠っている。自分と一緒に寝る事で、安心して熟睡出来るのであれば、それが一番なのだが。


(巫実さんのこと大事にしたいけど、それが間違っているのか……? いや、そんな事は……ない、よな)


 勇の視線と顔は巫実の寝顔に向けられた。

 巫実の腕は勇の胴体に置かれ、がっしりとまでは行かなくとも抱きつくような形にはなっている。巫実はふんにゃりと表情を崩して、気持ちよさそうだ。


(結局、巫実さんのこと、どうやって安心させれば良いのか分からん……)


 翌朝、勇と巫実はいつも通り学校へと向かった。昨晩が昨晩故に、お互い緊張してうまく話せなかったものの、わだかまり自体は何も残っていなかったようだった。とはいえ、巫実の方はまだまだ精神面では不安定であろうし、上手く支えてやらねば、と、勇は思った。

 それはそうと、勇達の通ってる学院は大学部もあり、私服の大学生達も同じ道を歩いている。と、なれば、当然、見知った顔もこちらと出会すことがあるわけで――。


「あら、ハムスターと田舎ボーイ……朝から2人で登校なんて、仲が良いことだわ」


 こんな感じで、朝から出会したくないような、存在だけで情報量が多い人物にも会うこともある。

 媛乃はその隣に助手を引き連れており、彼と共に勇と共に歩み寄った。


「アレから元気にしてる? 結構衝撃な事を言ってしまったのだけど」

「あー……まぁ、ワシは別に」

「わ、私も大丈夫です……」

「そう。なら良いわ」


 と、媛乃は続けて、


「ハムスター、検査結果の方が出たわ。まぁ、貴女にとって吉と出るか不幸と出るかは分からないけど、伝えるだけ伝えておこうと思ってね」


 続けて、


「今日の放課後でいいから、田舎ボーイ引き連れて大学に来なさい。助手が迎えに行くと思うから、そのままついてきて」

「ママは行かんのか」

「私はその時間まで講義があるから無理よ」


 媛乃は助手の頭をポンポンと撫でて、


「じゃ、連絡事項だけは伝えたわ。助手にも分かりやすいよう、正門で待ってなさい」

「待ってるんじゃぞー!」


 そう言って媛乃は「またね」と、小さく頭を下げて、助手の方はブンブンと手を振って、そのまま勇と巫実と分かれた。勇と巫実も助手に釣られて小さく手を上げて振ってしまう訳なのだが、勇は「ん?」と、先程の助手の言動に引っ掛かるものがあったようで、その動きが止まった。

 巫実はそんな勇を見るなり「?」と首を傾げ、聞いた。


「勇くん? どうかした?」

「いや……その、さっき、媛乃さんの事ママって言ってなかったか、あのガキんちょ」

「……!?」


 さらっと流してしまったが、巫実は慌てて、去っていく媛乃と助手の姿を見た。媛乃と助手は恋人のようにぴったりとくっついて歩いているが――まさか、まさかとは思うが。


「そ、そんな……深く考えすぎちゃダメだよ。媛乃さんが母親代わりなだけだよ、きっと」

「あー、まぁ、そうじゃのう。この学院、変なの多すぎて勘繰りしてしまうわい」


 勇はそう言われて「考えすぎか」と、自分の中に浮かんでいたあの2人の関係について、何とか取り払った。


(しかし、あの2人、本当に仲が良いのう……)

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