006:勇者とお姫様
――賀美河勇は記憶喪失である。
もう少し厳密に言えば、10歳以前の記憶が一欠片も残っておらず、微塵も思い出す事が出来ない。
思い出すヒントになれるであろう場所にも幾度となく頻繁に通っていたし、他人との関わりで戻ってくるかもしれない、と、喪失前の友人とも色々話した事がある。病院にも行って、薬をもらったり、魔法で記憶を引っ張ってもらう施しも受けた。
だが、そこまでしても、引っ張り出せる記憶が、勇の脳内の何処にも残っていないと言うのである。
また、勇の性格も記憶喪失以前から90度程度変わっている、というのが周りの見解でもあった。
元々の勇の性格は、よくいる元気でスポーツが得意な少年で、友人想いの優しい人物だったと聞いている。今もそこは変わっていないのだが、今ほど騒がしくもなければ、喧嘩っ早くもなく、ガキ大将でもない。そして、熱くなりやすい性格でも無かったという。
勇本人は、それを大きなデメリットと思って生きていない為、友人にも誰にも話す事は無かったものの、焔の言及から、そういうわけにもいかないのかと、ぼんやりと思い始めた。自分の身に何が起こったのか、それによって何があって、こうして性格が変わったのか――しっかり把握しておいた方が、今後の為になる、と。
――そんなことを、巫実に話すと、
「えっ……それはちゃんとお医者さんと相談して、治した方が良いと思うよ……」
と、当たり前の反応が返ってくるわけである。
時刻は夜。夕飯と風呂を終えて、後はさぁ寝るだけというタイミングで、勇は巫実の部屋でダラダラしていた。勇は巫実のベッドの上で、ピンときてない様子で「そうかー」と、ボヤいた。
「ワシ自身、記憶喪失という部分で危機感を覚えておらんのよ。困った事がないというか。生徒会長みたいな親戚? と会う時は困るんじゃろうが、どうせ一から覚え直せば問題無いからのう」
「うーん、でも、やっぱり私、心配だよ……」
巫実は眉を下げて、勇の髪の毛を撫でた。
「こういうのって、ふとした瞬間に思い出して……その時には逆に私達の事も忘れちゃうかもしれないし……。そうしたら、私、凄い辛いよ……」
「こんなデカパイ美少女、忘れられる訳ないじゃろ。忘れたとしてもまた一目惚れするわい」
そう言って、勇は巫実の大きな胸をツンツンと突いてみた。途端に「あ、ぅ……」と、妙に甘ったるい声が巫実の喉から発せられた。こうやって勇が巫実にちょっかいを仕掛ける度、いつも「可愛くてエロい」という感想が勇の脳裏に浮かぶ。
ふと、勇は思い付いたのか、ニヤニヤしながら巫実に言った。
「巫実さん、ちょっとそこに手をついて、こう……そうそう、四つん這いにな」
「こ、こう……?」
巫実は勇に指示されるがままに、ベッドの上で四つん這いになり、勇を見た。すると、胸が重量に引っ張られて下に伸び、柔らかなバストの谷間がより強調された。
相変わらず規格外で男の劣情を煽るような胸だと思いながら、勇は胸を覆っている布部分を、くいっと下にずらした。すると、巫実は顔を真っ赤にして「!?、!?」と、慌てふためいた。
「い、いいい、いさ、勇くんっ……!? な、何して……!」
「おー」
勇は目の中に飛び込んできたものを凝視すると、下世話に笑みを浮かべながら口にした。
「なんというか、可愛らしい色しておるわい。これをワシが独り占めして良いのか」
「あ、あぅう……も、もう……ダメだよぉ……」
そう言って、巫実は顔を真っ赤にしながら、起き上がり、勇の手を自分の服から離した。
巫実は胸元の布部分をくいっと持ち上げて、いつもの状態に戻すと、自分の大きな胸を一回凝視してから、勇に問いかけた。
「い……勇くんは、私のおっぱい、そんなに好き……?」
「好きじゃ!」
返答に関しては途轍もない速さだった。今ので光速さえも超えただろう。
勇は答えるなり、すぐに巫実の胸に手を伸ばして、がっしりと彼女の胸を両手で掴んだ。その手はムニムニと力を入れたり入れなかったりしながら、巫実の爆乳を揉む。
「こんなデカパイ、独り占めしたいぐらいじゃよ! 巫実さん、自分のことかなり蔑んでいるけど、ワシからしたらなんでそこまでネガティブにはなれるか、不思議なぐらいじゃ!」
「あ、あぅう……独り占めして良いから、む、胸揉みすぎちゃダメぇ……」
巫実は勇に胸を好き勝手揉まれながら、その手を見て、思う。
(お、男の子って、大体こんな感じなのかな……)
*
次の日、竹部。
巫実のクラスは本日他クラスとの合同授業が日程に入っており、その準備をしていた。必要な教室や道具を取り出しながら、巫実は昨晩の勇とのやり取りを思い出していた。
(おっぱい……)
そして、改めて、自分の胸元に視線を落とす。
今はサラシを巻いて、貧乳のように見せかけているものの、本来ならばここに存在感のある自分の胸がある筈で、それは男ならば誰もが好きだと、勇から聞いた事がある。それで勇が自分しか見てくれなくなる、独占欲を発揮してくれるなら、自分は構わない。勇がどんな形であれ、こちらを必要としてくれるなら、巫実にとってはその事が一番なのだ。
一方で、自分がどんなことをすれば、勇に喜んでもらえるのか、何となく考えていた。勇は自分に触られると嬉しそうにはするが、それが全ての正解ではない気がするのだ。
巫実は授業に必要なものを取り出すと、それを抱えて、席から立った。そして、自分の隣を見て、物足りなさを感じる。
(ここに勇くんがいたら……私、寂しくないのに……)
そして、次の教室に向かって歩き出す。
今日も早く終わらせて、勇と一緒に時間を過ごすのだ。
そう思いながら、巫実が前進していると、とある女子達が巫実を見てクスクスと笑いながら、何かを企んでいるようだった。
(……?)
巫実は嫌な予感がして、思わず足が止まりかけるものの、次の授業に遅れてはならない、と思い、そのまま前進した。ここに勇がいたら、きっと迂回ルートを考えてくれただろうだとか考えながら。
しかし、次の瞬間、
「〜〜ッ!」
巫実の右足の足首部分に何かが引っかかり、廊下で勢いよく転んでしまった。
「いっ……た……っ……」
その弾みで腕に抱えていた教科書や筆箱が散乱し、巫実の周りにはペンの類が散らばっていた。
そんな巫実をクスクス笑いながら見て、
「ごめーん☆ 引っかかっちゃったね☆」
なんて、煽るような口調で女子が話しかけてくる。どうやら、この女子が巫実の足に自分の足を引っ掛けて、転ばせたらしい。
巫実は一回、ギュッと手を握り締めると、今度はその手を開いて、周りに散らばったものを拾い集めた。早くこれらを片付けてしまわないと、間に合わない。教科書を広い、ペンを集める。他の生徒なら魔法でどうこうするのだろうが、巫実の実力ではそれすら安定して運用できないのだ。
そうやって巫実が律儀に散乱した物を集めていると、そのうちの1〜2本のペンを差し出す手があった。
「よう、嬢ちゃん。盛大にやられたみてぇだな」
「……ふ、副会長さん!?」
そう、我らが生徒会副会長・羽間田佳奈芽が、巫実を手伝い始めたのだ。
佳奈芽は金髪のロングヘアーを靡かせながら、辺りに散乱したものを次々と拾い上げて、巫実の筆箱へと突っ込んだ。巫実はあっという間に終わった片付けにポカンとしつつ、目の前の佳奈芽を見た。すると、彼女の手の中にも自分と同じ教科書があった。どうやら、彼女のクラスが合同授業相手らしい。
余ったペンがないか確認してから、佳奈芽は巫実に立ち上がるように言った。
「ほら、遅れっぞ。早く立て」
「は、はい……」
巫実は再び授業に使う一式を腕の中に収めると、立ち上がって、佳奈芽の隣に立った。
そんな様子を眺めていた先程の女子は、歯軋りしながら自分の教室へと戻っていった。
佳奈芽はそんな女子生徒を見るなり、呆れ気味に言い放った。
「ったく、古典的にも程がある。ネチネチしてんね」
「あ、あの……」
巫実は佳奈芽に向かって小さく頭を下げる。
「ご、ごめんなさい……それから、ありがとうございます。まさか、副会長さんが助けてくれるなんて思いませんでした」
「気にすんな。金髪巨乳は善行しないといけない決まりがあるからな」
と、佳奈芽はさらりと返す。
「つーのも、生徒会長からお前のこと頼まれてんのよな。お前、男が苦手なんだろ? 女のオレの方がまだ話しやすいかもって事でな」
「そ、そうだったんですね……生徒会長さんが……」
(うぅ……また迷惑かけちゃった)
そして、続きの佳奈芽の返しに、更に申し訳なさが勝った。佳奈芽だって自分のことがあるだろうに、こんな落ちこぼれの自分の世話までしてくれるなんて――。佳奈芽は言動の癖こそは強いが、きっと、その根っこは面倒見が良いのだろう。
佳奈芽は巫実と歩きながら、続ける。
「ま、こっちにも義喜がいるから常に一緒にはいてやれねーが、こういう合同授業ぐらいは付き合ってやるよ。全部あの砂利ガキが背負える訳ねぇしな」
「……はい」
(勇くん……)
佳奈芽に言われて、それもそうだ、と、巫実はしょぼんと顔を下げた。
巫実にとって、勇は初めて自分にまともに接してくれた同世代の男子であり、学校に来てから初めてまともに話せた人間でもある。そして、男子と接するのが苦手な自分にとっては初恋の相手でもある。
勇みたいな少年なら、相手は幾らでもいるだろうし、わざわざ自分を選ぶ必要もない。しかし、勇はそんな自分を嫁にしたいと選び、手放したくないと懇願してくれた。
こちらの色々な条件・要件が重なり、自分にとって、勇の存在は非常に大きかった。
恋人は愚か友達すら出来たことのない落ちこぼれ劣等生である自分に、価値を見出してくれた。それだけでも巫実は勇の側について回りたいと思うし、ここにいて欲しいと強く思った。
あまり表情がよろしくない様子の巫実に対して、佳奈芽は言った。
「なぁ、お嬢ちゃん。そんなにあの砂利ガキが好きなのか」
「……えっ!?」
佳奈芽が恥ずかしげもなくそんなことを言うので、巫実は思わず目を丸くした。
佳奈芽は「まぁまぁ」と話を続け、
「見るからに美女と野獣……とまでは行かなくても、銀髪美少女と田舎臭いガキで、見るからにお似合いってわけじゃねぇだろ。周りから見たら結構不思議みたいだぜ、お前らカップルさんは」
「あぅ……そうでしたか……」
周りからはそんな風に見られていたのか、と、巫実は少し驚いていた。
自分からしたら、勇の方が自分なんかよりも魅力的な人間で、頼り甲斐があって、人気がありそうだ、なんて思っていたが、外から見たら、勇はただのガキんちょで、自分の方が高嶺の花なのである。
しかし、自分を高嶺の花とは思えない巫実は、続けた。
「私、そんなの気にした事がなくて……ただ、私が好きになった相手が勇くんだっただけっていうか……」
と、
「勇くんがあそこで助けてくれなかったら……私、前すら向けなかったって思うんです。こうやって副会長さんが私に話しかけてくれたのも、生徒会長さんが勇くんと仲良くなったからですから……」
「ふーん、ま、そりゃそうか。嬢ちゃんだけじゃ、うちの生徒会長と話す事出来なさそうだしな」
なんて、佳奈芽はハッキリと言い放ってくる。それは巫実の心にグサッと来たものの、佳奈芽は続けた。
「嬢ちゃんのイジメの現場はまぁ昔から遠目で見掛けてたけど、結局、誰も関わりたくないから助けないんだもんなぁ。オレだってあんなネチネチしてる奴らに目ぇ付けられたくねぇし」
「副会長さんは目を付けられても跳ね返しそうな……」
「まぁ、それはそう。オレ、格闘方面に強いからな」
と、
「まぁ、そんなのに構わず助けたのが、あの砂利ガキってわけだよな。転校生だから何も知らないってのもあるだろうけど、それにしたって、その勇気は讃えるべきだな。嬢ちゃんにとって、砂利ガキは勇者みたいなもんだ」
「勇、者……」
巫実はキョトンとして、佳奈芽のその例えを脳内で反芻した。強くて、頼れて、でもどこかちゃんと子供らしくて――理想的な勇者像とまでは行かないまでも、巫実にとっては素晴らしい少年勇者である。
それに対応する自分はどんな立場かと考えた時、巫実は顔を真っ赤にした。
「あ、あぅ……私、お姫様……」
「ん。勇者の横に立つのは、そりゃお姫様だな。勇者が助けるべき異性と来たら、まずはお姫様になるからな」
佳奈芽がそうやってイタズラっぽく笑うと、そのまま次の授業の教室の中へと入っていった。巫実もそんな佳奈芽の後ろから、教室の中へ足を踏み入れた。
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