毒は少しずつ、その身を侵す

 彼と別れて、また虫眼鏡を覗き込む。

 そこに広がるたくさんの世界の一つ。


 そこは、一つのお屋敷だった。


 今回の旅は、そこに決めた。



 昔の日本、平安時代なのか、江戸時代なのか、現代日本でたいして歴史に関わらずに生きてきた私には判別がつかない。

 ただその屋敷で、嘆くのは着物姿の一人の女性。

 この女性より少しばかり歳下であろう男性が横たわり、彼に覆いかぶさるように彼女は泣いている。

 人目もはばからず、悲鳴にすら聞こえる彼女の泣く声は、聞いているだけで私まで苦しくなる。


 斃れている男性は彼女の腹違いの弟だそうだ。


 彼女は両親を亡くしてから今日まで、とても不幸だった。

 彼女に残された救いが死して浄土で両親と再会することだったというのだから相当だろう。

 そんな彼女に唯一、優しく接していたのが、この屋敷の当主であり、腹違いの弟である彼だった。

 けれど、彼女はこの男性を心良くは思っていなかったらしい。

 彼女は異母弟の毒見役としてこの屋敷に存在していて、彼のことを疎ましく思っていたと言う。

 けれど実際、その疎ましい男性を失った彼女は、まるで最愛の連れ合いを亡くしたかのように嘆いている。

 今の彼女には複雑で歪な感情が渦巻いているように感じた。


 母親や父親を失った時の悲しみ。 

 邪魔者扱いをされた憤り。

 彼女から全てを奪い、全てを手にしている異母弟への憎しみ。

 美しい異母弟からの望まぬ同情。

 優しい異母弟への自身に宿る愛情。

 家族たちに置いて逝かれてしまった慟哭。

 本当に孤独になったという絶望。


 何もかも失った彼女の後ろ姿が、いつかの私の重なり、私はたまらず虫眼鏡を動かす。

 そして、一つの世界が映し出された。

 それは、歪な恋慕に狂った異母弟が動けなくなった彼女をまるで雛鳥のように囚えている世界。

 彼女の全ての世話をしている腹違いの弟は、恋情と劣情に身を焦がしながら恍惚に微笑っている。

 私は、これじゃないな……と思い、もう一度虫眼鏡を動かそうとした。

 けれど、彼女はそんな私の手を止めて、その世界に飛び込んだ。

 そんな彼女もまた、恍惚に微笑っていた。

 よっぽど、この鬱屈させられる世界で、狂ってしまったのだろう。

 私の世界も鬱屈としたことばかりだったけれど彼女たちの気持ちはわからなかった。

 けれど、ここまで狂えてしまうのはどこか羨ましくもあった。

 飛び込んだ彼女は、まるで雛鳥のように世話をされ、ただ腹違いの弟に愛されていた。

 彼がいなければ生きていけぬ女性と、体の不自由になった姉を見て恍惚に微笑む異母弟の姿。

 その表情はとても幸せそうで、彼女たちは浄土を作り上げ、そこで暮らしていく。

 それは道徳的な物語ではなかったけれど、それはとても幸せな終わり方だった。




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