取れたメガネ
咲翔
***
僕と彼は、仲が良かった。
親同士が仲良くて、幼稚園も一緒で、小学校に上がってからもその付き合いは続いた。
家が近いから、登校班も同じで、帰り道も一緒。僕らはまるで、双子の兄弟ように育った。
彼とはよく、一緒に遊んだ。
学校から帰ってくるなり、僕はサッカーボールを持って家を飛び出す。そして、彼の家へ行ってインターホンを押すのだ。
すると決まって、まるで玄関で今か今かと待っていたかのようなスピードで、ドアが開く。そして彼が顔を出す。
「ソラくん、待ってたよ」
そう言って、彼は笑うのだ。
僕らは、近所の公園へ向かって駆けていく。そして夕日が山々の向こうへ沈む頃、また揃って走りながら帰ってくる。
僕らはいつだって一緒で、共にボールを追いかける仲で、本当に双子の兄弟のように仲が良かったのだ。
本当に。
でも、僕らが小学三年生になる頃。
それが少しずつ、変わり始める。
なんだか、彼の雰囲気が少し変になってきたのだ。
雰囲気が怖くなったわけでもない。
急に悲観的になったわけでもない。
本当に“変”になったのだ。
「なー、今日もサッカーしようぜ?」
僕がいつものように誘いに行くと、彼はゆっくりと玄関から顔を覗かせて、ボソリと言った。
「いや、今日はいいかな。一人で遊んできていいよ、ソラくん」
サッカーに一人でやるもなにもあるものか。リフティングでもしてろって、言いたいのか?
彼が誘いを断ったことに驚いて僕がそう聞くと、彼は無表情のまま頷いた。
「うん。一人ぼっちで、やりなよ」
目の前でバタンとドアが閉まった。僕は長い間、立ち尽くしていた。
――なんだったんだ? 今の。
いつもよりも低い声。
突き放すような口調。
どこか虚無で、どこか僕を嘲笑っているかのような目。
一体、彼はどうしたというんだ――?
***
その、初めて誘いを断られた日から、何週間経っただろうか。
僕は意を決して、再び彼の家に向かった。
あのとき断られて、その彼の口調がなんだか変で、怖くなって、しばらくは彼と一緒に居ることも避けていたけれど。
やっぱり彼と遊ぶのは楽しいから。
「なー、今日も遊べないー?」
勇気を持って、インターホンを押す。すると、ガチャリ、といつもの調子でドアが開いた。
「ソラくん」
彼が僕を見た。わらう。
「待ってたよ、公園に行こうか」
――待ってた? 待ってたのか。
やっぱり彼も、僕としばらく遊んでいなかったから退屈していたのかもしれない。
そう自分を納得させ、僕は彼と一緒に走り出した。
「ソラくん! パス!」
「おりゃぁぁぁ!」
手を上げてパスを呼ぶ彼に、僕は渾身のインサイドキックでボールを送り出す。
上手くコントロールされたボールは、まっすぐに彼の足元へと向かう。たったふたりでやる、パスゲーム。それでも楽しかった、彼と居られるのなら。
「おーい、思いっきり蹴っていいぞー!」
僕はボールをキープしている彼に、手を振って合図をした。彼がこちらを見る。だけれどなぜか、彼は一向にボールを蹴ろうとしない。
「お前ー、どうしたんだよー?」
なんだ、あいつ。
さっきまで普通に笑顔でボールを蹴ってくれていたじゃないか。
「パスくれよー」
僕がそう言った瞬間、くるり、と彼が背を向けた。体の向きを変えた勢いで、地面に置かれたボールがコロコロと力なく転がる。
「おい?」
僕は不審に思って、彼に駆け寄った。
「お前、大丈夫か?」
「メガネ、取れちゃった」
彼は僕に背を向けたまま言った。片手で目のあたりを押さえているのが分かった。
そっか、メガネを落としたから、パスを出さずにいたのか。
「そうだったのか。僕も一緒に探すよ」
そう答えながら、あれ、と心の中の僕が首を傾げた。
――あいつ、メガネなんてかけていたっけ。
それに。
仮にメガネをしていたとして。
「取れちゃった」とは言わないんじゃないか? せめて「落としちゃった」とか「失くしちゃった」とか。
「ねぇ、メガネなんてしてたっけ」
僕は聞いた。すると彼は、またこう繰り返した。
「メガネ、取れちゃった」
やっぱり“変”だ。
「なぁ、どうしたんだよ」
「メガネ、取れちゃった」
「じゃあ一緒に探そうぜ」
「メガネ、取れちゃった」
「……っ? やっぱお前おかしいぞ!」
僕は彼の肩を後ろから掴んだ。
すると、彼は突然笑い出した。
ケタケタケタケタ、ケタケタケタ。
「……なんだよ!?」
僕は思わず手を離し、後ずさった。
ケタケタという笑い声は、まだ聞こえる。
「ソラくん」
彼が僕の名前を呼んで、振り返った。手で覆われていた目元が、ゆっくりとあらわになる。
ケタケタ、ケタケタ。
わらいながら。
「目がね、取れちゃった」
眼球の無い赤黒い空洞が、僕を見た。
***
そこからどう家に帰ったのかは、もう覚えていない。だけれど、その日、起こった出来事を母に話したことだけは覚えている。
「ねぇ、母さん! あいつが……おかしくなったんだ! 目が、取れたって……」
返ってきたのは、
彼が、つい最近――――小三に進級したばかりの頃、悲惨な交通事故で亡くなったという知らせ。
遺体は目も当てられないほど、酷かったそうだ。
母の話によると、僕はこの話を既に聞いていて、彼の葬式にも行ったらしい。母自身もたくさん泣いたと言っていた。
じゃあ、僕が会っていたあいつは、一体―――。
(了)
取れたメガネ 咲翔 @sakigake-m
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