第30話 何故、お前はここに来なければならなかったのだ?

 龍源道が逆手にて抜刀し、その動作の一拍後に銘文は抜刀を行う。


 互いに、抜刀せども決して届かぬ距離である。


 それでも龍源道は届くと確信し抜刀し。銘文もまた、その居合の軌跡へ挟み込むべく刀を振るう。


 抜刀と共に。龍源道の小太刀には『竜』の紋章が浮かび上がる。


 紋章と共に放たれたそれは――刀身が伸び上がりながら銘文へと迫っていた。


 


 刀身がぶつかり合い、けたたましい剣戟音が鳴り響く。


 火花と共に斬撃が通りすぎると。互いの身体が翻りながら、紋章を浮かべる。


「『雨槍氷』」


 風と共に。長く尖った氷の槍衾が横殴るかのように銘文の紋章より龍源道に放たれ。


 目前に迫るその氷雪に、龍源道もまた紋章を浮かべる。


「『竜爪』」


 紋章より生み出されるのは、二本の腕であった。


 鱗が立った長く細い腕から、鋭い爪牙が伸び上がった指先。それが交差するように龍源道の眼前に振るわれ――爪牙による斬撃が、銘文の槍衾を斬り裂いた。


 砕かれた氷の間を抜け。銘文は小太刀を己が鞘に納め、再び抜刀を行う。


 ――鞘の中に刀身を収め。『竜』の紋章による刀身の伸びと、斬撃の方向を隠す。


 泉生における竜とは、死した魂を喰らい、その腹を通して黄泉へ喰らった魂を送り込む伝承があるのだという。


 それ故に特定位置に事物を送り込む”転移”の効果や、紋章を付与した事物の距離を延ばすといった効果をもたらすと共に。単純に伝承における”竜”の存在を顕現させる効果を持つ。


 龍源道は隻腕の剣士である。それ故、正面から斬り結ぶ戦いよりも。一瞬の機を見計らっての戦いに重きを置くようになった。


 片腕にて両腕で振り降ろす斬撃を受ける膂力はなく。更に刀身が伸び、重くなった刀を常に振るい続ける事も出来ない。


 それ故に磨いたのは、居合の腕であった。


「――腕は錆び付いておらぬようだの、龍源道!」


 龍源道より放たれし己が足元へ走る斬撃を、跳躍で避けながら。嬉しそうに銘文は呟く。


 足元からの斬撃に跳躍した様を見咎め。抜刀からの斬り上げにて龍源道は追撃を行う。


 跳躍した銘文の股下から襲い来るそれは、―ー銘文を斬り裂いた。


「な....!」


 が。斬り裂かれた銘文は、その斬撃に血飛沫を上げる事も無く――氷雪の紋章と共に。霞となり消えゆく。


「――雪霞か!」


 龍源道は苦々しくそう呟く。


 雪霞の術。それは氷雪の紋章を用いた忍の術。己が幻影を氷雪にて生み出すと共に、術者の姿を一瞬だけ空間に溶け込ませ覆い隠す幻術である。


 居合からの二連撃を放った龍源道の横手。そこには――両手で肩口に担ぐように刀を構える銘文の姿が現れる。


 その構えを、龍源道は知っていた。


「――この流氷の剣。此度は防ぎ切れるか、龍源道!」


 


 流れるような足捌きから、腰から腕先へ身体が斬撃の為回旋する。


 されど――身体が回旋しているにも係わらず。剣先は、動かぬ。


 それは。刀に氷雪を纏わせ、斬撃を押し留めているが故である。


 身体が回旋する動き全てをその剣先に乗せられた瞬間に氷雪は、消える。


 氷雪から解放されたその剣は、回旋の力全てを受け入れ。閃光の如く鋭く迅き袈裟斬りとして顕現する。


 氷雪魔道の剣技。”流氷”。


 


 その技は――かつて、入鹿銘文が中野龍源道の左腕を斬り落とした代物であり。銘文を”剣聖”たらしめた、無二の絶技である。


 居合を振り切った龍源道へ、かつて己が敗北を味わわされた斬撃が襲い来る。


 龍源道は逆手にて握った小太刀を、斬撃の軌道上に置いた。


 恐らく。このままただ己が小太刀に合わせただけならば。銘文の斬撃に押し返され、首が断たれるであろう。


 故に。龍源道は、この防護に賭ける。


 両足首に両膝。及び両肘に両手首。それぞれに、龍源道は『竜』の紋章を仕掛ける。


 瞬間。付与した部位に――竜の鱗が生え出る。


 それは『蛇』のそれとは異なる。『蛇』の鱗は軽く、柔軟性を併せ持ったものであるが。竜のそれは、硬く、鈍重である。


 己が肉体に付与せども。重く、硬い故に動く事すらもままならぬ効果にしかならない。


 だが。この瞬間。己が左腕を斬り落としたこの絶技を防ぐにあたっては――硬さと重さこそが、肝要である。


 小太刀にてその斬撃を受けた瞬間。全身の骨に染むような凄まじい衝撃が、龍源道に行き渡る。


 だが――その衝撃に身体が流される事無く。それぞれに仕込んだ『竜』の鱗が、全てを受け止めていた。


 膝も、肘も曲げられることなく。手首も返らず、足首も下がらぬ。


 肉が千切れる。骨が軋む。金切り声のような異音が、鍔競る刀同士から響き渡る。


 全身を巡る”流氷”の威力に歯軋りしながら――遂に、龍源道はその絶技を防ぎ切った。


「....見事!」


 絶技を防がれながらも、銘文は身を翻しながら更なる斬撃を浴びせんとする。


 だが――龍源道の目には、流氷を押し留められた衝撃で、動きが鈍った銘文の様が見えてしまっていた。


「――貴様も、老いには勝てぬか....!」


 若き武者であった頃の銘文ならば、こうはならなかったであろう。


 全霊の攻撃を返された衝撃に鈍った瞬間を――『竜』の鱗を解除した龍源道の返しの刃が襲い来る。


 身を翻す銘文へ向け放たれたそれは。――その左腕へ、到達した。


 肉と骨を断ち切る感触と共に――血飛沫と、断ち切られた左腕が空に舞った。


「が....あぁ!」


 左腕が断ち斬られると共に、銘文は激痛に悶えはするものの。脂汗を流し、龍源道から距離を取る。


 その機を逃さじ、と。龍源道は銘文に向け、『竜』の紋章による抜刀を叩き込む。


 斬り飛ばされた左手側。防護は不可能かと思われたが。


 龍源道の居合の軌道の最中に、挟み込まれる――”影”が存在していた。


「む...!」


 その影は薙刀を持った、女武者の輪郭を持った女であった。


 銘文は――龍源道の居合に、”召喚魔道”を合わせ。防護した。


「――くく。どうしようもない不足を抱えた瞬間、人は思考を要請される。そう、吾輩はお主から学んだ」


 銘文は――斬り飛ばされた左腕の断面を氷雪で凍らせ。脂汗に塗れた顔面に、どうにもならない笑みを浮かべ、そう言った。


「左腕を失いはしたが、ここからが吾輩が歩んできた道の全てよ。当主となり、入鹿に仕え死んでいった強者と向き合い続けてき得た力をもって――死ぬまで戦おうぞ、龍源道!」


 



 


 召喚魔道の歴史は、簡易化の歴史である。


 元々、召喚とは死者を呼び起こす為の魔道であった。


 冥府より死者をこの世に呼び起こす――この魔道を行使するに辺り、払わされる代償は凄まじい。


 死者について書き記した『書』を用意し、補助具としたところで。限定的とはいえ死者を呼び起こす奇跡を顕現するに辺り、単独の術者が行使するには重すぎる魔道であった。


 故に。召喚魔道は、呼び出す対象をより限定的に。より狭い範囲で行使される形で進化してきた。


 その者の肉体の詳細は呼び起こさず、輪郭を影で縁取り。呼び起こすのも、ただ一動作に収める。影を呼んで、動作を起こし、消す。より無駄を省き、簡易に呼び起こすという形で。


 故に。銘文が召喚魔道を行使し――その影を呼び起こし、一つの動作のみを行使させている。


 薙刀を持つ女の影。己が抜刀を防いだその相手を、龍源道は知っていた。


 弾かれ、再び刀を鞘に納め抜刀の体勢へ移行した瞬間。――影から、二つ。実体として顕現する存在があった。


 それは――眼であった。


 感情の灯らない、怜悧なそれが龍源道を捉えた瞬間。己が臓腑の底から冷える感覚が全身を駆け巡る。


「ぐ....!」


 それは、――今となっては銘文の娘、入鹿八柳のものとなった氷雪の”瞳術”であった。


 睥睨するだけでその者の内側から低温を運び込む、死の眼。


 龍源道がその視界から逃れると共に影は消える。その様を見届け、龍源道は真っすぐに銘文の懐まで潜り込まんと走る。


 銘文の表情は、笑みを浮かべながらも苦悶に歪んでいる。もう限界が近い。この攻防で最後だ。


 瞳術により凍えた肉体を叱咤し、走る。走り続ける。


 最後の影が、龍源道の前に立つ。


 それは――。


「....粋な計らいじゃの、銘文」


 得物は持たぬ。ただ、両拳に氷雪を纏いた女の影であった。


 龍源道はその影に――少し切なげに目元を下げ。されど、躊躇いなく刃を振るう。


 影の左拳が開かれ氷雪の壁が生まれると共に、龍源道が振るう小太刀にその壁に埋まる。


 氷は斬撃に耐えられず砕けるが。僅かながら、その剣先は鈍くなる。


 その僅かながら生まれた時間を埋めるように――影は、龍源道の腹部へ踏み込みと共に右拳を叩き込んだ。


 氷雪の加護を纏い。踏み込みにより発生した力を完全に通したその鉄拳は――まともに喰らわば、骨ごと内臓を破壊する殺人拳であったろう。


「――幾度、お主に骨を砕かれたろうな。....梅木よ」


 龍源道の腹部には。竜の紋章により生み出された鱗が拡がり。その鉄拳を防いでいた。


 遅れて放たれた龍源道の斬撃がその首を裂き、影は消え去る。


「――これが、最後じゃあ!龍源道ォォォォ!」


 消え去った影から追撃するように右手を振り上げ、銘文が上段から龍源道に斬りかかる。


 隻腕であろうとも。――剣聖とまで呼ばれた男の斬撃は、何一つ歪まず、真っすぐで、美しかった。


 その美しい軌跡から逃れず。むしろ、その軌跡に足を踏み入れ。龍源道は踏み込みと共に斬撃を放った――。


 交差する両者の肉体と、斬撃。


 刃が血に濡れしは――龍源道の小太刀であった。


 空に舞う血飛沫と共に、――銘文は、斬り裂かれた己が肉体を一瞥し。満足そうに笑み、膝を折った。


 


「――いざさらば。最後に戦えて、吾輩は満たされたぞ....龍源道よ」


 ただそう呟き――塔の最中。どしゃり、と倒れ込んだ。


 流れ出る血が、ただただ。何もない塔の中を濡らしていった。


「は....はは....」


 その満足気に逝った、友の顔を見て。


 ――血に塗れた龍源道の胸中に飛来せしは、ひたすらな敗北感であった。


 挑まれた勝負。それも――己が人生を変える程に強烈な敗北を与えた男との、最後の決闘。その果てに得られた、勝利。


 そうだというのに。己の内側の空洞は、何一つ埋まることなく。生き残ってしまった、という事実だけがそこに存在していた。


「何故だ....何故、こんなにも....」


 もはや。最初に持ち合わせていた妬み憎しみすら冷風と共に消え。より寒々とした空虚だけが、取り残されてしまっていた。


 



 


 ふらふらと龍源道は塔から出ると。地面に紋章を刻み付け、アランへと合図を送る。


 ――任務は失敗した。入鹿の『書』は、既に霊媒機構に接収された。


 銘文は『伝聞』の紋章にて簡潔に状況を伝え。――なんとなしに、空を見やった。


 しんしんと雪が降りしきる中。彼方より、爆音混じりの戦闘音が他人事のように消えゆく。


 ――その最中。雪色の鷹が上空を回旋するのが見えた。


「.....」


 鷹は地面へ降り立つと、その姿を人間へと変える。


 白の羽織を着込んだ、顔が焼け爛れた長い白髪の少年。


 少年は――開かれた塔の門と。血に濡れた龍源道の姿を見て、全てを悟ったようであった。


「....ああ、隻腕の小太刀使い。覚えているぞ」


 そして。少年はそう呟いた。


「――梅木様を殺した凶手か」


「....」


 少年の目は――困惑の目に染まっていた。


「なあ....一つ聞いてもいいか?」


「何だ...?」


「お前は、梅木様の想い人だったんだろ。なら....何で、魔王が滅びた後まで、その残党に付き従っているんだよ....!」


「.....」


「故郷と天秤をかけて、お前は梅木様を殺したんじゃなかったのか?なら、何故お前はここにいる?」


 問いかけに、龍源道は....立ち竦んだ。


 今更になって、言葉が詰まる。言えばいいではないか。己の全てが失われてしまった憎しみを。全てを護り切った銘文への妬みを。ただ、銘文にも味わわせたかった。その全てを、己が手で奪う事で。


 だが。こちらが奪う前に、もう銘文は全てを捨てていた。


 そして。今己は――銘文が望むまま。そう言った目的や意義から離れた戦いの果てにいる。


 ――なんだ。なんだ、これは....?


 少年から滲み出る困惑と純粋な疑問から、己の本心が燻されていくのを感じる。


 先程銘文と対峙した際には言えた本心だ。ただ憎んで、妬んで、この場まで来た。それこそが答えだ。


 だが――今更となって、何故か言えぬ。言葉に出来ぬ。認められぬ。この少年を前にしては、どうしても言えない――。


「黙れ....」


 漏れ出たその言葉は、龍源道の無意識から滲んだ代物であった。


 黙れ。黙れ。そんなもの、答えたくない。認めたくはない。


 その無意識の叫びに――龍源道の表情は、深く深く歪んでいく。


 少年は。その歪みを非難するように強く強く、その表情を睨みつける。


「情けねぇ面ァしてんじゃねぇ!答えろ!」


「貴様に聞かせる義理などない.....!」


「聞かねばならない理由はある!――俺は入鹿の忍で、梅木様の弟子の白鷹だ!」


 最早。意味どころか、戦いたいという意思すらも存在しない。


 それでも、龍源道は己が得物を手にかけた。


 それは、もうただ。己が心を守るための戦いの為。心底から湧き上がる絶叫の如き戦闘の行使であった――

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