「相変わらず逃げるのが上手ね」


 バルコニーの下で夜風を浴びていると、軍服姿の天女が舞い降りた。


 艶やかな銀色の髪。細身ながら良く鍛えられた体。少女のようにはつらつとした笑顔。何度も見ているのに、見飽きることがないくらい美しい人であった──が、ネアトにはそれだけ。この天女に盲信する信者ども程好みではないし、見た目に騙され程素直でもなかった。


「相変わらず見つけるのが上手ですね、シジー教官は」


 三年前から全然変わらない女性に苦笑した。


「──いや、シジー少将とお呼びした方がよろしいですね」


 襟首の階級章を見て可笑しそうに笑った。


 スカブ・シードとの平均適合率が六十八パーセントでありながら八十四パーセントという高い数値を持ち、訓練所と士官学校を首席で卒業。戦場に出てからは幾千万もの《セーサラン》を葬り、スペシャル・エースの称号を生み出した片割れであった。


 しかも、スカブ・シードの頂点は大隊長なのだが、この"星スターの天女エンジェル"の異名を持つシジーは、その知謀と腕でその壁を打ち破り、ウリューサム要塞の司令官になったのである。


「なら、わたしは"中佐"とお呼びした方が良いわね」


「……中佐、ですか……?」


 知らずに昇進していた、なんてことは良くあった。だがそれは、戦いが続いていたから。最前線にいたので報告されなかったからだ。


「……なにかしましたっけ……?」


「3時間前、渋い顔で記者会見していた理由をなんだと思っていたの?」


「あの人の嫌がらせだと思ってました」


 そっぽを向くネアトに、シジーはわざとらしくため息をついた。


「……ほんと、そーゆーひねくれたところはあのバカそっくりなんだから……」


「あの人程いい加減ではないですよ」


「負けず劣らずよ、そのひねくれ具合は」


「…………」


 愛らしいながらも鋭い眼差しに、出掛けた言葉を詰まらせた。


「良いかね、幸運の星くん」


 その眼差しのままネアトの頬を左右に引っ張った。


「いはいれふ」


 抵抗せず真面目に抗議したら更に引っ張られた。


「あのバカに似るのは構わないけど、あのバカとは立場が違うの。事情も違うの。君は統一連合軍の英雄。人類の希望なのよ!」


 ネアトの瞳の奥に負の感情を見たシジーは、頭突きを食らわして打ち消した。


「上司に嫌われようが本人が否定しようが関係ない。拒否権もない。君の行動も君の勝利も、もはや人類のためにあるのだから」


 その言葉から逃げるネアトに、もういないもう一人のスペシャル・エースの姿が重なる。


 幸運の星の素質に気がつき、その能力を開花させた親友は、自分以上の能力を持ちながら自分の影に徹し、わざと破天荒に生き、そして、愛する人を守って死んでしまった。


 ……純情なクセにひねくれてて、妙なところで人が良いんだから、まったく……。


「ほんと、キャットの言葉を信じて先に食っとくんだったわ」


「相変わらず下品ですね」


 見た目からは想像できないが、この星の天女、けっこうおやじが入っているのだ。


「ほ~。初物好きを食ったゃったボーヤがいうじゃないの」


「な、なにをいってるんですか、突然!?」


 顔を真っ赤にして狼狽えるネアトに悪戯っぽく笑って見せた。


 良い男は食うもの。


 そういって憚らない親友がなぜか自分を避け、頬を赤らめてベッドに潜り込んだ。これはもうなにかありましたと叫んでいるようなものだ。


 これを見逃す程、自分は優しくない。必死の抵抗もなんのその。なにがあったか事細かく聞き出してやったものだ。


「誰もいない湖の畔。年上の女と年下の男が激しく燃える、かァ~~! お姉さん悶え死ぬかと思ったわ~」


「……な、なぜ、それを!?」


「わたしはなんでも知っているのだよ、幸運の星くん」


 ネアトの首に腕を回して頬ずりする。


「けっこう上手だったみたいじゃないの。十六のボーヤがどこで覚えてきたのかしらァ~? ちょっとお姉さんにも教えなさいよ」


「そ、そういうのは自分の彼氏にでもいってください!」


「残念ながら3年前から一人ぼっちなの。ほんと、偉くなるとダメよね。階級に怯えて誰も近寄ってきてくれないのよ~」


 それは階級のせいではないでしょう、とはいわない。いったら最後、恥ずかしい過去を広められてしまう。この人はやる。躊躇なく、容赦なく、反抗する者を叩き潰すのだ。


 そんなシジーには微笑ましく、ネアトにしたら苦痛でしかない世界に第3者が現れる。


「良いところお邪魔するよ」


 その声に素早く反応したシジーがネアトから離れ、軽やかにバルコニーへと跳び上がった。


 好好爺然といったルクスニール元帥に、シジーは見事な敬礼を見せ微笑んだ。


「抜け駆けはいかんな、シジー少将」


「それは申し訳ありませんでしたわ。どこかの誰かが独り占めしてたものですから」


 遅れてバルコニーに上がったネアトは、二人の噛み合わない会話に首を傾げたが、2人の背後に見える稲妻に関わることを止めた。まあ、無駄とはわかっていたが……。


「お、そこにいたか。さあ行こうか"ネアト中佐"」


 もはや三十回以上見た悪魔の微笑みに思いっきり嫌な顔を見せた。


「目の前に大勢の記者とかお偉いさんとの握手会なら帰らせてもらいますよ」


「もちろん、これからはプライベートだとも」


 危機という危機を乗り越えてきたネアトだったが、これからくるだろう危機には怯えるしか手はなかった。

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