戦に生きた者共よ
第25話 全ては他人事の中
「白鷹」
「ん?」
白鷹が来禅より護衛の任を受け、一日が経った。
祭の当日となり、更に賑わいが増した城下を二人は歩いていた。
とはいえ。元より八柳を餌に敵を釣り出す事が前提であるため。人通りの多い場所には出歩かず。喧騒を遠巻きに眺めていた。
己の身を囮に敵を炙り出す、という危険極まる状況下であるが。やはりというか、緊張している様子もなく。彼女は泰然とした風情で、周囲を見回していた。
見回りが一段落し。二人は城下より離れた場所に向かい。八柳は外れに茶屋を見つけ、その席に座る。
丁寧な口調で店の者に茶を頼むと。八柳の姿を一瞥すると同時に慌てた様子で茶が出てきた。
白鷹はその様子を伺いながら、周囲の警戒を続ける。
「常に警戒を続けるのも気疲れするでしょう。ご一緒にいかがですか?」
「いや。気持ちはありがたいが、俺の役割は....」
「八柳の護衛ですね。――ならば、そうですね。今出されたこの茶の毒見をお願いできますか?」
「.....」
そう言われ、白鷹は無言のまま八柳から茶碗を受け取ると。少しだけ茶を口に含ませる。
舌先で少し泳がせ、異常がない事を確認すると同時。白鷹は茶碗を返す。
「ありがとうございます。では、頂きます」
茶碗を返すと共に、ジッと八柳は白鷹を見つめ。視線を己が隣に移す。
言葉もなく表情もない、その視線の動きは――そこに座るように、という意思表示。
白鷹は、嘆息と共に仕方なしにそこに座った。
「――あまり気を張らないで下さいね。八柳は護衛対象ではありますが。下手人が現れた際に共に仕留める為の相棒でもあります」
「そうは言っても、今は気を張るべき所だ」
「ここで易々と不意を打たれ命を落とすようならば、八柳がこの入鹿の師範の座にはおりません。ご安心ください」
「.....」
意外だな、と白鷹は感じた。
八柳は、あまり己の力を誇示するような言葉は使わない。誰に対しても物腰は柔らかく。己の力をひけらかすような事も滅多にしない。
恐らく。張り詰めている様子の白鷹への気遣いであろうか。
「白鷹。――八柳もまた、貴方の言葉について考えてみました」
「.....?」
「八柳がやりたい事と、やらねばならない事。その双方についてです」
己がやりたい事と、やらねばならぬ事。この二つが眼前に存在するが故に、八柳は悩みの中にいるのだと白鷹は言っていた。
その言葉に対して、明確な答えを出さねばならないと八柳は思った。白鷹自身が、八柳がやるべき事を背負うのだと言ってくれたが故に。
「八柳は学園に行きます」
「.....そうか!」
その言葉を聞いた瞬間に、白鷹の顔に隠しきれぬほどの喜色が零れる。
あの時、白鷹が八柳に掛けた言葉の全てが嘘偽りないものであったと。そう言葉がなくとも伝わる、表情であった。
無表情の奥。己の感情がまた胸に降り積もるような感覚が芽生える。
以前は、澱みのようであったが。今、感じるそれは――雪のようであった。
降り積もり、溶ける。溶け行くそれに、涼やかさだったり爽やかさだったり、凛としたものが流れ来る。
あまりにも心地がいい。こんなにも心地いいものがあったのかと、思えるほどに。
「八柳は、己がやりたい事をやります。その上で。――八柳もまた。白鷹自身が望むことを一緒に見つけ出せられるようになりたいと願うのです」
それでも。それでも、八柳の胸の内には消せずにいる澱みがまだ残っている。
それは、白鷹と出会ってしまった事から発した代物。
「――八柳は、八柳の事を好きではありません。やはり....それは貴方と出会った事に端を発しているのです」
「....ああ」
「貴方の存在に八柳は救われました。だから.....八柳もまた、白鷹に何かを返す事が出来たならば。それが出来たなら、八柳もまた己の事を認められるような気がするのです」
「....俺にだって、八柳から貰っているものはあるぞ」
「そう言ってもらえることは、とても嬉しい。しかし、まだ自分自身で納得が出来ていないのです。白鷹は、八柳のやらねばならぬ事を背負う事こそが、自分のやりたい事であると仰っていましたが....」
「.....」
「八柳が、白鷹という存在とは別の所で自分の成したい事を見つけたように。白鷹にもそのようなものを見つけてほしいのです。どれだけささやかなものでもいいんです。白鷹という一個人が願うものを、一緒に手を取って見つけ出した時。八柳は....白鷹を通して。はじめて自分の事が好きになれる気がするのです」
だから、と。八柳は言う。
「それが――現状、八柳のやりたい事と言えるかもしれません。その為にも、新たなものを見に行きます」
「....そっか」
「一緒に、付いてきてくれますか?」
「当然」
この何気ない瞬間に、互いの間にあるものは全てなくなったのだと。そう互いに感じ取った。
ゆっくりと踏み出した足を互いに引き入れた先。互いの心内を知り。それが結実したこの瞬間に。
〇
「....さて。それじゃあ、見回りの続きに行くか」
「はい。――まずは。成すべき事を、成しましょう」
話し終え。二人が立ち上がると共に。
――ほんの微かな、ぱき、という。霜が踏み砕かれるような音が響く。
その音が鳴った瞬間――立ち上がった両者はそれぞれ行動を始める。
白鷹が左腕を前に突き出し八柳の眼前に分厚い氷を作り上げるとと共に。八柳はその氷に向け抜刀を行う。
氷を貫き、砕き現れた――弾丸を、斬り裂く。
「八柳、追うぞ!」
「はい。――背後は八柳にお任せください」
白鷹は鷹の姿に変化し空を飛び立ち、弾丸の方角へ向かい。
八柳は眼前に氷の道を作り出し。刀を手に空を駆け上り、滑空していく。
弾丸は、この場所より北東。雑木林の先にある、小さな丘陵である。
――狙い通り現れた下手人のその喉元を食らいつかんと、二匹の獣が飛び出した。
●
「....そうか」
己が小銃より放った弾丸の行方を見守っていたルブルスは、そう呟いた。
致命傷は与えられずとも。着弾はしてくれるものだと思っていた。
今。己の周囲には二つの結界が敷かれている。
一つ。外側から見える光景を固定化し、自身の姿を隠す『認識阻害』の結界。
二つ。結界の内側から外側への音を遮断する『遮音』の結界。
自身の位置を隠し。銃声も届かぬ結界の中から、放った弾丸。
どれ程の達人であろうと気取られぬであろうと、確信して放ったもの。
「――目に見えない程に薄い氷を張っていたのか」
弾丸を放ち、標的に達する前。
明らかに、二人は何かしらの音を聞いたかのような反応をしてから。弾丸への対処を行った。
恐らくは。周囲に膜のような視認すら出来ない、氷を張っていたのだろう。
氷が砕かれた音と共に、二人は弾丸を認識し。その対処を行った。
「ならば、ここからは――総力戦だな」
ルブルスは己が手をそっと地面に置く。
現在己がいる位置は、玲瓏の外れにある小高い丘の上。
手に置いたそこから――狼の輪郭を模した”影”が現れる。
「今日は、死ぬかな....。死ぬなら、最後くらい楽しみたいな....」
☆彡
東の辺境国から攻め込んできた、魔王と呼ばれる存在は。大陸の小国を攻め滅ぼしながら己が領域を広げていった。
そうして攻め滅ぼされた小国は。はじめから支配下に降った国もあれば、徹底抗戦の果てに捻り潰された国もあった。
ルブルス・アールグレイは、捻り潰された側の人間であった。
結界魔道と小銃の使い手であった彼は。遺書代わりに己が『書』を書き記し家族に遺すと。少数の仲間と共に、魔王の軍勢と戦い抜いた。
緑深い山岳に結界を敷いての遊撃戦。
蛇の加護を用いる魔王の軍勢に対し、炸裂魔法を付与した弾丸を用いて。食料が尽きるまで抵抗を続け、最後には自決したという。
――そして。彼が遺書代わりに書いた『書』は、捕らえられたルブルスの家族が、命惜しさに魔王に手渡した。
その『書』に描かれた人格を。人為的に人格が破壊された人間らしき”容れ物”に投入する。
人格とその姿を再現した死者を召喚するには、多大な対価が必要となる。『書』を用意せねばならないと同時に。幾人もの生贄か、魔道使いの命か、差し出さねば死者の召喚は叶わない。
そうして多大な対価を払って得られるものは。精々半日程度、死者が蘇るだけの効果のみ。
ならば、と考えるものがいた。
――容れ物を用意すればいいと。
そうして。ルブルス・アールグレイの容れ物たる”ルブルス”は生まれた。
その記憶をもとにした能力を手に。魔王亡き後の教団の道具として。
――他人事の中で生きている。
自分が積み重ねてきたものではなく。他人が積み重ねてきたもので、己は生きている。
他人事を基準に、生きている。ただそれだけだ。
「――来たね」
空を飛ぶ白き鷹が、己に向け急降下してくる。
鷹は光と共に、短刀を握る白髪の少年の姿へと変わり。その頭上へと落ちていく。
少年の刃がルブルスの首元へ向かうと同時。
ルブルスの小銃もまた、少年に向けられる。
刃先と銃口が交差した瞬間。
少年の刃が銃身の横手へ軌道を変え、弾丸の軌道を変える。
弾丸は見当違いの方向へ飛び。少年はルブルスの首を狩る事叶わず。双方共に地面へ降り立つ。
丘陵の上。互いに命を獲り損ねた二人は、互いに視線を交わし合う。
「――素直に降れば命までは取るつもりはねぇが、どうする?」
「あれだけ殺意に満ちた攻撃を仕掛けておいてよく言うよ」
「あ、そ」
地面へ降り立った少年に向け、潜ませていた狼の影を放つ。
牙を剥いた影が、音もなく少年に飛び立ち。その体躯に飛び掛かった瞬間――少年の周囲に雪が巻き上がった。
少年の姿は巻き上がる雪となり消え去り――同時に狼の影はその刃に喉元を斬り裂かれ、その姿を消す。
「なら、しょうがねぇな」
雪霞が晴れると共に少年は再びルブルスの眼前に現れ。
「.....!」
そして。――後方より、凍てつく風と共に雪が運ばれていく。
それは異形の雪であった。
風は少年を避け吹き荒び。雪は――触れる全てを凍り付かせていく。
雪に触れた樹木も地面も、全てが凍り付いていく。
風と共に、雪煙が周囲を覆い尽くす。
樹木も、大地も凍り付いた。――人が凍り付かぬ道理はないだろう。
「――仕留められましたでしょうか?」
無感情な女の声が響く。
少年の周囲を除き凍り付いた大地に、風に乗るような軽やかさで着地した女は雪煙が晴れ行く先をジッと眺める。
そこには――全身が凍り付き、倒れ伏すルブルスの姿がある。
「.....仕留めた、な」
――全身が凍り付き、四肢の感覚すらも失った。全身が壊死していく感覚が、広がっていく。
寒さに震えたり。死が近づいてくる感覚がある。確かに、ある。あるのに――。
それすらも、ただただ他人事の風情であった。
「.....役割は果たしました」
特段の感慨もなく、ただそう上手く動かぬ舌先で呟いた。
役割を果たし、死ぬ。ただその瞬間すらも――このどうにもならぬ他人事の感覚から、逃れる事は出来なかった。
「それじゃあ。――こいつがくたばる前にさっさと縛って屋敷に連行するか」
「そうですね」
凍り付く身体を、動かさぬまま。ルブルスは、己が心臓に血流を集める。
そこには、埋め込まれた血のように赤き石――”玉石”がある。
「.....!下がれ、八柳!」
蹲り倒れるルブルスの胸元から赤の光が灯る。
その光に、少年は女を下がらせ。己が前に出る。
玉石が砕け、灯った光が心臓と皮膚を貫くと共に。ルブルスの肉体は絶命し、爆発と共に丘から落ちていく。
ルブルスから放たれた、血のように光は。やがて煙の如く空を漂う。
それは小さな紋章を夥しい程の数で空を満たし――その効果を顕現させる。
それは、丘陵から溢れんばかりに召喚された――狼の影の大群であった。
地に降りた狼の影の大群は。白鷹と八柳に目もくれず、丘を駆け下りていく。
その先にあるのは――。
「....白鷹。アレは」
「自分の命と、”玉石”を代償に。大規模の魔道を使ったんだろうな。――しかしマズいな。あのままじゃあ、あの狼の召喚体。祭に突貫してしまう」
白鷹は羽織の懐より紋章符を取り出し、空に投げる。
符を空中にて爆撃を起こし――周囲の兵士が集まるよう合図を送る。
「――行きましょう、白鷹」
「応!」
丘より駆け出した狼の群れの後を、二人は追い始める。
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