君だけを救いたい僕と世界を救いたい君の八つの世界線【Ⅷ】

双瀬桔梗

最後の世界線

 寝室と隣接するリビングの扉を、おおがみれいは開く。


「おはよ、黎クン」

 キッチンで朝食を作っているあまろうが振り返り、黎に笑顔を向ける。黎は思わず泣きそうになるのを我慢し、「おはよう」と微笑む。


 テレビから“イレーズと名乗る怪人集団が某所を襲撃した”ニュースが流れる。


 時を戻すのはこれが最後。今度こそ、志郎君を救う。


 そう決意した黎は「何か手伝う事ある?」と言いながら、志郎に近づいた。




「最近、昔みたいにずっとメガネかけてるね。何か心境の変化でもあったの?」

 メンテナンス室の回転椅子に座り、ゆっくり回りながら志郎は問いかける。


「別に……大した理由はないよ」

 志郎達の変身アイテムを機械に繋ぎ、タイピングしてする手を止める事なく、黎は答える。あまりに素っ気ないその返事に、志郎は少し寂しそうに「そっか……」だけ言うと黙り込んでしまう。


 重苦しい沈黙が続く。


「……メンテナンス、終わったよ」

「うん、ありがと……」

 白、紫、赤、ピンク、黄色……の変身アイテムを黎は机に移動させ、それを志郎が手に持つ。


「この後、作戦会議があるからもう行くね」

「あぁ」

「……黎クン、何か悩み事とかあったらいつでも言ってね」

「別に何もないよ」

「そっか……じゃあ、また後で」

 いつも通り笑顔で話す志郎の顔が、徐々に曇っていく。志郎は変身アイテムをぎゅっと握ると、無理に笑顔を作ってメンテナンス室を後にした。


 一人になった黎は回転椅子に座り、天井を仰ぐ。


 ――またね、志郎君。今度、顔を合わせる時は……敵同士だ。


 心の中でそう言った黎は立ち上がり、ヘルトの本拠地から姿を消した。




 二人揃ってヘルトのスカウトを受け、黎はヒーローに志願せず、暴走しない変身アイテムを作り上げる。先程、最終調整も済ませ、黎がヘルトここでやるべき事は全て終わった。次はイレーズあっちで、出来る限りの事をする。


 志郎と敵対する以上は壁を作るべきだと、黎は考え、あえて冷たい態度を取った。揺らがないように。そもそも、前の世界線での行いに対する罪悪感も芽生え、上手く話せない。昔のように、メガネを常にかけるようになったのは、ただの気紛れだが。


 第七の世界線と同じ方法で、フクロウの怪人に変身する男と会う。黎側が知りたい事はもうない。だから黎は素直に、男の質問に答える。目的を問われれば、この世界を壊すために、イレーズに入りたいと答えた。今度は、一人で。




「黎クン……? どうして……」

 それから少し時は流れ、イレーズの真の正体と目的が明かされた後。黎は初めて、志郎の前で怪人の姿から人間に戻る。


 黎は今まで何度も志郎と戦ってきた。正体を隠したまま。志郎を守るために。彼と他の怪人が戦わないように。イレーズを欺くために、本気でぶつかってきた。自分が本気を出したところで、志郎が負ける訳がないと信じて。


 志郎は目を見開き、瞳を揺らし、じっと黎を見つめる。黎は何も言わず、無言で志郎に背を向けた。


「待って! オレ……黎クンが何も言わずにいなくなってから、ずっと探してたんだ。だからさ……一緒に帰ろ?」

 志郎の声は震えている。黎はグッと堪え、冷たい声で「それはできない」と答え、歩き出す。


「黎クン!」

 慌てて志郎は駆け出し、黎の肩に手を伸ばす。


「志郎!」

 黎は左手だけを怪人化させ、生身の志郎に爪を振り下ろす。その事にいち早く気がついたししどうシオンが、志郎の肩を掴み引き寄せる。爪は志郎の髪を掠り、数本、地面に落ちた。


「アンタ……何のつもりだよ?」

 唖然とする志郎を守るようにシオンは一歩、前に出て黎を睨みつける。黎は真顔で何も答えない。


 その時、上空からフクロウの怪人が現れ、彼の手を黎は掴んだ。フクロウの怪人はそのまま天高く飛び上がり、黎と共に暗闇に消えた。




「さっきは助かった。ありがとう」

 イレーズのアジトに着くと、黎はフクロウの怪人に頭を下げた。フクロウの怪人はダンディな男の姿に戻り、「構わんさ」渋い声で言う。


「それより良かったのか? 幼馴染くんに何か言ってやらなくて」

「いずれ殺す相手に何を言えと?」

 黎の言葉に、フクロウの男は一瞬だけ目を見開く。勿論、黎が言った事は嘘だ。

「……それ、本気で言ってんのかい?」

「当然だ」

 フクロウの男は「ふむ……」と何か言いたげに、黎をじっと見つめた。全てを見透かすような男の目に、黎は居心地が悪くなる。


「彼を救うために、何度も時間を戻してきたのにか?」

「あぁ。でも、もういいんだ。頑なにこんな世界を救おうとする志郎君から全てを奪って……彼を殺して僕も死ぬ」

「……次に時間を戻せば、お前さんの体は崩壊するって前に忠告したから、自棄になってんのかい?」

 黎がイレーズに入りたいと申し出た日。フクロウの男は黎の頬と胸の薔薇模様を見て、覚醒で得た能力を使うべきではないと忠告した。覚醒で得た能力を使い過ぎると、肉体は崩壊してしまう。覚醒した事で枯れた花の花びらの様子で、後どれくらい能力を使えるか判断でき、黎はもう危険な状態らしい。そのため、途中で黎の意思が揺らごうとも、もう二度とやり直しはできない。


「いや、その話を聞く前から決めていた事だ。何か疑われているようだから言っておくが、貴方達を裏切るようなマネはしない」

「それはどうだかな」

 黎とフクロウの男の会話に、ハイエナの怪人に変化へんげする青年が割り込んでくる。茶髪をオールバックにし、革ジャンを着た青年は黎の目の前に立ち、彼を睨みつけた。


「フクロウの旦那ァ、こんな奴に騙されんな。絶対、他に目的があるハズだ」

 ハイエナの青年はなぜかずっと黎を疑っており、こんな風によく彼につっかかる。しかしその割には毎回、彼はどことなく怯えているようで、黎はそれがいつも不思議でならない。


「君は……何をそんな怯えているんだ?」

「は!? 怯えてなんかねぇよ!」

 絡まれ続けるのがうざったくて黎は淡々と問いかける。すると、ハイエナの青年は露骨に動揺し、大きな声を出す。


「君の方こそ、僕に何か後ろめたい事でもあるんじゃないのか?」

「はっ……テメェこそとぼけんじゃねぇよ! 俺様がテメェの一族をぶっ殺したから……復讐するためにイレーズに入ったんだろォ!?」

 ハイエナの青年の言葉に、黎はポカンとする。


 黎が高校二年生だった頃の元旦、彼以外の親戚一同が、大神家の屋敷内で何者かに殺害された。一族の中では落ちこぼれだった黎は家に取り残されていたため、殺される事はなかったが、真っ先に警察に疑われる。志郎や彼と一緒に行った店の店員などの証言から、すぐに容疑は晴れたものの結局、犯人は見つからなかった。


 その犯人は自分だと自白してきた青年を、黎はじっと見つめ「それは本当か?」と問いかける。


「あ? いつまでとぼけてんだテメェ」

「いや、本当に何も知らなかったんだが……」

 黎の間の抜けた顔を見て、ハイエナの青年は余計な事を言ってしまったと体を強張らせる。彼のその反応に、本当の事なのだと察した黎は「フッ」と小さく笑う。


 疑いが晴れた後も黎はマスコミなどに追い回され、ネットでも好き勝手言われた。そのせいで徐々に学校に行かなくなり、三年になってからの一年間は家にこもるようになる。当然、黎にとって嫌な思い出ではあるが、決して悪い事ばかりではない。志郎が毎日、家にやってきては元気づけてくれたおかげで、徐々に立ち直る事ができた。志郎と過ごした日々は楽しかった。そして何より――


「あれは君だったのか」

「だ、だったら何だってんだよ……! 言っとくがなァ、そもそもテメェのところのじじいが」

「ありがとう」

「は……?」


 ――大嫌いだった家族や親戚から解放され、自由を手に入れた事。また、留年した事で、志郎と同じ学年になれたのが、黎は本当にうれしかったのだ。


「君のおかげで志郎君と同じ学年になれたからね。君には心から感謝しているよ」

「テメェ……それ本気で言ってんのか?」

「あぁ。だから違う未来で、君に深手を負わされた事はチャラにしてあげるよ」

「そっちはハナから知ったこっちゃねぇよ……」

 上機嫌な黎を見て、ハイエナの青年はかなり引いている。そしてこれ以上、関わり合いたくないと言いたげな顔で、足早に立ち去った。


「……彼は大神家の当主をかなり恨んでいてね。ボスの言う事を聞かずに、先走ったんだ。とは言え、元々はイレーズ全体で大神家を狙っていたからね。彼だけを恨むのは――」

「ん? 一体、何を……あぁ、彼には本当に感謝しかしていないよ。だから安心してくれ」

 フクロウの男が、ハイエナの青年をフォローしているのだと気づいた黎はニコリと笑って見せる。黎の言葉に、フクロウの男は複雑そうな表情を隠すように、ハットを深く被った。




 その日の夜、黎は夢を見た。高校時代の、とある日の夢を。


 家族から解放されても、見知らぬ人間達に追い回され、疑いの目を向けてくる者もいる。そんな状況に嫌気がさし、家に引きこもり始めてから数日後の夕方。志郎からメッセージが届く。


『二階のバルコニーまで出てこれる?」


 志郎のメッセージに『うん』と返信し、バルコニーに出た。黎と志郎が住んでいた場所は広くて大きな家が多く、彼らもその中の一つに住んでいる。


「黎クン、こっち」

 控え目な志郎の声に、黎は視線を上げる。すると、白いブレザーを着た志郎が、天兎家の屋上テラスから手を振っていた。黎も手を振り返すと、志郎はテラスのフェンスによじ登る。


「志郎君!?」

「しー。バレたら怒られるから静かに」

 イヤな予感がした黎は「危ないからやめるんだ」と志郎を止める。だが、志郎はニコッと笑い、「しっかり受け止めてね」と言う。


 大神家のバルコニーに向かって、志郎は大きく飛び上がった。黎は真っ青な顔で手を伸ばし、落ちてきた志郎を抱きとめる。が、勢いに負け、尻もちをつく。


「は~ドキドキした~」

「それはこっちの台詞だよ……」

 黎は動きが早くなった心臓を落ち着かせようと深呼吸してから、志郎の頭を優しくこついた。


「どうしてこんな無茶したの?」

「だって黎クンの家の前、マスコミとかいてジャマだったんだもん……」

「……ごめん。志郎君のところにまで迷惑かけてるよね……?」

「それはダイジョーブ! 天兎家は皆、強いからヘーキだよ」

 志郎はそう言いながら、黎のズレたメガネを直してから立ち上がる。それから笑顔で、黎に手を差し出す。黎はその手を取り、“やっぱり志郎君はヒーローみたいだ”と思った。




 それからまた時が流れ、ヘルトとイレーズの最後の戦いが始まる。


 志郎との一騎打ちの中で、感情が溢れ出て、何度も時間を戻していた事を黎は全てぶちまけてしまう。その上、本気の志郎に圧され、不利な状況になる。


 そこで、変身アイテムに仕込んでいたシステムを作動し、檻で志郎を捕らえる。その瞬間、志郎の変身も解けてしまう。


「こんなの卑怯だろ!」

 鉄格子を揺らし、怒る志郎に近づきながら、黎は人間の姿に戻る。


「なんとでも言うといい。君はそこで世界の終わりを見届けるんだ」

「そんな事にはならない。皆、必死に戦ってるんだ。絶対にこの世界を守り切るって。オレだって同じ気持ちだ」

「こんな世界……君が守る価値もないと言っただろう」

「あるよ。この世界には確かに酷い人間もいる。けど、それ以上に素敵な人達だってたくさんいるんだ。オレはそんな人達を守りたい。黎クンの事だって」


 志郎は真っすぐな瞳でそう言って、黎に優しく微笑みかける。彼の言葉と表情に揺らぎそうになり、黎は思わず、志郎から少し離れる。


「そうやってオレから逃げようとしないでよ」

 志郎はそう言いながら鉄格子に触れる手に力を込め、強引にこじ開けようとする。


「無駄だよ。人間の力じゃどうにもならない」

「ふーん……だったらこっちにも考えがある」

 志郎はそう言いながら、ポケットから黒い宝石を取り出す。それは第七の世界線で志郎が怪人になる際に取り込んだ、ウサギとスズランが描かれた宝石だった。


「志郎君……どこでそれを……」

「フクロウさんにもらった。確かこれって人間の負の感情に反応するんだろ?」


 ――あぁ、だから今の志郎君には取り込めない筈……


 黎は志郎の問いに答えず、心の中でそう考えた。けれども、それを見透かしたような笑みで志郎は黎を見ている。


「オレは今、ものすごく怒ってる! 黎クンが一人で抱え込んで、相談もなしにイレーズ側についた事に。でも、それ以上に、黎クンが……一番近くにいた大切な人が苦しんでいるのに気づけなかった自分自身に腹が立つ」

 志郎のその言葉に反応するように、宝石は彼の体内に入り込んだ。その次の瞬間、志郎は第七の世界線と同じウサギの怪人へと姿を変えた。だが、血の涙は流しておらず、優しげな表情をしている。


「よ~し」

 青い顔で唖然とする黎を他所に、志郎ウサギは檻の中で数回ピョンピョン飛び跳ねた後、鉄格子を蹴飛ばし破壊した。


 黎は反射的に大きく距離を取る。一方、志郎は勢いよく黎に向かって飛び上がり、距離を詰めようとする。その途中で志郎は人間の姿に戻り、“しっかり受け止めてね”と口を動かす。


 それに気づいた黎は、驚きながらも何とか志郎を抱きとめるが、勢いが凄すぎて盛大に転ぶ。


「は~ドキドキした~」

「……」

 黎は無言で上体を起こし、震える手で志郎をぎゅっと抱きしめる。


 志郎は迷わず、黎を抱きしめ返した。志郎の手の感触と体温に安心し、糸が切れた黎は涙を流す。


「……ごめん、志郎君。失敗する度に、どうすれば君を救えるか分からなくなって……結局、また君を傷つけた。ごめん……お願いだから、もう死なないで……」

 その言葉に、志郎は「うん。うん」と頷き、黎の背中を優しく撫でた。


「ダイジョーブ。オレは強いから……もう絶対に死なないよ」

 志郎は自分の服の袖で黎の涙を拭い、落ちているメガネを彼にかけてから立ち上がる。それから黎に手を差し出し、「今度こそ、一緒に帰ろ」と微笑んだ。黎は少し躊躇いながらも、その手を取り立ち上がる。



 程なくして、ヘルトの勝利で長い戦いは幕を閉じた。


 志郎とは違うチームの、水色の戦闘員ヒーローがイレーズのボスを倒し、戦いに終止符を打ったのだが……それはまた、別のお話。


【最後の世界線 終】

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