第13話 死地より現れしは

 白鷹は、今の状態で氷晶結界を自力にて抜けるのは不可能であると判断した。鷹に変じて脱出する方策も考えたが、長時間変化できる余力は今の自分にはない。

 だから。彼は辺りの雪を火の符で溶かし、そこに氷雪の加護を付与させた結界を敷く。


 ──後は。己の肉体が許される限り、この結界を維持し。助けを待つ。


 それが、白鷹のこの場での判断であった。で

 赤猿が生きて玲瓏に戻り、状況を伝えられていなければ詰み。その上で、自身がいる位置が探索可能範囲内である事。そして──助けられるまでに、自分の肉体が限界を迎えない事。

 これらすべての条件が重ならなければ、自分はここで死ぬ。

 だが。それでいい。赤猿と共に生き残る為の道だ。赤猿が生き残らねば己もまた死ぬというならば、それは仕方がない。


 ──奇跡を信じる。


 この結界が維持できるのは一日が限度。大猿が玲瓏に戻るまで、どれだけ短く見積もっても半日はかかる。そして捜索隊が編成され、こちらに来るまで──氷晶結界内を捜索する準備にかかる時間も含めれば、一日半はかかる。そこから捜索が始まると考えれば、間違いなく己を見つけてくれるまで三日以上はかかる。つまりは──どれだけ短く見積もっても、丸二日は氷晶結界の中で、結界なしで耐えなければならないという事だ。

 ひたすらな我慢勝負。凍傷で手足の一、二本失うのは覚悟しなければならないだろう。


「手足が無くなったら──源太郎に頼んで、義手義足を仕込んでもらおう」


 それでいい。生きてさえいれば。四肢が無くなろうとも──死ぬよりも、きっと八柳はましな顔をしてくれるはずだ。


「.....保ってくれよ」


 願うように、そう白鷹は呟いた。どんな形でもいい。生き残ってくれさえすればいい。

 本音が、溢れていく。

 魔王が死んだ後。自分が何をしたいのか解らなかった。実のところ、今も解ってはいない。生きる指針は未だ見つかってはいない。

 だが。一つだけ確かな事があった。──死にたくない。死んで、赤猿の意思を無駄にしたくない。何より八柳を悲しませたくない。ただそれだけの理由が、生への執着を生み出していた。

 何故。何故、死が目前に来るまで解らなかったのだろう。自らの愚かさに心底呆れかえってしまう。

 だが。それでも己の愚かさを通じて、見えてなかった本音が見えた。


 ──生きていたい。ただそう願った。願いを胸に、白鷹は結界の中座り込んだ。


 どれだけ願おうと。後は待つほかないのだ。

 結界を張ろうとも、身体を蝕んでいく氷晶結界の低温に打ち震えながら。ひたすらに待つ。疲労と寒さで意識が朦朧としてくるが眠る事は出来ない。さりとて無駄に体力を使う事も出来ない。ただ己の肉体が助かるか、凍え死ぬまで。ひたすらに待つ。気が狂いそうになる。これは、心が折れても死に向かう。気を強く持たねばならない。信じろ。ひたすらに信じろ。奇跡を、信じろ──。

 どれだけ時間が過ぎたであろうか。日の光が一度消え、朝焼けを見送った。結界が維持できなくなり、覚悟を決めた──その時。

 異変が、起きていた。


「.....?」


 空を見上げると。黒い孔が開かれていた。

 それは彼方から空間を斬り裂き、その切っ先から諸手を突っ込み開いたような。そんな黒色であった。

 黒色は辺りに吹き荒れていた暴風を呑み込んでいく。風は渦を巻き、濁流となり、空から舞い振る雪ごと──黒い孔の中へ。

 数刻の内。黒色が縫われるようにその孔が閉じていくと。低温を運び込む風も、降雪も、全てが消えていく。己の身を蝕む低温の地獄が、消え去っていく。

 その代わりとでもいうかの如く。閉じられた孔の位置から氷塊が生まれていく。

 空が水面となり、急激に凍り付いていくような。日の光に反射する透明が広がっていくその様は、あまりにも異様な現象であった。

 その異様さに目を見張ると共に──白鷹はその現象を起こしている人物と、その目的を悟る。


 ──アレは目印だ。


 彼は即座に懐より符を取り出すと、空に向け放つ。

 軽い爆発が空に一つ浮かぶと。それを目印に、氷塊から真っすぐに伸びる氷の道が出来上がっていく。

 その道の上を眺めていると。氷の上を滑走する何者かの姿が現れる。

 それは、最初は小さな点であったが。時間が過ぎゆくごとに明瞭な形となり、白鷹の目に映り込んでいく。

 いつもの着物姿ではない。毛皮の外套の下に、水色の陣羽織を着込み。長い黒髪を後ろ手に縛った女が、一人。

 外套も羽織も髪も、全てを風になびかせ。女は氷の上を滑っていく。


「──白鷹....」


 あっという間に、白鷹の頭上に滑走してきた女は。その足元に白鷹を見つけた瞬間──。


「白鷹。疲労困憊の所申し訳ありませんが、両手を拡げ、腰を落とし、体幹を維持し、受け身の用意をよろしくお願いします」

「え、おい、八柳、なに...」

「行きます」


 氷の道の上より、飛び降りた。

 非常に整った体勢から、しっかり勢いを殺し、真っすぐに白鷹の下へと飛び降りる。

 ぎょっとした表情を浮かべながら、白鷹は女──八柳の指示の通り、両手を拡げ腰を落とした。

 首にかかる柔らかな両腕の感触の後。空から舞い降りた八柳の体重が覆いかぶさっていく。


「ぐぇ」


 何かの戯曲の中で見た事がある様な気がする。雪の最中にて、空から舞い降りる女を男が抱き止めるこの状況。

 だが。至極疲労困憊の最中、気を張り詰めていた白鷹は。想像の埒外な現れ方をした八柳の身体を完全に受け止める事叶わず──肺の空気を吐き出しながら、雪の上に倒れ込んでいた。

 視界が反転し空を映すと、先程まで降っていた雪は消えていて。日の光が燦々と降り注いでいる。

 視界の外側から。ぬるりと八柳の顔が割り込んできた。


「.....何故、飛び込んできた」

「以前より一度やってみたく思っておりまして。本日めでたくその機会に恵まれたからです。──まあ仮に白鷹が受け身に失敗したとて、八柳は傷一つつかない自信もありました。ここしかない、という機を八柳は得たのです。知的好奇心というものですね。.....知的?」

「可愛げが無くなるから打算の部分を打ち明けるな」

「....」


 八柳はジッと白鷹の目を見つめる。やはりというか。相変わらずの無の表情を浮かべていた。


「ずっと、気を張っていたのですね」

「.....助けに来てくれてありがとう」

「当然です。──赤猿からの報せを受け。即断でここまで来ました。本当に、無事でよかったです」


 その言葉を聞いた瞬間。白鷹は一つ息を吐き、両拳を握り締めていた。

 ──良かった。本当に良かった。赤猿は生きていた....! 


「.....赤猿は、どうなっている?」

「仔細は後々話すことにします。ひとまずはここより脱しましょう。今は八柳の魔道により氷晶結界の効果を封印していますが、あまり長くは持ちません」

「了解。──ん?」


 白鷹は八柳の手を取り立ち上がったが。八柳は手を離す事無く、そのまま白鷹を背負った。


「.....八柳?」

「では、行きましょう」


 八柳が上空を睥睨するだけで、上空に向け垂直に伸び上がる氷の道が出来上がっていく。

 その道の上に八柳が足をかけると。道と足が凍り付く事で接地する。

 しゃり、しゃり、という音が。次第に氷を踏みつけ、蹴り上げるがり、がりという音に変わっていく。それと同時に背負われている白鷹の視界が、大地より離れていく。

 がり。がりがりがりがり。氷の道を踏みしめる音と共に、八柳と白鷹の身体が上空へと向かっていく。


「お...おお! 思ったよりも怖いなこれは!」

「そうなのですね。白鷹は空を飛び慣れているので、あまり新鮮味が無いのかと思っていましたが」

「自分の羽で飛ぶのと、背負われてるのじゃ感覚がかなり違うよ。新鮮だ」


 ほとんど垂直の氷の道の上。息一つ切らさず、凄まじい速度で八柳は走っていく。いつしか顎砲山の山頂を超え、山の全貌を捉え、彼方にある玲瓏の領地の姿も見えてくる。

 鷹に変化した姿からはいつでも見慣れているはずの光景であるが。誰かに背負われた視座から見えるそれは、まるで違って見える。


「では、一気に降り立ちますよ。しっかり捕まっていてくださいね」

「了解」


 そして。玲瓏を一望できるほどの高さまで登ると。今度はその視座から斜めへ降る道筋の氷の道が生まれる。

 その道へ八柳は足をかけ──そのまま滑り降りていく。

 不思議だ。山をも越える高さから、氷の上を滑空している。鷹に変化した時でもあり得ない速度で地面へ墜落して行っているというのに──恐怖を感じない。

 顎砲山の調査に赴き、かつての仇敵と戦い、そして氷晶結界に転移し。幾度となく絶命の危機を味わわされ感覚が鈍っているのかもしれない。その感覚が心地よいとすら感じていた。

 と、いうより。これら全ての危機を何とか凌いだ先に現れた八柳の姿に──心底から安堵してしまったが故なのかもしれない。

 だから。


「なあ八柳。つい今、唐突に決めた事がある」

「はい。どうしました?」

「お前が雲仙に行くなら、俺も着いて行く」


 そんな事を、言ってしまった。あまりにも唐突で、状況にそぐわない言葉であるが。

 言わざるを、えなかった。


「……その、とても嬉しいですが。よろしければ、そう決断頂けた理由を聞いてもよろしいですか?」

「俺はさ。この前も言った通り、生きていく指針だったり、目的みたいなものが今はないんだ。魔王が滅んだ後も。魔王の残党をがいるって聞いた後も。それで──また復活しやがった仇を前にしても。以前の俺には戻れなかった」


 ひらひら、と。白鷹は己が手の中にある藍坂牛太郎の『書』を掲げる。かつて己が全てを奪った仇敵が、形を変えどもまた眼前に現れたが。──殺したい、よりも。生き残りたい、が己の中で勝った。勝ってしまった。だからこのようになった。


「……今回、すんでの所で赤猿に救われたが。俺は命を捨てなければならない所まで追い詰められたんだ」

「……」

「その時俺は──"やりたい事"は見つかってなくても。"やりたくない事"はあったんだと、死にかけて気付いた。俺は──お前を悲しませたくなかった」

「……そう、ですか」

「俺の思い上がりなら笑ってくれ。俺が死んだ時に、お前がどんな風に思うのか。想像しただけで恐ろしかった。死にたくない、って。心の底から思ってしまった。かつては死んだって殺してやると思っていた相手を前にしても」

「.....白鷹」

「俺はお前の表情が見れなくても。お前の感情とか、思いとか、そういうのが全部じゃなくとも解るようになってきたつもりだ。──俺が死んだらお前は悲しむ事も理解できた。そう思ったら。俺が傍にいたら少なからずお前は喜んでくれるんだなとも思った。だから、お前が望むなら付いていくと決めた。──俺はお前に笑ってもらいたいんだ」


 そこまで言い終えると。八柳はそうですか、と呟いた。

 やはり。抑揚というものがあまり感じられない声音。それでも、白鷹には伝わるものがある。


「....何というか、その。本当に言葉に言い表せない程。胸がいっぱいです」

「そりゃあ良かった。──こっちは死ぬほど恥ずかしい思いでいっぱいだ」

「恥ずかしがることなんてありません。ここには八柳と白鷹しかおりませんから。──こういう時。笑う事が出来たら、凄く気分がいいんでしょうね。嬉しいのですけど、同時にもどかしさも感じるのです」

「....そっか」

「でも。──こうして自分の内側の不足を感じ取れる程に、色んなものに目を向けられているという証左でもあります。このもどかしさを味わえる事すらも、幸せに思えます。....ただ、白鷹。私は──」


 笑えません、と言おうとしたのだろうか。表情のない己では、白鷹の望みを叶える事は出来ないと。

 だが。その言葉を切るように、白鷹は言葉を挟み込む。


「笑えているよ。──感情は、表情だけで表すものじゃないとさっき言っただろ」

「....」


 景色が下降していき、見える世界が狭くなると同時、鮮明になっていく。

 空へ向け疾走し、地へと滑走する──この不可思議な時間が終わっていく。何となく惜しい気分に白鷹も八柳もなっていた。顎砲山と玲瓏を一望する景色の中、二人だけ。いつまでもこの時間が続いてくれたら、と。双方共に思っていて。そしてそう互いに思っている事が、互いに伝わっているような気がしていた。

 だからこそ。白鷹は顔を顰めていた。


「すまん、八柳。そろそろ限界が来ている」

「はい」

「こいつを...」


 氷晶結界に転移してから夜が明けるまで一睡もせず結界の中で耐えていた白鷹の身体は、現界を迎えようとしていた。救出された安堵により、全力で身体が休息を求めていた。

 意識が飛ぶ前に。白鷹は取得物である藍坂牛太郎の『書』を八柳に手渡すと共に、顎砲山の調査に向かった後に起こった出来事を簡潔に八柳に伝えた。


「.....受け取りました。それでは、おやすみなさい白鷹」

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