ゲームスタート②
屋敷の執事としての華の日常は多忙を極める。本人の為の時間は最小限度も与えられていなかった。そのような要請を現魔王が行うとは考えられず、華自らが課している業務であるようだ。魔族の平均睡眠時間がいかほどのものかは知らないが、少なくとも魔王は華が眠ている姿を見たことはない。無論、寝室を覗くなどという野暮なことをしたことはないが、腐っても魔王、気配位は察知できる。人間族と比較するとずっと短い時間で済ますことが可能なのだろうか。ちなみに魔王はしっかり8時間は眠る。何なら週に2、3度お昼寝する。あと、週に1度は朝寝坊して布団をひっくり返される。加えて、フライパンとお玉を耳元でガンガン叩かれたことも1度や2度ではなかった。
普通に考えると、広い魔王城をひとりで掃除するだけでも1日では足りない。周辺の草むしりだったかなの単独業務だった。せめて着替えれば、という魔王の助言もどこ吹く風。いつもビシッと決めたまま。草むしり位は手伝えるよと言った時も、仕事が増えますのでとズバッと断られた。魔王といえどちょっと傷ついた。華の使う道具ほうきにちりとり、雑巾、モップ、はたきくらいのもの。原始的にも程がある。というか非効率的ではないか。自分の手で直接きれいにしないと気が済まない性格なのだろうか。大なり小なり魔法を唱えていないと説明がつかないレベルであるが、驚くべきことにいつ何時すれ違っても衣服には埃一つついていない。無論、廊下にも。窓に指紋も、鏡に曇りも、銀食器が輝きを失うこともなかった。だから廊下に煙草の灰が落ちていたと指摘された時、魔王は心の底からしまったと、すまないと思った。けれどもそれを表現する術を知らず、結局いつも通りの展開になってしまった。こういう時に暗黒魔法はくその役にも立たないと痛感するのだった。
屋敷の住民は魔王と華の2人。とは言え洗濯だって大変だ。ちなみに洗濯機はない。全て手洗い、自然乾燥。山脈のどこぞの川で洗濯しているそうだが、魔王はまだついていったことがなかった。いつか同行して手伝いでもという気持ちもあるのだが、「邪魔になりますので結構です」と丁重に一刀両断されるのがオチだということははっきりしていた。魔王のクローゼットにしまわれているスーツ、シャツにはしわのひとつもないし、リクエストすればフレグランスのサービスも施してくれる。好みの香りを言うと、薬草やらなんやらを調合してその通りの柔軟剤を作ってくれる。あまりに完璧な華に対して、ちょっと意地悪してみたくなった魔王。つい先日、桜の咲くこの季節に「キンモクセイ」と言ったら、翌日にはその香りの噴霧器が完成していて、心底脱帽した。
挙げればきりがないが、最後は料理について。元々は1日1食という食生活が身についていた魔王。それが華によって1日3食、定刻通り食堂の席につくよう調教された。料理も大変だろうから1日1食で、という交渉は3秒で決裂。だから朝は必ず起こされる。二日酔いだろうが、徹夜明けだろうが関係ない。時間の5分前までに食堂へ顔を出さないと、コツコツコツコツと、まるでホラーゲームの様に足音が接近してくるのだった。栄養は言わずもがな、量もしっかり管理されていて、魔王城に住んでからは、食べ過ぎという感覚を忘れてしまった。また食後にはデザートもついてくる。主に果物だが、ケーキやプディングが出てくることもあった。仕事中に口寂しくなると相談するとクッキーを焼いてくれた。厳しくも優しく、完璧。そんな魔王の右腕が華だった。
夕食後、魔王は華を自室に呼んだ。勇者達の初動を確かめ、意見や現状分析を貰う為だ。日中からは少し増えて、13組のパーティーが冒険を開始していた。酒場で仲間を募ってパーティーを組み、村を出発。最初の目的地はすぐ近くにある『東の洞窟』で『勇者の証』を入手することだった。洞窟の最奥部でアイテムを入手後、村長に渡すことで勇者として認められ、次の町へ行くことができるようになる、というよくあるイベント。ロールプレイングゲーム最初のダンジョンはチュートリアルとしての要素が含まれることも多く、難易度も最低レベル。狭いダンジョンに罠もなし。要は練習としての役割が大きい。その分、必要以上に探索しても新たな発見がある訳ではないが、宝箱から得られる薬草や少額のルナも、スタート当初の勇者にとっては重宝する。勇者も敵もダンジョンもレベル1という訳だ。
「早々に脱落者が出ているのではありませんか?」
部屋に入るなり、華が切り出した。大なり小なり状況を把握している者の問い方である。そして脱落者が出ていることをちょっと期待している。
「ふふ・・・さすがに今の所はまだ―そこに掛けて。」
華がなぜそのような問いを投げかけてきたのか、心当たりのある者の返し方だった。
「仮にも選ばれし者ですからね。皆さん、黙々とレベル上げをされていますよ。感心、感心。」
上機嫌な魔王であったが、華にはその理由が分からなかった。
「こちらのコーヒー、頂いても?」
「もちろん。」
「ありがとうございます。」
そう言って音も立てずに一口啜る。華が来ることが事前に分かっていたから準備しておいたのだろうが、残念なことに冷めていた。こういう時は客人が見えてから、「コーヒーしかないけれど」なんて言いながら提供する方が良い。ほこりも入らないしな。
「『勇者の証』を手に入れたパーティーは現れましたか?」
「いや、まだまだ。当分かかりそうかな。」
「―でしょうね。ダンジョンの難易度はともかくとして、モンスターが強すぎるのです。とても最初の村に出現するレベルではありません、と以前も申し上げましたが、調整はされなかったご様子で。」
「ああ、ちょっとレベルを上げて工夫すれば問題ないはずだからね。この程度で諦めるなら、どの道さいごまで残れはしないさ。」
まず問題視されているのは、華の指摘したモンスターの強さ。先述の通り、最初の村では全てがレベル1から始まる、敵も味方もダンジョンも。そしてお店も最低レベル。武器や防具、道具も最低ランクのモノしか売っていない。移動も徒歩のみで乗り物がないので海を渡ったり空を飛ぶこともできない。ないない尽くしの環境をストーリーに沿って少しずつ解除していく。それが一般的というかお決まりというか、常識というか当たり前だった。
旅立ちの村近辺に出現するモンスターは全部で5種類。スライム、オオコウモリ、盗賊、ポイズンスライム、キラービー。全て小型のモンスターで、特殊能力はポイズンスライムの毒と、盗賊の盗み。これだけ見ればさほど迫力のある魔物ではない。華が調整、弱体化を助言する程ではないように思われる。
しかし、である。最弱モンスター、スライムのヒットポイントは6~8。勇者や戦士であればレベル1でも1撃で倒せる、はずだった。しかし現魔王が設定したヒットポイントは15。レベル1ではクリティカルヒットが出ない限り一発で倒しきることはできない。近接系のジョブでもよくて2回、乱数に嫌われれば3回の攻撃が必要。また、魔法使いもマジックポイントを消費して、レベル1でも低級火炎魔法を唱えられるが、そのダメージも12~15程度。1ターン内で倒しきれなければ、ほぼ確実に敵の攻撃を受けてしまう。全滅の可能性が出てくる。回復手段の乏しい序盤ではなおさらだ。複数のモンスターと遭遇したら、逃走も選択肢に入れなくてはなるまい。
「序盤というよりは初めての戦闘ですからね。やはり厳しすぎるのでは―スライムですらギリギリの戦い、複数のモンスターが相手ならば早々に全滅するかもしれません。」
「確かに、最序盤は相当にリスクを抱えた戦いになるだろう。村の周りでのレベルアップが必須だ。けれども、だ。村では武器も防具も、薬草も毒消し草も売っている。宿屋もある。勇者達が何をすべきかは自ずと見えてくるはず。チュートリアルとしてはなかなかの教材だと自負しているんだが。」
華だって魔王の意図は十分に理解していた。序盤から中盤、下手をすれば終盤まで勇者一行はいつでも貧乏というのはRPGではよくあること。店に強い武器、防具が売っていて、『お金を貯めたら即買い物』というサイクルが長い期間続くからだ。ただ、装備品によって明らかに能力が変わる。選択肢が増える。そのことを魔王は伝えたかった。この世界でも金が正義。ルナが全てとは言わない、が、命を支える最も重要な土台である。
「最初から楽はさせないよってことです。薬草、毒消し草も含めてしっかり買い物しなさい。装備品もしっかり選んで購入しなさいってとこかな。」
旅立ちの村のお店は随分と繁盛しそうだ。
「モンスターの強さについては分かりました。もうひとつ、エンカウント率についてなのですが―フィールドよりも随分高く感じます。」
「さすがですね。もう気付いちゃいました?」
無表情で淡々と喋る華に対して、魔王はクルクルと感情を回転させながら、華からの指摘を楽しんでいた。また、施策の全てを鼻に伝えているわけではなく、特に反対されそうな事案についてはバレてからの事後報告がほとんどだった。ま、これまで隠し通せたことはなく、今回の様に早々に白状するのが常なのだが。ただ、この点については華に怒られることはなかった。それをいいことに調子に乗ってしまうのが魔王。手間が増えるのが華。
「では、華さんに問題。東の洞くつのエンカウント率は何分の1でしょうか?」
人差し指を立てて、何故か得意気に問題を出す魔王。
「フィールドが10分の1。その倍・・・5分の1でいかがですか。」
フィールドやダンジョン内を歩いている際に敵と遭遇する確率をエンカウント率と呼ぶ。10分の1であれば、1歩歩く毎に10分の1の確率で戦闘に突入する。あくまで確率なので10歩で必ずということではなく、20歩でも遭わないこともあるし、1歩目で戦闘開始というケースもある。
「ご名答!」
魔王が拍手で称える。
「高すぎませんか。チュートリアルダンジョンですよね。戦闘回数が多すぎます。もう既に全滅しているパーティーも見られます。フィールドと同じ10分の1に設定し直してはいかがですか。」
「特別強いモンスターが出るわけではないからな~。薬草、毒消し草を買って挑めばレベルが6、もしくは7くらいでクリアでき―」
「そう!その毒消し草で思い出しましたっ。」
突然、魔王が喋っている最中に華が割り込んできた。雇い主の話を遮るなんて非礼極まりないのだが、2人の関係はどうやら雇い雇われの関係ではないらしい。
「ポイズンスライムの毒付与率は何パーセントですか?」
「3分の1。」
「高すぎますっ!」
「そうかな~・・・」
「毒消し草がいくらあっても足りません。3分の1ですって?ラストダンジョンでもそんなに高い数値は設定しませんよ、普通。ましてや道具以外に回復手段がありません。僧侶が解毒魔法を覚えるのがレベル8。いくらなんでも―」
「ポイズンスライムの素早さは低く抑えているので、ほぼ先制攻撃が可能。真っ先に攻撃して倒してしまえば毒に冒される心配はないはず。」
そう言った魔王は、この一連の会話に満足したのか、無意識に胸ポケットから煙草を取り出し、1本口に咥えた。それを華が見過ごすはずなく、間髪入れずにピッと取ってポキッと折った。
「仰る通りですが、初めてのダンジョンとしては少々手厳しいかと―」
こんな会話を訊いていると、華が勇者の仲間のように錯覚してしまうが、歴(れっき)とした魔王の僕である。
「それとですね・・・」
華が止まらない。
「盗賊が薬草を盗むというのは面白いのですが、スライムとは対照的にスピードの速い盗賊です。致命傷になりかねませんよ。」
「盗賊を倒せば、盗まれた薬草はドロップアイテムとして取り戻せますよ。」
「戦闘中に盗賊が薬草を使ったり、逃げたりしたら?」
「返って来ません。まぁまぁ、華さん。コーヒー飲んで落ち着いて。ちょっと勇者達の様子を見てみようよ。」
そう言って、魔王はシネマプロジェクターの電源を入れた。
「・・・・・・そうですね。」
華の方はへし折った煙草を机の隅に置き、眼鏡の位置を人差し指と親指でくいっと直すと、こちらはデータプロジェクターを起動させた。
「ご依頼の資料も作ってありますので、ご確認をお願い致します。」
魔王は華に、勇者一行のジョブに関して統計を取るように指示していた。勇者がどんな職業の仲間を選んだか。攻守のバランスを考えると、素早さは低いものの武器による攻撃力が最高値を誇る戦士。回復魔法と補助魔法の得意な僧侶。ヒットポイントが低く武器攻撃も苦手だが、様々な攻撃魔法を覚える魔法使い。ここいらがベーシック。多くの勇者が酒場でスカウトする職種だ。安定した、つまり全滅しにくいパーティー構成だと言える。戦士と代えてスピードに長けた武道家を入れるのもひとつの手だ。先手を取り易いということは被ダメージを減らすことに繋がる。また、回復はアイテムを使い、僧侶を近接系のジョブにすることでガンガン攻める一行も現れるかもしれない。組み合わせは自由だが、それによって攻略の難易度が上にも下にも振れることは肝に銘じておかなくてはならない。
「やはり無難なパーティーが多いようですね。戦士、武道家、僧侶、魔法使い。ほとんどが定番のパーティー構成ですね。いかがですか、少々退屈なのでは。」
微かに華が笑みを浮かべたように見えた。
「う~ん・・・そうですか~。定番職以外で選ばれたジョブはありませんか?」
「承認が1、盗賊が2です。あと、勇者一人旅という強者も1人。」
「お、やっぱり出てくるね、そういう輩が。ただ、よっぽどじゃないと一人旅は厳しいと思うな~。」
魔王のよっぽどについては今はまだ触れることはできないが、いずれこのよっぽどが少なからず目に見えてくる。しばしの沈黙。魔王と華は壁面のスクリーンに映し出された映像に目を遣った。画面は4分割されていて、リモコンの操作で次のグループへ切り替えることができる。1つのパーティーを全画面で見ることも可能。勇者達の現在進行形を確かめることができるのだった。
ところで、華の指摘意外に序盤の難易度を跳ね上げている要因は、モンスターを倒した際に得られる経験値とルナが低いことにある。特に前者は極端に低い為、なかなかレベルが上がらない。しかし先へ進む為には大なり小なりレベル上げが必要で、忍耐が要求される。その過程でルナが貯まっていく。戦いを楽にするには装備品を買い替えてステータスを上昇させることが重要だ。武器は攻撃力を、鎧なら防御力を、盾なら回避率を、という具合だ。魔王は、単に難易度をアップさせただけではなかった。随所に救済処置も設けていた。旅立ちの村におけるそれは、武器屋。
勇者の装備品を例にとる。主に魔導士系の使う短剣やロッドと比べて、複雑な特殊効果が少なくて分かり易い。まず初期装備が『棍棒』。やがてルナが貯まれば『銅の剣』を勝手攻撃力をアップさせる。さらに上を目指すならば『鎖鎌』、命中率は下がるが『ライトアックス』という選択肢もある。これが標的1体への攻撃武器なのだが、これだけではない。この世界では最初の村と言えども、武器の品揃えが豊富だった。ターゲットとその左右両隣にもダメージを与えられる『茨の鞭』や、敵全体を攻撃できる『ブーメラン』。どちらも鎖鎌より攻撃力は劣るものの、敵複数への攻撃ができる。戦闘中の装備変更で、戦況に応じた戦いが可能。敵の数や種類に合わせることで、戦いを優位に進めることができよう。逆に言えば、Aボタンの連打だけでは最良の戦いは難しいということだ。
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