暴かれた真実

 玖澄の言葉に、その場は水を打ったように静まり返った。

 皆がまさかと言う眼差しを父に向けると、一瞬唖然とした父はすぐさま顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。


「こ、このあやかしめ! よくもそんな戯言を……! 私が何を隠していると……」

「貴方が隠しているのは、この山にある……銀鉱です」


 冷静な声音で紡がれた答えに、父が目に見えて分かるほどに強張った。

 顔色は茹だったような赤から、対照的な程に蒼褪めていく。

 何を馬鹿なと呟いてはいるが、呻くような言葉はもはや切れ切れだ。

 父に従って山に入って来た男達も、訝しげに父に視線を向けている。

 どういう事だと問う声が漣のように拡がり、その場を先程とは違う騒めきで満たしていく。

 唸り声をあげて睨みつけるばかりになってしまった瀬皓の長を、山の大蛇は冷ややかな眼差しで見据えながら続ける。


「戦国の世に幾つか見つかり、一度閉じられたものです。資料も残されず、そのまま忘れられていくはずだったのに……」


 戦国の世という言葉に、初穂は思わず目を見開いて玖澄を見上げる。

 かつて玖澄が生まれ、生きた時代。彼が友と過ごした、そして別れた時代。

 その時代から、この山には銀が眠っていたということか。

 けれど、何故に銀山は閉じられたのだろう。

 今においても昔においても、銀は貴重なもの。国を富ませる大切な資源である。

 利を失ってでも銀を捨てなければいけなかった理由とは。

 初穂の抱いた疑問に答えるように、玖澄は一つ深い息を吐いてから、答えとなる言の葉の続きを紡いでいく。


「かつて閉じられた理由は。銀山では良質な銀がとれる代わりに、鉱床には恐ろしい毒が含まれていたからです」


 周囲のざわめきは少しずつ高まっていき、それと同時に父は更に蒼褪め言葉を失っていく。

 初穂は思い出した。

 初穂が玖澄に全てを打ち明け、玖澄もまた初穂に過去を語ってくれた日。

 玖澄の話が話の中で触れた『山を開いた故に起きた災い』。

 きっとそれが鉱毒の事だったのだ。

 その場に居る誰もが呆気にとられたように目を瞬いて、言葉を発する事が出来ないでいる。

 玖澄の言葉を笑うものもいない。

 場の空気に飲まれたように、誰も山の大蛇のいうことを否定できないでいる。

 玖澄は周囲に視線を巡らせると、再び初穂の父へ、皆を偽っていた瀬皓の長へと険しい眼差しを向けた。


「性質の悪い毒の影響は、まず銀山で働いている者達に表れました。毒に侵された者は立っている事もできなくなり、言葉も話せなくなり。狂乱し、死んでいきました」


 驚きに、思わず小さく声をあげてしまいそうになる。

 玖澄が語った毒の影響に心当たりがあったからだ。

 そう、あまりに聞き覚えのある症状だ。それは今もなお起こり続けている、瀬皓の。

 もはや犬の唸り声のような呻きをあげるだけの父を見据えたまま、初穂の戸惑いの眼差しを受けながら玖澄は更に続ける。


「鉱毒が流れ込んだ川では魚が全滅しました。そしてその水を引いていた田畑が枯れ。やがて村人にも男達と同じ症状の者が現れるようになった」


 初穂の顔色から、どんどん色が失せていく。血の気が引いていくのを感じる。

 だって、玖澄が語った出来事は。それは、まるで。

 まるで……瀬皓で起きている災いそのものではないか……。


「如何に銀が貴重なものでも、このままでは早晩民が死に絶えてしまう。友の助言で事実を知った私は、山を閉じよと命じました」


 玖澄は一度目を伏せて、少しばかり苦い声音で言う。

 かつて玖澄は、彼の友であった大蛇の『玖澄』に国を襲う災いの理由を相談し、答えを得た。

 そして、利を捨てることになろうとも山を閉じるという苦渋の決断をした。

 その結果、彼がどう追い詰められ、どのような結末に辿り着いたのかは聞いている。

 悲しい結末故に、今ここに玖澄は人ならざる身として立っている。

 彼の紅い瞳は、何時になく厳しく鋭い色を帯びて父に向けられている。

 初穂は呆然としたまま、ぎこちない動作で父の方へと視線を向けた。

 怒り狂った山の大蛇の呪いだとされ、初穂が贄となる原因となった、瀬皓を襲った災い。

 玖澄は、それと同じものがかつて起きたこと。それは銀山の鉱床から出た毒によるものだったと言った。

 そして、父は銀山があることを知っていて、秘していたと。

 不意に蘇る、沢に落ちる前の記憶。

 不思議な洞窟――銀山から逃げ出て来た男。折檻していたかつて地主の家に仕えていた男達。

 侵入者を逃がせば自分達が折檻を受けると言っていた。

 それは、誰から? 誰が禁じられていた場所の銀を掘れと命じていたのか。

 謎が絡み合い結びついた先にある答えは、一つしかない。

 まさか、と初穂は目を愕然とした面もちで父を見つめた。

 玖澄の言葉が正しいとするならば、瀬皓の村を襲った一連の災いは全て。

 思わず震えを隠せなくなった時、肩を抱いてくれている玖澄の手に力が籠る。

 これから告げる事実に揺れるであろう初穂を、そこに確かに留めようというように。

 少しして。肩を抱く手に、初穂はそっと己の手をのせた。覚悟は出来た、という思いをこめて。

 蒼褪めた顔に色は戻らぬままだが、初穂は強い光を宿した眼差しを父に向ける。

 初穂の様子を見て、玖澄は静かに厳かに、決定的な事実を口にした。


「瀬皓の村に起きている災いは、長が密かに掘らせていた銀山から出た鉱毒によるものです。碌な対策もせずに、川に毒を流しているせいで起きているのです」


 父は呻きながら何かを言い返そうとしているようだが、その口から意味ある言葉は出てこない。

 嘘だ、作り話だ、と何やら喚いているようだが、蒼褪めた顔色はそのままであるし、欠片の冷静さもない。

 痛いところを突かれて慌てているようにしか見えない。

 初穂は、抱いた疑問が肯定された事を知る。

 此度の災いは立ち入りを禁じられた場所にある銀鉱を、父が密かに掘らせて銀を得て、その傍らで鉱毒を川に垂れ流していたが為に起きた事だった。

 人々が山のあやかしの呪いと恐れた災いは、人ならざるものではなく、他でもない人の私欲と悪意によるものだったのだ……。

 父が何事か怒鳴るように声をかけても、村人たちの騒めきはおさまらない。

 あやかしの言う事など信じるな、と叫んでいるようだが、叫ぶ父の挙動が既に不信を抱かせるのだ。

 彼らとて、俄かに銀山があったなどと言われても信じがたいだろう。どちらを信じて良いのか迷っているようにも見える。

 だが、多くの者達は玖澄の清冽な眼差しに疑いの言葉を口に出来ずに居る。

 喚き散らし醜態晒す長よりも、謹厳なる山のあやかしの言う事のほうを、真実だと感じている。

 少しずつ、少しずつ、その空気は広まり、満ちていく。

 徐々に、初穂の父に対して事の真偽を問うような眼差しが、一つ、また一つと増えていく。


「存在の分かっている入口は全て閉じて封じさせたのに。よくもまあ、見つけたものです」


 玖澄が呆れたように、大きな溜息を交えながら呟いた。

 何でも、彼は銀山を閉じさせると同時に、記録についても破棄させたのだという。

 もしかしたら不届き者が持ちだしていたのかもしれない、と玖澄は憂い顔で言う。

 そうかもしれないし、違うかもしれない。

 だが、最早それについて明らかにしても仕方ないことである。

 確かなことは、一連の災いの元凶が村長であり地主である初穂の父であったという事実だ。

 出入りが禁じられていたはずの山で、父とその息のかかった者達は密かに銀を掘っていた。

そして、それを密かに流して利益を得て、村人には知らせず全て己の懐に溜めこんでいた。

 だからこそ、ここ暫くの嘉川家はあれほど金回りが良かったのか……と初穂は小さく呻く。

 誰もが黙り込んでしまい、問いたい事はあれども口に出せない。

 肌に痛い程の沈黙がその場に満ちて暫し。

 ある男が、不意に声を張り上げた。 


「大蛇の言っていることは、真実だ! 俺は見たんだ! 銀山が確かにあるのも、そこで神隠しにあった奴らが働かされている奴らがいるのも!」

「山根……」


 沈黙を破り叫んだのは、父の下男の山根だった。

 そう、山根は銀山について知っていた。

 何故にそう言い切れるか。それはあの日坑道の前で山根と出会ったからだ。

 山根は初穂が何も知らぬのかと訝しげにしていた。

 あれは、銀を掘らせている地主の娘であるのに、父から何も聞かされていない事に対してだったのだろう。

 皆が呆気に取られたように言葉を失い続ける中で、山根は声を張りあげ続けている。


「嘉川は、自分に逆らった奴や、銀山に勘付いたやつらを連れ去って、銀山に閉じ込めて無理やり働かせていたんだ!」


 それは、瀬皓を襲った災いの最後の一つである神隠しの真実だった。

 人が何の前触れもなく姿を消す原因もまた、神隠しなどという不思議ではなく、人の行いだったのだと。

 普段自分に仕えているものによる突然の裏切りに、父は再び湯気でも吹くのではないかという程に顔を赤くして怒鳴った。


「黙れ! この愚か者!」


 激昂した父は、何時ものように山根を打ち据えようと杖を振りかぶり、振り下ろした。

 だが。


「殴られてばかりは趣味じゃないんでな。……いい加減観念したらどうだ」


 振り下ろされた杖が山根を打ち据える事はなかった。

 山根は無造作に伸ばした手で、杖を難なく受け止めていたのだ。

 言う口調も、顔つきも、平素の影の薄い下男のものではなかった。

 酷く冷めた、場慣れした男のものだった。

 受け止めていた杖を山根が無造作に放ると、嘉川は反動で無様に倒れ込んだ。

 いやに冷静な下男の眼差しや、戸惑う皆の眼差し、初穂と玖澄の険しい真っ向からの眼差し。

 その場の皆全ての眼差しを受けながら、杖を支えによろめき立ち上がると、父は吐き捨てるように言う。


「おのれ、どいつもこいつもでたらめばかり……!」

「でたらめじゃないですよ」


 父の目が驚きに見開かれた。

 吐き捨てた叫びに返ったのは、その場になかった少年の声だった。

 勿論、初穂と玖澄にはとても聞き覚えのある声だ。


「白妙……?」

「玖澄様、初穂様、遅くなりまして申し訳ございません」


 声のした方へと視線を向けたなら、そこに居たのは少女のようにも見える線の細い少年の姿だった。

 白妙はうやうやしく二人へ向かって頭を下げると、己の後方を視線で示す。

 そう、白妙は一人ではなかったのだ。

 彼の背後には複数の人影があり、その人影は視線を受けると次々に叫び始めたではないか。


「ああ、そいつの言う事は本当だ!」

「地主は、俺達を捕まえて銀山に閉じ込めていたんだ!」


 叫んだのは、衣服もぼろぼろで髪も何もかもが薄汚れている男達だった。

 げっそりと皆やつれてはいるが、初穂の父に向ける眼差しは怒りに燃えており、零れるような憎しみがある。

 力を振り絞るようにして父を糾弾する男達の存在に、初穂は呆気にとられていた。


「衰弱が酷い者達はその場で小霊たちに介抱させています。少しでも動ける者達を連れて参りました」


 玖澄に向かって報告する白妙の言葉を聞いて、ようやく事態が呑み込めてきた。

 この男達は恐らく『神隠し』の名目で山に攫われ、銀山にて働かされていた者達だ。

 父の悪行の、隠しようもない生き証人達である。それを白妙が銀山を探り助け出してきたのだろう。

 勿論、それを命じたのは。


「初穂さんが話していた坑道を探ってもらったのです。囚われている人を出来れば連れてきてほしいと」


 初穂を見つめて僅かに表情を緩めてながら玖澄が言う。

 玖澄は、多分自分が事実を告発するだけでは皆を納得させるには足りないと気付いていた。

 だから、父がしてきたことを知る人間を……実際に銀山に閉じ込められ酷使されていた者達を連れてくるよう、白妙に言っていたのだろう。

 思わぬ証言者が現れた事で、父の顔はどす黒い赤さに転じてしまっている。

 口から泡を吹くのではないかという程に取り乱し、意味をなさぬ言葉を喚き散らしている。

 大蛇討つべしと山に入ってきた者達は、今やただただ呆然としていた。


「あいつ……。神隠しにあったって言われていた左吉じゃないか……」

「あちらの奴もだ……! 一月前に神隠しにあった、田辺の倅じゃないか!」


 銀山から救い出された者達の中に見知った顔を見つけた男達が、一人、また一人と声をあげる。

 震える声で、彼らが偽りなく村から姿を消した者達であると認めていく。

 証言者の身元が確かである事が証明されたならば。

 もはや、隠されていた罪が真実であることは明らかになる――。


「じゃあ、本当に銀山があって……。神隠しにあったやつらは、そこで無理やり銀を掘らされていたのか……?」

「嘉川様の命令で……?」

「それで、鉱毒が川に流されて、疫病や田畑が……」


 震える囁きが人々に広まっていく。

 まさか、と恐る恐るだった呟きは、徐々に語調確かに、そして強くなっていく。

 彼らにとっては天地がひっくり返るような事だろう。

 村の長たる地主の命令で、村の災いの元凶である山の大蛇を討ちに決死の覚悟でやってきた。

 だが討つはずだった相手が、一連の出来事は他ならぬ地主の仕業だと暴いて。

 更には、それを肯定するように村から神隠しの名目で攫われていた者達が現れて地主を糾弾した。

 自分達を苦しめていたのは、自分達をここに駆り立てた張本人だった。

 あまりの真実に呆然と言葉を失っていた男達が、徐々に我に返り、事実を認識し始める。

 一つ、また一つと地主に向けられる視線に怒りが交じっていく。

 やがて、そこに居る全ての人間の怒りが、地主に向けられていた。

 蒼褪めて言葉を失ったままの初穂の父へと冷ややかな眼差しを向けて、玖澄は一つ溜息を吐く。


「覚えている限りでは、この山には幾つか銀の鉱脈がありますが。今掘っている鉱脈は、尽きかけているのでしょう。だから、次を探す必要があった」


 玖澄は尚も言葉を続ける。

 罪は明らかになったのに、まだ何かあるのだろうか。

 問うような眼差しを向けた初穂を見て、玖澄は僅かに悲しげに顔を歪めた。

 僅かな間、玖澄は躊躇していた様子だった。

 だが、やがて玖澄は告げた。更なる地主の罪を暴き、糾弾する言葉を。


「次の銀鉱脈を探して山を探る為には私の存在が邪魔と思った。だから、娘を犠牲にして私を討とうとした。そうでしょう?」

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