美味しいものを美味しいと言える幸せを大事にしたい。

ほのか

美味しいものを美味しいと言える幸せを大事にしたい。

中学生のときに、先生から言われたことをやけに覚えている。


「眠れなくなること、そしてごはんを美味しいと思えなくなることは、調子が悪いサインだから、よく注意しなさい。逆に調子が悪いと思ってもそれができていれば、じきに調子が良くなる。」


その先生は体育会系で、悩みなんてなさそうなくらい、いつも明るくて、テンションが高い先生だった。真面目ではなかったが、陽気で、授業も楽しかった。


そんな先生がそんなことを言うので、私は驚いた。誰だって悩むんだな。苦しむんだな。そういったことを思った。


健康でいられたら、それ以外はおまけのようなものだ。健康でいられることは、至上の喜びであり、それだけで私達は実はすべてを持っている。


健康でいれば、そのうちなんだってできるようになる。そうでなかったら、そのうちなにもできなくなる。


美味しいものを用意するというそれ自体も、難しい。


生きていくために必要最小限のものしか食べられないひとは、たくさんいる。日本にも、海の向こうにも。いのちをあしたまで持たせることで一生懸命で、カロリーさえとれてお腹がふくれればそれでいいというひとも、世界のどこにだって残念ながらいる。虐待を受けていて、満足な食事を提供されないこどもたち。働いても働いても貧しさから抜け出せなくて、食にお金を費やせないひとたち、DVを受けていて食事を楽しむ余裕がないひとたち。戦争や災害が起きると、食の優先順位は下がる。そういった理由で、そもそも食事が奇跡になるひとたちだってたくさんいる。


そして、美味しいものを美味しいと言えるためには、もっと必要なことがある。


心身が安定していること。あしたの食べるものがないということを心配しなくて良いこと。たまには好きなものをめいっぱい楽しめるだけの金銭的余裕があること。誰かと一緒に食べられるか、ここにいない誰かのことを思いながら食べられること。平和な空の下にいること。直近に悲しいことを経験していないか、それが食によりリカバリーできる範囲のことであること。心身が安全な状態であること。病気により食事制限がないこと。こころの余裕があること。


この平和な空の下で、健康で、思い悩むことはあってもそれが食事を楽しむのに影響を及ぼさないくらいのことで、そして食事自体も手を抜いていなくて最高に美味しい。


世界には、「この平和な空の下で、健康で、思い悩むことはあってもそれが食事を楽しむのに影響を及ぼさないくらいのことで(以下略)」という条件を満たしていても、食事を単なる栄養補給の手段としか捉えていない国と民族と家庭があるらしい。そういった傾向が強い国はすべて留学先の候補から外した。私が英語圏に行かない理由の一つもそれだ。1週間オーストラリアに行ったがもう二度と行きたくないと思っている。食事以外のすべてが最高だったが、食事が酷すぎた。


食事があれば、そしてそれが美味しければ、大概の苦労は飛んでいくと信じている。食事が最高のストレス発散法で、それが何度私を支えてくれたかわからない。美味しい食事はからだとこころの最深部までしみていって、明日も生きていけると何度でも思い出させてくれる。

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美味しいものを美味しいと言える幸せを大事にしたい。 ほのか @hono_ryugaku

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