こんなにも気まずくて喉の通らない食事は初めてだった。


「どうかしましたかネアト中佐?」


 目の前に座る二十歳くらいの美女──ネレアル・リアがホークを持ったままぴくりともしないネアトに首を傾げた。


「……いえ、ちょっと疲れが出ただけですよ」


 淡いブルーのドレスを纏うネレアルの横に座るペテン師に非難の目を向けるが、ペテン師歴五十九年はびくともしない。まるで可愛い孫を見るかのように穏やかだった。


「大丈夫ですか?」


「ウフフ。美人を前にすると固まっちゃうんだから君は」


 横に座る堕天使に向けても非難の目を送るが、こちらも似たようなもの。恋人に見詰められているかのように微笑んでいた。


 ……この状況に比べたら今までの危機なんて可愛いものだ……。


 回避不可能な状況に、ネアトは心の中で泣いた。


「シジー少将は、ネアト中佐の教官だったとか?」


 見た目だけなら良いところのお嬢様だが、ネレアルの戦果は聞いているし、その態度が演技であることを見抜いていた。


 シジー程経験豊富ではないネアトだが、勘の良さは人類の域から出ている。この美人が見た目と違うことくらい一目見て看破していた。


「教官といってもわたしが教えたのは戦略論を少々。あとは女性の誘い方ぐらいね」


 その声はとても淑やかで、茶目っ気があるものだった。知らない者が見ればユーモアのある大人の女性と感じるだろう。だが、本性を知る者にしたら背筋が凍るだけ。彼女と浮気相手に挟まれたバカ彼氏の心境であった。


 ……いやまあ、なったことはないが、多分こんな感じだろうよ……。


「ほっほっほっ。やはり女性がいると場が華やいて良いものだ」


 心の中で苦しい戦いを余儀なくされているネアトを知ってか知らずか、それともたんに鈍いだくなのか、この冷気を暖気と感じるペテン師に、ネアトは心の底から羨ましいと思った。


 ……神様。おれにもペテン師のような心臓をください……。


「──ところでネアト中佐。少しお聞きしたいのですが?」


 女の戦いをしていたネレアルがなにかを思い出したかのようにネアトに話し掛けてきた。


 この場にきた時点でネアトには拒否権はない。逃げられる訳でもないので素直に承諾した。


「中佐の愛機をヤムス中尉に譲ったと聞きましたが、なぜ──いえ、どうしたら譲れるのですか?」


 話が余りにも飛びすぎたため、ネレアルの言葉が全然理解できなかった。


「君の愛機は統一連合軍最強の機体。幸運の象徴。数々の戦いを経験をし、そのポテンシャルは伝説の時代まで近づいている。それを他人に譲るなど理解できないと、そういっているのよ、このお嬢さんは」


「ではなくて! スカブ・シードに自分の"マナ"を登録したら一生自分のもの。途中で誰かに譲ったり預けたりはできません。リセットしない限りは」


「ああ、そのことですか」


「あら、そうだったわね


 二人のスペシャルエースとの認識の誤差に突っ込みたかったネレアルだが、取り敢えず目の前の疑問から片付けることにした。


「すまないね。この子ときたらどうしてもそれが聞きたいとうるさくてね


「らしいといえばらしいけど、ヤムス中尉の機体は誰に譲ったの?」


「レネアムです」


「なるほどね。やっと解けたわ。あの脱出劇の心臓が。まったく、いろいろ見つけるんだから、君は……」


 それはシジーが待ち望んでいた答えだが、それを見つけ出すネアトの能力の高さと、それを信頼して実行する部下たちに呆れる方が先であった。


「皆、一癖も二癖もありますからね、第134攻撃隊は……って、どうしてそれを知っているんですか? あの脱出はオトラリアの、しかもトリプルキーをかけてあるんですよ!」


「ウフフ。秘密」


 妖艶な笑みを浮かべて口を閉じてしまった。


「申し訳ありません。師弟同士の会話はあとでしてください」


 刺だらけの言葉で見詰め合うスペシャルエースを切り離した。


「これ、落ち着かんか。二人の会話、なかなかおもしろいじゃないか。わしもあの脱出劇には疑問を感じておったのだ」


「おじいさま!」


「お前の悪い癖だぞ、そのせっかちなとこ。この二人を見習えといわんが、もう少し余裕を持ちなさい」


 眼差しや雰囲気は優しいおじいちゃんだが、その人となりや戦いの記録は誰よりも知っている。額に汗を浮かべながらすみませんと謝り、まるで叱られた子供のように身を縮ませた。


 孫の態度にうんうん頷き、しかめっ面するネアトへと向いた。


「後学のために聞かせてもらえんかね、あの脱出の真相とやらを」


「話すと長くなるから簡単で良いですか?」


「ああ、構わんよ」


「わかりました」


 今はな、というセリフが続きそうなので直ぐに説明を始めた。


「これは、ネレアルさんの質問と重なりますが、スカブ・シードという"星の勇者"に属する兵器は、成長し変化する。使えば使う程性能は良くなり強力になる。己の一部となる。これのせいで誰かに譲ることはできないといわれてますが、最初から誰でも使える兵器にすれば貸すも譲るも関係ありません。まあ、その辺の設定は練習機と同じですね」


「同じって、練習機はもはや通常兵器であり、ジン・ハートが壊れたときの手動処置的なもの。それに、そんなことが許されるなら『適合率』の意味がなくなるではないですか!」


 光炉弾こうろだんを造るためにはスカブ・シードから『ジン・ハート』という半永久機関炉を取り出す必要があり、取り出されたスカブ・シードには補助ハートで動かされる。が、補助というだけあって出力は戦艦並。まあ、それでも大出力なのだが、並のスカブ・シードで中級セーサラン百匹に匹敵することを考えれば補助といっても大げさではない。しかも、自己修復能力まであるので補助に頼ることなど滅多にない。なので補助ハートで動かされるスカブ・シードは、マナさえあれば誰でも使用される、と世間ではそう思われているのだ。とは、ネアトはいわなかった。


「悲しいことに意味があるんですよ、我々人類に与えられた『工房』には、ね」


 七つある『工房』から生み出されるスカブ・シードには、安全と防犯のためにハートがロックされている。これを解除するにはマナを送り込まないとならないのだ。


「適合率。確かにスカブ・シードといった星の勇者に属する兵器にはハートというマナエンジンが搭載され、目覚めさせるにはマナが要る。そして、1度登録したらその機体は登録者専用となる。この星に降り立って五百年。それが常識です。だが、その登録が必ずしも一人だけということではない。最大、十人まで可能なんですよ」


 初代スペシャルエース以外は驚きの顔を見せた。


「もっとも、十人登録できるのは、『ソジュア工房』から生まれる"汎用型"と『レコプス工房』から生まれる"突撃型"のみ。登録するには生まれてから10日以内。もしくは、登録者リセットして1日以内という条件がありますけどね」


 第134攻撃隊では、それを"刷り込み"と呼び、どの『工房』製が可能かを調べるためにわざと自爆攻撃を仕掛けてきたのだ。


「……具体的に、どうするのかね?」


「簡単にいえば、ジン・ハートの中にある"ソジュアル・チェーン"を解除してスカブ・シードの登録ボックスに直接マナを送ってやります」


 祖父と孫は怪訝な表情で見詰めあった。


 ソジュアル・チェーンも登録ボックスも今初めて聞いた。


 スカブ・シード自体がブラックボックス。人類が解読できたことなど操縦方法や光炉弾作成など、全体の五パーセント解読できたかどうかである。《セーサラン》侵略時から専門機関を立ち上げて調べてはいるが、ジン・ハートなど怖くて調べることもできないでいた。


「いや、調べるのに苦労しましたよ。登録ボックスは直ぐに見つけられたんですが、二人のマナを入れようとすると防御システムが起動して登録者データが末梢されるわ、経験値が書き換えられるわ、もう、光炉弾にしか使い道がないんですからね~」


「──ちょっと待ってください! その話が本当なら『ニノトリア工房』の記録更新能力を使えばエース級のスカブ・シードが増やせるではないですか!」


 バン! とテーブルを叩いて立ち上がった。


「これ、落ち着かんか」


 抑揚のない声で孫をいさめるが、興奮した孫には聞こえない。拳を震わせネアトを睨んでいた。


「気性の激しいお嬢さんだ」


「いや、お恥ずかしい。どうとわたしの血を一番濃く受け継いだものでな」


「──おじいさまっ!」


 怒るネレアルに、祖父は目を細めて微笑んだ。


 そんな祖父の姿から見えないなにかが出ているらしく、ネレアルは怒りを引っ込めて席に座った。


 愛しいそに微笑んだまま、ネアトへと目を戻した。


「それで、なぜ秘密にしていたか教えてもらえるかね?」


「べつに秘密になんかしてませんよ。ちゃんと追撃を受けたから反撃したと報告しましたもん。それを大事と取るか不用と取るかは上の判断ですからね」


「だが、その報告をわかりづらくしたのなら立派な軍規違反となるな


 まさに泣く子も黙る眼差しに脅迫に近かったが、ネアトはなんの感情も沸いてこなかった。


 戦場に出て三年。怖いと思ったことは数百回は経験し、自分を嫌う上司なは事欠かなかった。今更元帥だろうが統一連合長官だろうが、なにをいわれても右から左である。


 と、険しい眼差しがふっと和らぎ、なにかを思い出したように笑みを浮かべた。


「"聞かれなかったから"。確か、それが君の常套句だったな」


 意地悪じーさんに向けて思いっきり顔をしかめてやった。


「……査問会の報告書まで読むとは仕事熱心ですね……」


 勲章の数と同じくらい査問された回数も多いネアトであった。


「なに、君に興味があったからね」


「それ程おもしろい男ではありませんよ」


「いやいや、実におもしろいよ、君は」


 その良い笑顔に危険を感じて席を立とうとしたが、意地悪じーさんの方が一枚も二枚も上手らしく、既にリア元帥の息が掛かった警備兵で固められていた。


「滅多にない休暇なんですがね」


「ああ。知っておるよ。滅多にない聞く時間だとな。なに、わたしの家も休暇を過ごすには申し分ないところだよ。なんなら美女も用意するぞ?」


 全身全霊、イヤな顔をして抗議したが、ルクスニール・リア元帥は歴戦の勇者にして脱出派の長。青二才の抗議など微風にも劣る行為である。


「フフ。忘れられない休暇にしてあげよう」


「死ね、この腐れ元帥」


 銃殺覚悟の抗議であった。

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