ためるな、危険➅

 「華さん、立ち会う前にひとつだけ―どうして今更?僕の実力は十分に知っているはずでしょう。仮にも僕は現役の魔王ですし、なにも黒の杖まで持ち出して―」

黒の杖は魔王から華への贈り物。彼女の誕生日の。デザインはシンプル、というかあってないようなもので、短く黒い棒の先に小石がついているだけ。女性へのプレゼントとしてはいささか首を傾げたくなるが、武器としての性能はさすが魔界の神器。術者の最大マジックポイントを大幅に上昇させるだけではなく、魔力、つまりは魔法の攻撃力を強化する。いか程に?伝え訊く所によれば、ライターの火が山火事に化けるという。尤も、伝承の元が魔王なので真偽の程は定かでないが。

 お知りになりたければ力付くでどうぞ―どうか、私を殺すつもりで戦って頂けますか。直前に零した華の言葉は非道く魔王を悲しませた。同時に、決意を促した。他ならぬ華の願いであるなれば。その意思を示すべく、魔王は腰の鞘から刀を抜いた。鎧の召喚と共に具現化される魔王の武器『夕霞(ゆうがすみ)』。見た目はオーソドックスな日本刀で、刀身がやや赤みを帯びているのが特徴。炎の属性を持ち、魔王の扱う武器ということは言わずもがな、魔神器のひとつである。名の知れぬ凄腕の鍛冶屋に発注し、親交のあった大賢者に属性付与を依頼し、仕事仲間であった運び屋に配達してもらった。物理攻撃力も然ることながら、黒の杖で同様に術者の魔力も向上させる。そしてそれ以上に、思いが詰まっていた。

 構える魔王。左手を鞘に、右手は柄に。いつでも刀を抜ける態勢である。その姿を確認した華が仕掛ける。近接戦闘ではどう転んでも勝ち目がない華。そもそも近接用の武器など持ち合わせていない。距離を保ち、法術合戦に勝機を見出す。最大マジックポイントや魔法攻撃力では華に分がある一方で、近接戦は華の弱点に違いなかった。

 「プラタナス。」

魔法を唱えたのは華。ぼそりと詠唱すると砂漠の砂より幾らか大きいくらいの鈴の形をした氷の粒が、華の姿を覆い隠す。砂漠に降る雪、太陽を背景に降る雪、黒き女性に注ぐ白い雪。綺麗でないわけがない。敵の攻撃を防ぐ盾の役割を果たしながら、華の号令と共に対象へ襲い掛かる石礫(いしつぶて)にもなりうる攻防一体の法術。強く、華麗で美しい。

 対する魔王。構えを解かぬまま一歩、また一歩と間合いを詰める。派手だから、美しいから善いということではないが、魔王様とは思えないほどに地味で静かだった。無数の氷の鈴に隠れては現れる華の目をじっと見つめながら一歩ずつ。居合の構え。じりじりと、魔王の後ろに残るのは足跡ではなく、摺り足の痕だった。

 距離は縮まるが、まだまだ刀は届かない。けれども華にとっては疾うに攻撃の間合い。タイミング、魔王の隙を伺う華だったがついに、自らの意思か魔王の圧力か、黒の杖を魔王に向けた。先端の石が光り、氷の粒や塊が魔王を急襲する。次々、次々と、休みなく、絶え間なく広大な砂漠の中の、中央の一角だけが猛吹雪に覆われていた。その中心にいる魔王。けれども魔王は構えを解かず、変わらず歩を進める。構わず進撃するというのなら―怒号の様な轟音とともに叩き付けられる氷塊は魔王に触れる直前、いとも簡単に溶けて砂上の染みになっていった。魔王に残るのは傷ではなく水だけ。その眼は吹雪の中でも、しかと華を離さなかった。

 歩みが止まらない。間合いが詰まる。刀が届く。と、華が大きく後ろにはねた。自分の魔法の巻き添えを避避ける為に、などということはもちろんない。魔王の間合いを恐れたのは明白。それを見た魔王が構えを解く。前傾姿勢を正し、そして右手でゆっくりと刀を抜く。さらに鞘から話した左の掌を華に向けた。何か来るという雰囲気は10才の子供でも察することができよう。

「紅龍牙(こうりゅうが)!」

魔王の掌から次々と炎の弾が繰り出される。鶏の卵より少し大きい火球が容赦なく華に襲い掛かった。

 華と魔王には対照的な相違点が幾つか見られた。不思議な偶然なのか、何者かの手による必然なのかは追々判明するとして。例えば得意とする魔法や特技の属性。氷の属性を持つ華に対し、魔王の魔法や特技の多くが炎の属性である。飛行魔法による空中移動を得意とする華と、地上戦で俊敏な動きを見せる魔王。常に冷静沈着に戦況を分析、相手の実力や出方を考慮し、最適解を求めるように行動を選択する華に対して、攻撃の手順をパターン化させている魔王。3パターンか4パターンの中から、その時の気分で攻撃を展開させる。何度か手を合わせれば魔王の攻撃パターンは覚えてしまうだろうが、それでも防げない。それほどに強い。やはり魔王なのだ。

 無数の弾丸が華に襲い掛かる。動かずに攻撃を喰らい続ければ蜂の巣になってしまう。華は竹トンボのように空へ急上昇した。華の動きに合わせて魔王も狙いを上方修正するが、火球の射程距離は長くない。空中の華に届く頃にはマッチの先っぽ程度しか残っていなかった。空中へ逃れるまでに幾らかの被弾はあったが、擦り傷程度で問題なし。直に魔王も無駄撃ちと判断、手を下ろし、じっと華を見上げた。魔王からすれば攻撃に身が入らない。何の為の手合わせなのか。如何なる理由があれど、華を傷付けることはしたくないし、実力の程なら山にでも魔法を放てばよいのではないか。ご希望とあらば全力で撃ってみせよう。だからもう、切り上げてくれないかな。

 上空10メートルの位置から魔王を見下ろす華。お返しですと言わんばかりの反撃。

「鈴蘭(すずらん)!」

気合の入り具合かそれとも、何かを吹っ切る為か、華が珍しく腹から声を出した。それだけ強力な魔法ということなのだろうか、勝負に出たか。天に向けた杖の先端の石が強く輝きを放つと、突如空が曇天に。あっという間に日が陰り、風は冷たく、気温まで下がってきた。

「俺の知らない魔法か・・・ふふっ、天候まで操れるようになったら、それこそ『気象操縦士』みたいな職業を作らないとな。」

独りごとをどこか嬉しそうに呟く魔王。その表情を素直に受け取れば、手の内を知り尽くした相手が未知の技を仕掛けてくることは、喜びに値するらしい。砂漠の一角がみるみる白に染められていく。

 さて、雪を降らせてどうするのか。楽しみに待ちながら魔王は動かず、華はゆっくりと地上に降りてきた。魔王にこれといった変化はなし。汗が乾いて若干寒いかな、くらいのものだった。黒服の雪女は美しい。夜目、遠目、傘の中に雪の下を加えてもいいのではないか。下らない事を考えているから気付くのが遅れる。時、既に遅し。足が動かない。そんな魔王を見越して華が喋り出した。

「足場が土や石だとうまくいかないのです。」

戦いの場に砂漠を選んだ理由を明かす華。魔法によって魔王周辺の砂が白く凍てついていた。

「いくら貴方がどんなに速くとも、動けなければ避けられない。終わりです。」

華魔法、鈴蘭によって標的の防御力とスピードが減少。加えて氷属性を持つ術者の法力が上昇。御膳立てを済ませた華が勝負に出るはずだった。氷の槍を天空から突き刺し、さらに大量の雪で押し潰す。魔王と言えど、ただでは済まないはずだった。

 「詠唱に時間がかかりすぎてしまいましたね。華さんらしくないミスだ。」

氷の属性を扱う華であったが、背後からの魔王の声に血の気が引き、悪寒が走った。

「!!」

埋もれた足を砂ごと固めて動きを遅らせるという作戦。止めるとまではいかなくとも、ほんの少し動きを鈍らせることができれば勝機はある、はずだった。摺り足によって想定とは異なる形で固められた足場、そして砂上に残された革靴。移動を封じるはずがあっさりと脱出されてしまった。背中から聞こえた魔王の声に、反射的に振り返る華。が、そこに魔王の姿はなく、代わりに気付かされる。真っ赤に燃える炎の渦に囲まれていることを。華の周りだけ時間が止まったのではないか、そんな錯覚を覚えた。気付かぬ内に魔王が消えて、気付かぬ内に炎に囲まれ、気付かぬ内に窮境に立たされていた。華が惑うことなく、最適と思われる解を選択していれば、あるいは反撃のチャンスもあったかもしれない。すなわち、華は誤った判断を下してしまった。咄嗟に取った行動は、その場で身を固めること。防御の姿勢でダメージを最小限に抑えようとした。華には見えていただろうか。華を取り囲んだ二重、三重の火の渦は、魔王の魔法のごく一部であったことを。炎の渦は巨大な火竜のしっぽの一部。見上げればそこに魔王の召喚した炎のドラゴンがいて、華を捉えんとしていた。華が無理矢理、ダメージ覚悟で渦を突っ切って脱出を図れば戦いは続いていたのかもしれない。たとえ続いていたとしても、尻尾の炎に圧倒的な戦力差を感じていては勝敗は見えているが。

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