第8話 ”鬼”、雪の上にて

 見つけた、と。そう脳内で呟いた。

 顎砲山の上空。一匹の鷹が雪の中を旋回している。

 それは白い鷹であった。

 瞳の黒色以外、全ての体毛が白色に染まった鷹は、空を舞いながら何かを探していた。

 その何かが見つかったのであろうか。旋回する動きから、突如として地面へ向け落下する。

 地面へ激突するか、否か。その瀬戸際に立った瞬間――鷹の姿は、露に消え、少年の姿が現れる。

 少年は、白鷹であった。


「――認識阻害の結界」


 白鷹の眼前には変わらない雪山の景色があった。雪が降りつもる地面と、木々の姿。

 しかし、白鷹の目には――微かに、魔道の姿を捉えていた。それは空間に区切りをもたらす境の存在。現界と異界を分かつ結界の存在であった。


「赤猿にこの場所を知らせてくれ」


 そうして、白鷹が鷹の形態から人に変わった瞬間。背後より、何者かの姿が近づいてくる。

 それは、巨大な猿であった。

 その背丈は、白鷹二人分はあるだろうか。赤い体毛の上に紅色の着物を着込み、その背に大鉈を負った大猿であった。

 大猿は二足にて直立し、腕組みをし、真っ赤な瞳で白鷹を見つめていた。そして、白鷹の言葉を聞き入れると、一つ頷き、音もなくその場を離れていった

 その巨躯にて木々の枝葉に飛び移る姿が白鷹に見える。木々の枝葉一つ揺らす事無くあっという間に消え去った姿を見届けて、ほんの一瞬の間の事であった。


「見つけた?」


 あっという間に消えた大猿が、あっという間に再度現れる。その肩に――赤猿を乗せて。

 この大猿は、赤猿の手勢の一つであった。


「見つけた。認識阻害の結界がここから貼られている。もし魔王の残党がいるのなら恐らくこの中だ。――どうする?一旦報告に戻るか?」

「いや。報告するにしても、ある程度中の情報を知ってからにするべき。認識阻害の結界なら出入りに妨害は入らないはず。中に入ろう」

「了解」


 白鷹は腰に差した鞘から短刀を取り出し、結界の中へ一歩を踏み出した。

 結界により区切られた境を超えた瞬間。先程まで見えなかった代物が、突如として姿を現す。

 それは――雪の上に刻み込まれた紋章であった。

 


 白鷹と赤猿は、当初の予定通り、日の出と共に顎砲山の調査に赴いていた。

 鷹に変化する魔道を持つ白鷹が空より、猿の手勢を持つ赤猿が地上より捜索を行う。

 広く、高低差のある山岳地帯である顎砲山の捜索は長い時間がかかると想定していたが――存外に、早く見つかった。

 それというのも。結界が設置されている場所は、玲瓏側にある氷晶結界の程近くであったから。

 結界に足を踏み入れ、見えたのは――雪の上に刻まれた紋章であった。


「紋章はあるが、術者はいない。――白鷹。この紋章に覚えはあるだろう?」

「....」


 古代文字を重ね合わせ作った、大口を開けた”竜”の紋章。この紋章に、嫌という程白鷹は覚えがあった。覚えがある故に、白鷹は思い切り顔を顰めていた。


「泉生の、竜の紋章か....」

「正解。――まあ、白鷹が忘れている訳はないか」

「そりゃあ、な....。この紋章で、梅木様が死んじまっているからな。忘れられねぇよ」


 梅木、という言葉を白鷹が口にすると。赤猿もまた少し、悼むように押し黙った。


「――紋章の効果は、”転移”。入鹿で使われている”転移”の紋章の、元となった代物」


 泉生は叡の北西に位置する所領であった。領地の中心に巨大な湖があり、その主とされる竜への信奉から魔道が興った。

 玲瓏とは距離が近く、当初は互いの所領を狙い戦が続いていたらしいのだが。顎砲山の向こう側にある北方の勢力の脅威が強まると共に同盟関係が築かれた。

 同盟が築かれた後。泉生と玲瓏は互いが持つ兵法の共有をはじめ、取り入れ始めたという。そして取り入れた後、それぞれの魔道の体系に合わせて改良も重ねてきた。

 この竜の紋章も。そうして泉生から玲瓏へと渡ってきた紋章の一つである。

 現在、”転移”の魔道は玲瓏でも使われており。白鷹や赤猿などの忍にとっては、物資や武装の移送、もしくは仕入れた情報を書き記した書簡を玲瓏に送り届ける為に用いている。その原型となった紋章が――眼前に刻み込まれている。

 交流を重ねてきた二領であったが――時代が進み、魔王に付いた側と反した側に分かたれ。そして泉生は魔王と共に滅びた。そういった経緯により玲瓏に渡ってきた紋章が、眼前にある。


「この紋章。どういう風に使用されたと思う、赤猿?」

「恐らく氷晶結界の突破の為に設置されたのだと思う。――あの結界を超えられる程の加護を付与するだけでも相当の負担。大人数での移動は間違いなく不可能。だから、まずは少人数で結界を通り抜けて。転移の魔道を用いて自らの手勢をここに引き入れた――と。状況だけ見ていればそう推察できる」


 魔王に寝返った勢力が使っていた紋章が一つ。それも転移用の魔道で使われる代物。

 恐らく――氷晶結界を乗り越えてきた侵入者が、手勢を引き入れるべく紋章を刻んだのだろう、と。そう推測が出来た。

 さらに最悪なのが、もう紋章の効果が切れ術者の姿もないこと。手勢の引き入れはもう既に終わっているという事を如実に両者に伝えていた――。


「だが赤猿。転移の魔道の使用もそれはそれで無茶じゃないか....?」

「.....普通に考えれば、無理なはず」

「氷晶結界を抜けるだけでも相当な負担がかかる。その上で”人”を転移させる魔道の行使――それも氷晶結界を通り抜けるほどの距離での行使は、流石に現実的ではない」


 転移魔道は、何を転移させるかによってその負担の度合いが変わってくる。その中でも”人”は最上級に負担が強い代物となる。

 転移魔道は基本的に対象を分解した後に、転移位置で再構築するという過程を経る。転移対象の構造が複雑であればあるほど、術者の負担は強くなる。

 氷晶結界が張られている距離は長い。山道を歩きなれている人間でかつ、顎砲山の地形を頭に入れた人間でも最低四~五日はかかる程度の距離。

 加護なしではものの数秒でその身を凍り付かせる氷晶結界を抜けた後に、転移魔道を用いて、それだけの距離が離れた”人”を転移させる。どれだけ腕利きの魔道士であろうとも、こんな無茶苦茶な事が可能なはずがない。

 だが。眼前の光景は――不可能であるはずのその行為が、間違いなく行われたであろう痕跡そのものであって。

 白鷹も赤猿も不可解な眼前の紋章に首を傾げながらも、一先ず辺りの調査を始める。

 その一環として、白鷹が紋章内部へと足を踏み入れた瞬間。

「....?」


 刻まれた紋章の中心。開かれた竜の口辺りから、血のように赤い光が大地より漏れ出ていた。

 恐らくは――紋章の中心部分に、何かが埋め込まれているのだろう。


「.....」


 白鷹は即座に紋章から飛び去ると、赤猿と目を合わせる。

 先程まで、機能を失った紋章の中心部分。白鷹が足を踏み入れた瞬間に光が溢れ出した。

 ――紋章を刻んだ地面の中に、何かが埋め込まれているのだ。この紋章を調べようと、足を踏み入れた瞬間に発動する何か。

 この紋章の機能の復活か。はたまた新たな魔道か。どの道ロクな事しか起きない事は解り切っているが。調べない訳にはいかない。これが――もしやすると、先程浮かべた疑問の答えになり得るかもしれない。

 とはいえ。不用意に近付くわけにもいかない。


「赤猿、頼んでもいいか?」

「頼まれた」


 赤猿は両手を交差させ印を結ぶ、その眼前に一匹の猿の影を”召喚”する。

 現在隣にいる大猿を、小型化させたような猿の影であった。同じ着物を着込み、その両脇に小振りの鎌を差している。輪郭は見えるが。輪郭の内側は全て墨汁の如き黒い影に覆われている。

 猿の影は紋章へと足を踏み入れ、両手を使い紋章の中心にある地面を掘る。


 その果て。見えたものは、二つ。


 一つは、一冊の横綴じの書物であった。黒い装丁の上に刻み込まれた白い古代文字の表題が描かれている。

 二つ。それは、書物の上に置かれた一つの石であった。 

 あまりにも禍々しい代物であった。薄闇色の宝石の中、幾つもの赤色の管が通り、鼓動のように蠢いている。

 それらが地面に掘り起こされ、空気に触れた瞬間。


 石は、砕け散る。


 血飛沫のように赤の液が弾け飛び、砕け散った欠片が辺りに散らばる。その余波をまともに受け、猿の影は紋章の外に吹き飛ばされ、消え去る。

 爆破の衝撃により、雪煙が舞い上がり視界が塞がれる。辺りに展開されていた認識阻害の結界も、この瞬間に消え去った。

 その光景を見た瞬間。白鷹も赤猿も、その双方が一瞬のうちに戦闘態勢を整え、隅で座り込んでいた大猿もすぐさま主の下に駆け寄ってくる。

 本能も、理性も、この先に起こる危機を彼等に伝えていた。

 ――その地面に埋め込まれた書物。その正体を、二人は知っていた。

 雪煙の中。吹き飛んだ赤い液は、その下に置かれた書物に染みこむ。

 染みこむと共にそれらは書物に新たな赤い管を作り上げていく。そして、その表題の色を、血の色に染め上げていく。


「――久しいな、この空気」


 雪煙の中より、何者かが現れる。

 赤く染まった書物を手を左に。己が身の丈を超える肉斬り包丁を右に。――巨体の男が現れる。


「....お前」


 白鷹は大きく目を見開き、呆然とその姿を見ていた。

 知っている。この男を白鷹は知っていた。忘れたくとも、忘れる事叶わぬ存在であった。己の肉体、精神の奥底が疼き出す程の憎悪と。脊髄に氷が流されたかの如き吐き気を伴う悪寒が走った。

 ――赤黒く変色した脂肪。今にも眼窩から飛び出そうなほどに見開かれた眼。弛んだ頬を吊り上げ犬歯を剥き出しに唸りを上げる口元。


「――そうだ。この空気の中俺は死んだのだったな。二度の死を超え、また俺は回生を果たしたか。今度は如何ほど生きていられるか。とはいえまずはやるべき事がある」


 さて、と男は言う。


「お前等の肉体に聞かせてもらおう。――俺を二度殺した、入鹿来禅の居場所をなァ!」


 男の名は、藍坂牛太郎。

 かつて。玲瓏が作り上げた氷晶結界を乗り越え進軍し、その果てに入鹿来禅・入鹿八柳率いる軍勢に敗北し、討死した――元魔王軍の将であり。

 そして。


「む」


 藍坂牛太郎が白鷹の姿を捉えた瞬間。

 一瞬、己の記憶を振り返り。眼前の少年の記憶を思い起こさんと思索の時間に入り。

 その正体を思い知った時。――その口元は、更なる笑みの形を象った。


「く.....ははははははははは!貴様か、童!そうかそうか、あの時俺の命を喰らいて、こんな所まで生き延びたか!いやぁ、愉快愉快!美貌は焼け、そして――憎悪も消えたか!」


 その表情に刻まれる笑みの形は更に深くなり。その口先から流れる声は、嘲りの音となり白鷹の耳朶を打った。

 藍坂牛太郎。

 白鷹にとっては――己が故郷を滅ぼし、そして白鷹を己が寵童として召し抱えた張本人であった――。


「ならば再び思い出させてやろう!この俺に刻み付けられた、憎悪をなァ!」

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