第14話 戦に生きし親の願いは

 入鹿八柳は死に行くものの温度を知っている。


 それが、――彼女の力の源であるが故に。


 入鹿八柳は、死に行く母と同衾し一夜を過ごす儀式の果て。母の瞳術を受け入れた。


 力の衰えを感じた母は。己が力を娘に託すべく、毒を飲んだ。


 毒により衰弱し、死に近づいていく母の身体は。時が過ぎゆくごと冷たくなっていく。死がもたらす人間の冷たさを、その身を以て味わう。まだ幼子であった八柳は、その全身をもって死がもたらす冷たさを理解した。


 味わわされ。理解したその冷たさを、己が瞳を通し相手に流し込む。それが、入鹿の瞳術。


 ――我等の一族は、雪女郎の力を引き継いでいる。


 ――その所以はもう解らない。入鹿の遠い祖先が雪女郎を討伐した時に呪いを受けたのかもしれないし、雪女郎の力を何らかの方法で取り込んだのかもしれない。何らかの因果を以て受け継がれしこの力を入鹿は探求し、家門へ遺し、ここまで来た。


 ――八柳。貴女は氷雪の才がある。だから貴女にこの力を継がせる。


 己の中に。氷雪の下となる因子が刻み込まれた。


 それが己の肉体を凍り付かせる。力があるうちは、その体温は死者の如く冷え切ってしまう。母は己が体温が生者のそれに戻ってきているのを感じた事で、その力の衰えを自覚したという。


 故に。急ぎまだ幼子であった八柳にその力を継承する事を決めた。それは自身の死を意味していたが。その事実にさえも、母はただ無感動であった。


 ――よいか八柳。魔道というものは精神的な作用が大きく働く技巧となる。より多くの知識を持つ者。より多くの才を持つ者。そして、より己の精神を制御できる者が、高みへと行く。


 ――そしてこの瞳術は、より精神の制御が必要となる。何故か?それは、制御できねば周囲に不幸をもたらすからだ。


 精神を凍り付かせよ。感情を封じ込めよ。それら全て、その目から力となりて溢れ出す。


 心に、強固な蓋をせよ。


 ――降り積もる憎悪を、仕舞い込むのだ。己が敵を眼前にするまで――。


 凍り付いた表情は何も映さぬ。心もまた同様であれ。


 そうして――入鹿八柳は、玲瓏きっての氷雪魔道の使い手となった。


 身も心も凍え切った、冷酷の女王として。


 



 


「....ふぅむ」


 入鹿銘文は諸々の報告を八柳から受けると。ただそう呟いた。


 


「氷晶結界は抜けられ。転移魔道により多数の手勢を入れられた可能性があり。そして――術者なしの『書』による召喚が行われた、と。どう思う?来禅」


 巻物が積み重なった塔の中。座敷にて巻物に筆を走らせていた入鹿銘文は、その隣にて同じく報告を聞いていた入鹿来禅に声をかける。


「最悪だな。倉峰様の気が短ければ打ち首もんだぜ義父上殿。こっちの所領から敵性勢力が侵入してきた挙句、未だその犯人の足取りさえ掴めず仕舞いとはな」


「あの客人には礼を言っておかないとな。――とはいえ、白鷹か赤猿のどちらか目覚めたらまた詰めて聞かねばならない事もあるな。特に、”紋章内に足を踏み入れた瞬間に””術者もなしで”召喚が行使された絡繰りについて。何やら、魔道具らしき石があったらしいがな」


「多分赤猿がそろそろ目覚める頃だろうが。あの客人に話を聞いた方が早いだろ」


「あの者達は例の紋章の調査に向かっておるよ」


「さいで。それじゃあ赤猿か客人か、早く戻った方に話を聞くか。――しかし、白鷹はよく討ち取ったものよ。藍坂牛太郎。かつて我等を滅ぼしかけた怪物をな。師匠冥利に尽きるというものだろう、来禅?」


「いいやぁ。所詮、召喚体の制限の最中で戦っていた奴を討ち取っただけ。それも、赤猿の手を大いに借りて。――次は単独で殺し切れる程には強くなってもらわねばなァ」


 


 八柳の報告に対して、口では悲観的な言葉を並べてはいるものの。銘文も来禅も、共に口元は笑みが零れていた。二人は血は繋がっていないが、その性質はあまりにも似通っている。己にとって有利であれ不利であれ、慮外の出来事に対して喜色を浮かべるその在り方は、元から似ていたのか。はたまた銘文の性質が来禅にも移ったのか。


「....お父様」


「何だ?」


「私は学院に行くべきでしょうか?」


 


 これまでの諸々を聞き。――八柳は、未だに終わっていないのだと思った。


 何かといえば、何もかもが。自分が生まれるよりも前に続いてきた全てが――未だ終わっていないのだと。魔王は滅びによって神格化され、残党は軍勢から教団へ姿を変え、未だこの世に存在している。


 魔王という大木が切り倒されたとて。その根は未だ大地に根を張り、種子はばら撒かれ、死滅へと至っていない。あの者に関わる全てを根絶やしにせねば終わらぬ戦いが、未だ。


 そう、未だ。未だ――新しい時代、などというものは存在していないのではないか。一歩を踏み出さんとした足が、囚われる。未だ終わっていないのだと。


「行くべきか、か。八柳。一つ教えてやろう」


「はい」


「”べき”、かどうかは他者ではなく自分に問うものだ。魔王の残党共を始末する為に自分の力を使うべきだとお前が思うならそうすればいい。止めはしない。――でもな、八柳。お前はそっちに行かねぇ方がいいと吾輩は思う」


「何故ですか?」


「吾輩も。そしてそこの倅も。魔王が滅んで。国の体制も変わって。時代が変わる、ってなった時。心の何処かで途方に暮れているのよ。虚しさがある」


「虚しさ、ですか」


「そう。虚しんだよ。――何だかんだ、吾輩たちは戦の為に生きてきたんでな。戦でより殺せるため。戦でより生き残るため。一生をかけてきた。そいつを取り上げられちまって、喜ぶ気持ちもありながら、虚しいのよ....」


「.....」


「吾輩もそう。来禅もそう。この家の大概がそういう連中ばかりよ。だから内心、残党がいて正直ほっとしている部分もある。残党がまだいる。だからまだ戦えるんだってな。――だがお前は違う。戦が無くなったら無くなったらで違う方向へ足を向けられる強さがある。そいつは、この家じゃあ得難い代物よ」


「.....」


 


 ――八柳はその時、白鷹が「戸惑っている」と自らに打ち明けた時の事を思い出していた。


 戦が終わって何もなくなる虚しさを抱えているのは、彼だけではない。皆が皆、同じ思いを抱いているのだと。


「この道に残されているのは、ただの後始末。魔王が残した痕跡を一つ一つ掃除するだけ。我等のようなものはそれでも、虚しさを少しでも埋めてくれるだけ上等なものだがの。――別の視界が開けている者に関わらせるには、あまりに忍びない、しょっぱい生業よ」


「.....」


「後始末如き。戦しか知らず、他を知る気もない我等のような連中に任せておけばよい。――願わくば。お前はお前が新たに見ようとしている場所へ向かってほしいと思っている。それが吾輩なりの親心よ」


「.....お父様」


「この時を得るまでに、捨て石になった者が数多くいる。お前の母もその一人。そして、吾輩はお前すらも捨て石にするつもりであった。だから、その力を継がせたのだから」


「.....」


「好きに生きよ。それが許される世になったのだから。――それだけが、吾輩の望みだ」


 



 


「さあて、来禅よ」


「何だ、親父殿」


「今回の件。――わざわざ罠を仕掛けてたのは、どういう意味合いがあると思う?」


 八柳が塔より去った後。銘文は来禅にそう問いかけた。


 


「情報を敢えて渡して出方を見たいんだろうな。知らない技術で先遣隊が死ねば、こちらとしても警戒せざるを得ない。今回、はじめから白鷹と赤猿の精鋭を出したから死なずに済んだが。あの二人じゃなけりゃ間違いなく死んでた」


「そう。今回得た情報というのは、いずれにせよ後々吾輩等にも流れてくる情報なのだろう。だから敢えて早く流したのだ。ーー知ってしまったからには対応を練らねばならず。そして敵方はその対応を何処かで見ようとしている。近々、どうしても警戒を割かねばならない時が訪れるであろうからな」


「豊戦祭か」


 玲瓏では、七日後に祭が控えている。


 周囲の村々から人が集まる催し物。それも戦明けで久々に開かれるとあり、当然人出が多くなる。――当然、その分警戒する必要が生じてくる。


 


「祭を取りやめるかどうかは倉峰様の裁量だが。まあ、やるだろな。となれば、祭りが開かれるまでの間に余計な悩みの種は早々に片付けねばならん。――使えるものは何でも使わんとの」


「その使えるものの範疇に、あの客人も含まれるんだな」


「うむ。それが、連中との二つ目の話と繋がってくるからの。――ああ。ちなみにだが彼奴等はもう客人ではない。むしろ我々が客の立場よ」


「む?」


「奴等に吾輩が仕事を依頼し、そして奴等は受諾した。故に吾輩等は依頼者で、客という事になる」


 


 くく、と銘文は声を漏らす。


「魔王を滅ぼしたか何だか知らぬが。こちらを利用せんとするならば、こちらとて使うてくれる。互いが利用する関係においては、如何にこちら側が骨の髄まで利用できるかの姦計勝負だ」


「姦計か」


「そう。全ては姦計よ。――あの『竜』の紋章も」


 ふん、と銘文は鼻を鳴らし。――少しだけ、懐かし気に目を細め、


「.....馬鹿者が」


 と。ポツリ呟いた。

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