第86話 「狂怒」

 硬く冷たい地面、鼻に残るホコリの匂い。

 そんな事を感じながら俺は目が覚めた。


「うっ……」


 頭が痛い。それに顎も。……そうだ、確か俺はあの女にやられて……くそっいてぇ。


「目が覚めたかガウル・ウルフガンド」

「なんだ?」


 声がした方を向くと、鉄格子の先に3人の女が立っていた。

 1人は獣人を虐げていた人間の代表たる、憎きアイファ・ディ・スレイン。残る2人の薄緑髪と暗い赤色の髪の女は知らねぇ。


「なんだてめぇら。俺に何のようだ」

「ほう、そこにぶち込まれて置きながらその態度か。反省の色が見えないな。国家反逆の罪は重いぞガウル・ウルフガンド」

「はぁ? てめぇは何を言って……」


 暗い赤色の髪の女に意味分からないことを言われ反論しようとするが、また頭が強く痛む。

 そして、サラリナ・ウィンテスターとの模擬戦を思い出す。


 俺はあの時何を口走って……? 俺がこの国の国王になる?


「ちげぇ、俺はそんな事望んでねぇ。俺は……俺は……」

「今更何を言っても無駄ですよ。あんな事を公衆の面前で叫んでるんですから。それに王族もいたんです。言い逃れできませんね」


 薄緑の髪をした女が俺を憐れむような目をしながらそう言う。


「俺を憐れむなぁ! 馬鹿にするんじゃねぇ!」

「モイリア、下がっていろ。お前は無意識に人を煽る。この手の輩には逆効果だ」

「副会長もその言い方煽ってませんか? お互い様ですよ」


 眼の前でごちゃごちゃごちゃごちゃと女どもが騒ぎやがる。どうしてこうも俺の話を聞かねぇ。


「そうだ、そうだよ! 俺は騙されたんだ! あの女が薬を渡してきて! そこから俺は――ッ!」

「そうだ、その話をしたかった。私に、王族たるアイファ・ディ・スレインに全てを話せ。誰が薬を渡した。その女の特徴は何だ。何を唆された。いつその女に出会った」


 憎きアイファ・ディ・スレインが今まで見たことのない表情で語りかけてくる。静かに、落ち着いて、一切の起伏を感じさせない声色で。


 だが俺にはその平らさこそが、強い怒りに感じた。

 それがクソほど腹が立つ。いつもいつもこいつらは俺ら獣人を馬鹿にして、それで訳分からねぇとこで利用しやがる! いつだって、いつだってそうだ!


「おまえ……お前ら人間は傲慢で強欲で……何処までも身勝手だ! 数が多けりゃ正義か! ただ謝れば過去が許されるのか! 俺らを虐げた過去を認めておきながら俺らの過去を俺らに返そうとしねぇ!」

「そうだな」


 どこまでも平静を保つアイファ・ディ・スレイン。この女の感情は俺に一切向いていない。こいつの内に潜む怒りに俺の感情が届かない。

 眼の前にしたその女の途絶えぬ怒りに誘発され、俺の怒りも止め処なく溢れてくる。


「俺の親父には7人の兄弟がいた! 全員人間に殺された! 猫人族は水が豊富で果物も多く実る豊かな森に暮らしていた! 人間が何の理由もなくいきなりそれを奪い! 挙句の果てには謝罪のみで森を返さねぇ!」

「そうか」

「そんなことばっかだお前ら人間は! それがなんだ? 自分達に降り掛かった不幸にはいっちょ前に怒りを見せやがる! 自分は不幸だってつらしやがる! 元々てめぇらの幸せは俺ら獣人の不幸で成り立ってんじゃねぇか! それを見ねぇで何が不幸だ! 何が怒りだ! てめぇらがやって来たことが返って来てるだけだろうがぁ! てめぇらの理不尽で幸せを無理やり作ってたのが元に戻っただけじゃねぇか!」


 鉄格子を掴み、何度も何度も頭を打ち付ける。

 このどうしようもない怒りに理性が飲み込まれないように。何を言ったって変わらないこの不条理な世の中を少しでも壊すために。


「それが全てか。ガウル・ウルフガンド」

「はぁ……はぁ……」

「言い切ったなら早く話せ。あの女に何を唆された」


 何処までも俺を見ていて、何処までも俺を見ていない。俺の中にいる、俺の過去に出会った女しかコイツは見ていない。


「……獣人の真実と人間を滅ぼす策を与えると言われた」

「そうか。いつ接触された」

「入学前だ……いきなり現れて話をしようと言われた」

「何を話した」

「人類を滅ぼす計画とやらだ。あいつらは――」


 そこからは全部話してやった。もう何も意味はない。俺が何かをする必要がない。全て理解した。悟った。


 この世界は人間のための世界なんだ。

 じゃなきゃ俺が利用される理由ねえよな。

 じゃなきゃ俺が捕まってこのまま死ぬわけねぇよな。



 ◆◆  ◆◆



 side アイファ・ディ・スレイン


「それにしてもアイファ様はなんで何も言い返さなかったんですか?」


 風紀委員会書紀のモイリア・モールド・ミャリア・ルフが楽しそうに私に話しかける。


「言い返さなかったとはどれのことだ? あの狼人族の父親のことか。それとも猫人族のことか」

「両方ですよ。だってあれどっちも人間悪くないですよね?」


 彼女の言っていることは正しい。

 あの狼人族の父親の兄弟といえば、スレイン王国国王を殺そうと画策していた7人組のはずだ。それを実行に移した段階で国家反逆罪で処刑されている。

 猫人族が住んでいた土地と言えば、元を辿れば人間が神を崇めるために聖地として使っていた土地だ。それを奪った猫人族から取り返したに過ぎない。


「そうだな、だがそれを言って何になる。もう過ぎたことだ。全てに決着が着いている。もし事実を説明しても、決してあいつには響かないだろう」

「響かなくても説明しないと認めてるみたいじゃないですか」

「それこそどうでもいい。あいつは自分でこの道を選んだ。一度道を違えたものは自分の信じる事実以外は認めない。無駄にエネルギーを使うだけ無駄だろう」


 私がそう説明すると、彼女はニヤニヤとしながらゆっくり頷いた。


「なるほど~あんな罪人の事はどうでも良いってことですね!」

「はぁ……少しは静かにしていろ」

「は~い分かりました。……でもあの狼なんか最後勝手に諦めてましたね。薬でおかしくなったんですかね」

「黙ってろ」


 ただただ楽しそうにしているモイリア・モールド・ミャリア・ルフと、一言も言葉を発さないアイリス・グーディリアとともに地下牢から外に出る。

 ここは学園風紀委員会室。地下牢は風紀委員会の部屋からしか行けないようになっている。


「それにしても相変わらず副会長はあそこに行くと必要な事以外話さないですよね」

「私はあそこは嫌いなんだ」

「そうなんですか。変わってますね」

「別に変わってはいない。逆にお前は地下に行くと人が変わるな。趣味が悪いぞ」

「すみません~」


 風紀委員会の2人が話している間に、私は1人で外に出る。そして、自身の寮へと戻る。


 寮へと戻る途中、建物の影から気配を感じる。そこに視線を向けると、真っ暗な影が出てきた。


「伝言です。『プレゼント達はどうだったかしら? 楽しくなってきたでしょう?』だそうです」

「そうか、お母様に伝えろ。余計な介入は不要、もう尻尾は掴まれているぞ。とな」

「了解致しました。王太女様」


 暗がりに溶けていく気配が、完全に消えるまでその場に留まる。誰にも気づかれてはいけない。


 私は何をしたいのだろうか。私は何をするべきなのだろうか。

 闇夜に消えるその気配のように私も消えてしまえたら楽なのだろうな。でもそんな事は許されない。



 私は王族だ。第一王女だ。

 民の希望であり民の剣でなければならない。

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