第22話 新たなる武器

 雪解けは、春の訪れ。


 春の訪れと共に、祭は始まる。


 ――げぇああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!あぎゃああああああああああああああああああああああああ!


 祭とは神仏への奉納である。


 農民は春に収穫した最も立派な作物を奉納し、狩人は春一番に仕留めた獣を奉納する。そして――武士は首級を捧げる。


 ――春来たり!戦の狼煙を上げよ!存分に得物を振るい、存分に血と臓物をひりだせ!年始めの、戦を捧げよ!


 ――玄賽師範の騎馬隊は、賊共の首を持ち帰って来るぞ!我等も負けてはいられぬ!首を寄越せ!何でもよいから首を寄越せ!


 ――神仏を前に手ぶらで参るは武士の恥!死んでも殺せ!首を獲れ!刃が毀れたならば引き千切れ!


 戦を、そして戦の証を捧げる。


 破魔の鈴を顎砲山に響かせ、雪に隠れる妖共を叩き起こし、それを狩る。


 もしくは早馬をもって駆け、玲瓏の外にて賊の首を獲りに行く者もいる。


 現在。入鹿の屋敷の裏手、顎砲山には――血気盛んな入鹿の門弟達が妖狩りに向かい。その末魔が彼方よりけたたましく響き渡っている。


 祭を前に、山や周辺区画の脅威を片付けるという実用的な目的と共に。祭本番にて捧げる首級を欲した者共が競う場でもある。


 血の気を求め、戦いを求め、――入鹿の武士は武士なりに春を楽しんでおります。


「いや、楽しむのはいいんだけどよ。――相も変わらずうるせぇなぁ.....」


 


 錆びた金属に歯ぎしりするような不快な感覚を呼び起こす破魔の鈴が何十人分響き、その音を超えるほどの野太い声が更に響き、それを更に超える妖共の断末魔が響く。


 ある意味、命の芽吹きと言えるであろうか。生きておらねば死ぬ事も無いのだから、末期の叫びもまた命ある証なのだ。芽吹いたと同時に死に行く命もまた生きていたのだろう。そうなのだろう。


 とはいうものの。――うるさくて仕方がない。殺すにしろもっと静かにやれぬものか。餌を前にした犬か何かか。


「あの喧しい奴等の首を神仏に捧げるのはダメかしら、白鷹?」


「まあバレなければいいんじゃねぇの?バレなければな」


「誰にも気づかれず殺すのは忍の本領でしょう?やってみなさいよ」


「おいこら冬扇。気軽に友軍殺しを俺に押し付けようとするんじゃねぇ」


 


 冷気が籠る鉄の修練場の最中。白鷹の眼前に、美しく研がれた刃の如き空気を纏った女がいる。


 睨みつけるような鋭い目に、凛とした佇まい。肩口辺りで切り揃えられた髪は、全て背後になで上げている。


 その手には、十文字槍が握り込まれている。


 女の名は、伊万里冬扇。入鹿の師範、吉賀玄賽の直弟子である。


 伊万里は、槍術の流派の名であり。またその開祖の一族の姓名でもある。


 冬扇は、伊万里の一族であった。


「――魔王の残党がこちらに侵入してきたというのに。たかだか妖狩りであれだけ喚かれるのはたまったものじゃないわ。絞められた豚の鳴き声よりも不快よ」


「どうせ祭の前に妖狩りはやらなきゃならねぇんだから許してやれ」


「妖狩りに文句はないわよ。ただ粛々とやれと言っているの。手練れなら、妖如き悲鳴も上げさせず殺せる。己が未熟を恥ずかしげもなく晒すなって話よ。――で、白鷹」


 放たれる言葉もまた、鋭い空気を纏っているが。


 纏う空気をより鋭利にさせつつも――隠しきれぬ喜色が、空気に漏れ出る。


 それは、腹を空かせた獣がようやく獲物を見つけた時と同様の感情の発露であった。


「――あの異人二人に随分鍛えられたらしいわね。何を学んだの?」


「召喚魔道だが....」


「召喚魔道....。何を呼び出せるようになったかは、この身をもって教えてもらおうかしら」


 体軸を斜めに置き、空の左手を前に、十文字を持つ右手を後ろに。


 伊万里流の、基本の構え。


「――妖狩りなんかよりも。貴方と戦う方がよほど楽しいわ」


 笑みすらも、苛烈。


 吉賀玄賽が直弟子、伊万里冬扇。


 伊万里流皆伝の一人にして、次期入鹿の師範に目される槍術の達人。


 そして。――入鹿の武者の例に漏れず、戦闘狂であった。浮かぶ笑みは、獣のそれであった。


「実戦の修練するなら立会人がいるだろ?誰か呼んでいるのか?」


「ええ。――貴方の成長を見せるに相応しい者を。もうじき来るわよ」


 


 そう冬扇が言うと共に、修練場の扉が開かれる。


 黒と紅のドレスを翻し、女がくるりステップを踏み、優雅に現れる。


「お待たせいたしました。わたくし、霊媒機構戦闘員、ケイオゥス・ドゥン――つつがなく、お二人の立会を務めさせていただきますわ」


 突如として現れたケイオゥスもまた、笑みを浮かべていた。


 彼女のそれは、ひたすらに極上の馳走を前にした者の笑みであった。


 白鷹は――眼前に彼女が現れた瞬間に。これから何が行われようとしているのか、全てを理解してしまった――。


 


「では、冬扇様。まずは――その得物にて、わたくしの皮膚を斬って下さいまし」


「承知」


 


 ケイオゥスが差し出した掌に、冬扇は軽く槍の穂先をなぞる。


 刃を通し、滴り落ちる血をうっとりと見つめ――指先にまで血が到達すると、懐より取り出した厚手の布地をなぞる。


 なぞる指先にて刻み込まれるは――ケイオゥスが愛用する『痛覚』の紋章。


「もうハクヨウ様はわたくしが手渡したものをもっていますわね?―ーではお互い、刃に布を纏って下さいまし」


 そう言うと、ケイオゥスは己が血が刻み込まれた布地で冬扇の十文字の刃先を包んでいた。


 白鷹もまた同じように、


 優雅な口調に、徐々に昂奮の色が宿っていく。その笑みに呼応するように


「修練とはいえ。稽古を行うのであらばより実戦に近いものであればあるほどよいでしょう。――ではでは。お二方、用意はいいですわね?」


 白鷹もまた、同様の血の紋章が描かれた布地を短刀に巻きつける。その様を見届け――ケイオゥスの笑みが、最高潮の歪みへ到達する。


「それでは、はじめて下さいまし」


 そうケイオゥスが合図すると共に。


 炸裂したかの如き踏み込みが二つ響き――両者は駆けだした。


 



 


 踏み込みと共に、捻られた腰先から十文字が突き出される。


 跳躍と共に、短刀が突き出される。


 互いが得物を突き出し、互いがその軌道を見極め、互いが最小限の動作をもって避けた結果――布地に包まれた刃が、互いの頬を掠めた。


 当然、その刃で傷はつかない。しかし――互いの頬には、布地に包まれた鈍い感覚ではなく、確かに刃が通った鋭い痛みが、互いの頬から脳内へ伝わる。


 ――成程。こういう感覚ね。


 ケイオゥス・ドゥンの魔道は、痛みを操る。


 彼女が施した魔道によって――たとえ傷はつかずとも、刃物から与えられる痛みの感覚質が、互いに走る。


 これで足先を斬られれば動きは鈍るだろう。――急所を突かれれば死の味を喰らう事にもなるであろう。


 稽古を行うならば、実戦に近ければ近いほどよい。傷をつける事無く痛みを味わえるのならば、修練としては最良であろう。


 ――負ければ、死の痛みを味わわされる訳ね。


 その事実を理解し、冬扇は恐怖を感じると共に――確かな昂奮を覚える。


 恐怖が、己を昂らせる。武士とは、そういう生き物であるが故に。今ここは、生き死にを賭けた戦いなのだという錯覚を得られる。錯覚であろうとも、その恐怖は絶対である。


 白鷹が斬りかかる。


 小柄な体躯から繰り出される彼の斬撃は、軽く迅い。


 だが――こちらの首元を狙う瞬間の一撃だけは、凄まじく鋭く、重い。


 防を捨て、攻勢に己の全てを賭ける。その一瞬は、こちらの間隙を突いて行使される。


 白鷹は低い体勢から、足元へ斬撃を走らせる。


 十文字の払いでそれをいなせば、穂先を蹴りつけると共に跳躍の足場とする。


 蹴りの勢いで十文字の刃先は地面へ向き、白鷹は冬扇の首へ向け刃を突き込まんと飛び掛かる――が。


「――軽い!」


 蹴りつけられども、冬扇の渾身は――白鷹の身体は跳ね上がる。


 首へ飛び掛かろうとした白鷹であったが、その軌道は力づくで変えられる――が。


「.....ぐ!」


 跳ね飛ばされた白鷹は空中にて氷の壁を形成しこれを足場とし、即座に冬扇の背後へ降り立つと共に斬りかかる。


 何とか身を捩り急所を避けたものの。白鷹の斬撃は冬扇の脇腹へ当たり、鋭い痛みが走る。


「――『氷衾』」


 


 斬撃を喰らおうとも、冬扇の動きは止まる事はない。


 軽い詠唱と共に足元に紋章を浮かび上がらせると同時。左足を上げ、紋章を踏みつける。


 地鳴りの如き大きな踏み砕きの音と共に――冬扇の足下には、岩石の如き氷塊が生え出る。


 生え出たそれから白鷹が跳躍にて避けた先。踏み込みから間合いを詰みし冬扇の十文字が襲い来る。


 跳躍からの着地と共に身を転がし、突きの軌道より避けるものの――十文字の枝刃を避ける事叶わず、冬扇と同じく脇腹に傷みが走る。


 されど。――それと同時に白鷹もまた魔道を行使。己が左手より細かく砕かれた氷を周囲に巻くと共に、炸裂させる。


 細かな氷が更に細かく破裂し、水煙と共に白鷹の姿を覆い隠すと共に――懐に再度潜り込んだ白鷹と、冬扇との斬り合いが始まった。


「....はぁあぁぁ」


 さて。白鷹と冬扇の得物に付与されているケイオゥスの魔道であるが。


 本来、その得物から与えられるであろう痛みだけを、布越しに与える効果を持っている。


 その為にまず、その得物から与えられる痛みをケイオゥス自身が味わい。その感覚質を元手に紋章を描く必要が生じる。


 それ故に、まず冬扇の十文字にて、己が掌を斬りつけたのだ。


 刃が通らずとも伝わる、互いの鋭き痛み。その斬撃が、突きが、互いの身を抉るたびに、全身に伝わるその切れ味。


 されど。白鷹も、冬扇も、その痛みを表情に出さぬよう噛み殺す。痛みに動きを鈍らせぬよう、奥歯を噛み締め、獣の形相にて斬り合いを行う。


 その――苦痛に耐えながら斬り結ぶ両者を見て、ケイオゥスは己の中が満ちて行くのを、感じていた。


 苦痛に歪む者。それに耐えられず心が砕かれる者。苦痛に耐え、前に進む者。苦痛にまつわるあらゆる人間の模様が、己が心を満たしてくれる。


 二人の修練の立会を務めつつ。――己が性癖とは異なる部分の思索もまた、ケイオゥスは同時に行っていた。


 ――やはり。この武門の家は野放しには出来ない。


 眼前の戦いを見て、猶更思う。


 白鷹、そして冬扇。両者ともに凄まじい手練れだ。


 この二人すらも及ばぬ強者が――五人も、この家には君臨している。


 彼等の主は、一年後に領地権を失い。それと共に彼等は――己が主から解き放たれる事となる。


 解き放たれた先で、彼等が――己が所属する”霊媒機構”の敵となるやも解らない。


 ケイオゥスは思い出していた。あの時、はじめて――入鹿銘文と相対した時の事を。


 



 


 ――単刀直入に言いますと。一年後、玲瓏の支配権が新たな政府に移譲される時。入鹿家は我々、霊媒機構の一組織となりませんか、という提案をしに来ました。


 ローウェンとケイオゥスが玲瓏に来た要件の二つ目。それは、入鹿家を霊媒機構に己が機構に取り込む事であった。


 玲瓏を治めている倉峰家は一年後に領主権を叡の新政府に移譲する。そうなると、入鹿家はこれまで担ってきた指南役の看板を降ろす事になるだろう。


 銘文は、ジッと――ローウェンが提案する内容について、耳を傾けていた。


 ――先程話した通り。魔王そのものは滅びましたが、その影響は未だ広まるばかり。彼が作り出した魔道は各地に散らばり、その威光は神格化され教団という組織まで現れる始末。我々は、この地を守り切った貴殿の家の力を是非とも我々に貸して頂きたいと願う所存であります。


 そうローウェンが口にした時。銘文の口元が、大きく歪んだのを二人ともが見た。


 ――本音としては。お主たちは我々を野放しにしておきたくないのだろう?そして、どうせ首輪をつけるならば自分たちでありたいと。


 その瞬間から。銘文の目が変わったのを、二人は見た。こちらの心臓を握りつぶさんとする程の力を孕んだ目が、眼前の存在を値踏みしているのだと。


 屍の国、叡。絶えることなき戦の日々を、老境まで生き抜いた怪物の目がローウェンとケイオゥスを見やる。その目に籠められた力が、二人の仮面を剥がし。その奥にある本質を見定めようとしている。


 臆せば、死ぬ。そう本能が警鐘を鳴らすに十分な程の力がそこに在った。


 ――首輪をつけられる事は別に構わぬよ。我等のような戦馬鹿は、何者かの下についてこそ十全の存在となる。何せこちらは戦をするのは得意だが、戦場を用意する脳味噌を持ち合わせている訳ではないからの。だがのぉ。愚にも付かぬ飼い主の下で牙を鈍らすのだけは我慢ならぬ。


 故に、と、銘文は続ける。


 ――これよりお主等を通し、霊媒機構に依頼を出そう。魔王の残党がこちらに入ってきているというならば、その対処に力を貸してもらう。


 ――断る事は出来まい。ここには魔王の残党が入り込んでいる可能性があると自らお主等は申告し。そしてそれらの対処の為に傘下に入れと言ってきておるわけだ。まさかここで、依頼を断るような愚を起こす訳にはいくまい。我等を抱きこもうとするならば、吾輩もまたお主等を骨の髄まで利用させてもらおう。一年後までは、我等は玲瓏を守護する役割を全うせねばならぬからな。くかかかかかか.....。


「.....」


 今まで、暴力を匂わせこちらの本心を暴こうとしてきた手合いは幾らでも見てきたが。あれ程まで強烈かつ純粋な圧を、目を見るだけで感じ取ったのははじめての事であった。


 あの恐ろし気な気配を感じ取った瞬間の事を思い出すたび。ケイオゥス・ドゥンは――


「....ふふ」


 ――どうしようもなく、笑みが零れてしまう。


 己の中にある未知な部分が。恐怖を感じる度に震えあがり、それが己の心底からの喜色を引き出していく。胸が跳ね、ときめく感覚が全身に走っていく。


「ではでは。――ハクヨウ様。わたくしとローウェンの仕事の成果を、見せつけてくださいまし」


 


 白鷹と冬扇の稽古は、佳境を迎えようとしていた。


 傷はついていないが――互いが互いの得物の痛みが疼く。


「....!」


 


 そして。


 十文字の石突にて脇腹を打たれた白鷹が、一瞬動きを止める。


 先程、枝刃にて斬られた脇腹である。肉を抉りだされるような、凄まじい激痛。


 激痛に悶え動きを止めた一瞬。それを見て、冬扇は好機を見出し追撃の一撃を見舞わんと十文字を突き出す。


 そして、白鷹は――ここだ、と心中唱えた。


 己が身に走る激痛は、――かつての記憶を自然と呼び起こした。


 抵抗できぬまま捉えられ、死ぬ寸前まで嬲られ続けた記憶。氷雪の結界の中、身を凍えさせながらその目を抉った記憶。そして――時を経て呼び起こされたそれと、赤猿と共に刃を交えた記憶。


 その記憶は、これより呼び出す存在にまつわる記憶である。


 己が身に刻み付けられたその邪悪と強さを持つ鬼を、己が全身に走る激痛と共に強く、強く、想起する。


 左腕を己が眼前に置き。拝むように指先を揃えた。その時――白鷹と、迫りくる十文字の間に、何かが現れる。


「....む!」


 それは、影であった。人らしき輪郭を与えられた、墨汁の如き黒で染められた影。


 影は分厚く巨大な得物を持った、分厚く巨大な体躯を持つ――鬼の如き、姿であった。


「これは....!」


 影は得物を振り上げると、冬扇が突き出した十文字を地面へ叩きつける。


 その斬撃は、あまりに重かった。


 十文字を通じて――その衝撃が腕全体に駆け巡るほどに。


 一撃を見舞うと、影は消え去るが。


 影の上から――白鷹の短刀が、冬扇の喉元へ突き付けられていた。


「――負けね」


 寸止めされた布に巻かれた短刀を一瞥し。冬扇は十文字を手放した。


「アレは.....貴方の仇敵、藍坂牛太郎だったわね」


「.....ああ」


「成程。――素晴らしい覚悟だわ。しかし....やっぱり甘いわね白鷹。寸止めするなんて」


「無駄に痛めつける趣味は俺にはねぇよ」


「そう」


 


 冬扇はそう言うと――刃を引きかけた白鷹の手を、左腕にて掴む。


「....?」


「貴方の優しさは解るけど....敗北は、その身に深く深く刻み込まなければならない。一生忘れられぬ記憶として」


 そして。


 右腕は――布地に包まれた短刀の刃を掴む。


「....おい」


 恐らく。その右手には、指先が滑り落ちるほどに鋭い痛みが走っているであろう。


 その痛みに表情を歪めながらも。されど――籠める力は、変わらない。


「この死痛をもって――己の戒めとさせてもらうわ」


 そして。


 短刀の切っ先に――己が喉元を突き込んだ。

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