ゲームスタート①

【第1章 ゲームスタート】

 その者、黒き衣を身に纏い、無数の悪魔を召喚す。石を操り土を組み立て、魔族の要塞を錬成す。右の拳で海を割り、左の掌で山を崩す。人間、勇者は言うに及ばず、無に帰すは世界そのもの。その前提と習わしを忘れてはならない。

 元は力のある勇者だったから、能力の基礎基本を習得するのに時間はかからなかった。書き換えをするようなもの。紅い炎を黒い炎に、白い光を漆黒の闇に、白銀の鎧を暗黒の衣に。大きな問題ではなかった。特に暴走をする類のものではない。そもそも勇者と面と向かうまでは使う機会もない。ラストバトルなど、魔王業務の一端でしかない。目に見える仕事が派手に映るだけで、そこ意外を切り取ってしまえば孤独で暗いジョブである。




 自室に籠って3時間余り。一区切りついた仕事を吹き飛ばさんほどの溜め息を吐き出し、椅子に座りながら両手を組んで、天井に向かって大きく伸びをした。関節がポキポキと音を鳴らす。腕をだらりと戻すと、僅かに残った3杯目のコーヒーを飲み干し部屋を退室、一目散に外を目指した。不得手かつ慣れない仕事で溜まりに溜まった鬱憤を晴らさないと気が狂いそうだった。内ポケットから煙草を取り出し、歩きながら火をつけた。ライターは不要。指先でちょいだ。禁煙を言い渡されている城内だろうとお構いなし。何故ならここは魔王の城。己の棲家でいかに振舞おうと勝手である。そう自身に言い聞かせながら大股で廊下を進む。しかし長い。自室から外に出るまで5分かかる。火事になったらおしまいだな、なんて妄想しながら満喫していた。

 魔王城の周囲は巨大な山脈が城を包囲するように峙(そばだ)っていた。雲を貫いて外部からの浸食を拒む、魔王城を象徴する景観。険しく、絵に描いたような岩肌が見えた。そしてこの山脈なくして、現魔王が魔王として君臨することはできなかった。

 魔王が表に出ると、空は相も変わらずの曇天。魔界にやってきてから太陽を拝んだことはなかった。常に厚い雲で覆われていて、日中でも薄暗いというのがやはり魔界らしかった。息を吐き、大きく吸って、

「ヘールーファーイーヤーッッッ!!」

大声で定番の炎属性攻撃魔法を唱えた。火球は掌に乗る程度の大きさで、右手・左手・右手・左手と交互に山脈目掛けて放り投げた。

5投目、最後の1球はやや大きめで、両手で頭上から放った。やがて山の麓(ふもと)に吸い込まれ、ドカーンと爆発した。城周辺まで揺れが伝わる程の威力。魔王のストレス解消法だった。こんなことができれば、そりゃ気持ちいいに決まっている。

 揺れを感知したのか、城から外に出てきた者が独ひとり。脇目もふらず魔王目掛けて歩いてくる。鬼気迫る雰囲気は醸し出しているが決して走ることはせず、早歩き。長い黒髪を後ろで束ね、黒縁の眼鏡をかけている。魔王同様ビジネススーツに身を包み、スカートから露わになる膝下はかもしかの様に長く細かった。左脇にはやや厚めのファイルを抱えていて、黒いヒールをカツカツ鳴らしながら魔王に近付いてきた。

「魔王様―」

魔王の背中越しに、低く静かな声が届く。その一声で分かるのは、あまりご機嫌麗しくないということ。

「あれ、華(はな)さん。どうしました?」

ストレスは吹き飛んだようで、子供の笑顔で振り返る魔王。

「何度も言いますが・・・私の名前はデス・ダンディライ―」

「たんぽぽだろう。華ちゃんとたんぽぽちゃんのどっちがいいって訊いたら華ちゃんがいいって―」

「どちらもお断りしたはずですが。」

「そうでしたっけ。まぁ、それはそうと、どうしました?」

「また城内で煙草を吸われましたね。外で、と強く申し上げたはずですが、こちらは覚えていらっしゃいますか。」

「うげ、何でバレたの?臭いかな。」

「灰がしっかりと廊下に落ちていました。また歩きながら火を点けたのでしょう。」

心からしまったと後悔する魔王。

「あちゃ~、ごめんごめん。戻ったら掃除しておくよ。」

「そうではなくてですね―」

もう呆れるしかない華。掃除は済ませたということを伝え忘れてしまった。

 ここで終始ニヤニヤしていた魔王の顔が引き締まった。

「序盤に関しては概ね片付いたけれど、どう?動き出した勇者はいる?」

「ええ、そのご報告に伺ったのですが、3組程。最初の村を出発した模様です。」

それを訊いて納得した魔王。華はつまらないことで自分を訪ねたりはしない。きっかけとして煙草の話題を振ったのだ、多分。

「後から時間あるかな。勇者達の動きを見ながら序盤の調整と確認を一緒にしたいんだけれど。」

「かしこまりました。いつでも構いませんのでお声を掛けて下さい。」

「助かるよ。宜しく、ネ!」

とブイサインを出してポーズを決める魔王を無視して華は身を翻して城内へ戻ってしまった。独り残された魔王はブイサインもそのままに曇天の空を仰ぐ。あれからおよそ3ヶ月。準備期間としては非常に長く感じられた。

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