「ネアト・ロンティー中佐、着任しました」


「ネレアル・リア大尉、着任しました」


 なんとも力のない敬礼と見事な敬礼を見せる男女に、南ロクス基地所属第7訓練所所長、ローディアン・ギスク大佐は、心の中で深いため息を吐いていた。


 今年、四十五歳になるローディアンは、士官学校を中の下で卒業し、地方の補給基地で二十年以上、地道に、波風立てず、上司に期待されないように、しかし、失望もされないように、ただ一心に、戦場に出ることがなように努力してきた。


 その努力は実り、戦場に出ることなく地位を上げ、三年前から訓練所の所長として平和に過ごしていた。


 不満はなかった。それどころか辞令がきたとき、心の中で拳を突き上げて歓喜したものだ。


 42歳。老兵と呼ばれるにはまだ早く、除隊になるまではまだ遠い。中間管理職としてはもっとも危険な時期であった。


 世は常に兵士を求めていた。補給基地とはいえ、戦場に送られる者は多い。同期の者たちなど、数十年も前に戦場へと送られ、誰一人生きてなかった。


 そんな戦々恐々とした日々の中、戦場からもっとも遠い場所に異動しろというのだ、それを断る理由がどこにある。畑違いだろうが、二つ返事で叫んだものだ。


 楽園──とまではいわないが、オアシスくらいには居心地が良かった。


 そう。ここには戦いがない。死ぬ恐れもなければ命懸けで作戦を実行することもない。訓練は教官たちがやり、管理は職員がやる。所長の仕事といったら訓練生や教官たちに演説したり、書類にサインするくらい。たまに監査が入るが、補給物資を着服している訳でもなければ訓練生をいじめたりもしていない。程良く運営しているから怖いことなどなにもない。


 ……なによりあのうるさい妻と離れられるのが最高だ……。


 自分の人世90点と、高得点をつけても良いくらい平和で健やかな日々であった。この2人がくるまでは……。


 ……除隊まで静かに暮らせると思ってたのにっ……!


 これまで鍛え上げ表情筋を使い、微笑みながら心の中で毒づいた。


 ローディアンにしてみれば統一連合軍の英雄など、自分の人世を邪魔する石ころでしかないし、もっとも遠い場所にいる存在であった。


「着任、ご苦労。統一連合軍でも名高い二人にきてもらえるとは誇らしい限りだよ」


 自然に、これぞ訓練所所長といった威厳を出していった。


 このくらいの芸当ができなければ大佐などという地位には着けないし、後方勤務を続けることはできないのだ。


「はあ、どうもです」


「恐縮です」


 気のない返事に見事な返事。普通なら顔をしかめるところだが、それで動じるローディアンではない。口は災いのもと。要らぬ行動は左遷のもと。それで不愉快になっていたら訓練所の所長など勤まりはしないのだ。


 ……ふん! あのクソガキどもに比べたら可愛いものだ……。


「2人とも、あの激闘と異動で疲れただろう。今日はゆっくり休みたまえ。ケリアくん。ミアラくん」


 ローディアンの呼び掛けに、部屋の隅で直立不動していた若い男女が緊張した面持ちで1歩前へと出た。


「自己紹介を」


 はいと、まず男の方が先に敬礼をした。


「自分はケリア・カートン曹長であります! 統一連合軍随一のスカブ・シード乗りに出会えて光栄であります!」


 年齢的にそれ程違いはないのだが、その口調と態度といったらまるで30も年上の上官を相手しているかのようだった。


 続いて女の方が敬礼した。


「自分はミアラ・ガザノ曹長であります。スカブ・シード乗りとしてはまだまだ未熟で足手まといになると思いますが、よろしくご指導お願いします!」


 ネアトもネレアルも士官学校には行ってないので、この二人の反応が普通なのか大袈裟なのかはわからないが、なんとも奇妙な光景に思えてならなかった。


 ネアトは頷くだけにし、ネレアルはこちらこそどだけといった。


「君たちと同室の者だ。まあ、本来なら士官専用の部屋を用意するところなんだが、見ての通りここは狭い。余分な部屋がないのだよ」


「いえ、お気になさらないでください。わたしたちは教官として参ったのですから他と同じように扱ってください」


 さすがといった感じのネレアルに、ネアトも強く頷いて見せた。


「いや、そういってもらえると助かるよ。では、ケリアくん。ミアラくん。2人を頼むよ」


「はい!」


「お任せください!」


 それぞれな促されて星と鷹が部屋を出て行った。


 しばし笑顔のまま佇んだローディアンは、深いため息を吐きながら椅子へと沈み込んだ。


「……あと五年。あと五年もすれば円満除隊だったのに……」


 九十点の人世がいきなり三十点になったかのような呟きだった。


 なにやらブツブツ愚痴っていると、デスクの通信端末が鳴った。


「……またか……」


 憎々しげに漏らし、両手で顔を覆った。


 そのまま無視したいが、出ない訳にはいかない。誰かは知らないが、自分より上の地位にいる者なのは間違いないのだから。


「大丈夫。お前ならできる。自分を信じろ」


 意味があるんだかないんだかわからないが、とにかく自分を奮い立たせ、決死の覚悟で通信端末のボタンを押した。


「なんだね?」


「所長宛に通信が入っております」


「わかった。繋いでくれ」


 込み上げてくる嫌悪を一生懸命蹴り飛ばしながらいたって冷静な口調で死守した。


 モニターが瞬き、中将の階級章をつけた神経質そうな男が現れた。


 ……こいつか……!


「やあ、ローディアン。久しぶりだな」


「お久しぶりです、レモア中将」


 できることなら一生会いたくない人物に向け、究極の敬礼を披露するローディアンであった。


「これは個人的な通信だ。士官学校のときのようにレモアと呼んでくれ」


 更に増大する嫌悪部隊を必死に蹴散らし、崩れそうな表情を死守した。


「とんでもない。モーフィアル士官学校の英雄を呼び捨てにはできんよ」


 見事だ、自分! と、思わず拳を振り上げたくなるくらいの笑顔を見せてやった。


「それで、今日はなにか?」


 さり気なく、さも友人に語り掛けるように先を促した。


「統一連合軍の英雄はもう着いたかね?」


「ああ。今着任の報告にきたばかりだよ。なにか用があるなら呼び戻すが?」


 ローディアンの言葉にレモアの表情が一瞬強張った。


 ……ふふん。これは相当手を焼かれたな……。


「あ、いや、それには及ばんよ。いったように君への通信だからな」


 なんとか動揺を隠そうとするが、処世術のスペシャリストの前では幼児の演技となんら変わらなかった。


 ……士官学校の秀才も本物の英雄の前では紙屑も同然だな……。


「まあ、なんだ。幸運の……いや、ネアト中佐だが、破天荒なところがあって、いろいろ軍規を乱すところがある」


「まあ、英雄とはえてしえてそういうところがありますからな」


 表面は同意しながら心の中では罵詈雑言を食らわした。


「確かにそうではあるが、どうも彼は、意図的にやっているところがある。英雄という立場を利用して武器を無断で調達する。我々の指揮を無視する。勝手に作戦を変更するなど、自分勝手なところが目立つ。これでは軍という組織が成り立たんではないかっ!」


 我を忘れて怒るレモアに、ローディアンは、心の中でため息をついた。


 ……まったく、昔と全然変わらんな、こいつは……。


「訓練所では勝手もないだろうが、軍規を乱すようなら厳しく当たってくれたまえ。これは彼のためであり軍のためでもあるのだから」


 ……良くいうよ、このアホは……。


 なんてことを心の中で吐きながら同意する素振りで頷いた。


「いや、自分の手を離れたとはいえ、赴任先まで心配されるとは……お任せください。彼のために厳しく当たりましょう」


 これぞ自分の真骨頂とばかりに相手の言葉を肯定し、自分はあなたの味方ですよ、とばかりの態度を取った。


 ローディアンの策略にまんまと引っ掛かったレモアは、満面の笑みを浮かべた。


「そうか。いや、理解してもらえて嬉しいよ。では、くれぐれも彼を頼むよ」


 モニターからレモアが消えると、ローディアンはドアへと歩み、誰も入ってこないようにロックをした。


 2度、ロックされたことを確認したローディアンは、部屋の真ん中までくると、溜めに溜めていた怒りを爆発させた。


「ふざけるなっ! なにが彼のためだ! 軍のためだ! ようは自分の怒りを晴らしたいだけだろうが! そんなこと自分が下にいたときにやりやがれッ! 厳しくしろだと? はん! 英雄を罰した者として名を汚すのが嫌なだけだろうが! このクソ野郎がッ!!」


 その怒りが消えることは当分なかった。

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