第23話 屈辱と苦痛の記憶へ、潜れ

 冬扇との稽古に決着がつくと同時。召喚魔道を行使した白鷹はその記憶を思い起こしていた。


 白鷹は『書』を受け取った後に、ひたすらにそれを読み続けていた記憶を。


「....」


 そこに描かれているのは、藍坂牛太郎という男の足跡。


 大柄な身体の暴れ者が生まれ故郷から追放され。魔王の配下となり。蛇の紋章を賜り、戦場を得て鬼となる。その物語。


 白鷹は召喚術を学ぶ事も、ましてや『書』に触れる事もはじめての体験であった。


 だからこそ意外に思えた。この『書』は記録ではなく――物語であったのだ。


 事実の羅列ではなく。そこには感情と行動の因果が描かれ、心情がある。


 だからこそ――あまりにも気分が悪くなる。


「....うげ」


 胃の中が逆流する感覚に、白鷹は反射的に頁を閉じる。


 ――魔道の使い手が書き記した古代文字には、読み手に叩きつける力が宿る。


 そこに描かれる場面が脳内に想起されると共に――その感情が、己の心中に発生するのだ。


 本来は理解できないはずの、他者の感覚や感情といったものが。そのまま己の中に宿る。


 異物が己の中に入り込む。吐き出せないはずのものをそれでも吐き出さんと、胃が逆流をはじめる。


 


「....」


 理解できない....はず。はずなのに、無理くりに理解させられる。


 この男の性質。強者との斬り合いを愉しむと共に、弱者を蹂躙する事にも悦びを見出すその感覚。


 反旗を翻した農奴を一人残らず縛り上げ。その皮膚から肉を削ぎ落す。――藍坂牛太郎は、その苦しむ様ではなく。”目”を見ていた。


 苦痛と苦悶の果て。その目が後悔と絶望に染まっていく様を見て、この男はどうしようもないほどの悦びを見出していた。


 強い意思や折れない心を持つ者であればあるほど。その悦びは増していく。


 その時の感情が、雪崩れ込んでくる。


 そして、男の足跡は。


――叡のとある集落を襲い、童を一人寵童として召し抱える場面に転換する。


「.....成程な」


 ――召喚魔道を志し、その修行を積み重ねるものの中には、発狂するものが珍しくないという。


 それは。本来知覚できないはずの、他者の感覚質を叩きつけられるが故なのだという。


 感覚とは、本来己のものしか理解できぬ。他者のそれは、推測する他ない。


 ――他者が絶望する様に悦楽を見出すものの感覚など、本来己に理解できるはずもない。


 だが。無理矢理にそれを理解させられてしまう。


 これが、召喚魔道か。


 湧き上がる困惑と吐き気を胸中に抑え込み――白鷹は、読み進める。


「上等だ....やってやる....」


 何の代償も払わず力を得られる事などあり得ない。その代償が己が持つものであるならば、躊躇わず払え。己が耐えて得られるものであるならば。


 耐えろ。逃げるな。怠けるな。――向き合え。


 そう己の心に唱え続けるうち――白鷹は、噛み締めるような笑みを浮かべていた。


 


〇 


 


「召喚魔道は、イメージが必要となる。イメージとは、対象の理解が基となり形成されるもの」


「....ふむ。いめーじ....」


 聞きなれぬ言葉に、白鷹は少々首を傾げる。


「その理解、というやつは知識とイコールにはならないのだ。そのものが持つ性質や感覚質。外来的なものではなく、内在的な代物を理解する事がまずスタートだ。無論、知識があって無駄な事はないけどね」


 ローウェン・アイシクルは、白鷹に――召喚魔道の手ほどきを行っていた。


 講義その一。”召喚魔道に必要なものは何か?”


 それは、イメージという。叡においては聞きなれぬ代物であった。


 


「だからこそ。優れた召喚魔道を行うにあたっては、正負どちらにせよ――呼び出す対象への強い感情が必要となる。その感情の種類は問わない」


「....感情、なのか?」


「そう。感情。それは哀しみでも喜びでも怒りでもなんでもいい。――例えば。私はおっぱいが好きだからこそ。おっぱいという対象に強い感情を抱いている」


「はぁ」


「そこに詰まっている脂肪は、柔いのか硬いのか。柔ければ、どんな感触だろうか。硬ければ、どんな張りがあるのだろうか....。私は常にそれについて考えた。時に一つの対象について深く思索し。時に角度を変え。時に別の柔らかいものと比較して....。その果て。私は服装の上から見える膨らみだけでも、他者の胸の形や、揉んだ時の感触が解るようになった。そこまでの探求の果てにに――私はこれまで触れた事のあるおっぱいの感触を、己の手に召喚する技巧を手に入れた訳だ」


「....」


 異常者。


「だからこそ。この『書』に書かれているものは、物語なのだ。召喚に必要な要素は、強い感情。だからその補助具である『書』にはそれを強く想起させる為の仕込みがある」


「.....感情を、想起」


「他者の感覚を理解する事は本来不可能だ。私のおっぱいへの強い感情を君は理解しえないだろう。だが――この『書』は無理くりにその”他者の感覚”を理解させるものだ」


「.....」


「心を強く持つのだよ、白鷹君。――この『書』は君の心を殺しにかかる。何せ、そこに描かれているのは君をかつて虐げていた者の全てだ」


 


 ――まさしく。


 この『書』は、白鷹の心を壊しにかかっていた。


 己を虐げていた者の論理。もしくはその感覚。それら全てが――脳髄に叩き込まれている。


 楔が打ち込まれていく。


 己が記憶の奥底を引き摺り出す強烈な感情。憎悪が杭となり、己が脳髄に打ち込まれる。


 その己が憎悪が。感情が。その『書』に描かれた全てを引き出していく。


 それはただの文字の羅列に非ず。召喚に必要な――対象の理解を促進させるべく、ここに描かれた全てを読み手に叩きつける。


 思い起こすだけで吐き気が起こる。封じたい記憶が引き摺りだされる。


 その脳髄に、強く、強く、打ち付ける。


 藍坂牛太郎の『書』に――己が出てきた。自身を執拗に虐げていたその論理が。感覚が。己の脳内に流れた瞬間。


 手足の末端から力が抜け――白鷹は倒れ込む。


「大丈夫だ.....」


 幾度倒れようとも、立ち上がる力は――己に宿っている。


「まだ....やれる....!」


 発狂しそうな、感覚質の暴力。己ではない感覚。己ではない感情。身体が拒否する。こんなモノを己の中に入れるでない、と。


 だが。己が意思は。魂は。逃げず。歩を進めよ、と命ずる。


 その肌からは血の気が失せ、滝のような汗が流れ落ちる。脳がきりきりと絞られる。眩暈と耳鳴りがひどい。


 封をしていた記憶が蘇る。屈辱が。憎悪が。絶望に身を投げようと、心を砕かんとしていた日々が。


 力を籠められぬ手足を、それでも持ち上げる。


 ――舐めるな。


 この苦境の中に目を向けるな。その先を見ろ。


 ――これは、俺だけが理解できるもの。俺だから、乗り越えうるもの。


 これは、この『書』が想起させているもの。


 ならば手にしてやる。この苦しみが、力を得るための対価というのならば――幾らでも喰らってくれる。


 そうして、白鷹は――かつての仇と向き合った。


 こんなものは、ただの最低限の座学だ。ここで折れていては話にならない。


 ――まだ。まだまだ、俺は八柳の足下にも及んでいないのだから。


 


☆彡


 


「――私と白鷹は、実力そのものは拮抗しているとは思っているのだけれどね」


 ふう、と一つ息を吐き。冬扇は俯いていた顔を上げる。


「最後の最後には、必ず討たれる。――拮抗しているように見えて。勝機を捉える能力に大きな差があるようね」


 その顔は、脂汗に塗れた、紅潮していた。死の痛みは――凄まじい恐怖と衝撃を、冬扇に与えていた。


 本来、二度は味わえぬ死の痛み。その痛みに触れ、冬扇は――望み通り、その肉体に敗北の楔を打ち込んだ。


「素晴らしい戦いでしたわ、お二人とも。お立会いできて光栄でございました」


「よく言うわ。私が痛みに悶えていた時に昂奮していたくせに」


「拮抗し、全力を尽くした戦士が敗北の屈辱に表情を歪め、死痛を味わう表情からでしか得られぬ代物というのがこの世にはあるのです、トウセン様」


「白鷹。この女にも同じ痛みを味わわせるべきと思わない?」


「やったところで喜ぶだけなんだよなぁ、この変態は....」


「はい」


「.....」


 もう幾度も修練を躱した相手であるが故に、白鷹にとってケイオゥスはもはや勝手知ったる相手である。


 この女は、他者が痛みに悶え苦しむ様も、自己に与えられる痛み苦しみも、等しく愛しているのだ。


 故に傷みつけられている姿を見ようとも傷めつけられようとも喜ぶ。


「わたくし、生粋のサディストですの。他者が苦しむ様を見るのが、どうしようもなく愛おしいのです」


「そっか....。じゃあ自分が痛い分は別段好きではないんじゃないの?」


「いいえ。例えば、戦に勝つことが好きな方がいるとして。戦に勝つために新たな武術を身につけたり、知恵を得たりする瞬間。恐らくその方は達成感と共に幸福を感じると思うのです。わたくしにとって、新たな痛みを知る事とはそのようなものなのです」


「.....」


「他者の痛みを知る事で....よりその痛みや苦しみに共感する事が出来、それは転じてわたくしのサディストとしての幸福につながる。素晴らしい事ですわ」


「そりゃよかったわね....」


 


 性癖というのは、あまりにも根深い。根深い故に、一度囚われてしまえばその深さゆえに何処までも掘っていかねばならない。


 この女も。そして彼女の相棒のローウェン・アイシクルも。――自ら望み囚われてしまったのであろう。


「....とはいえ。心得もない状態から白鷹を短期間でここまで召喚魔道を扱えるようにするとは、中々の手腕の持ち主ね。とはいえ、ね」


「これに関してはハクヨウ様自身の素質が優れていたこともそうですが。ハクヨウ様ご自身の二つの要素が大きいですわ」


「....二つの要素?」


「はい。ハクヨウ様が使役する魔王軍の将に関して、ハクヨウ様自身が忘れられない程に強烈な記憶を持っている事。これが一つ。もう一つが、その『書』が見つかった事。この二つが重なったが故、ハクヨウ様は短期間での召喚魔道修得が叶いました」


 


 ――白鷹は藍坂牛太郎という名の魔王軍の将により故郷を滅ぼされ、囚われた。


 囚われ、長きに渡る暴力に晒された記憶は。拭い切れることなく、白鷹の記憶にこびりついている。その記憶こそが重要なのだと、ケイオゥスは言う。


「召喚魔道は、イメージが重要となります。呼び出す対象への鮮明な記憶と理解の両輪をもって召喚魔道とは行使されるのです。――逆にこの要素が無ければ、どれほど優れた魔道の使い手であっても召喚を使いこなす事は難しい」


「記憶と、理解か....」


「ハクヨウ様は対象の”記憶”は持っておりました。あとは対象に対する理解を深めるだけ。その為に必要となる道具が、今回ハクヨウ様自身が持ち帰ってきた『書』であった――という訳ですわ」


 己の記憶に巣くう悍ましき記憶と、その記憶に紐づいた『書』が偶然にも見つかった。この奇跡があったが故に、白鷹はこれまで触れてこなかった召喚魔道の習得が叶った。


「俺は、あのクソ野郎に暴力を振るわれた記憶だったり。奴の目を抉った記憶を鮮明に覚えている。まあつまり、暴力を振るわれたり振るったりする記憶と紐づいている。――だから、戦いで追い詰められたり。逆に追い詰めたりするときにしか、実戦に耐えうる程度の召喚は出来ないな」


 


 白鷹は、自身の召喚魔道は未だ不完全だと言う。


 特定の状況でしか行使できず。呼び起こせるのは一つの動作まで。更にその姿形までの再現は出来ず。まだまだ、出来ない事は多い。


 とはいえ――白鷹の弱点である膂力の不足を、この召喚魔道で補えるのはやはり大きい。


「成程....。そういうものか。短期間で修得が出来るのなら私も手を出してみようかと思ったが....そこまで甘いものではなないみたいだな」


「本来、召喚魔道は修得が非常に難しいとされる魔道の一つですわ。この短期間で修得できたのは....ひとえに、ハクヨウ様の辛抱強さが結実した結果と言えましょう。修練を重ねれば、まだまだ発展の余地もあります」


 冬扇は、首に刻み込まれた痛みが引くのを感じると。一つ溜息をついた。


「――師より修練の厳命を受け、祭までの間技をひたすら磨き続けてきたが。やはりまだ及ばないか」


 痛みが引くと、その分だけ――敗れた悔しさに思考が持っていかれる。及ばなかった己が槍を前に、唇を強く噛み締める。


「そういえば、冬扇は玄賽様と賊の討伐に向かわなかったんだな」


「そう。私も共に向かいたかったんだけどね.....ここに残り、修練をするよう命を受けたの。来禅様が貴方に、召喚魔道の習得を命じたように」


 恐らく――手勢を残したのだろう、と。そう冬扇は言い。その言葉に白鷹は一つ頷く。


「――祭は三日後から。魔王の残党が何をしようとしているかは解らないけど、また立ち塞がるなら叩きのめすのみよ....!」


「気合入ってんな」


「当然。――連中のそっ首を叩き落し、神仏に捧げる。私がやるべき事は、ただそれのみよ」


 


 死痛を味わわされど、冬扇は闘争を求める。恐怖を前にしても、どうにも止められぬ己が性に――冬扇は獣の笑みを浮かべていた。

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