第3章 移り変わる日々といつもの日常
第87話 「衷心」
『大丈夫。私は分かってあげられる』
そんな言葉をかけられた。
共感して貰えるのは嬉しいし、なんだか救われたような気になるのも確かだ。理解して貰うというのは、媚薬に勝る効果があるかもしれないと私は思う。
でも、あの言葉では私の気持ちを理解してくれたとは思えなかった。
◆◆ ◆◆
人の目が気になる。
そう思うようになったのは中学1年生の夏だったと思う。
お母さんに似て胸やお尻に肉が付いてきて、自分が女性らしくなってきたのを自覚したから。
男子が私の胸やお尻を見て興奮している事に気が付いたから。
そんな理由だったと思う。
きっかけはそれだけに過ぎず、そこから先の感情は本当に何も意味のないものだった。
他人に言わせれば気のせいだったり、自意識過剰だとか言われる部類なのかもしれない。
けれど、気のせいだと意識した所でどうにかなる問題でもない。
今あの子私の事見た? 顔に何か付いてるのかな。恥ずかしい。
今私がご飯食べてるとこ見てた? 食べ方汚いかな。食べたくない。
今私を見て笑ってた? 私って変なのかな。外に出たくない。
そう考えてしまう人が居るのも忘れないで欲しい。なんて考える。
多分だけれど、私は弱い人間なのだろう。
自分の心に打ち勝てない。蓋を出来ない。欲を我慢できない。
学校も高校に入学してからは一度も行っていない。中学校を卒業したのを褒めて欲しい。それぐらいだ。
すれ違う人が私を見る。
コンビニの店員が私を見る。
電車の中で吊り革に掴まってる人が私を見る。
人口密度の高いこの世界では、私が人の視界から逃れる方法なんて1つしかない。
だから引きこもった。
「大丈夫。私は分かってあげられる」
お母さんがこの言葉を私に言ってくれた。
家族からの言葉というのは不思議と力を持っているもので、なんだか味方が出来た気分だった。私の事を理解してくれている気がしていた。
そんな時、ふとテレビに視線を向けてしまった。
『今日から貴女もクレオパトラよ』
日本でも有数の美容メーカーが、今期最高の仕上がりだと自負している化粧品のCM。その決め台詞。
その画面に映っているのは私に優しい言葉をかけてくれた人。
「お母さん、もう仕事行かないとだから。行ってくるわよ。晩ご飯しっかり食べなさい」
「うん。お仕事頑張って」
ドア越しに言葉を交わす。
時刻は22時。相変わらずお母さんは忙しい。
17歳で私を産み、18歳から子持ち女優として芸能界デビュー。その年齢で子持ちという世間からの評価が厳しくなる要素を抱えているのにも関わらず、絶世の美貌と称される見た目と女性として恵まれた身体を持って、一瞬で世間の目を奪った。
それに加え、逆境を押しのけてバラエティー番組までこなせる万能さまでを見せつけ、世間はお母さんに釘付けになってしまった。
『大丈夫。私は分かってあげられる』
やっぱり私の気持ちを理解しているとは思えなかった。
◆◆ ◆◆
周囲の視線が私に突き刺さる。
自意識過剰、気のせい、自意識過剰、気のせい。そう思いながら夜の街を歩く。
今日はどうしても家から出なければいけなかった。世界一好きなアニメの1番くじが今日からなんだ。確か――まぁ名前なんて良い。
他の用事だったら死んでも出ないけど、これだけは一刻も早く済ませたい。
そんな行動をするからこうなった。
「おねーさん可愛いねー! 何してんの? どこ行くの?」
男性2人組に声をかけられた。
金髪を剃り上げた関わりたくない感じの人と、ロン毛でジャラジャラと装飾品を付けてる関わりたくない感じの人。
「……コンビニです」
目を見る事が出来ずに俯いて返事をする。
どう見たってこっちはパジャマなんだから話しかけないで欲しい。本当にどっかに行って欲しい。
「えーコンビニかぁー! 俺たちが着いてったげるよ! 酒買おうぜ酒!」
「良いじゃん。おねーさんの分も買ってあげるよ」
これだから嫌なんだ。
視線を感じる。顔に、胸に、お尻に、脚に。それに私は未成年だ。失礼にもほどがある。
というかダボダボのパジャマ着て眼鏡もしてるのになんで声かけられるのよ。
「いえ、大丈夫です。すみません」
「いーじゃんいーじゃん遠慮しないでよー」
「きゃっ」
腕を掴まれた。ただ急いで逃げようとしただけなのに。
酔っているのか顔も近いし息も臭い。それに力の加減が出来てないから、掴まれてる腕が痛い。
「やめて——」
「お兄さん達さ、そういうのはやめた方が良いよ」
最終手段の金的をしようとした瞬間、見知らぬ男性が私を庇う形で割って入ってきた。
背の高い清潔な男性。ラフな格好だけれど、逆にそれが最高のオシャレのように見える。ように狙っている。
「んだてめぇ? 俺らはそこのねーちゃんに用があんだよ」
「彼女は君達に用はないみたいだよ? しつこい男は嫌われるぞ。それに——半グレが本物を敵にしたくはないだろ?」
助けてくれた男性が、小さくドスの効いた声で囁いていた。それに何かポケットサイズの小さな紙を金髪の方に渡していた。
その紙を見た瞬間、金髪は顔を青くし、走って逃げていった。
もしかしてヤクザ——?
「はははっ! まさかさっきド◯キで買った偽の名刺が役に立つとはな〜。人生何があるか分かんないものだね」
助けてくれた男性はひらひらと1枚の紙を揺らしながら、爽やかに笑いかけてきた。そしてその偽の名刺とやらを1枚私に見せてくれる。
『賀威倉事務所 姫嶋透』
黒の紙に金色の文字。如何にもそっち系の人の名刺だ。明確に893と書かれてない所がまた信憑性を高める。
「じゃ、僕はもう行くよ。また絡まれないように気をつけるんだよ~」
「あ、はい。ありがとうございました」
一目惚れ。なんて言葉が頭に浮かんできた。
恋愛漫画だったらバキューンとかドキッて効果音が背景に書かれているのだろう。
そんな漫画のような展開に、私は柄にもなく本当の思考を口に出してしまった。
「くだらなっ」
結局はさっきの人も私の全身を舐め回すように見ていた。
しつこい男から颯爽と助け、自分はあんな男じゃないと体現しているかのように素早く退散する。嘘なんだよこれって、普通の流れのように名刺を渡して、私がその名刺の事務所名を調べるように誘導する。
そんな思惑を感じた。
「賀威倉事務所……ほら、本当にある」
私の手元で光る画面には、外資系として検索にヒットした事務所があった。
「変わんないな」
◆◆ ◆◆
ある日の夜中。
ふと昔のことを思い出した。
『時雨さんってマジ可愛くね?』
『分かる! ヒキ子とは雲泥の差だな』
『バッ! 声デケェよお前!』
『あははっごめんって!』
中学3年生の春。放課後の教室。
夕焼けが差し込む教室の扉に手をかけた時、そんな会話が聞こえてきた。
私の容姿を褒める言動。その一方でクラスの地味子を貶す言動。
隠れた場所で言われたその言葉は真実味を帯びているし、男子たちの本音そのものなのだろう。
良い機会だ。って思った。
私はお母さんに言った。男子たちの視線が嫌だって。女の子を性の道具としか思ってないって。だから学校行きたくないって。
そうしたらお母さんはこう言った。
『やっぱり私の子ね。私も昔はそう思ってたから気持ちは凄く分かる。でもね、それは女の武器になるの。嫌がるよりも、もっと自分の事を見て貰えるように努力しなさい』
あーお母さんも男子達から見られる気持ちを分かってるんだなって思った。
あの優越感を。
そんな事を思い出しながらPCゲームをする。もうすぐ連続96時間プレイだ。精神力の全てを動員して不眠不休でゲームをやってる。
別に好きでも嫌いでもない、世間から名作と言われる異世界モノのゲーム。
「ふふ……これで私もあの主人公みたいに……」
『なに? なんて言ったの?』
とうとう眠気が限界に達してきた。通話相手の子に返事をする気力も湧かない。トイレも必要最低限しか行ってないし、食事も取っていない。飲食はエナジードリンクのみ。
そんな条件かつ、ずっと同じ体勢でゲームをしてるから体調も最悪だ。
「ふふ……やっぱお母さんは私の気持ちを理解してないよ……」
『だからなんて言ったのー?』
人から見られるのは本当に好きじゃない。けど、死ぬほど嫌だって訳でもない。
私が本当に嫌なのは――この世界の何にも興味を持てないこと。
だから適当に嘘ついて学校をやめた。勉強にも友人にも興味がない。常に暇で暇で仕方なかった。苦痛で仕方なかった。
そんな風に藻掻いてる内に、私は良いことを思いついた。
物語の主人公になってしまえば良い。転生して違う世界に行ってしまえば良い。
朦朧としてきた意識で打算に塗れた計画を実行する。
ゲーム廃人が異世界に転生して凄い力を手に入れる。そんな事を妄想して。
「じゃあねヒキ子」
『え? 呼んだ? おーい』
これにはアクセントも付けないといけない。
日常に悩んで、人間関係に悩んで、でも死ぬ勇気もない。通話していた相手が異変に気づくか? みたいな。
煙まみれの部屋の中で、薄れていく意識がお母さんの言葉を思い出させる。
『大丈夫。私は分かってあげられる』
やっぱりなんにも分かってないよ。
あーもう自分すらも騙す演技いらないんだ。
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