大蛇は示す
「違います! 大蛇は……災いの原因ではありませんでした!」
「は、初穂……⁉」
重ねて叫びながら、初穂は皆の前に飛び出していた。
得物を構えた男達は、あまりの出来事に呆然としたままだ。
最初に我に返ったのは、やはり初穂の父である嘉川だった。
彼は、贄として――大蛇を討つ刺客として送り込んだ娘がまだ存命であった事に信じられない様子だった。
大蛇は……玖澄は、震えを押し隠しながら皆の前に出た初穂を気遣うように首を擡げた。
初穂は、大丈夫だと言うように玖澄を見上げ、頷いて見せる。
その様子を見て、父は何かに気付いた様子だった。
大蛇を討つ事に失敗したと思われた娘が生きていたばかりか、屋敷に居た時よりも余程元気そうで、良い身支度をしている。
しかも、大蛇と親しげな様子まで見せている。
自分が見た光景から結論を導き出したらしい父は、初穂へと怒声を浴びせた。
「お前……。あやかしに絆されたのか! 化生に魂を売ったか! この裏切り者め!」
父の言葉に打たれたように、呆然としていた男達が初穂に視線を向ける。
怒りや蔑み、嫌悪、憎悪、あらゆる負の感情が混じった数多の眼差しが、初穂に集まった。
初穂が贄としての役目を全うしないせいで、人々は苦しみ続けたというのに。
こうして自分達が大蛇を討ちに禁を犯さなければならなかったのは、初穂のせいであるというのに。
皆の眼差しが言葉に依らずともそう叫んでいるように感じて、初穂は息を飲んだ。
やがて、人々は言葉に出して初穂を罵るようになる。
裏切りもの。お前のせいで、村は滅びる寸前だ。
お前のせいだ。お前が役に立たないから。
役目を全うすることもできない、役立たず。
嫁ぐこともできない、子を産む事もできない、お情けで生かされてきたお荷物の癖に――!
あらゆる悪意がを集めた眼差しを向けられて、初穂は僅かに怯みかけた。
だが、それは一瞬の事だった。
初穂は、今誰と共にある?
そう、誰よりも愛しいと思う、唯一人のひとと一緒なのだ。それならば、何を恐れる事があるだろうか。
初穂は、迷いのない真っ直ぐな眼差しで人々を見つめ返す。
今度は、村人たちが戸惑う番だった。
今まで、初穂がこんなにも強く真っ直ぐな眼差しを皆に向けた事などなかった。
いつも控えめで、常に人から一歩引いたところにいる、大人しい娘だった。
それが、こうまで揺るがず佇んでいるなど、無かったことである。
戸惑いの中、尚も父が何かを叫ぼうとした瞬間、黙していた大蛇が唸り声をあげた。
大蛇の咆哮と共に、大地が鳴動する。
樹々が大きく騒めき、空気が痛い程に震え、山全体が揺れる。
燃えるように爛々と輝く大蛇の紅い瞳に、今やはっきりと滾るような怒りが見える。
まるで大蛇の怒りに山が呼応したかのように、山は村人達を拒絶し、住まう全てが叫んでいた。
突風が吹き荒れ、初穂以外の人々を吹き飛ばし、蹴散らし。
得物を持っているどころか立っていることすら出来ない人々が地に伏し、震えながら喚く中。
やがて、一切の揺れと突風が消えた。
「初穂さんに、そのような物言いは許しません」
厳かにして、静かな声音が響いた。
努めて冷静であろうとしている様子が伺える、底に滾るものを感じさせる声だと初穂も思わず息を飲む。
人々は恐る恐るといった様子で、顔を上げて伺うように視線を向ける。
彼らの怯えた眼差しが向いた先、村の者達の前には先程の大きな異形の姿はなく……一人の青年の姿があった。
青年を見て、皆は言葉にせずとも彼が先の大蛇の化身であると察したらしい。
青年の肌にある鱗や特別な虹彩も理由であったが、何よりも青年は恐怖を呼び覚ます程に、人離れして美しい。
そしてその青年は守るように初穂の肩を抱き、厳しい眼差しを村人達に向けている。
男達の顔に先程とは違う戸惑いが浮かんだのが見えた。
初穂は先程の風にも揺れにも、全く脅かされた様子はないのだ。
更に、先の言葉である。初穂を罵る人々に対する怒りを込めた、初穂を守ろうとする言葉。
玖澄の様子からして、彼が初穂を大事に思っている事は察したようだ。
人々は口々に囁き合う。
大蛇は花嫁を気に入ったということか。それならば、何故災いをおさめない。
徐々に広まっていく騒めきに、深く嘆息した玖澄は人々に告げる。
「私が起こした災いではないのです。……おさめろと言われても困ります」
玖澄が眉を寄せていった言葉に、皆のざわめきは更に増す。
皆は、山の大蛇が怒り瀬皓を呪ったが故に災いが起きたと疑っても居なかったのだ。
そう言われてきた、そう思っていた。だからこそこうして、大蛇を討つために山に踏み入ったというのに。
当の大蛇が、違うと言い切ったのだ。動揺するのも無理はない。
「だ、黙れ! 皆、そんなあやかしの言う事など信じるな! そやつが災いの原因なのだ!」
皆のざわつく中、叫び声をあげたのは初穂の父だった。
父は手にした杖で玖澄を指し示しながら顔を怒りに真っ赤に染めて、玖澄を討てと喚き散らしている。
父が晒す醜悪な様子に、何とも言えない気持ちになり初穂が唇を噛みしめていると、玖澄が一歩進み出る気配を感じた。
そして、静かに白い指にて父を指し示し、託宣を告げる巫のように厳かにその言葉を告げたのだ。
「欲深き瀬皓の長よ。民に秘密を隠して私腹を肥やす愚か者よ。此度の災いの原因は……貴方です」
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