第27話 性癖は変えられぬものに非ず。故に、制御せよ

「他者による結界の解除方法は二つ。結界に付与された紋章の効果が切れるまで待つか、結界に負荷をかけて紋章を擦り切れさせるか」


 入鹿の屋敷に侵入したアラン・龍源道・ルイスの三者は、騒動に紛れ――入鹿の塔の目前まで来ていた。


 ただでさえ屋敷にいる兵士が少なかったうえに。アランの召喚魔道の対応に更なる人数が割かれ、屋敷の中はほぼもぬけの殻であった。


 屋敷の構造を知っていた龍源道に連れられ、三人はあっさりと本丸まで到達した。


 塔を囲む巨大な結界は、氷雪の紋章により区切られている。


 凍えるような空気を湛えた『氷雪』は――足を踏み入れた瞬間に、身体全体を凍り付かせる、強力な代物である。


「氷雪の結界は、私の灼熱の魔道で負荷をかけられるわ。――離れておきなさい」


 アランは――己が両手の指を合わせ、その狭間に三角の空間を作り出すと――その狭間に紋章を刻み付ける。


 紋章は光を宿し、煌々とした灼熱を生み出すと共に――塔を囲む結界を更に囲むような、火柱が立つ。


 白色の光を撒き散らす激しい火柱と、氷雪がぶつかり合う。


 高温と低温がぶつかり合い、ばちばち、という異音が鳴り響くと共に――水煙が跳ね上がっていく。


 それは衝撃と共に雪と土を巻き上げ、灰色交じりの煙が辺りを覆っていく。


 煙に塗れた空間の中。


 塔を取り囲む『氷雪』の結界は、その姿を消していく。


「解除したわ」


「うむ」


「手早くね。多分、こっちにも手勢が来るだろうから」


「承知した。――では、頼む」


 頼む、という言葉と共に。龍源道の頭上に――『蛇』の紋章が浮かび上がる。


 己が尾を噛みしその『蛇』は――ぐるり、左回転する。


 瞬間。龍源道の姿は、霞へ消える。


 ――『蛇』の紋章には複数の効果がある。


 蛇は、古来より不老不死の象徴とされていた。蛇に備わった生命力と、幾度となき脱皮を繰り返しその姿を変える様が。死をも乗り越えんとする姿に映ったのだろうか。


 そういう象徴的な概念をもこの紋章は含んでいる。


 ――回帰


 紋章を用いて時を戻す、『蛇』の秘奥である。


 左回転した『蛇』の紋章が消え去ると共に――霞に消えた、龍源道が再び姿を現す。


「あら。随分と男前じゃない」


 それは、壮年の頃の龍源道であった。


 細身の老人の姿から、黒髪の偉丈夫へとその姿を変えていた。


 一回り体格が大きくなり隆々とした筋肉が羽織の下より張っている。肌には血色が戻り、白んでいた目にも確かな黒色が戻っていた。


 断ち切られていた左腕はそのままに。――中野龍源道は、その全盛の肉体を得た。


「でも美しくはないわね。よかったわ。まだ貴方の事は嫌いにならずに済みそう」


「そりゃよかったわい。――で」


 水煙の最中同時。龍源道の目には、煙に紛れた何者かの影を見た。


「お前は、誰だ?」


 


 そう龍源道が問いかけると。影は、煙が晴れると共にその姿を現す。


「――君は、汚れた器に盛られた馳走を口にする事が出来るかい?私には、出来ない」


 黒の燕尾服とシルクハットを着込んだ、中性的な女。


 女は。その端正な顔に、惜しむような哀しみの表情を刻み込んでいた。


「最上の素材と調味料を用意して。一級の料理人が拵えた馳走を、愚にも付かない泥まみれの器に盛りつけた。――それが君だよ、アラン・クスフント」


「あら、私をご存知?」


「知っているさ。――ああ。君のおっぱいはこんなにも美しいのに」


 燕尾服の女は、己が左手に握るステッキを軽く捻ると――取っ手よりサーベルを引き抜いた。


「――君がかつて小国を滅ぼした際。顔が美しかった宮廷の者を全員縛り上げて。民の前で笑いながら嬲り殺しにしたのもね」


「....」


「こんなに素晴らしいおっぱいを持っていて。付随する身体もこんなにも美しいのに。その心内は嫉妬と憎悪に満ち、他の美しさを認められない狭量で腐れた汚物そのもの。――このおっぱいは食べられないよ。残念だけど」


「.....あァ?」


 燕尾服の女の言葉を耳にし――アランのこめかみに青筋が浮き出る。


「はっきり言ってやろう。――君は醜い。死んでしまえ」


 その言葉は、静寂の中しん、と染むように響き。


 その音が染みたように――アランの表情に変化をもたらす。


 引き攣った口元に開き切った目元が――漏れ出た憎悪と憤怒の存在を薫り立たせていた。


「――いい度胸よ。貴女のその顔も、あの連中みたいにズタズタに引き裂いてやるわ」


「ふ。たとえこの顔が傷塗れになろうとも。私の美しさは私の魂そのものに刻み込まれている。好きにすればいいさ。――出来るものならね」


 アランもまた右手を掲げ――その手に灼熱を呼び起こす。


「では。予定通り、儂は塔へ向かわせてもらおう」


 そう言う龍源道の声すらも、アランは無視した。


 その様を見て「くわばらくわばら」と龍源道は特に気にもせず、塔へと向かっていった。


 ローウェンは追うかと思いきや。その姿を一瞥し、ただ見送っていった――。


「――けひ」


 


 アランの右手に宿した灼熱が火を噴く。。


 それは、味方であるルイスすらも巻き込む爆炎として顕現する。


 轟音と共に周囲の木々を薙ぎ倒し、大火が周囲に振り撒かれる。


 ――炎に視界が潰れ、轟音が鳴り響く最中。それらに紛れた弾丸が、アランの死角より放たれた。


 


「――そんなのに当たるほど、ボケてはいないわ」


 その弾丸の軌跡は爆炎を生み出したアランの頭部へと向かうが――魔道を行使した直後に、彼女は爆炎の中にいたルイスの首根っこを掴み上げていた。


 そして。弾丸の軌道上に掴み上げたルイスを置き――己に向かう弾丸の盾とする。


 爆炎で全身が焼け焦げたルイスの腹部に、弾丸が埋め込まれる。


「....!」


 爆炎に呑まれようとも表情一つ変えなかったルイスの顔面が、苦痛に歪む。


 ただ弾丸に撃ち抜かれた痛みではない。己が脳幹に直接注がれる、激痛。


 爪を剥がされた指先に鉄槌を落とされる。生皮を剥がされ、その上から火炙りにされる。様々な痛みの記憶が全身に走ると共に、盾の役割を終え、ゴミを投げ捨てる風情でアランに投げ捨てられる。


「あ....ああああああああああああああああああああああ!」


 ルイスは倒れ込みながらも、全身に走る激痛に身体が動かなくなる前に、弾丸が埋め込まれた腹部に指先を突っ込み摘まみ出さんとする――が。


 弾丸に触れた指先からも、同じだけの激痛が走り、思わず指先を弾いてしまう。


「あら可哀想に。盾にされたのですね」


 激痛にぼやける視界の中。ルイスは――もがき苦しむ己が姿を、何処までも楽しそうな笑みと共に見つめる誰かの顔を見た。


 そして――撃鉄の音と共に、その視界は潰される事となった。


「――さあ。これで二対一ですわね」


 


 新たに現れし刺客は、ルイスの頭部に追撃の弾丸を二発叩き込み。微笑みと共に、アランの前に立つ。


 黒と紅を基調としたドレスを着込んだその女は。その手に、無骨な回転式拳銃を握り込み――爆炎に巻かれた己が相棒に声をかける


「ローウェン。生きておりますわね」


「当然だとも、ケイオゥス。――とはいえ、少し肝を冷やしたけどね」


 


 爆風が晴れると共に。炎の中心にいた燕尾服の女が姿を現す。


 女は己が周囲に紋章を刻み、結界を敷いていた。その身を中心に――逆巻く風が女を包み込んでいる。


 その紋章は、『疾風』という意味の代物であった。


 紋章が風を巻き起こし――爆炎とその衝撃から、女を守っていた。


 ――アランの大技に紛れ、放った一撃。視野を潰し、音すらも轟音に消したそれは。されど、アランに届くことはなかった。


「――けひ。ああ、貴女は好きだわ。見てくれはどれだけ良くても、笑みは何処まで行っても醜悪だもの」


 アランは歪みに歪んだ笑みを浮かべ――歪みに歪んだ笑みを浮かべるドレス姿の女を指差した。


 ドレスの女の顔は、悦楽に耽るような。貪るような。欲に塗れた、歪んだ笑みを浮かべていた。 


「あら。わたくしの笑みを醜悪と断ぜられる程度の価値観は持ち合わせていらっしゃるとは。中々意外でしたわ。――わたくし、人が苦痛に悶える様が大好物ですの。それを見て昂奮している様は、さぞ醜いでしょう。わたくしも、貴女のような存在を心から愛していますわ」


 


 ドレス姿の女――ケイオゥスは、そうアランを前にして言った。「愛している」と。


「己に刻み込まれた性癖はどうにもならないのですから。考えるべきはどう付き合うかです。わたくし、人が苦しんでいる様を見る事と同じように――善良で、毎日を精一杯過ごしている人もまた大好きなのです」


 その時。ケイオゥスは、己が性癖に満たされた歪んだものではなく。慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「友の為を思って勇気をもって行動する人を見ると胸がいっぱいになりますし、夢を追って日々努力している人を見ると思わず頑張ってと言いたくもなる。恋人たちが愛を語らう姿を見ると笑みが零れ、悲嘆に暮れる人を見ると胸が締め付けられてしまう。わたくしには、そういう――普通だったり。優しく、誠実であろうとする人々が苦しむ様だけは見たくないのです....!」


 だから、と続ける。


「わたくしは貴方のような悪人が愛おしい!何故ならば、貴方のような人であれば何の躊躇いもなくわたくしの欲求を満たせるのですから!わたくしの愛する人々を傷つけ殺める貴女ならば!たとえ生皮を剥いで肉を斬り裂き爪を剥がし骨を砕き舌の根を斬り伏せ喉奥を締めようが――わたくしの中に確かにある良心が痛む事なんて、これッッッッッッッッッッッッぽっちもないのですから!」


 


 言葉を続ける度に。ケイオゥスの言葉は、己が内側から漏れ出す昂奮を抑えきれなくなっていっているのか。その語調は強く、荒くなっていく。


「なので――その顔を苦悶で歪ませて下さいまし。それだけが、わたくしの望みですわ」


「....けひ。貴女もイカレているじゃない」


「狂気を宿してはいますが。狂いきってはおりませんわ。上手に、付き合っているのです。だから――」


 三者は、共に――殺意をその目に漲らせ対峙する。


 互いが互い、不倶戴天の相手を前に。憎悪に笑む。


 疾風が走り、灼熱が輝き、銃声が響く。狂気と共に、殺し合いが開始された。


「わたくしの狂気を発散させて下さいまし」


「嫌よ。――その下らない狂気に呑まれて死になさい」

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