第2話 伊右衛門

先ほどの答えであるが、まず一人目は正直すぎて何も面白くない。味わって当然のものを、言われたとおりに当然の如く当然の答えを答えただけだからである。二人目も奇をてらいすぎており、機転は効くものの、肝心の本心をわかりやすく言い表すという点においては満点をつけられない。実は面接に受かったのは三人目の、寂れた服装の女性だった。面接において泣いてしまうという場面は往々にしてあるとのことだが、彼女はただお茶の涼しさ・美味しさ・ありがたさ、そして「こんな自分がこんなにも癒されてもったいない」という真実のこころを、ないし素直な感動の意思を表明しただけだからだ。


で、本題なのだが、面接に受からないような文章をこれから書いていこうと思う。

とりもなおさず、本連載企画にあるとおり、「ペットボトルのキャップのレビュー」である。キャップでアート作品が作られているというのは最近知ったことなのだが、これにマニア性をもった人がいないかとあるいはメOカリも探してみたのだが、100種類程度の全く違うデザインのキャップを出品されておられる方がいてはるのみで、分類にさぞ苦心されただろうと、その苦労と根気に唸らされてしまったものだ。


なので、私も、ひと記事3キャップまでという謎の制約の中、キャップを一個ずつかんたんにレビューしていきたいと思う。それでは、どうぞお読みいただきたい。今回はおまけとして「ペットボトルのキャップ論」も加筆しておいた。あわせてご一読いただければ幸いである。


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今回紹介するのは、『伊右衛門』のキャップである。横書きの段組みのキャップが多い中、この伊右衛門はちょうど90°の縦書きであり、そばに「京都福寿院」と申し訳なさそうに書いてある。この二文字のフォントの絶妙な太さと大小のコントラストが良いのだ。『伊右衛門』の上には、周囲を白い円の線で描いた「茶」の絵文字がある。ラベルいわく、「深く、かつまろやか」。そのキャッチコピーがそのままキャップ表面に現れているかのようだ。明るめの「やや」緑を背景に、白抜きという大胆な構造の色の選択も素敵だし、『伊右衛門』の左にあしらわれたイラストもこのキャップの独自性を現している。飲み物のフレーズと合致している、素敵だと言うほかないキャップである。


・ペットボトルのキャップ論


話がそれるが、そもそもなぜキャップに固執するのか。これには神学的アプローチと心理学的アプローチがあるのだが、前者はなにかと揉め事になるので、心理学の側面から光を当ててみたいと思う。


ペットボトル、飲料水を、命を支える、原始の「液体」を、「管理」し、「確保」し、そして「せき止めて」いるキャップ。水を、すべてを受け入れ、すべてを飲み込んでしまうといった二律相反をはらんだ「グレート・マザー」だととらえる場合、このボトルに何らかの「枷」を「嵌める」のがキャップである。それは、グレートマザーの超越性すらも凌駕し、飲む者を「いつでも」「望むときに」あるいは「中身が尽きるまで」瞬時にして爽快感と安心感で包むものなのだ。グレートマザーの恵みを個人の裁量で管理できる、まさにコンビニエンスな発想と言ってよいだろう。


あるいは、過ちを恐れずに推論するならば、ペットボトルを「母乳」とし、キャップを「乳首」だととらえることも可能かもしれない。その場合、母乳は命を支える原始の活力の源であり、それを呑まなければヒトは存在を危うくしてしまうもので、必然的にそれを一時的とはいえストックしておくべき「容器」が必要となる。乳房を「容器」と認識することに論理的矛盾がないとすれば、我々は恐れずに結論へと進める。つまり、とりもなおさず、キャップというのは、ペットボトルという名の「容器」に納められた「命の糧」を、様々な意味で -- 管理、防御、保管 -- 「キャップ(はめる、もの)」をしているものとなるはずなのだ。これを開栓するとき、ヒトは安心感を得、心身ともに潤されるのである。しかも、いつ、どこでも、である(※今私は「母乳」と記したが、これは古来からの呼称をそのまま採用したため、差別的意図は無い。女性のみに限らないのだ。事実、男性にも、血中の女性ホルモンが多い場合、授乳が可能になるという事実を読者諸君にも知っておいていただきたかったからである)。


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などと書いているデスクには、すでに5個程度のキャップがたまっている。とりあえず期間限定らしきアイテムは早々に確保するとして、まずはストックしてあるこれらのキャップをレビューすることから始めたいと思う。いったいこのレビューがなんの役に立つのか、私には皆目見当がつかない。だが、調べた限りほぼ前人未到の試みである。目標は、先輩いわく「一年で365個のペットボトルのキャップを集める男」になることだが、安いとはいえ一本最低でも100円するし、達成には最低でも見積もって5万円は必要だ。毎日飲むわけにもいかないし、分類も多忙を極めるだろう。下手をすればレビューより分類しているほうが長くなるだろうし、せっかく始めた趣味のウクレレがないがしろにされないとも限らない。だが私はキャップを集めたいのである-- ただし、私の場合、蒐集癖はない。つまり、「色違いを全部揃えたい」とか「フルコンプしたい」とかいった理由付けがないのが安心材料の一つだとはいえよう。今日もまた出勤前にコンビニやスーパーをのぞき、未入手のキャップはないかと物色を始めるのであろう。他人事のようだが、キャップを集めたい。なぜかは、心理学的アプローチで論じた私自身にも、一体なにがどうなっているのやら、さっぱりわからないのだ。

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