第26話 幾度探せども見つからぬもの

 丘を降り雑木林に入り込んだ狼の召喚体の群れは、木々を確認すると共に広域に散らばり始めた。


 背後より追いながら狼の背後より魔道にて仕留め続けていた白鷹と八柳であったが。――明らかに、処理が間に合っていない。


 狼の数はざっと百体以上はある。木々で区切られた雑木林の中を散らされてしまえば、どうしても手数が足りない。


「――森の入り口で兵員が陣形を組み始めていますね。せめて兵が集まり切るまであの召喚体を留めておければいいのですが」


「八柳が先回りして、雑木林の区画の一部分だけでも結界で区切ったりは出来ないか?」


「先回りするだけならばどうにか出来るでしょうが....今の八柳は、大規模な魔道を用いるには紋章による術式構築か詠唱が必要となります。森の入り口を覆う程度となると、時間がどうしても足りません」


「.....」


 もしも――八柳の瞳術が生きていれば、どうとでもなる状況だったのだろう。それを自覚し、白鷹は唇を噛む。


 この状況は、八柳が己を救った事によって生まれている。ならば、自分で解決策を編み出せ。――八柳の瞳術が封じられているのは、己の所為なのだから。


 ぐしゃ、と。白鷹は深くなっている雪に足を取られた。


 瞬間。あ、と呟いた。


「――八柳」


「はい」


「八柳の足下から、この雪を通じて森全体の地面を凍り付かせるのは――術式の構築は必要か?」


 その問いかけを聞いた瞬間に、白鷹の狙いが理解できたのだろう。


 間髪入れず「可能です」と八柳は返答を行う。


「ならば――頼んだ」


「了解しました」


 


 八柳はそっと足元より左手をつけ、軽い詠唱を唱えると――手に付いた雪を起点に。大地を凍らせていく。


 森を疾走していた狼の影を追うように降り積もりし雪は凍り付いていき。その足を絡めとっていく。


 即席かつ広範囲に及ぶ氷雪の魔道故。氷そのものの強度は高くない。多少狼の召喚体が藻掻けば、容易く砕ける程。


 だが。それでも僅かな間であるがその足を止める事が出来た上に――その後の動きも鈍化させる。


 凍り付いた大地。狼は幾度となくその足を滑らせ、全力疾走がしにくくなる。


「――今のうちに、数を減らしていきましょう」


「応!」


 


 八柳は刀を手に凍り付いた大地の上を滑りながら、白鷹は木々の合間を飛び跳ねながら、それぞれ狼の影を斬っていく。


 その時。白鷹と八柳の目には――両手に鎌を持った猿の影が木々の間を抜け、狼を斬り裂いていく様が映る。


「――赤猿か!」


「いかにも、ワタシである。――そして」


 白鷹の眼前に、赤目赤髪の忍が狼の影の首を縛り上げながら現れる。


「俺も来ているぞ!」


 凍り付いた大地を踏み砕きながら拳を突き出し、突っ込んでくる狼の影を叩き潰す男の姿があった。


 男は近場の狼の影を徒手で潰すと。懐より紋章符を取り出し、赤猿の背後を取っていた影を潰していた。


 それは――水仙の羽織を着込んだ色男、倉峰源太郎であった。


「援護、感謝します」


「うむ。――しかし、この大量の召喚体は....」


「八柳を狙った下手人を捕らえた時に、最後っ屁に出された」


「そうか....。」


 


 その報告に――源太郎が怪訝そうな表情を浮かべる。


「どうした、源太郎」


「....どうにも嫌な予感がするのだ」


 


 源太郎と赤猿の参加により、森の中の狼の影は順調に駆除されていっている。


 森を囲う兵員の陣形も整い。討ち漏らした狼の影も、入り口付近できっちりと仕留められていっている。


 だが――今もまた兵をこの森に集められている状況が、源太郎には何かしらの作為を感じていた。


「――玄賽様が出兵する羽目となった山賊の襲撃。そしてこの狼の召喚体の襲撃。そして、これらが祭という状況下で行われている、という事。恐らく、敵はこちらの処理能力を圧迫しに来ている」


「....処理能力の圧迫?」


「玄賽様の出兵。祭。そして、この騒ぎ。――玲瓏の兵が出兵で減らされている上に、祭の警護に多くの兵が割かれたうえでこの騒ぎだ。――兵の処理能力を圧迫し、兵の数を偏らせ、何処かに穴を作ろうという作為を感じる」


「穴....」


 源太郎の、その言葉の答え合わせとでも言うように。


 ――入鹿の屋敷の方角から、悲鳴と共に火の手が上がるのが見えた。


「――まさか」


 入鹿の屋敷からも兵員の怒号が聞こえると共に。火の手が見えるは――屋敷の最奥。入鹿の当主、銘文が住まう塔の近くであった。


「敵の狙いは、銘文様か....!」


 兵員の圧迫により。入鹿の屋敷に留まる兵員の数を減らし、また兵員の位置を偏らせ――その間隙を突き、屋敷への襲撃を行う。


 敵の策の全容が暴かれた瞬間。八柳は、白鷹を見る。


「――白鷹」


「.....」


 八柳の言わんとしている事は解る。己が父親の危機である。今すぐにでも向かいたいに違いない。


 だがあくまで白鷹が与えられた任は、八柳の護衛である。下手人が現れれば共に仕留めろ、とも言われたが。わざわざ危機に赴こうとするならば、止めねばならない立場である。


 だが。


「行こう」


 ――それでも。どんな結果が待っていようとも、八柳に後悔はしてほしくなかった。


 だから迷いなく、そう白鷹は八柳に言い切った。


「ここの狼、任せてもいいか。赤猿、源太郎」


「うむ。任された」


「応。さっさと行ってこい、弟弟子よ」


 赤猿と源太郎の二人にも背中を押され――白鷹と八柳は、互いに視線を交わし、一つ頷いた。


「俺は空から真っすぐ塔へ向かう。八柳は道中の屋敷の兵と連携して、塔へ向かってほしい」


「心得ました。――では、後程」


 白鷹は鷹となり空を飛びあがり。八柳は己が足元より氷の道を作り、滑走していく。


 徐々に近くなる怒号と悲鳴の声を聞き、白鷹の頭より何かが鳴り響く。


 ――無事であって下さい。銘文様.....!


 



 


 ――この塔が、いずれ吾輩が継ぐ事になるであろう全てだ。


 


 そう言って、銘文は己が親友にそれを見せた。


 結界が張られた、古ぼけた塔である。


 豪奢な飾りもなく。色も暗い、貯蔵庫の如き塔。入鹿の当主となると、この塔に住まう事となる。


 ――お主が編纂してくれた、泉生の魔道も。写本した後にここに収まる事となる。


 ――ここは、入鹿の魔道が納められているのだな。


 ――ああ。ここには、入鹿の魔道と武道の全ての目録と。そして、歴々の『書』が納められている。


 


 ここが入鹿という家の全てである、と。銘文は言っていた。


 ――我等は指南役であるからな。伝え行くのが役目だ。連綿と続く我等の兵法こそが唯一無二の財よ。


 ――入鹿の血肉か。


 ――否。骨だ。なければ血も廻らず、肉も付かぬ。吾輩が継ぎ、そして死ねば。吾輩の『書』もまたこの塔に収められる。こうして、続いていく。戦の世を生き抜くためにな。 


 繋いでゆかねばならぬ。継いでゆかねばならぬ。途絶えれば、死ぬのだ。


 そう銘文は言っていた。


 この塔もまた。何者かの屍の上に立っている。戦しか知らぬ者共が、戦の中で作り上げ、戦の中で死してこの中に収められる。


 そうした堆積の連続こそが、この中に収められている諸々である。戦の為に磨き上げられた魔道の数々が。戦の為に生きた者共の魂が。


 ――いずれこの塔に住まい。そしてこの塔の一部になる。それまでが、吾輩の人生よ。吾輩は、必ずや当主となる。


 戦しか知らぬ。戦の為に生きる以外の道も存在しない。そうして生きて、死んでいく者達。


 そうした歴々の者達も。これからそうなっていく者達も。


 その全てから目を逸らさぬ為に。銘文は、己が当主になると心に決めていた。 


 



 


「.....」


 


 塔の中。


 銘文は一冊の『書』を捲っていた。


 巻物の上に、古代文字により描かれたそれは――もう幾度となく書き直し、幾度となく読み返してきたもの。


 己が妻の、『書』であった。


 


 召喚魔道の補助具である『書』は、死者の一生を古代文字にて記したものである。


 死者が生前書き留めていた己が一生を綴った伝書を、古代文字に明るく召喚魔道に通じた魔道使いが翻訳し再編する。


 召喚魔道の補助具として扱える程の精度で『書』の再編を行える魔道士はごく僅か。


 銘文は――その一握りのうち一人である。


 


 追憶の時間である。『書』は、その人物の心までも読み手に伝え来る。


 その者が生きてきた中で起きた感情の起伏や感覚質。何が好きで、何が嫌いか。その者が持つ記憶と共に。その記憶に付随する人としての在り方が。


 ――これを書き上げるために、銘文は召喚魔道を修めた。


 己は、戦に勝つべく妻を生贄にした。力が弱まり、完全に消え去る前に――八柳にその力を継がせるべく。


 その力故に、表情はなく。そして内心を言葉にする事はほとんどなかった妻を、銘文は思った。


 もし――押し隠した最後の想いに、銘文への憎悪があったというならば。


 それを知らねばならぬ。贄として捧げた側の人間として――。


 だから今日も、銘文は幾度と読み返しては。彼女の感情を探し続けている。もう既に書き切ってしまっていて、何度も読み切ってしまったそれを。


「.....それも。今日で終いだ」


 銘文は巻物を収め、一つ目を閉じる。


 思えば、幾つもの死者と己は対峙してきた。


 この塔に収められた、強者たちの『書』を。その中にある、感情が付随した記憶の数々を。


 渦巻く戦争の風に巻かれ死んでいった者達の想いを。


「愚かな友よ。――愚か者同士、精々踊るとしよう」


 ――あの『竜』の紋章が現れた瞬間より。銘文は、全てを予感していた。


 きっと。あの男が、己の眼前に来るのであろう。かつて左手を斬り落とし。それを端として、友となったあの者が。


「決着をつけようぞ――龍源道よ」


 


☆彡


 


「ルブルスが逝ったか....」


 


 彼方より見えた赤い光を一瞥し、そう龍源道は呟いた。


 その表情は、何とも言えぬ虚無を宿していた。


「――やはり。ホムンクルス一体じゃ足止めが精々って所ね。中々手強いじゃない」


「そうですね」


「....」


 隣にてそう呟くアランと、その言葉に淡々とした返答を行うルイスに、特段表情の変化はない。


 使い捨ての道具が、その用途を果たし壊れた。アランはおろか、同じ立場であるルイスもまたその程度の感慨しか持っていないようであった。


 己も、きっとそうであろうと思っていたというのに。


 胸の内側、靄がかった何かが降り積もるのを。


 ――中野龍源道の目的は、入鹿が戦乱の間に貯蔵し続けてきた魔導書の簒奪である。


 それは、『教団による叡への侵入』という目的に付随した代物である。


 北方の氷晶結界から侵入し、教団の手先を引き入れると同時。そのついでに――北方の雄である入鹿家の財を奪う。


 全てはその為の仕込みであった。


 祭に合わせ民への襲撃を匂わせたのも。山賊を餌に吉賀玄賽率いる軍勢を引き出したのも。そうして、ルブルスの命を対価に入鹿八柳を引き付けているのも。


 全ては――入鹿の塔を襲撃する為の仕込み。


 祭に多くの兵が割かれ。師範の一人を玲瓏の外に引き付け。――その間隙を縫い、入鹿の財を奪う。


 ルブルス・アラン・龍源道・ルイスの四人は顎砲山に潜めていた”竜”の紋章から再度玲瓏の地に訪れ。


「ま、ちゃんと予定通りよ。――瞳術使いの女を引き付けているうちに、こちらも騒動を起こして屋敷の兵を引き付け、その隙に塔へ向かう。私が塔の結界を解除して、リュウゲンドウが塔にいる当主を殺して、”玉石”をもって塔にある魔導書を竜の紋章で送り込む」


「とはいえ。入鹿八柳がこのまま暗殺を恐れ引っ込んでくれればよいが。真っすぐこちらに向かった場合、こちらが離脱する頃にはここにやって来る事になる。――あの瞳術は厄介じゃ」


「大丈夫。――恐らく氷晶結界の解除と封印に瞳術を使っているから。今は使えないわよ」


「そうなのか?」


「そうでもなければ、あの短時間で結界の解除なんて不可能よ。――仮に追手として来ても、瞳術がないならそこまで不安視する事はないわ。安心なさい」


 顎砲山の麓を降りるとすぐ、入鹿の屋敷が見えてくる。


 高い石垣の四方に見張り台があり。門番の姿も見える。


 しかし。一見して判別できるほどに、兵が少ない。巡回の兵もまばらで、四方に設置された見張り台の上にも一人しか兵員がいない。予想通り、祭に多くの人員が割かれているのだろう。


「では――作戦開始よ」


 アランはそう言うと。己が手に『書』を呼び起こす。


 同じ手管である。呼び起こした『書』の上に、”玉石”を置く。


 赤い光が漏れ出ると共に現れるは、――沼地であった。


 



 


「――あぁ....ああああああ!」


 雪が降り積もる白色の地が、泥色に呑み込まれる。澄み切った寒色の空気は、湿り気を帯びた――腐臭に、変わっていく。


 泥の匂い。腐敗物の匂い。血の匂い。汚濁混じりの水辺には、あらゆる生物の死が沈殿している。


 死肉を溶かし沼とする。腐敗の泥から――棘がびっしりと付いた蔦が、射出されるが如く伸び上がっていく。


 それは巡回する玲瓏の兵を捕えると。返しの付いた棘がその血肉を斬り裂き。骨に引っ掛ける。


 捉えられた兵共は絶叫と共に蔦に引き摺り込まれ。声は没溺に消え――汚泥に全身を溶かされ、絶命する。


 


 沼地から大泡が立つと共に。嘴の如き蕾がくっついた、巨大な茎が生え出る。


 泥という羊水から、蕾は花弁へと変わりゆく。


 開く花弁の中心。そこには、異形がある。


 下半身及び両腕が花弁に呑まれた、泥色の肌をした女であった。恐らく――この女が、この沼地の主なのであろう。


 女は、巨大で、大きく露出した眼球で周囲を見渡すと。その口元を憎悪に吊り上げると――絶叫を上げる。


 空を劈くような、耳朶を斬り裂くような。その声と共に――沼地より這いずるが如く、何者かが現る。


 泥人形、とでも形容しようか。弾力を持った汚泥が人の形を象り、腐敗臭を撒き散らしながらゆっくりと歩んでいく。


「――気ぃつけろ!このくっせぇヘドロ、刃が通らねぇ!」


「魔道で凍らせるぞ!氷雪の結界を作って盾にしろ!」


「あの人形を城下まで向かわせるわけにはいかねぇ!死ぬ気で止める!」


 刃が通らぬ相手を前に、玲瓏の兵は即座に魔道での応戦に切り替える。


 氷雪の結界を形成し。歩く人形を凍り付かせていく。


 されど。人形の背後より、棘の付いた蔦もまた襲い来る。


 蔦は氷雪の結界に動きを鈍らせながらも、前進は止まらず。兵を捕らえんと襲い来る。


 騒ぎを聞きつけた兵士たちが、続々と謎の沼地が召喚された場に集まっていく。


 


「――『氷衾』!」


 前線にて結界を張り、蔦を斬り裂いていた前線の兵が、終ぞその左腕が蔦に囚われた。


 肉を裂く激痛と共に、己が命の終わりを覚悟した瞬間――眼前に十文字槍が天より一本振り落ちる。


 十文字は兵を捉えた蔦を斬り裂くと共に、その刃に籠められた魔道が発動。泥人形共の前に立ち塞がる、氷の壁となり顕現した。


「.....冬扇様!」


 突き刺さった槍と、その氷壁の背後。凛然とした女が天より降り落ちる。


 女は――怒りと昂奮をない交ぜにした感情と共に、それらを内包するように口元を歪め。眼前の槍を引き抜いた。


 乱れた髪をなで上げ。女は槍を手に取る。


「――刀が得意な者は氷壁の前に立って蔦の対処を行え。残りは氷壁の背後で結界を維持」


 女――伊万里冬扇はその目を怒りに見開き、口元は殺意に吊り上げ、周囲の兵に指示を出す。


「私は、あの汚らわしい泥沼の主を仕留めに行くわ。他の者は援護しなさい」


 溢れ出る泥人形と、腐敗臭。その根源たる沼地を見て、冬扇は槍を手に走り出した。


 その様を見届け――物影にて騒動を見守っていた三つの影もまた、石垣を飛び越え侵入していった。

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