第36話 「真面目」 sideキラニア

「これが終わったら、君達の中にはスレイン王国で将来有望な若芽だと言われる子も出てくるだろうね。気を引き締めて頑張るんだよ。先生も期待してるからね」


 その先生の言葉に私は心が踊った。






 私は平民だ。海が綺麗な地方出身で、両親と3人の姉妹と暮らす6人家族。両親が毎日必死に働いて稼いだお金で生活している。


 私の住む港町は王都に比べれば物価も安いけれど、漁などの特定の職業以外はあまり稼ぎが多くない。とは言ってもスラム街に住むほど貧乏でもない。勿論贅沢を出来るほど裕福でもない。そんな家庭。


 私は家族が大好きだ。だから家族には良い暮らしをして欲しいし、妹達にはお金で将来を諦めるような事をして欲しくない。

 だから私は王立学園に行くことにした。


 それを決意したのが7歳の時。


 そこから必死に働いて、高い入学費用を貯めることが出来た。両親の負担にならなくて良かったと思う。




 私は私の身の程を知っている。

 私は凡庸で、国や世界を変えられるような偉大な英雄にはなれない。けれど、3人の妹やお父さんとお母さんを贅沢させてあげられるくらいの英雄にはなりたい。



 目指すのは小さな英雄だ。

 






「最初はキラニアさんか。あたしキラニアさんみたいに積極的な子は好きだよ。じゃあ頑張ってきてね」

「はい! 行ってきます先生」


 だから私は出来ることを何でもする。

 発言も沢山して先生からの覚えを良くするし、こういう絶好の機会では先陣を切って行くことで積極性をアピールすることができる。

 王立学園の教師は優秀な教師しか居ない。コネを作って損はないのだ。こんな些細の努力をして、私は小さな英雄を目指すんだ。



◆◆  ◆◆



 魔法陣に乗った瞬間に視界が揺れ、私は思わず目をつぶってしまった。

 

「――うっ……ここは?」


 目を開けるとそこは家だった。今住んでいる下寮じゃなくて、遠い地方にある実家。


「え、なんで……?」


 多分だけど魔法陣の故障だろう。国随一の魔法陣が不具合を起こせば、遠い実家に転移するなんて荒業も可能かもしれない。


 だけどなんだか少し様子がおかしい。


 確かに実家のある街は常に賑わっているけれど、それは明るい祭りのような賑わいであって、こんな切羽詰まった声が飛び交う場所ではない。


 以前災害級の魔物が港に現れた時のような――


「お母さん! お父さん! エラニア! ミイヤ!」


 返事を待つも、外からも家の中からも一向に返事は返ってこない。


 なんだか良くないことが起こっている気がして心がざわめく。

 この時間なら両親は仕事に出ているだろうから返事がなくてもおかしくないが、妹達の返事がないのはおかしい。一番下のフィーナはまだ赤ちゃんなので無理もないが、他の2人は8歳と6歳だ。返事くらいは出来る。


「嘘でしょ……いやいや、大丈夫。そんな訳ない。仕事に行ってるだけ。大丈夫……」


 嫌な予感に目を逸らし続けていた外の景色。


 外からは今もなお怒号が飛び交っている。

 何かに怒っているかのような声に何かを悲しむ声。

 何かを憎む声に何かを諦めている声。


 そんな異質さに目を向けられないでいた。


 でも……でも見なければいけない。向き合わなければいけない。家族を探さなければいけない。


「はぁ……はぁ……大丈夫、大丈夫……」


 意味もなく呼吸が荒くなる中、ギィィ……と家の扉を開く。家の扉は立て付けが悪く、見た目以上に重たい。

 だが、今日は何時にも増して重たかった。押すだけでも相当な力を必要としたし、音もおかしかった。何かを引きずるような鈍い音がした。


 手に残る重さに心臓が鼓動を主張する。呼吸も早くなり焦点が定まらない。嫌な予感が止め処なく胸の内から溢れ、震える手を抑える。


 扉を潜り、振り返った。そこには――


「いや……嫌よ……そんな訳ない。そんなはずない。こんなのって……ミイヤ……フィーナ……」


 三女のミイヤが赤子のフィーナを抱きかかえながら横たわっていた。大事そうに大事そうに、絶対にこの子だけは守れるようにと全身でフィーナを抱えながら扉に体を預けていた。


 足から力が抜けて地面にへたり込む。眼の前の惨状に視界が滲む。

 

「あ、あぁ……なんで……いったいどうして……」


 皮肉な事に、床にへたり込んだせいでより鮮明に2人の妹の惨状が視界に入る。

 ミイヤは無数の切り傷で全身を痛めつけられており、苦痛に顔が歪んでいた。それでもフィーナに向けて笑っていた。

 赤子のフィーナは胸に大きな穴が空いており、大きな武器で一突きにされたことが分かる。


 そんな光景が脳に届くやいなや、深い絶望とともに煮えたぎるような怒りが湧いてきた。


「誰が……誰がこんな事を!」


 改めて騒がしい外に目を向ける。



 この怒りを、絶望を……全ての元凶たる存在に叩きつけるために。 


 



 だがその怒りも長くは続かなかった。

 怒りの矛先を見つける為に家の外を見た。いや、見てしまった。


「あは、あははは、はっ……夢だ、夢に違いない。こんな事はないありえないありえない嘘だ嘘だ夢だ……」


 お母さんが。お父さんが。エラニアが……。見るも無惨な死体となってそこに重なっていた。


 3人共身体の一部が無い。お母さんは両脚が無い。お父さんは両腕が無い。エラニアは四肢全てが無い。

 3人共ミイヤと比べられない程に全身が傷だらけで、服も着ている意味がないぐらいぼろぼろになっている。



 思考も覚束ない中、霧を掻き分けているような感覚で3人に近寄る。

 混乱が極度に達して、歩き方も分からず地面を這いずるように。


「お母さん手紙届いたかな?」

「なんだか凄そうな人達が沢山居るんだよ」

「そうそう、ちゃんと合格したんだよ」


 言葉が溢れて止まらない。

 絶望が心を支配する。


「お父さんが作ったシチューが食べたいな」

「王女様が同じクラスでね」

「王都ってなんでもあるんだね」


 意思の強さなんて関係はなく、力こそが全てである。

 理想は脆く、現実は残酷だ。


「エラニア、学園にはね公女様もいるんだよ」

「楽しいよ学園」

「楽しいんだよ……」


 確かにこの前まで会話をしていた家族。

 今となっては何を語りかけても返事は来ない。

 心の中では会話をしているのに、私の耳にはその音が届いてこない。




 絶望とは何か。

 悲しみ? 諦め? はたまた怒り?


 

 ――否。絶望とは虚無だ。



 今となっては小さな英雄などどうでも良い。目的があろうとも幸せにする家族が居なくては何の意味もない。


 学園に入学した意味もない。

 生きている意味もない。

 だが死ぬ意味もない。


 私が死んだところで世界が変わるわけでもないし、悲しむ親族もたった今居なくなった。


 私の生も死も些細なことだ。




 ――ザッザッザッ




 そんな物寂しい耳に、土埃を舞わせるような足音が聞こえる。

 粗雑で荒々しい歩行音が2つ。


 その音は段々と私に近づき、私の眼の前で音が止まる。


 顔を上げると、全身鎧の人物が2人立っていた。2人とも顔が靄のようになっていて見えない。


『まだ生き残りが居たか』


 長身の男の言葉の通り、街の喧騒はいつしか止んでいた。


『おいおいおいおいぃ! もしかしてそのみっともなく倒れてるゴミ共の家族かぁ? 芸術だろうその死体達ぃ! 俺様が丹精込めて作った芸術なんだよぉ!」


 静かになった街に短身の男の声が響き渡る。酷く汚い不快な音。


『なぁクソガキ、これお前の親だったんだろぉ? 俺の前でお互いを心配する素振りを見せやがったから、律儀に両腕と両足をもいでやったんだよ! こう紙を裂くように丁寧にな!」


 短身の男が紙を裂くフリをしながら私の顔を覗いてくる。

 醜い容貌を更に醜く弧に歪めながら。


『女の方が男に駆け寄ろうとしたから、足をちぎって歩けなくしてやったんだ! そんな女を支えようと男が腕を伸ばしたから、今度は男の腕をちぎって支えられなくしてやった! そしたら無様に2人とも転んでやがった! ぎゃハッ! 滑稽だろう? 芸術だろう!? 芸術は過程こそが重要なんだよ!』


 嗤う。嗤う。嗤う。

 短身の男の嘲笑が静かな街に響き渡る。


『辞めろ。お前の趣味は悪い』

『うるせぇ! おめえもあそこのガキと泣いてうるせぇノミを殺ってたじゃねえか!』


 短身の男がミイヤとフィーナを指差しながら長身の男に言い返す。長身の男はそうだな、と返事をして黙り込んだ。



 そんな会話を聞いて視界が赤く滲む。薄水色だった視界が血のように真っ赤になる。


 2人の男たちへの怒りで理性が飛びかける。


 虚無。それは一時的に感じた喪失感であり、絶望の本質ではなかった――


『腕と脚を千切った時のあの2人の様子と言ったらもうそれは滑稽だったぜぇ! 助けて~妻だけは~夫だけは~ってなぁ!』


 絶望で崩れ落ちていた事など忘れ、足に力を入れて立ち上がる。


『それでな、そこの両手足無ぇガキが駆け寄ってきたんだけどよ、夫婦揃ってそいつに逃げろとか叫んでやがるんだよ! 涙と土でグシャグシャに汚れた汚ねぇ顔でだ! 面白いだろ? だから俺は2人の前でガキの両腕と両足をゆっくりゆっくり千切り落としてやったよ! ガキが暴れても俺様から逃げるなんて不可能だ! ガキの絶叫も2人の懇願する声も最高だったなぁぁ~~!』


 私の中で、ぷつりと何かが切れる音がした。


『辞めろ。不快だ――ッ!?』


 私は嘗て無いほどの力を使って短身の男に近づき、両手で両目を抉り取った。その汚い瞳で私の家族を見て欲しくないから。


 長身の男は私の動きを目で追っていたようだが、反応は出来ていない。


『ぐわぁァァァ! てめぇ! 何しやがる!』

「喋るな」

『待っ――ガヒュッ』


 そのまま蹲る男に近づき、腰に下げていた剣を奪い取って後頸部から一刺ししてやった。

 あんなに偉そうに威張っていたのに、短身の男はそれだけで絶命してしまった。


『辞めろ。私には勝てないぞ』


 短身の男の首に刺さった剣を抜き、長身の男に肉薄する。

 男は自身の腰の剣を抜いて応戦しようとするが、私の狙いは避けながらの戦いじゃない。こいつさえ殺せれば後はどうでも良いのだ。


『踏み込みが甘いな』


 相手の剣が私の心臓に迫る。だが、私はそれすらも無視して相手の首を狙って剣を突き出す。

 すると、相手の剣の軌道が変わった。


『くそっ……!』


 長身の男は焦った様子だ。

 この長身の男は最初から様子がおかしい。さっきも私の動きを知覚していたのに動けていなかった。もしかしたらこいつは動きと思考が噛み合っていないのかも知れない。


 だからこんな結果になる。

 剣が刺さっているのは私の左腕とこいつの首。つまりは私の勝ちだ。

 

『グファッ……恐怖を捨てた化け物が……』

 

 こいつは何らかの原因で行動が制限されており、そのせいで経験からの予想を含めて行動しているのだろう。だから想像で戦闘をこなそうとして、私が避けると予想した。

 心臓を突かれたら普通は絶命する。だから人間は恐怖心や危機管理能力から自然と回避行動を取る。でもこいつは私みたいな例外を予測していなかった。


「私は死ぬのは怖くないんだよ」

運命自然の摂理に逆らうな……』

「運命に従順して大切な人達を失うなら、私は運命なんてものは壊す」

『異端児め……これは想定外だ……』


 そう最後に捨てゼリフを吐き、長身の男が絶命した。





「復讐は出来た。それにもう学園に行く意味はない、か……。このままここに残ろう」


 そう呟いた瞬間、世界が崩れだした。


「は? ……え?」


 そこで思い出す。私は学園にある職業の力を高めるための魔法陣に立ったのだと。


 私の職業は『絶望純戦士』。純粋な絶望を感じれば感じるほどに力を増していく。欠陥品も甚だしい不十分な職業だと自然と理解している。

 皆を守るための職業なのに、絶望してからじゃないと力を発揮できないなど無能にもほどがあるだろう。


 なんて、職業を授かった時は考えたものだ。




 そんな風に自分の職業について考えていると、ひとつの仮定が思い浮かんだ。


「まさか――!」


 私の仮定を肯定するように、眼の前に魔法陣が現れた。

 そして世界はもうほとんど原型を成していない。


 そして思い直す。世界最高峰と言っても過言ではない魔法陣が、そう簡単に故障をするはずがないと。

 案の定、その魔法陣に乗ると元々居た学園に戻るった。


 ちなみに、今までの人生で出したことのないような力をいきなり出したからか、学園に戻ってしばらくして興奮が収まった私は、全身の激しい痛みにぶっ倒れた。

 先生たちには医務室まで運んでもらって申し訳がない。



 なんて一幕があったが、後日家族全員元気だという手紙が返ってきて安堵したのはまた別のお話だ。







 あ、そうだ。


 絶望は虚無だって言ったけど、あれは取り消すことにしよう。

 絶望は虚無と怒りの複合感情だったね。怒りこそ純粋な絶望の糧になるって気づけたよ。私もまだまだだね。

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