第3話 ここがこっちの世界のハルトの家?
「こんにちは。お邪魔しまーす」
レイラが俺より先に俺の家に入った。いつものことだけど。
「ただいま」
家に入ると小さく言う。
「レイラちゃん、いらっしゃい」
洗濯物に囲まれて服を繕っていた母さんは、俺より先にレイラに声をかける。レイラの方が母さんとよくしゃべるから。
母さんに疎まれているわけではない。たとえ二十歳過ぎても冒険にも行かない魔力ゼロの息子だったとしても、ウチの母さんはそういう親ではない。
「お帰り、ハリー」
笑顔で母さんが言う。
ウチは普通の農家だけど、贅沢をしなければそれなりに生活できる。子供に冒険を勧める人もいるけれど、ウチの親は行きたくなければ行かなくてもいいという考え方だった。
儲かるから四の五の言わずに冒険に行けと言う人もいないわけではない。モンスターは出るけれど、危険な場所に行かなければ安全だし。モンスターの巣とかダンジョンとかに行かなければ命の危険は少ない。
そしてレイラの後ろ、俺の前にいるルカを見る。
「レイラちゃんのお友達?」
母さんは不思議そうな顔をしていた。俺の友達だとは思わないようだ。友達ではないけれど。
「私はさっき友だちになったんだけど、ハリーの知り合いだよ」
さすがルカだ。あんな短時間でレイラに友だちと言わせてしまうなんて。ただ、レイラは友だちで俺は知り合い?
逆じゃないのか。レイラよりも俺の方が親しい。親しいというか……
「ルカです。こんにちは」
ペコっとお辞儀をしてルカが母さんに笑いかける。
眩しい笑顔。ほれぼれするくらい、ルカの外面笑顔は自然。親しみやすくて可愛らしい。
「あらあら、まあまあ」
母さんも例外ではない。そそくさと針仕事を止めて満面の笑みでこっちに来た。
「こんにちは」
ふっくらした笑顔でルカに言う。
「遠くから来たから、泊めても良い?」
平静を装い、でも内心ドキドキしながら言った。どうかバレませんように。
なしくずしに住まわそうと思っていた。ルカから話を聞いていないからわからないけれど、そうなってくれたらいいなという願望も込めて。親にもルカにも指摘されないうちに、ずっと住まわそうかと。
俺の顔を見て母さんの目が鋭くなる。
後ろめたさがあったためか、ギクッとした。
「ハリー、その眼鏡、どうしたの?」
口元は笑っているが、目がそうでもない。
眼鏡のことを忘れてた。外しておいた方が良かったか? でもあまりにもしっくりきすぎて外す気になれない。視界がかなり明るい。世界がキラキラ見える。
「ルカが持ってきてくれた」
小学生の言い訳のような気がしてきた。一応、こっちの世界では二十歳なんだけど……。
でもウソは言っていない。ウソはとっても怒られる。
「お金は?」
それで母さんの顔が怖かったのか? 眼鏡、高価だし。
でも自分の眼鏡に代金を払うのもどうかと思うし、どう答えようか……
「お金のことは気にしないでください。ハリーのための物なので」
とルカが答えた。
こっちの世界での俺の名前はハリーだけどルカが言うと違和感があった。レイラとずっと話していたからそれが移ってしまったのか。
「あらあら、ダメよ。高いでしょ? 眼鏡」
母さんはルカを見て言う。
いつも母さんが言っている『タダより高い物はない』が脳裏を過る。他人からむやみやたらに物をもらってはいけない。代わりに何を要求されるかわからない。
その通りだと思うけれど、俺の眼鏡だからもらい物ではない。この眼鏡代は前世の俺の親が払っている。だからハルトの手元にあったわけだし。
「この眼鏡はハリーの身体の一部なんです。外そうとしても外れません」
真面目な顔でルカが言った。
何を言っているんだ?
それを聞いて、母さんが俺の眼鏡を外そうとした。眼鏡を壊さないためになのか、そっと。
「あら? 取れない?」
母さんがつるを持つ手に力を入れてきた。けっこう情け容赦なく引っ張る。
それでも眼鏡は顔から外れなかった。
どういうことだ? ホントに体の一部になったかのように外れない。俺も外してみようとしたが外れない。眼鏡が俺から離れることを拒んでいるかのようだ。
ここで外れてなるものかという意思すら感じた。
「魔法の眼鏡なの?」
母さんが青くなった。
『ますます高価な眼鏡じゃないの』と母さんの顔が言っている。
「特殊な眼鏡ですが、これが外れないのはハリーの魔法の力です」
微笑みを浮かべてルカが言った。整った顔の微笑は美しいけれど、それがルカだと思うと胡散臭く見える。
こいつは時々こういう顔をしてとんでもないことをする。
それにさっきからルカは何を言っている?
「ハリーの魔法? ハリーは魔法を使えないのよ。大賢者様が『この子には魔力がない』っておっしゃったんだから」
母さんがサクっとすごいことを言った。
大賢者様?
なんだ、それ。
こっちの世界では魔法が生活の一部だから、子供が生まれると教会の賢者が魔力があるかないか、適正が何かを調べてくれる。でもそれは普通に教会の神父とかだった。
「母さん、大賢者って何?」
「あら、言ってなかった? あなたが生まれた時、大賢者様が祝福してくれたのよ」
「聞いてない」
「そうだったっけ? でも、大賢者様があなたを見てくれたのよ。それで、『この子は魔力がないって』おっしゃったの」
大賢者はスゴイ賢者で、こんな小さな村の農家の子供がむやみやたらに会える存在ではない。
魔法は攻撃したり守ったり戦いに使ったりもするけれど、火を付けたり灯りの代わりにしたり水を汲んだり建物を建てる前に土地を整えたり病を治したりいろいろなことができる。その魔法を使うために必要なのが魔力である。魔力が強いと魔法使いと呼ばれる魔法の専門家になる。レイラの魔力は強くて、魔法使いになれるだけの量がある。
魔力が『まったくない』はあまりない。ふつうの人間はちょっとくらいなら魔力を持っている。
ちなみに赤子の頃の話なので俺は知らない。だから大賢者は初耳だった。もしかすると、俺に魔力がないことを周囲の人間なら誰でも知っていたのは、大賢者が来てそう言っていたからなのか?
それなら納得できた。いままで自分の魔力がないことを村人なら誰でも知っていることが不思議だった。
「彼の魔力はこの眼鏡に封印されていました。ボクはこの眼鏡を手に入れて、彼を探してやってきました」
そうだったのか? この眼鏡にそんな秘密が?
……ルカが言うと嘘っぽい。でもたまにちゃんとホントのことは言う。ただそれが本当に聞こえない。ふだんがちゃらちゃらしてるから。
俺の魔力はめがねに封印されていて、それを前世の世界に置いてきてしまっていたのだから、魔力ゼロも納得だ……。
そうか? 納得できるか?
そもそもなんでルカがそんなことを知っているんだ。
それが本当なら、俺の魔力はどんな魔力なんだろうか。前から光とかいいなと思っていた。
「教会のご使者様ですか?」
母さんが態度を変え、ルカにうやうやしく言った。
違うと思うけど……。異世界からオーバーテクノロジーな
「違いますが、似たような者です」
ルカはそう言い、天使のような微笑みを浮かべる。
ステンドグラスの天使よりもかわいい笑顔……。
久しぶりに見ても、ルカの笑顔は愛らしい。
見られてよかった……。
その笑顔にごまかされそうになるけれど、似たような者って何だ?
詐欺師の匂いがすると思うのは俺だけか?
でもそういう経緯で、ルカは何日でも家に居ていい感じになった。教会の使者なら、何日居たって嫌がられない。
農作業から帰ってきた父さんに母さんが説明して、ルカは歓迎されることになった。
そして夕食の時間になり、部屋で寝ていた妹のスズナ(十歳)も食卓についていた。レイラも家に帰らず残っていたし、いつもよりも大勢で食べる食事。
「なんか、豪勢じゃないか?」
いそいそと食事を作って次々と持ってくる母さんに父さんが言った。
「ハリーが魔法を使えるようになったんだもの」
鍋掴みを持った母さんが嬉しそうに言い、チキンパイをテーブルに置いた。
「そうだな。ハリーが魔法を……」
父さんが言葉を詰まらせる。父さんも俺に魔力がないことを責めたことはなかった。魔力がなくて残念みたいなことも言われたことがない。
言ってなかった。でももしかすると、父さんは自分を責めていたのかもしれない。自分のせいで俺に魔力がないのではとか考えていたのかもしれない。父さんは適当な感じもするけれど、どちらかと言うとそういうタイプだった。
そう考えると申し訳なかった。
けど、なんか気まずい。気まずいと言うか恥ずかしいというか……。
「どんな魔法だ?」
興味津々な感じに父さんが聞いてきた。
俺も知りたい。ルカが言ってただけだし。
「眼鏡が外れないわ」
母さんが意気揚々と言う。
なんだ、それ……。
父さんが俺の眼鏡を外そうとした。
「外れない!」
嬉しそうに言う。
眼鏡が外れないなんて、地味すぎる魔法なんだけど。もっと火力ドカンとか水ジャバ―とかかまいたちみたいなのがいい……。眼鏡が外れない魔法だなんて嬉しくない。便利かもしれないけど。でも違和感はない。
「視力が良くなって魔力もあるんなら、冒険、行けるんじゃない?」
レイラが不吉なことを言った。
「眼鏡が外れないだけなら、冒険に行くのはどうかと思う」
冒険に行きたくないからすぐに否定した。
「便利なんじゃない? よくわかんないけど」
視力のよい母さんが言う。
「便利だろ、よくわからないけど」
父さんも視力がいい。
「便利」
意味が解っていないだろうスズナまで父母の真似をして言っていた。
「眼鏡が外れないだけで冒険に出ろとか無茶だよ」
無茶だと思うけれど、眼鏡があるのは便利だった。
それに薬草を摘む技術は生かせるかもしれない。冒険初期の道具屋で薬草を買う必要がない。
ルカは何も言わなかった。
異世界の料理を堪能している。
母さんの食事、絶品だし。
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