第24話 子は、親を想いて

 祭の前日となった。


 顎砲山の妖狩りが終わり、各々が持ち寄った首級が氷漬けにされ入鹿の屋敷に並べ立てられ。それを囲い、肴にする馬鹿共のけたたましい喚き声が聞こえ来る――。


 ――清助の奴、どうなったァ?


 ――奴め。傘凪の大妖怪と大立ち回りの果て、死にかけたがのぉ。首を急ぎ切ってなァ、仲間と一緒にまろび出た腸を抱えて走ってなァ。治療で一命をとりとめたらしい。めでたい事じゃ。あ奴にも神仏の慈悲があったらしい。


 ――そいつァめでてぇ。腹が裂かれた時は急ぎ介錯せねばと思うたがな....。無事生き残ってなによりじゃあ!はっはっはっは!


 ――めでたいが、どうして祝ってやろうかのう。あ奴も寝転がっているだけじゃあ可哀想じゃあ。掻っ捌かれた腹の穴はまだ完全に塞がってはなかろう。腹から酒を飲ませるのはどうじゃ?


 ――そいつはいい!臓腑に直接酒を振るわば、傷ついたあ奴の身体も喜びに打ち震えるじゃろう!


 まさしく正しく蛮族の会話であった。この会話を心の底から楽しんでいる馬鹿共が、更に脳味噌を酒漬けにし更なる馬鹿へとなる儀式を行っている。


 ――まあ、楽しけりゃいいよ。楽しければ。


 そんな入鹿の馬鹿騒ぎから離れ城下に来ると。こちらはこちらで祭の用意で喧騒に溢れていた。


 それなりの量の商人が入り込み露店を大っぴらに開いている。領内の飾りつけなどはもうおおよそ終わっており、後は人を入れて本番を迎えるのみ、と言った風情。


「それで、師匠。俺達が祭を楽しめる可能性はありますかい?」


「寝ぼけたこと言ってんなぁ、弟子。ある訳が無いだろが」


「ですよね~」


「何のために、あの二人にお前の修練を任せたと思っている。急ごしらえだろうが、今は少しでも手駒を強化しておきたいんだよ」


「....玄賽様から、何か伝えられましたか?」


「普通なら魔道士五~六人の命を潰さねぇと呼び出せねぇ化物が召喚されて~。近くには転送用の竜の紋章があって~。あの”玉石”とかいう怪しげな石の破片が転がっていて~」


「.....」


「お前が藍坂牛太郎の召喚体と戦っていた状況とほぼ同じ状況だな。――何が起こってもおかしくはねぇ」


「.....」


「五人の師範の内、玄賽は出兵していて。光来は外国に行ってて。で、八柳は今ちょい弱ってる。もし次にまた敵が外に来たら、俺が出向かねばならん」


「....弱ってる?」


「おう。――顎砲山の氷晶結界を奴の力で呑み込んだからな。そっちに力を使ってて、瞳術が封じられている」


「....え」


 


 白鷹は――最後の言葉に、困惑の声を上げた。


「ああ。アイツから聞いていなかったか。――お前助ける為に瞳術を総動員してしまったもんだから。恐らく一年は使えねぇだろうな」


「.....」


 


 そうか、と。白鷹は納得した。


 あの時。梅木の墓参りの時に「今ならば瞳術は抑えられる」と言っていたのは、そもそも瞳術が使えなかったのか。


「ま、その対価としてお前はここにいる訳だ白鷹。――簡単な話だ。お前が、アイツの瞳術以上の価値を持てばいい」


「....はい」


「八柳は瞳術なしでも間違いなく玲瓏一の氷雪の使い手だ。そこまで心配は要らねぇ。――で」


 来禅は笑みを浮かべ、白鷹の背中を叩く。


「お前の役割は、八柳の護衛だ」


「....俺でいいんですかい?」


「いいも悪いもあるか。お前、八柳が雲仙に出たら付いていくんだろ?」


「.....」


 ――隠しているつもりはなかったが。何故バレているのかがあまりに不明瞭である。


「なら予行練習だ。――もし敵の目的が八柳だったら、二人で刺客をぶっ殺せ」


 いいか、と来禅は言う。


「親父殿の推測だと。狙いは親父殿自身か八柳。もしくは両方。恐らくは暗殺だろうと。――祭の喧騒に紛れて刺客を送り込むのが目的だろうと思っているんだろうな」


「....ああ。だから、銘文様の塔周辺に結界を張っているのですね」


「そういうこった。――親父殿は念には念を入れて結界の中に引き籠っている。あっちには入鹿が何十年かけて遺してきた『書』もある。万が一もあっちゃならないからねぇ。――白鷹。お前はもう、牛太郎を降ろせるようになったな?」


「....はい」


「そいつは重畳。ならそこまで心配はしていない。――八柳と、ついでに親父殿を頼んだぞ」


「....銘文様も?」


 話の流れから、八柳の護衛を任すというのは解る。だが、結界を仕込み、その中に潜んでいる銘文までもそこに含むのは、どういう意味が――?


 


「親父殿は結界に引き籠る、とは言っていたがな。――ありゃあ隠れる人間の目じゃなかった。むしろ、罠を仕掛けて待ち構えているって風情だったな」


「.....」


「親父殿は老いた。だからといって腕は落ちちゃいないが。――生きる事にあんまり頓着してねぇように思う。誰かが見張ってなきゃ、戦でぽっくり逝きそうでなぁ。ま、塔の方で戦いの気配があれば行ってみてくれ」


 それじゃあ、と手を振り。来禅は白鷹の下から立ち去っていく。


「.....」


 ――生きる事に頓着してねぇ、か。


 自らの義父への評であるが。それはそのまま――かつての白鷹にも言えたことであった。


 生きる意味が潰え。殺す意味が生まれた瞬間。人は、復讐者になる。白鷹はそういう男であった。


 あの時。あの目を見た瞬間。


 何故己は――殺してでも生かしてやると。そう思い、あれ程に苛烈な修練を積ませたのであろうか。


「....どいつも、こいつも」


 何となく。――銘文は死に場所を探しているように思える。


 戦しか知らぬ者が、戦を失った。いや――戦の為に全てを捧げた、と言ってもいいのかもしれない。


 なにせ。戦に勝つために。己が伴侶もまた、生贄となったのだ。己も戦に勝つべく用いられる贄としか思っていなかったであろう。だから、生への執着というものを不思議な程に感じない。


 銘文は、意味を全て戦場に捧げた。


 故に。生きるという事に、執着を失っている。


「生きていりゃ何かあるかもしれない、ってのによ....」


 白鷹は、生への執着を得た。執着を覚えねばならない程の理由を得た。


 老い先短いとはいえ。同じようなものが見つからぬ理由にはならぬだろう。


 己もまた戦に全てを捧げてきた人間であり、義父が言うように途方に暮れてもいる。


 だが。無いものを探すだけの意思は持っている。無ければ、それを探す楽しみというのも、きっとあるはずである。


 そういう風に考えてくれればいいのに、と。来禅は義父を想った。


 



 


 自身が生きている実感というものを、他者の死を通して感じる――と。戦を乗り越えた者は口々に言う。


 仲間の死。敵の死。生死の細縄の上に立ち、踏み外さずにいられた瞬間。冷たくなっていく死骸を見た時。


 心臓が跳ね上がり、恐怖と高揚に体温が上がり、血潮が巡り巡る感覚。生の終わり際を見て、己が生を感じ取る。そういうものだと言う。


 その感覚が、八柳には解らない。


 誰かが死のうと、誰かを殺そうと。己の心臓は跳ね上がらない。体温も上がらない。恐怖も覚えない。表情一つ変わらない。


 無慈悲。無情。冷酷。


 その表情は。その有り様は。降り積もる雪のように冷たい。


 ――もう、自分には存在し得なくなったのだと思った。


 死に触れても。何も変わらない己が肉体。変わらぬ鼓動を打ち、変わらぬ冷たい身体だけがそこにあって。何も変わらないという事実だけを前にして。


 この力を受け継ぐと共に。人としての有り様は死んでしまったのだと。


 だけど。


「....では、よろしくお願いいたします。白鷹」


「おう」


 ――同じだ。鼓動も表情も。何もかも。己の肉体全てに、変化はない。


 だが。それでも。この白髪の少年を前にすると、形のないものが渦巻くのを感じる。


 胸の内に。体温とは違う、何かが。


「せっかくの祭だというのに申し訳ないが。事態が解決するまで俺と行動を共にしてもらう事になった。――護衛としては頼りないかもしれないが、よろしく頼む」


「了解いたしました。――申し訳なく思う必要はありません。八柳は白鷹と共にできて嬉しいですよ」


「.....」


「頼りにしています」


 恐らく無自覚なのであろう。彼女は心のまま素直に言葉をくれているだけだ。


 無表情のまま、こちらの心中を殴りつけてくるような感覚。殴りつけられた後、白鷹にはどうすればいいのか解らずあたふたしながら閉口する他ない。


 その様子は八柳にはどう映っているのか。知る術はなし。ただ彼女は、押し黙ってしまった白鷹の表情を、ジッと見つめていた。


「....それに。義兄様が白鷹を護衛に付けたのは。白鷹に八柳を護らせる、というより。八柳を狙う刺客を返り討ちにする方を狙っているようでした」


「....だな」


 来禅は、敵の目的が八柳であれば返り討ちにしろと言っていた。


 話を聞く限り、白鷹は表向きは八柳の護衛であるが。実質的には、瞳術が封じられた八柳の為の追加戦力といった風情なのだろう。


 八柳は、以前白鷹を救いに来た時と同じ。髪を後ろ手に結んだ水色の羽織姿で、その左脇には打刀を佩いていた。彼女の戦装束であった。


「八柳の出番は三日後だったな?それまでどうする?」


「我々も積極的に動くべきです。祭の見回りをしながら、こちらも刺客を探しましょう」


「.....了解」


 己が狙われている可能性があるというのなら、隠れるではなく。自ずから撒き餌とする。


 餌に誘い出された獲物を、喰らう。この状況下において、八柳は迷いなく己を餌にする事を選んだ。


 ――八柳もまた、間違いなく武人の血を継いだ者の一人であった。


「.....お前の瞳術の代わりになれるよう、全力を尽くす」


「.....」


 その言葉に――八柳は、ジッと白鷹を見つめる。


「白鷹は白鷹です。私の瞳術ではありません。貴方は、代わりなどではない」


 安心してください、と。八柳は続ける。


「――今更になって八柳を殺せると思わば、大間違いです。瞳術が無くとも、八柳の魔道は何者にも負けはしません」


 その瞳に宿る力が封じられようと。己が負ける道理はない。


 変わらぬ声の中であっても。その断固たる意思を、白鷹は感じていた。

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