第十四話「抑留」

 置かれた環境から脱したいと思うには、まず、自分の今いる場所が窮屈であることを自覚しなければなりません。

 

 男は言う。自分は常に外出していなければ、心が苦しくなってしまう病にかかったと。初めは病気ではないと思っていた。しかし、ネットで調べているうちに、今の自分にぴったりな病名を見てしまい、自覚したと。その病名は「外出強迫性障害」。外出しなければ、遠くへ行かなければならないと思ってしまう、強迫性障害の一種。と、されているものだ。

 今回、角山が彼の内面を解読するのは早かった。外出がしたくて仕方がなくなる。それは大抵の場合、家より外に魅力を感じているか、家にいたくない理由があるかのどちらかだろう。「遠くへ」の基準だって、単純に考えれば、家や家のある地域からの距離で見ているはずだ。そこで、角山は彼に一つ質問をしてみることにした。

「少しお聞きしたいのですが」

「はい」

 緊張の見える男は、膝の上で握りしめていた拳を少し自分の方へ寄せた。

「ご自宅で日頃からあまりリラックスできていない、ということはありませんか?」

 男は驚いた。図星だった、というよりは気づかされたかのような反応だ。それから、斜め上を見上げたかと思えば、角山を見て先ほどまでと打って変わり、弾んだ声色で話し始めた。

「そうかもしれません。今、家内と喧嘩中でして……家での居心地が悪くて逃げていたのかもしれません」

 悩みを解決する糸口が見つかって嬉しいのだろう。男は澄んだ瞳をしていた。対して角山は、内心あまり嬉しく思っていなかった。近頃の患者として訪れる人物のほとんどに当てはまることなのだが、皆、考える力が弱まっているのだ。抱えている苦しさについて知ることばかりに気を取られて、身近な原因に気づこうとすらしていないようにも思える。難解であるよりは良いことだと分かってはいるものの、やはり角山はこの世の中と人々に呆れてしまう。

 それから、男とは仲直りの方法について軽く話し合い、診療は終了となった。

「一人でいろんな所へ行きすぎました。次は家内と一緒に旅行にでも行きます」

 笑顔で話す彼を見て、角山はふと疑問が湧いた。ここ、咲ヶ原市の外はどうなっているのか。同じように平等と宗教勧誘の声が蔓延しているのか。そこで、角山は尋ねてみた。

「最近はどこへ行かれたのですか?」

「隣の神囃かんばやし区です。近場ですが大都会なだけあってやはり良い場所で——」

 男は思い出話を始めそうな勢いだ。だが、その様子は一変する。表情から読み取れる感情が、思い起こされる楽しさから、困惑へと変わったのだ。

「あれ、どこだったかな。忘れてしまいました。出かけたい気持ちばかり覚えてて……おかしいなぁ」

 本当におかしい。一瞬のうちに考えが変わった。

「そうですか。いい旅行ができると良いですね」

 当の本人である男は、自分の不自然な言動に気がついていないようで、角山の発言に「はい」と嬉しそうに返事をするだけだった。

 

 流れるニュース番組。角山は待合室にあるテレビを凝視していた。政治、天気、地域のこと、流行病や犯罪への注意喚起、政治……同じような内容が繰り返し報道されている。途中で挟まるコマーシャルは、宗教関係ばかりだ。そして、そのどれもが咲ヶ原市内のことだけを映していた。角山の脳内に一つの仮説がよぎる。

「まさか」

 スマホを取り出し、おぼつかない手つきで検索をする。すると、いくら調べても咲ヶ原市の外の情報が出てこない。今までおかしいと思わなかったことが不思議なくらい、全くだ。この隔離的状況は果たして、情報面だけなのだろうか。角山は早足で病院の外へ出た。

 見慣れた名前に電話をかける。コールが長引き、出ないかと角山が諦めかけた時、やっと繋がった。相手は兄の零次朗だ。

「もしもし、どうした寂しくなったか?」

「零、仕事中にすまない。配達のことを聞きたくて」

 ピザ屋を経営している零次朗は作るだけではなく、配達も自分で行うことが多い。それならば、そう遠くない過去に、咲ヶ原市の外にも出たことがある可能性が高いと角山は思ったのだ。

「配達? いいけどなんで」

 今まさに配達中だったのだろう。車道が近いのか、零次朗の声は車の走行音に混じってやや聞き取りづらい。

「理由はまたいつか話す。それで、零、最近配達で、咲ヶ原市の外に出たか? 配達以外でもいい」

「そりゃ、もちろん……」

 ある。そう言いかけた零次朗だったが、代わりに出たのは悩んだような声だった。

「んー? 出た。出たはずなんだけどな。俺は記憶にあるんだけど、なんでだ?」

 電話の向こうから、紙を捲る音が数回聞こえる。

「どうした」

「いや、咲ヶ原の外からの注文があった記憶が俺にはあるんだよ。でも、配達の記録してるやつにはないんだよな。一つも」

 記憶と記録の相違に、零次朗は「おかしいなぁ」と呟いた。角山は、自分の考えに信憑性が生まれてきたことに、今回は喜べなかった。

「そうか。分かった、ありがとう。配達、気をつけて」

「もういいのか? まあ、朔も無理すんなよ。じゃあな」

 電話が切れる。咲ヶ原市内の情報しかないネットやテレビ。消える咲ヶ原市の外に関する記憶と記録。これらの情報を認知した角山は、この世の中には非現実的な面があることを察するほかなかった。おそらく、自分の思考も何かが関与し、操作されている。自分のことも信用できなくなってきた角山は、今までとは違う、大きな不安を感じ始めていた。

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