第9話 藍坂牛太郎

 召喚という魔道がある。

 またの名を”黄泉降ろし”。

 黄泉に旅立った御霊と肉体をこの世に顕現させる魔道。

 要は──死んだ者を、限定的に蘇らせる魔道の事である。

 死、という不可逆現象を限定的であるが覆す機能を持つこの魔道は。非常に難度の高い魔道だと知られている。

 特に──呼び出す存在の人格なども含めて召喚を行う場合。古代言語による『書』の編纂が必要となる。

 その人物の過去、性質、技術や能力──そういったものを古代語を用いて書く。古代語にて編纂された『書』を補助器具として用いて、召喚魔道を行使する必要が生じる。そうせねば、あまりにも術者の負担が大きいからだ。

 今──この瞬間。

 かつて玲瓏に攻め込みし蛇の将が、召喚魔道によりこの世に顕現した。


「さて」


 ──何故だ!? 

 地面に埋め込まれていた『書』は、この男──藍坂牛太郎について記されたものであったのだろう。

 だが術者がいない。『書』は召喚を行うにあたっての補助器具ではあるが、術を行使する機能はない。必ず術者による魔道の発動が必要となる。

 恐らく、紋章内へ入り込んだ瞬間に発動する罠であったのだろう。しかし、このように──無人にて行使される召喚魔道による罠など、聞いた事もない。そもそも、仮にそれが可能としても──死した人間を、人格までそのままに完全に再臨させる召喚など。多人数の魔道士の協力か生贄が無ければ行使できるはずもない。

 

 白鷹も赤猿も、双方とも眼前の現象につき、当惑を覚える一瞬があった。

 が。

 その何故を追求するよりも──やるべきことがあった。


「どうしてまたこの世に舞い戻ったのかは知らねぇが──もう一度地獄へと落ちろクソ野郎」


 かつて玲瓏の喉元まで軍を進め、敗北寸前まで追い詰めた男。放置して、玲瓏の地に再び足を踏み入れさせるわけにはいかない。

 男の頭上に蛇の紋章が浮かぶと共に、その全身に鱗が覆われる。

 

「よかろう! 俺の両目を潰した報い──ここで受けてもらおうか!」


 高揚と共に、殺意が充満していく。右手に握る肉斬り包丁が振るわれると共に、嵐の如き暴風が吹き荒れる。

 鬼が、そこにいる。


「....」


 憎悪と、恐怖。己が過去の記憶が回帰すると共に、心中に渦巻くそれらの感情を──白鷹は叩き伏せた。

 それら全て抑え込み。今にも眼前の男を殺しに向かわんとする思考の流れを制御する。今の自分は復讐者ではなく、入鹿の忍だ。

 暴風を纏った刃が、白鷹の頭上に振るわれる。


 ──大丈夫だ。見える。

 鬼の膂力から生み出される、あり得ざる速度の斬撃。されど白鷹は──斬撃が放たれるその前に、その挙動からの読みを通していた。

 背後へと飛びずさり、斬撃から逃れる。

 斬撃が地面へ叩きつけられた際に起きた衝撃を身に受けた瞬間──これはまともに受けられないと悟った。

 ならば。正面から相対する意味はない。

 白鷹は、飛びずさる動作と並行し懐より取り出した符を牛太郎に放つ。


「小癪.....!」


 己の肉体へ飛来する前に。牛太郎は横薙ぎの斬撃にて符を斬り裂く。

 瞬間──眼前に爆炎が吹き荒れる。

 その炎は牛太郎に傷をつける事は叶わなかったものの──視界を潰す事には成功する。

 白鷹はその上で『書』を握っている左手側へ移動し──死角側から飛び込む。

 狙うは、牛太郎の頸動脈。

 首ならば──鱗さえ貫けば、致命傷を与えるのは容易い。相手の得物も符の対処の為に振り切っている。──このまま、懐に入り込み掻っ切って殺す。

 白鷹は牛太郎の懐に入り込むと同時、踏み込んだ足から氷雪の魔道を行使。牛太郎の左足を氷漬けにし、足を封じる。


「ほう。紋章も詠唱もなしで魔道を使えるのか。だが所詮は羽虫。通じぬわ!」


 視界を潰し。足を凍らせ。その上で『書』を持った左手側からの死角を突いての急襲。

 しかし。牛太郎は符を叩き斬った得物の勢いをそのまま転嫁し、左膝を折り曲げ上体を下げながら──左足に纏わりつく氷を砕きながらの回転斬りを行使。

 白鷹の襲撃よりも早く、斬撃を届かせていた。

 ──読まれていた。

 瞬時に首を諦め、短刀にて牛太郎の斬撃を防ぐ。

 それはまさしく、万力であった。己と肉斬り包丁との間に刃を挟んで尚、己が肉体に叩きつけられる衝撃は骨から臓腑までを揺らしていた。

 刃から手首へ。手首から腕全体へ。そして全身へ。波状の衝撃が己に行き渡り、喀血しながらたまらず後方へ吹き飛んでいく。

 ──ただの、食らい損ねの一撃。それが、ここまで....! 


 だが。


「──よくやった、白鷹。後はワタシと蘭丸がやる」


 白鷹と牛太郎の攻防の直後。赤猿と大猿が、牛太郎を挟み込む。

 大猿が低い体勢から、牛太郎の脛を大鉈で狙い。赤猿は、天に引いた糸を掴み牛太郎の頭上から──首を狙う。

 初手の襲撃は対処されたが──牛太郎の視界が潰された瞬間、動いていたのは白鷹ばかりではない。赤猿もまた、追撃を企てていた。

 恐らく、白鷹の攻撃により左右の死角への意識は割いているであろう。故に赤猿は頭上の死角を取った。魔道により空に固定された糸を足掛かりに、得物である鎌を構え、飛び掛かる。


「莫迦め。──俺に、死角なぞない」


 大猿の脛斬りを上飛びにより回避する動き。──空中へ飛んだ、という事はもう回避手段はない。

 狙い通り。この瞬間──赤猿もまた糸から飛び込み、牛太郎へ急襲をかけた。

 赤猿のそれは、至極完璧であった。間違いなく、地面に両足がつくまでの間に首を掻っ切れる瞬間を見定め、赤猿は飛び込んだ。

 されど。白鷹は気付いていた。


「赤猿、行くな──!」


 赤猿が飛び込んだ先。牛太郎の頭上に──魔道が張られている事に。


「な」


 喉元に赤猿の鎌が到来するよりも早く、牛太郎の左腕からの裏拳が赤猿の面を打った。

「ぐ.....!」

 その左手に『書』を持ち、拳を握り込めない状態での裏拳。それでも確かな威力を内包したそれは──赤猿の面を砕くと共に、その身を後方へ倒れ込ませた。


「赤猿!」


 白鷹は赤猿の窮地を救うべく、左手を起点に氷塊を形成し、放つ。

 牛太郎は、脛斬りの為身を屈めていた大猿の頭を踏みつけ、驚くほど身軽な体捌きをもって背後へ飛びずさり──白鷹の魔道の軌道から逃れつつ、距離を取った。

 頭を蹴りつけられた大猿の頭部は割れ、己が体毛に、同色の血液が流れ来る。

 牛太郎の周囲には、魔道により構築された線が六角を象り展開され、その内側に古代文字が描かれていた。


 ──こっちが爆炎で視界を潰したと同時に、こいつも『探知』の結界を張っていたのか....。


 牛太郎の周囲に貼られているものは『探知』の結界であった。

 結界内部に侵入した事物の位置を術者に伝える効果を持つ結界魔道。いつの間にやら、この攻防の最中に己が周囲に張り巡らせていたようである。

 どの瞬間に結界を刻んのか。白鷹は理解できていた。

 紋章符による爆撃で視界を塞ぎ、死角からの襲撃を仕掛けんと動いた瞬間。牛太郎は爆炎の中で『探知』の結界を敷く事で不意打ちの対策を行っていたのだ。

 何たる速さ。そして、──何たる判断力。

 恐らくは白鷹が符を取り出した瞬間より、狙いを読んでいたのであろう。


「...」


 面が壊れ、赤猿の顔が露わになる。異様なまでに長い赤の睫毛を背後で結び背中に流した少女。灼熱のような赤目に、鮮血のような瞳孔を宿した彼女は、裏拳により切った口腔に溜まった血をぺっ、と吐き出した。


「──あの『探知』の結界がある限り死角からの暗殺は望めない。連携で沈める」

「了解。苦しいが、やるしかねぇ.....!」


 こちらの数少ない利は、身軽さと、身軽さを活かした死角からの攻めであったが。あの『探知』の結界が不意打ちを完全に防ぎにかかっている。

 残る利は、数の差しかない。


「──来い、羽虫共」


 白鷹と赤猿は左右に分かれ、牛太郎を挟み込むように襲い掛かる。

 その様を一瞥し。──牛太郎の顔面に、鬼の如き凄絶の色が刻み込まれていた。

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