遥かなる時を経て

うたう

遥かなる時を経て

 厚く塗り固められたコンクリートの天井の一部がぽろりと崩壊した。上部にあったはずの住居はとうの昔に朽ちてなくなってしまったようだ。天井にぽっかりと空いた穴から差し込む一筋の太陽の光が、地下シェルターにさらさらと舞い落ちる砂塵を照らしている。

 二十一世紀に勃発した核戦争は多くの生物を死滅させてしまったらしい。人々の喧騒が消え失せたのは当然のことであるが、空を翔けさえずる鳥も群れをなして大地をどよもしていた草食動物の群れも最早この世には存在しない。穴の向こう側に広がる静寂の中を時折風が泣くだけだ。

 太陽が南中を過ぎた頃、歪な姿の、名前を持たない小さな甲虫こうちゅうが天井の穴からやってきた。甲虫は探検するようにシェルター内を慎重に這い回った。しかし目ぼしいものがないことを悟ってか、やがてまたもとの穴から外の世界へと戻っていった。

 シェルター内には赤錆だらけの空き缶がいくつも転がっている。腐食して穴だらけのものもある。かつて貼り付けられていただろうラベルは風化して粉々に散ってしまっている。何の缶詰だったのか判るものはひとつとしてなかった。

 シェルターの主の肉塊が分解される過程で作った床の染みは、もう薄く色褪せてしまっている。骨は、長く密閉状態にあったためか、かろうじてまだ人のかたちを留めていた。しかし今に吹き込む風がばらばらに崩してしまうだろう。散らばった骨はその成分のいくらかを、降り注ぐ雨が作る茶色く濁ったプールの底で失い、ゆっくりと堆積していく土砂に埋もれて、その中でいつしか土へと還るだろう。

 銀色のフレームの眼鏡が骨の傍に落ちている。眼鏡の重さに腐りはじめた耳が耐えられなくなったときに床に落下した。ガラス製のレンズは、そのときの衝撃でひびが入った。

 この罅入ったレンズが骨に遅れること数十万年後、遥かなる時を経て、跡形もなく分解されて消え去ったとき、人類の文明はその痕跡すらも残さず、完全に地球上から消滅する。

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遥かなる時を経て うたう @kamatakamatari

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