第二十一話「新興」

 行くべき方向が見えたなら、勢いづいた新たな自分に出会えるでしょう。もう迷わなくて良いのですから。

 

 マップアプリというものは、使い手によってその利便性が変化するものだ。不得手な人間が使えば、それは無意味どころか迷わせる原因になりえる。そのため、初めは角山がスマホを見ながら進んでいたが、今では綾子が角山のスマホを持って歩いていた。少し遠回りにはなったが、視界にはあの大聖堂が見えている。鐘が揺れて、身体中に響くような音を撒いていた。角山は確信する。千崎との電話で聞こえていた音はあの音だと。宗教が普及しているとはいえ、修道服の珍しさは変わらないのか、すれ違う人間は、綾子を奇異の目で見ていた。

「もうすぐ一本道に入ります」

 気にした様子のない綾子が、そう角山に知らせる。すると、突然スマホの画面が切り替わった。

「わっ、朔壱朗さん、お電話です」

 角山は慌てて綾子からスマホを受け取る。しかし、表示されている名前は千崎ではなく、兄の零次朗だった。

「もしもし、どうした」

「朔! 大変だ」

 声だけでも、零次朗がひどく狼狽していることがよく分かる。

「大変ってなにが」

「今、鮮花あざやか市の方に配達行こうとしてたんだけどよ。真っ黒なんだよ」

「まっくろ?」

 意味の分からない説明に、角山は思わず素っ頓狂な声を出した。

「そう! 咲ヶ原の外が全部、真っ黒になってんだよ。目の前こっから全部闇!」

 見えもしないのに零次朗は何かジェスチャーをしたようで、マイクを擦ったような音がした。角山は遠くを見渡してみたが、向こう側が黒く染まっているようには見えない。しかし、零次朗が嘘をついていたり見間違いをしているというのも考えにくい。非現実さが増していく世の中に、角山はいずれ壊滅的な終わりが来るのではないかと予感していた。

「朔、今どこにいんだ」

「今から『銀叶』の聖堂に行くところだよ」

「えっ、入会⁈」

「違う。でも、理由をゆっくり説明するのはまた今度だ」

 すまない、また後でかけ直す。と、通話を終わらせた角山は、綾子に零次朗との話の内容を伝えた。咲ヶ原市の外が真っ黒になっていることを。

「時間がないのかもしれませんね」

「急ごう」

 二人は小走りで大聖堂へと向かう。少し進んで右に曲がれば、後は直進するのみだ。

 

 目的地に到着した綾子と、数秒遅れて到着した角山。膝に手をついて息を切らす角山に、綾子は「朔壱朗さん」と呼びかけた。しかし、それは心配ではなく、前を見るように促すものだった。顔を上げた角山が大聖堂の方を見ると、なぜか入り口の扉の前に胃炭と峽がいる。二人とも仕事があるはずなのに、白衣を着たままそこにいる。

「なぜ、ここに」

「センセイが見知らぬ女性と出て行かれるのを見て、追いかけないわけがないでしょう」

 胃炭は綾子を一瞥した。綾子は申し訳なさそうにしている。

「それで、先ほどお電話でここへ行くところだとおっしゃっていたので、先回りしたまでですわ」

 胃炭は揚々としている。角山は、胃炭が通話中に言葉が聞き取れる距離にいたことにゾッとした。

「峽さんはなぜ」

 角山に問われて、峽は何とも言いづらそうにした。首元を押さえながら、言葉を探している。

「これ、勘違いしないでほしいんすけど、一言で言うと、とある女の子を追いかけてたらここに——」

「ひぃっ、穢らわしい」

「だから、違うんですよ!」

 悲鳴をあげる胃炭に、峽はつい大きな声を出した。見れば、角山も訝しんだような顔をしている。ただ、綾子は違った。

「も、もしかして、黒いワンピースの……」

「そうです、そうです! 見失っちゃったんですけど、確かに着てました。お知り合いですか?」

「えっ、まあ、そんな感じです……」

 言葉を濁す綾子。少女は黒いワンピースを着ていて、綾子の知り合い。情報量が増えたところで、峽の疑惑が消えたわけではないが、今はそれに構ってばかりいるわけにはいかない。

「センセイはなぜここに? しかも、その人と」

 胃炭はすでに綾子のことをあまり良く思っていないのだろう。視線が鋭い。角山はなんと説明すれば良いか迷った。

「少し……ここの人に話を聞きたくて来たんです。彼女は付き添いで」

「そうなんですね」

「問題は起こすなよ」

「もちろん、可能な限り穏便に——うわぁっ」

 角山が会話に入ってきた声の方を向くと、そこにはハシロがいた。新たに現れた女性に、胃炭は「なっ」と声をあげる。

「貴女も僕らを追ってきたんですか」

「ああ。お前が修道女を連れてうろうろとしているから、不審に思ってな」

 角山たちがマップアプリに翻弄されている時を見ていたようだ。

「不審に思うならもっと……」

 角山は胃炭に視線を向けた。胃炭はそれを嬉々として受け取る。ハシロの目が節穴なのか、それとも胃炭のストーキング能力が高すぎるのか。すると突如、角山たちの元へ甲高いブレーキ音が聞こえてきた。

「おー、いたいた! 朔!」

 零次朗だ。大きく手を振りながら駆け寄ってきた。電話を切ってから間もないというのに。

「零。どうして」

「心配だったから、ちょっと飛ばしてきた」

 親指を立てる零次朗。角山は兄が自分を想ってくれている優しさを感じつつも、警官のいる真横でその発言をするのはどうかと思った。

 角山と綾子の二人だけでこの大聖堂へ乗り込むつもりが、今や胃炭、峽、ハシロ、零次朗も加わり六人もいる。綾子は増えた人数に戸惑いつつ、問いかけた。

「あの、まさか皆さん、中までついてこられるおつもりで……?」

 胃炭たちは顔を見合わせている。

「外に居てくださいね」

 釘を刺すように角山が言うと、胃炭たちは素直に了承の反応を返した。

 到着して予想以上に時間がかかってしまったが、ついに角山と綾子は大聖堂の中へ入ることにした。二人は扉に手をかけ、重みを感じながら開けていく。綾子の教会よりもはるかに規模の大きく、煌びやかな内装が二人の視界に広がる。しかし、角山の目を引いたのは、整列したベンチの一つに腰掛けている、黄色い髪の人物の後ろ姿だった。

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