断ち切る言葉

 音に響いて、くぐもった声を零しながら松明を掲げていた男が崩れ落ちる。

 地主の手には、鈍い光を放つ鉄の塊があった。

 細い筒口から煙を吹いているそれは、瀬皓ではまずお目にかからない代物だ。

 銃だ、と誰かが呟くと瞬く間にそれが皆に伝播していく。


「そんなもの、一体どこから……」


 凍り付いたように立ちすくむ者達の中で、一番初めに動いたのは山根だった。

 山根はすぐに倒れた男の傍らにしゃがみこんで容体を確かめながら、顔を歪め呻くように呟いた。

 皆の驚愕と怯えの眼差しを一身に受けながら、初穂の父は唾を飛ばしながら喚いた。


「皆、どけ! 退かないならそいつのように撃つぞ!」

「残りの弾数で逃げ切れると思うのか! そもそも、あやかし相手に銃なんぞ通用するはずがないだろう!」


 山根は顔を顰めながら言う。

 倒れた男の安否を伺う者に向けて言った言葉からして、撃たれた者は生きてはいるようだが、傷は浅いとも言い難いらしい。

 山根の言葉によると、銃に装填した弾には限りがある。

 それに、あやかしの鱗に特別な術を施したものならともかく、ただの鉛玉が通るはずがない。

 如何に殺傷力の高い武器が手にあったとしても、それだけでは逃げ切れないはずだ、と下男だった男は叫んでいる。

 しかし、山根に対して、普段見慣れぬ武器を目にした村人たちは浮足立っていた。

 同胞の一人が得体の知れない武器にて撃たれた事で、完全に平静を欠いてしまっている。

 山根が何とか銃を離せと呼びかけているものの、ほぼ錯乱状態に近い父は無造作にまた一度撃った。

 幸い今度は誰にも当たらなかったが、皆を恐慌状態にするには十分だった。

 玖澄は初穂を守りながら、眉をよせて父を注視している。

 銃弾がどの程度玖澄に通じるのかは山根が言ったようにわからない。

 だが玖澄は、自分が何か行動することで父を刺激することを恐れているようだった。

 玖澄は銃など通じないとしても、村人や初穂に当たりでもしたら被害が出る。

 初穂もまた、父が銃のようなものを持っていたこと、この期に及んでまだ足掻くことに顔を歪めてしまっている。

 じりじりと交代しながらも、父はなおも銃を構え続けている。

 暫しの間、緊迫した空気が流れる。誰も口を開くが出来ず、重い沈黙が満ちていた。

 初穂は、険しい玖澄の横顔を目にしながら父を見つめていたが、ふと何か感じる。

 煙たい……? と思ってそちらを向いて、初穂は顔を強ばらせた。


「く、玖澄……!」


 声にて異変に気付いた玖澄は、迂闊さに悔やむように瞬時に顏色を変えた。

 初めに撃たれた男が取り落とした松明が地に落ちて下草を焼き、木に燃え移り。

 周囲の樹々が樹脂や油脂の多い樹木であった事も災いした。

 皆が地主一人に気を取られている間に、弾けるようにして火の粉が飛び、乾燥した落ち葉から枝へ、そして幹へと炎が徐々に燃え広がりつつあったのだ。

 玖澄はすぐさま身を翻して叫ぶ。


「白妙、近くの水源から水を引いて下さい! 貴方達も、手を貸して!」

「は、はい!」


 白妙に指示を出した玖澄は、ついで呆然として固まっていた村人たちに叫んだ。

 凄まじい勢いで燃え広がる焔に慌てた村人たちは、玖澄の言葉に跳ねあがりながらも揃って頷いた。

 皆がもはや山火事を収めようと、悲鳴のような叫び声をあげながらもそれぞれに動き始めた中。

 ある事に気づいた初穂は、そっと慌ただしい場から姿を消した。

 白妙が水を引き臨時の水場を作ると、小霊達が俄かに作った器で水を汲んでは火にかけて。あるものは上着を脱いで濡らし、小火を叩いて。

 皆の尽力の甲斐があり、大火事になる前に火を消し止められた時。

 玖澄は、初穂がそこに居ないことに気付いたのである。


 ◇◇◇


 地主はひたすらに毒づきながら獣道を進んでいた。

 皆が起きた焔に気を取られている間に駆け出し、獣道に逃げ込んだのだ。

 山には幾つか抜け道を確保してある。無論、人々に気取られないように銀を運び出す為だ。

 山の銀も、瀬皓の村も、全てが全て彼の為にあるものだった。

 彼は瀬皓において神だった。

 神であるために情報を封じて、世界を閉じた。

 逆らう者などいなかった。いや、あってはなかった。

 それなのに今、彼は鼠のようにこそこそと薄暗い道を、人目を避けるように歩いている。

 どいつもこいつも自分に逆らいおって、と率いて山に入ってきた者達への怨嗟を呟きながら。

 隠すようにしてあった古い文献から、山には銀があることを知った。

 まさかと思いながら密かに探らせたところ、本当に銀が採掘された。

 銀は大いに地主の懐を潤してくれた。

 だが、銀を掘り始めて程なくして村に異変が起きるようになった。

 異変の原因を探りに山に入り銀山を見つけた者達は、皆『神隠し』ということで銀山に繋いだ。

 そうして銀を掘り続けた結果、最初に見つけた銀鉱脈はつきかけていた。

 まだまだ銀は欲しい。だが、新たに探すにしても、山には面倒なものがいるという。

 そんなとき、ふらりと瀬皓に立ち寄った人間が、貴方の悩みを解決するものだといってあの短刀を渡してきたのだ。

 山の大蛇を消し去れば、貴方はもっと多くの銀を手に出来るだろうと。

 人々の意見を操って、贄を差し出す方向へ傾けた。

 そして、贄にと申し出た娘を犠牲にして大蛇を討とうとした。

 生きていても物の数にもならない娘だ。親の役に立って死ねるなら本人とて本望と思うだろう。

 そうだ、あれが悪いのだ。全ては、あれの所為なのだ。

 大蛇を討てと命じたのに仕損じて。挙句、大蛇と情を通じた裏切り者。

 あれが失敗さえしなければ、自分は今頃。

 身勝手な怨嗟を吐き出し続けながら進んでいた地主の足が、突如として止まる。

 前方に影があることに気付いたからだ。

 まさか野の獣でも出たかと身構えたが、どうにも違う。

 そこ立っていたのは、人間だった。

 地主の退路を立つように彼の一番上の娘である初穂が――彼が先程まで怨嗟を叫び続けていた相手がそこに立っていたのだ。



 強張った表情で足を止めた父を、初穂は唇を引き結んだ厳しい表情で見つめていた。

 自分しか知らないはずの抜け道に、よりによって初穂が居る事が信じられないという様子である。


「な、何故この道を……」

「お父様が、少し前からこちらの方角をちらちら気にしているのに気付いたので」


 人の顔色を伺うことになれていたのが、こんな形で役に立つとは思わなかったと心に苦く呟く。

 父の注意が向いている方角に何かあると気付いた。

 だから父が混乱に乗じて姿を消すと、山の小霊達に頼んで抜け道について教えてもらったのだ。

 小さな者達の手助けを得て先回り出来た初穂は、父を待っていた。

 犯した罪から逃げようとしている父を逃がすわけにいかなかったから。

 そして、聞きたい事があったから……。

 初穂は怯むことなく真っ直ぐ、怯えることもなく。毅然と顔をあげて父を見据えた。

 父は初穂の様子に戸惑いを隠せない様子である。

 何時も控えめに微笑みながら人から一歩退いたところに立ち、常に人を立てていた娘。こんな確かな声音で父に言葉を返し、父の前に立つなど初めてだったから。

 初穂は一度心の中で大きく息を吐くと、やがて静かに口を開いた。


「お父様に、お聞きしたい事がございます」

「何だ! 何を聞きたいというのだ!」


 やや低く、それでいて今までにない程確かな声音で紡がれた娘の言葉に、父は苛立ったように叫ぶ。

 少しばかり狼狽えているように見えるのは気のせいだろうか。

 それは言葉にはせず、初穂はそこで一度言葉を止めた。

 言い出しかけて、止めて。少しの逡巡の時を経て、初穂はその問いを父へと向けた。


「少しでも。……少しでも、私を娘として愛して下さいましたか……?」


 初穂の声は、少しだけ震えていた。

 脳裏に巡るのは、あの日の記憶である。


 戻って来い。

 大事な娘。

 生贄になど捧げたくない。


 出立間際に告げられた、父の言葉。

 それは、初穂の心を縛る鎖となった。

 自分は愛されていたのではという微かな希望が、命と引き換えてでも、とより強く使命へと駆り立てた。

 玖澄との平穏な生活においても、抜けぬ一本の棘となり続けた。

 今まで、必要とされることもなく、無価値とされ続けてきた。

 それを不満に思う事もなく、いや思う事許されずに、ただ人の望む自分であり続けた。

 でも、あの言葉を聞いてしまって、希望を持ってしまった。

 本当は、愛されていたのではないかと。

 もしも役目を果たしたならば、今度こそ自分は本当に必要としてもらえるのではないか、と思ってしまったのだ。

 初穂のままでも認めてもらえて、初穂のままで父にとって、皆にとって価値のあるものになれるのではないかと思ってしまった――。

 これは最後の鎖を断ち切る為のものだ。

 まだ自分の足には一つ鎖が絡みついている。

 願いに触れて願いを抱けるようになって。自分の足で立つ事を知っても尚、絡みつき続けた最後の鎖。

 断ち切るために、この質問を父にぶつけた。

 初穂の凪いだ水面のように静かな眼差しを受けて、父は僅かにたじろいだ様子を見せる。

 だが、すぐに顔を赤黒く染めたかと思えば、憎々しげに初穂を見据えて言い放った。


「誰が、お前のような出来損ないを愛するものか……! どこまでも役立たないお荷物め……!」


 礫のように鋭い言葉が初穂に容赦なく浴びせられる。

 だが、初穂の心にはもう何も与えない。何の感慨も、痛みも。

 これで完全に、かつて初穂を繋ぎとめていたよすがは消え失せた。

 最初からそんなものは無かったのだと、初穂は改めて感じた。

 だが、不思議と心が軽い。

 最後の鎖が溶けるように消えて、もう初穂を縛る物は何もない。完全に、過去との決別は済んだ。

 初穂は、もう揺らがない。

 ここから、彼と共に歩いていける。

 初穂の顔には、静かな微笑みが浮かんでいた。


「どけ! 娘が父親に逆らうのか!」


 微笑みを見せる初穂に、地主は僅かに怯えたような表情を浮かべたが、すぐにまた怒りの形相にて怒鳴りつけてくる。

 唾を飛ばす程に激しく怒鳴る父を見て、初穂はもう恐ろしいとは思わなかった。

 可哀そうな人、と思うだけだった。

 初穂は、怯む事なく父を見据えると確かな声音で答えた。


「嫌です……」

「何……?」


 完全に予想していなかった言葉に、父が愕然とした様子で目を見開く。

 今なら、私はこの言葉が言える。

 私はもう、ありもしないものに縋らねば居られない私ではない。

 縋りつくものが無ければ心が折れてしまうから、失いたくない為にそれを言えなかった私じゃない。

 悪意を向けられる事を恐れて、自分を殺し続けた私じゃない。

 私は、自分の意思で、自分の為にそれを言える。


 今まで言えなかった私に代わって。

 かつて言えなかった彼に代わって。

 今、それを口にする時だ――。


 初穂はもう一度、より確かに、思い声音で紡いだ答えを口にした。


「嫌です……!」


 父は唖然として、咄嗟に返す言葉がない様子だった。

 娘が自分に逆らうことなど微塵も考えていなかったのだろう。

 それが怯えるどころか、毅然と顔をあげてはっきりと拒絶の言葉を口にした。

 繰り返された言葉に父は、彼の世界にてあってはならない事が現実である事を知ったようだ。

 暫し呆然と言葉を失っていたかと思えば、やがて何事か喚き散らしながら手にしていて銃を初穂に向けた。

 退かねば撃つと言っているようだが、初穂は何も答えない。その場を退くこともしない。

 初穂がそうしなければいけない理由はもうない。

 初穂が今胸抱いているのは、この人をけして逃がしたくないということ。

 玖澄に濡れ衣を着せて貶めたことを許せないという思いだけ。

 多くの者達を苦しめ傷つけてきた咎と向き合い、償ってほしいということだけ。

 銃口を向けられてもけして揺らぐことなく、あくまで静謐なままであり続ける娘。

 父は苛立ち露わに叫んだかと思えば、撃鉄にかけた指に力を込めた。


「この親不孝者がっ……!」


 父の叫び声に、銃声が重なった。

 身体を襲った衝撃に、初穂は目を閉じた。



 ――そして、初穂はゆっくりと目をあけた。


 光を取り戻していく視界。

 目を開き終えた時には、目の前に見える光景が一変していた。

 離れたところに、山根に押さえつけられている父の姿が見える。

 血と共に離れた場所に銃が落ちている。誰かによって手から弾き飛ばされたのだろうと思う。

 そして初穂の目の前には。


「無茶をしないと約束したのに」

「……玖澄のことを、信じていたから」


 自分を抱き寄せて跳び退ったらしい玖澄が、大きく息を吐いた。

 言われた言葉に、初穂を抱き締める手に確かめるように力を込めて。

 初穂が玖澄の腕の確かさを感じて頬を緩めたのと、玖澄が苦笑いしながら再び息を吐いたのはほぼ同時だった。

 頬を玖澄の腕に摺り寄せて温もりを感じながら、初穂は重ねて言葉を紡いだ。


「玖澄がいるから、言えたの」


 その言葉を聞いた瞬間、初穂を抱き寄せる玖澄の腕に更に力が籠る。

 少しだけ苦しいと思ったけれど、やはりそれすらも嬉しい。

 玖澄を強く感じられることが、何よりも愛しい。

 二人は暫く言葉なくそうしていた。


 だが、やがて二人の耳に気まずそうな咳払いが聞こえてくる。

 いい雰囲気のところを申し訳ない、と言いながら、どこかばつの悪そうな山根が頬を搔いている。

 取り押さえられていた父は、どうやら気を失わされたようだった。

 どこからに持っていたのだろう。父はいつの間にか手や足を縄で戒められている。


「銃を持った人間の前に丸腰で立つなんて、無茶な真似をするな……」


 初穂達が自分に視線を向けた事に気付いた山根は、大仰に肩をすくめて言う。

 相手が父であったとはいえ、武器を手にした人間の前に立ちはだかるのは確かに無茶である。

 でも、初穂には確信があったのだ。必ず玖澄が助けてくれる、という強い確信が。

 動揺する事もなく笑みを浮かべたままの初穂を見て、呆れたような、感心したような複雑そうな表情を浮かべる山根は息を吐く。


「そんな無茶なお嬢さんだとは思わなかったぜ……」

「これが本当の私みたい」


 言われて、初穂は不敵なまでの笑みを見せた。

 皆の理想とする大人しい初穂はもう居ない。

 人の望むまま自分であるよりも、私の望む自分であること。

 そして何よりもそれを望んでくれる優しい大蛇がいる。

 だから、もう皆の『初穂』は必要ないのだ。

 そんな初穂を見て何か考え込んでいた山根だったが、不意に話題をかえた。


「さて、この親父をどうしたものか。もう少ししたら火消しに躍起になっていたやつらもここに来るだろうが」


 皆の尽力あって、山火事は左程害を及ぼさずに鎮まったらしい。

 今は、人と人ならざる者が協力しあって後始末の最中だとか。

 恐らく皆がここに辿りついたなら、父は完全に逃げ出す事叶わなくなるだろう。捕らえられ、裁きを受けることとなる。

 ただ、皆が怒りに任せて暴走し、私刑に走らないかなど気になる事はあるが……。

 初穂が思案していると、玖澄が不意に口を開いた。


「あなたに任せます」

「何……?」


 初穂は驚いて目を見張った。山根は怪訝そうな眼差しを玖澄に向けている。

 問うような二つの眼差しを受けながら、玖澄は静かな笑みを浮かべながら告げた。


「『貴方なら』、この騒動を無事におさめてくれると思うので。貴方に任せます」


 初穂には、玖澄が何を言いたいのかが分からない。

 山根は確かに帝都からきた人間であり、外の価値観を持つ者ではあるが。

 何故、と思うけれど初穂はそれを問わなかった。

 もう自分達の関わる時間は終わったのだと、玖澄の言葉から感じたのだ。

 後の全ては、人の世にあるものによって、人の世の理において進むべきこと。

 玖澄はそれを任せるに足ると、山根を見て何かを感じたのだろう。

 ならば、と初穂はただ頷いた。

 玖澄は静かに初穂を促すと、山根に背を向けて。

 山根が瞬きする間に、初穂達の姿はその場から消えていた。

 残されたのは、気を失った初穂の父だった男と、その下男だった男のみ。


「……食えない大蛇だな」


 帝都を知る男が苦笑いを交え、大きな溜息と共に呟いたのは誰も知らぬことだった――。

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