第十話「平等」

 誰もが平等になることは難しく、同時に誰もを平等に扱うことも難しいものです。それならいっそ、ほんの少しでも不平等な方がずっと生きやすいのかもしれません。

 

 暮らし満足度100%。平等で心地のいい世の中。そう、ニュースもネット記事も取り上げている。当然である。この暮らしに満足していない人間は、皆気をおかしくしてしまって、インタビューに答えることができないのだから。発展したネット社会。誰もが容易に声をあげて活動できる環境、設備。どれも人々が平等に自分の主張や思想を世に広げられるもの。それらがあるから、小さな課題が次々と解決されていき、様々な事物が発展を遂げた。それらがあるから、世の中に人々の声が乱離骨灰に入り乱れ、おかしくなった。しかし、大抵の人間は言う。平等で心地のいい世の中だと。

 あれから角山は調べていた。いつからこの世の中になったのか。発券機がいつから置かれたものなのか。それはつまり、発券機が置かれるきっかけとなった平等政策の始まりを調べることであった。こうして今も、診察の合間に新聞やらスマホやらでそれについて調べている。しかし、発券機同様、いくら調べても「いつからそうなったのか」がどこにも載っていないのだ。先ほど診察室を訪ねてきた千崎にも尋ねてみたが「昔からそうだった」といった内容の返答しか得られなかった。

 新聞の内容をそれとなくノートにまとめる角山。気づけば昼休みの時間となっていた。今日はずっと考え事をしていたと、草臥れた顔をした角山は、目を瞑って大きく伸びをした。その時、何かに腕を掴まれた。驚いた角山は椅子ごと後ろへ倒れかける。しかし、床にぶつかることなく、体はその何かに受け止められた。

「危ないですよ。センセイ」

「な……」

 見上げた角山の視界にいたのは胃炭だ。後ろ側の連絡通路側のドアから入り忍び寄ったのだろう。倒れかけた椅子を直すと、そのまま胃炭は角山を後ろから抱きしめた。

「ひとりで思い詰めていては、そのうちお体を壊してしまいますわ」

「先に心が壊れてしまいそうなので、離れていただけますか」

 くすりと胃炭は笑って角山を離した。そして、机の上のノートに目を向けると、胃炭は患者用のソファに座って足を組んだ。

「最近は調べ物をよくなさっているのですね」

 胃炭の声色はどこか不安げだ。角山は「ええ、まあ」と濁しながらノートを閉じた。あまり見られていい気分はしないのだろう。胃炭は何か言いたげだ。

「それで、用件は?」

「センセイに会いに」

 胃炭の返事に角山は不自然さを感じた。それがどう不自然なのか、そこまでははっきりと分からなかったが、引っかかる感じがしたのだ。まるで、嘘をついているような。だが、角山に胃炭を問い詰めようという気持ちはなかった。小さな引っ掛かりよりもどうにかしたい事柄が、頭の中を占拠しているのだ。そこで、角山は胃炭にも尋ねてみることにした。

「そうですか。ところで胃炭さん、また質問をしてもよろしいでしょうか」

「センセイのお力になれるのなら、なんでもお答えいたしますわ。好みのタイプは——」

「平等政策がいつ頃から始まったのか、覚えていらっしゃいますか」

 胃炭はすぐに考え始めた。切り替えの早さに角山は若干引いていた。考えている最中、胃炭の表情は曇っている。思わしい記憶が思い出せないようだ。

「残念ながら、覚えておりませんわ。数年前に変わったことは覚えているのですが……」

 そこで、胃炭は首を傾げた。

「数年前……そう、変わったのはそんなに昔ではないはず……なのに」

「どうされました」

 胃炭の表情には困惑、そして怯えが見える。

「なのに、思い出せないんです」

 角山は何を思い出せないのかと疑問を持った。しかし、それはすぐに晴れた。角山もこの平等政策が始まったのは、数年前だという認識だ。それを改めて思い出して、角山は気づいたのだ。自分自身も思い出せないことに。

「前のこと、平等政策が始まる前の生活が」

 胃炭はすっかり怖がったような顔をしていた。そう、公園の遊具の発券機然り、平等政策然り、いつからかその変化が過去に訪れたことは記憶しているが、それがいつなのか、そして、それ以前のことがあまり思い出せないのだ。つまり、特定できないある時を境に変化が起き、今の世の中になっているが、変化が起きる以前のことは思い出せなくなっている、というわけだ。

「以前、センセイがなさった質問の意図。今なら分かる気がいたしますわ」

「それは……」

 角山にはそれが良いことなのか悪いことなのか、すぐに判断することはできなかった。ただ、少しだけ、自分以外にも世の中への不信感が共有できたことを、嬉しく思う自分がいるのを感じていた。

 

 しばらくして、仕事もひと段落した頃。角山は診察室を出た。すると、そこへ可愛らしい足音を鳴らしながらききがやってきた。途端に角山の瞳が虚ろになる。ききは、後ろに手を組んで、体を揺らしながら角山を見上げた。

「せんせい、何かわかった?」

 角山はききを見ていない。

「ああ、分かったよ。この世の中は信用ならない」

 ききはおかしそうに笑う。

「それがちゃんとわかったなら、せんせいはもっと前にすすめるね!」

 小さな足音が遠ざかっていくにつれて、角山の意識ははっきりとしてきた。

 角山は考える。過剰なまでに平等な世の中で、自分は除け者だと。自分が何らかの真実を突き止めたところで、自分に何ができるのか。知ることへの不安が顔を出していた。

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