第12話 凍り付く大地にて、決着
──この世に溢れるあらゆる存在には美点が存在する。どんな存在でもだ。
──お前が生きていた村に住む者共も。俺の悦楽の贄としての価値があった。死に際に、俺がその価値を見出してやったのだ。素晴らしい事だ。
──俺は鉄火場にて強者と斬り結ぶ瞬間が何より好きだが。弱者を蹂躙し犯し奪い喰らう事もまたこれはこれで好い。愉しかったぞ。
──そしてお前は美しい目をしているな。強い目だ。
──全てを奪われた瞬間の目は二つに一つ。絶望か、憎悪か。お前は憎悪を宿している。その昏い炎は、至極美しい。
──その憎悪が、いつ絶望に変わるか。俺はそれが見たい。だから殺さずにいてやる。殺さず、その目が堕ちるまで、心を砕き切ってやる。
そんな事を言っていたな。それがどんな感情か、全く理解できないが。
俺は、最後の最後までお前に折られる事は無かった。苦痛も、屈辱も、全て飲み下して、お前の両目を抉ってやった。
故郷を滅ぼされた男に連れられて。己が無力をまざまざと見せられて。気分のまま殴られ嬲られようとも。他の村々が燃やされていく様を見せつけられようとも。何も出来なかった。
毎日、ただ焼かれていた。身体が苦痛に喘ぐたびに。心が屈辱に軋むたびに。憎悪が炎となり己を燃やしていた。
この炎に身も心も燃やし尽くされれば──きっと、お前が言う所の”絶望”になるんだろう。
だが。それでも。俺は──どれだけこの炎に焼かれようが。燃え尽きる事は無かった。
──この身を焦がすほどの痛みを、お前にも味わわせてやる。
そうだ。俺はただそう思っていたから。生きてこられたんだ。奪われるだけではいやだ。無為だけを残して死ぬのはいやだ。何より──こんな奴の思い通りに、絶望を宿して死ぬのだけはいやだ。
だから死ぬわけにはいかなかった。絶望に逃げるわけにはいかなかった。憎悪に身を焦がして尚生きなければならなかった。俺だけが不幸を味わわされて死ぬのは嫌だ。俺の不幸を啜って幸福になっている奴がのさばったまま死に行くのは嫌だ。憎悪は、絶望に押し負ける事は無かった。絶望の中死に行くを、俺は拒否したんだ。
あの時。俺は。お前の目を抉り取った果てに、来禅師匠に殺されたお前を見て。
間違いなく。俺はどす黒く燃え上がった感情と共に、笑えていたはずだ──。
「.....]
「むう....!」
氷を纏った雪が吹き荒れる。強烈な低温が風と共に刃先のように皮膚を突き刺し、体温という体温を奪い、感覚という感覚を麻痺させていく。
全てが凍り付く。全てが死に行く。吹き荒れる風の一つに。舞い上がる雪片の一つに。その全てが氷雪の魔道を纏いて、中にある命を凍り付かせていく。
ここは──生命を否定する氷雪の園。氷晶結界の内部であった。
「そうか....! 貴様、残された”転移”の紋章を発動させたのか....!」
魔道を発動し。その行使が失敗すれば中途にてその効果が途切れる。
例えば炎を彼方に放つ魔道であるならば、標的に達する前に消える。例えば対象を凍り付かせる魔道であるならば、一部だけ凍らせ止まる。
例えば──対象を転移させる魔道であるならば。指定された転移先に至ることなく、その途中で放り出される。
「あの紋章は、俺達が使う”転移”魔道の原型となった紋章で、俺も赤猿も知ってはいた。だから発動する位なら出来る。──発動するだけで、確実に失敗はするだろうが」
推測が正しければ。あの”転移”の紋章は。魔王の残党が己が手勢を、氷晶結界を経由させる事無く送り込ませる為のもの。
で、あるならば。転移が失敗し、途中で放り出された先には氷晶結界があるのは必然であった。
故に。両者は──この凍える地にて、相対している。
「....失敗したとはいえ、”人”を転移する魔道。行使すれば、最早余力を残す事は望めまい。だがこの身には、今だお前の魔道が残っている──紋章を発動したのは、お前ではなく、赤の忍の方か.....!」
藍坂牛太郎は、氷晶結界の中にいると理解した瞬間より。即座に自らが纏う鱗に耐寒機能を底上げする加護を付与する。それでも尚、彼の内側からじんわり広がる、氷雪の冷たさがある。
未だ、彼の中には白鷹が仕込んだ氷雪魔道が残っている。
人を”転移”させるという難度の高い魔道。失敗する事が前提とはいえ──使い慣れぬ紋章を使った上で、発動まで持っていく。余力など、絶対に残らぬはずだ。
で、あれば。眼前の男に余力があるという事は──魔道を行使したるは、毒を受けた赤の忍の方。
赤の忍びが糸によりこの男の魔道の行使を代行し、その負担を背負ったのだ。
「愚かにも程があろう。──お前も、あの忍も。双方ともが死ぬ選択をしたわけだ」
戦闘の中にて毒を喰らい、ただでさえ身体に限界が来ている最中。転移の魔道まで使ったとなれば──その負担は、命を潰すも同義であろう。
自らの命を潰し。敵と、そして同胞を死地へ送ったのだ。
あのまま白鷹が術を行使すれば赤猿は生き残れたであろう。それか、赤猿を見捨てれば白鷹は生き残れたであろう。
愚かとしか言いようがない。二つのうち一つは生き残る事が出来る状況をむざむざ逃し。二つ諸共に死ぬ選択をしたのだ──。
「俺も、愚かだとは思う」
牛太郎の言う事は至極正しいと、そう白鷹も思う。
あまりにも不合理。あまりにも割に合わぬ賭け。この死地より白鷹が生き残れる可能性も。赤猿が毒と魔道の負担に耐え生き残れる可能性も。限りなく低い。
されど──赤猿も白鷹も。双方ともが生き残る可能性が唯一残された道。それが、ここだ。
「だが──いざ死ぬ、となって俺は俺の本音と向き合えた」
「....本音?」
「お前なんかの為に俺は死にたくない。俺には生きなければならない理由がある」
だから、と。白鷹は言う。
「俺はここから生き残る。そして──きっと赤猿も生きていると信じる」
牛太郎は白鷹の目を見る。そこには──明らかな安堵の色があった。死なずに済んだ事に対して、隠しきれぬ感情がそこに宿っている。
かつてあった色など最早なく。限りない憎悪も絶望もなく。かつて牛太郎がどうしようもなく惹かれた代物は、そこに存在しなかった。
生き残れたことに安堵し、生き残る為の希望に縋り、足掻かんとする──ひたすらな”人間”の姿。
「で? お前の方こそどうするんだ?」
「む?」
「お前こそ、この状況に陥った時点でもう詰みだろ? ──氷晶結界の中まで、お前のお仲間は『書』の捜索には向かわない」
「....」
「そして。じきお前は消える」
藍坂牛太郎の肉体は、氷晶結界の雪煙に紛れ──その輪郭が、光と共に消えかかろうとしていた。
白鷹と赤猿との戦いは──想定以上に彼の命の刻限を狭め。そしてこの結界に入り込み、己に加護を敷いた。肉体の限界にもうじき到達する。そして、ここで己が肉体が消えれば、己を召喚する為の『書』はこの地獄の氷晶結界の中に残される。
自身の『書』を仲間に回収させる事はもう不可能となった。
「どうする、と尋ねられれば。──決まっておる」
光の中に消えそうな男は、それでも笑みを浮かべる。己が肉体が消えようとも変わりない。己の肉体は。精神は。魂は。──何処までも、最期の時まで闘争を求める。
牛太郎は、肉斬り包丁を構える。
「──行くぞ!」
最早これ以上魔道は使えぬ。されど彼は左手に握っていた『書』を足元に捨て。両腕にて得物を握り、藍坂牛太郎は白鷹に斬りかかる。
──さあ。全霊をぶつけろ。
動きそのものは、やはり鈍い。先程自らが仕掛けた氷雪の魔道はまだ効いている。その上でもう新たな魔道の行使も出来ぬはずだ。
ここに至るあらゆる全てが敗北していた。戦う能力も。仕掛けた策も。──赤猿がいなければ、間違いなく自分は死んでいたであろう。
だが。この一瞬。この瞬間だけ。この男を上回る事が出来れば──それでいい。
白鷹は己に振り降ろされる肉斬り包丁が視界を埋め尽くし。その頭蓋に刃が触れる、一寸の間に──己が左手を眼前に持って行き、拝む。
拝みと共に、紋章が空に刻み込まれ。白鷹の身体は淡い光に包まれる。
その光は吹き荒ぶ雪に紛れ、消えゆくが──刃を振り降ろした牛太郎の視界に、微かに見えた。
己が得物の逆刃に止まる、白き鷹を。
鷹は、辺りに降り積もる雪と同じ、透く様な白色の羽根を拡げると共に──再度、光に包まれる。
牛太郎は──己が得物に膝を立て、両腕を拡げる白鷹の姿を見た。
膝立ちから飛び上がり、白鷹と、その刃が──己が首に向かう。
急ぎ得物を跳ね上げ、斬りかからんとするも。──肉斬り包丁の切っ先が魔道により凍り付き、地面と接着していた。
「が....!」
飛び掛かった白鷹の頭蓋が牛太郎の顔面にめり込み、視界を潰すと共に。短刀が頸動脈を斬り裂く。
幾度となく狙い、幾度となく跳ね返されてきた蛇の将の首。この瞬間に、漸く──白鷹は手にかける事が出来た。
鷹への変化にて牛太郎の虚を突き。得物を凍らせ一瞬の隙を作る。今まで見せてこなかった手札を、この最後の場面にて切った。
その絶技を味わい、死に行く。藍坂牛太郎の口元には、確かな笑みの形があった──。
「....見事!」
最後の最後。己が首を斬られ、血飛沫を上げながら遂に藍坂牛太郎の肉体は消えゆく。
それは薄暗い雪の最中。赤黒い光となって辺りを昏く照らし。風と共に消えていった。
残されたのは、藍坂牛太郎が地面に投げ捨てた自らの『書』であった。
あの赤い宝石が砕け散り、先程まで『書』の表には赤い血脈が浮かんでいたが。それももう無くなってしまっていた。
白鷹は、それを拾い上げ──数刻、ジッと見つめていた。
「....」
かつて仇敵だった男を己が仕留めた。
胸の内に何が来るかと思わば。──ただひたすらな安堵だけであった。生き残れた。まだ希望を繋げた。ただ、それだけ。復讐心からなる憎悪なぞ、何処にも無かった。
かつて。この男の両目を潰し、末魔を見届けた時。こんな風だっただろうか。あの時浮かべた笑みは、もっと薄暗いものであった気がする。
やはり、と思う。やはり──己が心内は、もはや変わり果ててしまったのだ。
戦の中で死ねるなら。少しでも奴等に不幸を味わわせて死ねるならば。それが上等の死に方であったはずなのに。今はもう死に方なぞどうでもよくて、ただ生きていたいという願いだけが存在していて。
「さて」
戦いが終わると共に。その負担が、一気に肉体に襲い掛かる。
転移の魔道こそ赤猿に負担してもらったが。藍坂牛太郎との戦いの最中に刻まれた疲労と、仕掛けた魔道による負担は決して軽くはなかった。
「外傷がないのがせめてもの救いだな。──よし」
そうして。
彼は、凍り付いた木々の傍に寄り。結界を仕掛け始めた――。
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