第35話 「剣」 sideアイファ・ディ・スレイン
「はははっノワ・ブルノイルらしいな。ヴェイルくん、私も行ってくるよ。私も最強の力を手に入れてくるからお互いに頑張ろう。ではな」
私は意気揚々と魔法陣へと立った。
ノワ・ブルノイルに負けないように。
ヴェイルに弱い人間だと思われないように。
無駄に高い自尊心を傷つけぬように。
無駄に高い好奇心を満たすように。
そんな欲に塗れた、為政者らしくない考えを抱えながら。
◆◆ ◆◆
目を瞑り転移を願えば、身体が浮いた感覚と共に転移先に到着する。
「ふむ、これは酷いな」
私の目眩や頭痛もそうだが、最たるものはこの空間だ。
一言で言えば荒れ果てた世界。正確に言えば地面に草花が1本たりとも咲いておらず、至るところに爆発の痕跡がある灰色の世界。
辺り一面に無数に転がる死体と、無数に地面に刺さっている剣。この世界に名前をつけるのなら『屍と剣の終末世界』といった所か。
「お姉ちゃん、この世界はどう?」
私が凄惨な世界に見惚れていると、左隣から声がした。
まだ舌が上手く回っておらず、幼い印象を受ける女の子。いや、印象ではなく実際に5歳程度のようだった。
「どうした。なんで君はこんな所にいるんだ?」
「ふふっ。私がここに居たいから。……でもね、お花が無くなっちゃったの」
「お花、か……」
無理もない。こんな荒廃した世界では、花という儚い物質は抵抗する間もなく消えてしまうだろう。なんとも悲しい話だ。
「お姉ちゃん、お花咲かせて?」
幼女が私の服の裾を掴みながら縋ってくる。子供らしい無垢の表情で。
「咲かせたいのは山々だが、私は咲かせるための種も育つまでの時間も持ち合わせていないんだ。すまない」
「ううん、違うよお姉ちゃん。ここはお姉ちゃんの世界。お姉ちゃんがお花が咲いて欲しいって願えば、お花は咲いてくれるんだよ」
「私が願えば……?」
そんな事はないと思いつつも、一度試すだけでこの子の願いが叶う可能性があるのならば試すべきだと思いなおす。だからほんの気まぐれで願ってみることにした。
咲かなかったとしても、試したことでこの子が納得してくれれば良いのだ。
「花よ、この子を彩る鮮やかな花よ。綺麗に咲き乱れてくれ――!」
目を閉じながら祈りを捧げると、薄くも華やかな香りが私の鼻をくすぐった。
「うわぁ!」
香りと少女の声に反応して目を開けてみると、眼の前に直径5m程の小さな花畑が出来ていた。
灰色の世界に似合わない虹色の世界が出来上がった。
「まさか本当に……!」
「お姉ちゃんありがとう!」
「いや、良いんだ。君が嬉しそうで私も嬉しいよ」
まさか本当に願うだけで花が咲くとは思わずに驚きつつも、幼女が楽しそうにお花で遊んでいる姿を眺める。
やはり子供とはこうでなくてはいけない。
「はい、お姉ちゃんこれあげる!」
「おお! 良いのか? こんなに可愛いものを私が貰ってしまって」
「うん! お礼だから!」
幼女の作業を眺めていると、幼女が見事な手際で花冠を造り、なんと私にプレゼントしてくれた。
それは白い花だけを選別して作ってくれたようで、荒廃した世界の中でも輝いている太陽に照らされ、どんな宝石にも勝る価値を私に見出させてくれた。
「……でも、でもね。今のこの世界の状況はお姉ちゃんの心なんだよ」
唐突に幼女が私の後ろを指差し、そんな事を言いだした。
「それはどういう――」
幼女の言葉に反応して世界を見渡すと、幼女の気配が急に消えた。
幼女が音もなく消えた。
手には確かに花冠が残っている。だから先程まで隣りに居たのは確実なのだ。それなのに、この見渡しの良い世界で幼女だけが消えてしまった。
「どういうことだ? それにこの景色が私の心とはいったい?」
その言葉が楔のように心に突き刺さり、じっとしていられずに小高い山に向かって歩き出す。
折れて先端のない両手剣。
屍に突き刺さりながらも輝きを失っていない片手剣。
屍の山の頂上に立つ屍。
屍を庇うようにして覆いかぶさる屍。
そしてその2体を無情にも突き刺している大剣。
荒廃した世界は、まるでこの世の悲劇を凝縮したような光景になっていた。どこか一箇所を切り取って見てみても、あらゆる悲劇が連想できる。
そんな光景に私はそっと花冠を被った。
特に意味はない。意味はないけれど、そうせざるを得なかった。
世界を無心で眺めながら、山を目指す。ただひたすらに歩き、ただひたすらに世界を脳に刻む。
歩くこと10分程度で山の頂上に到着した。山頂から周囲を見渡す。
そうしてみると、花畑の異質さと儚さが際立って見えた。戦争でもあったかのように凄惨な世界の中に、ぽつんと存在する花畑。
その花畑はあまりにも小さく、この世界全体から見たらほんの誤差でしかない程度の大きさだった。ただそれが救いのようにも思えた。
「虚しいな」
押し寄せる感情を剣を握ることで誤魔化し、花畑へと踵を返す。
時間を掛けて花畑に戻り、何をするべきか黄昏ていると異質な者達――この世界では正常かもしれない――が迫って来ていた。
それは戦争の敗者達であり、無念さを惜しげもなくその身に表現した者達。腐りかけた肉体を引きずりながらうめき声を上げている亡者達。
「屍共か」
腰にある剣を鞘から抜き、正面に構える。威力よりも速度を重視した為に軽いこの剣を、私は盾を持たずに振る。
守らなくてはならない花畑の為に、荒野との境目に立つ。
切っては捨てる。
切っては捨てる。
切っては捨てる。
勿論花畑には被さらないように。
「そういえばなんでこの剣があるのだろうな」
私は学園で授業を受ける際は帯剣しないようにしている。
王族なのだから護身のために持っていても良いという意見もあるのだが、素手でも負けはしないという自身があるから良いのだ。
――それに帯剣していると心が荒んでいかん。
「まぁでも……こんな機会が今後もあるのならば、帯剣した方が良いのかもしれないな」
屍共と戦闘をしていても、これぐらいの事を考えるだけの余裕はある。
屍の中には鎧を着ている者もおり、そいつらはただの屍に比べれば強い。だが幼少の頃から訓練してきた私に比べれば、練度も何もかもが低レベルだ。
はっきり言って児戯にも等しい。
そんな単純作業にも似た戦闘を繰り返し続け、1時間が経過した。周囲には屍共が積み上がっている。
「いったいいつまで続くんだこれは?」
児戯とは言っても物量攻めはそれだけで暴力である。切っても切っても押し寄せる屍の群れが段々と私の体力を奪っていく。
屍の首を刎ね、別の屍の胴を上下に断ち、また別の屍の心臓を一突きする。
何故かこいつらは花畑を狙っている。それにずっと同じ方向からくる。なのでこちらは一歩も動くことが出来ない。進みも出来ないし引くことも出来ない。只々ひたすらに迫りくる屍を倒すだけの時間だ。
そんな一体一撃を更に繰り返すこと10分。そいつらが現れた。
「はっ! これは随分と悪趣味じゃないか……!」
眼の前には私と同じ年頃の3体の屍が居た。
他の屍たちに比べて状態も良いし、厄介そうな雰囲気を出している。
1人は好青年といった言葉がぴったりな金髪の少年。その動きや雰囲気から気が弱そうな印象を受けるが、実際は虎視眈々と人生をかけて策略を巡らせている知将だ。
もう1人は如何にも性格が悪そうな黒髪の少女。歩く姿は女王を想起させ、自身の生き様や思考に一切の疑念を抱いていない事が見て取れる。自信と傲慢の塊のような少女だ。
最後の1人は最も無害そうな銀に近い金髪の少年。彼の優しげな表情からは自然と安心感を感じ、今までの人生で感じたことのない諦念を抱かせられる。
「私に……私に3人を切れというのか――ッ!」
本当にこの世界は憂鬱で陰鬱で底意地が悪い。この地形だってあの幼女だってそうだ。私が理解できないとでも思っているのか?
広大な荒れ果てた世界に誤差程度の花畑。それに夥しい数の死体と役目を終えた剣。
突如現れた幼女は何もかも知らないフリをして花畑で楽しそうに笑い、惚れ惚れするような幸せそうな表情をして花冠を作っていた。
――幼少の頃の私が!
『もう良いじゃないか。楽になってもいいんだ』
「ミエイルはそんな事を言わない」
『あら、可愛らしい花冠ね。貴女に似合っているわよ』
「お前はノワ・ブルノイルじゃない」
『アイファには失望したよ』
「ヴェイルくんの顔でそんな事を言うな!」
何かが崩れる音がした。
石のような、水のような、植物のような。
硬そうで柔らかそうで何か分からないものが。
何かが崩れたからだろうか、彼女が現れてしまった。
私の人生に最も影響を与え、私の人生の全てとも言えるあの人が。
『アイファ。切りなさい』
「はい――お母様」
◆◆ ◆◆
私は気づけば3人の屍の上に立っていた。
下に転がる肉の塊は、様々な死に方を見せていた。ミエイルの屍は心臓を突かれ、ノワ・ブルノイルの屍は首を刎ねられ、ヴェイルくんの屍は見るも無惨な状態に。
「クソが……クソがクソがクソが!」
3人を騙る屍が許せなかった。
3人の私を見る目が許せなかった。
3人の人生が許せなかった。
私の何かを壊そうとするこの世界が許せなかった。
……何より矛盾を抱えている自分が許せなかった。
私の後ろでは花畑が荒らされる音が響いている。剣で、手で、動かなくなった屍で。
無数に群がる屍共が私を無視して花畑を荒らす。花を踏んでは土を掘り、土を掘っては花を踏む。
私は欺瞞に騙され、利用され、眼の前の大切な目的を見失った。私はいつもそうだ。私には私を幸せにする権利はない。私は道具であり、意思のある人形でなくてはならない。
「はは、ははは……なんで忘れていたんだろうな……」
私はアイファ・ディ・スレイン。スレイン王国が第一王女であり、英傑たる王妃様の愛娘。私は国の為に存在し、自分の意志や願いは必要ない。
「なんだか夢を見ていたようだな」
私の短い人生と比べても遥かに短い幸せな夢。
それは、生まれた時から人生をともにしてきた運命共同体との優しい夢。
それは、皮肉に塗れた才能の塊である彼女に安心を覚えた夢。
それは、信頼するに足る時間を得ていないのに心を許せた夢。
ぼーっと虚空を眺めていると、花畑を荒らす屍たちは満足したのか光となって消滅し、掘られた地面の下には箱が埋められていた。
その箱を足で踏み、暗澹たる気持ちを吐き出す。
それは怒りであり無念であり諦念であり……
「力を寄越せ。国をとる為の力を!」
私の願いに箱は答えた。
光を放ち箱は消える。
そして私もこの世界から消える。
崩壊している世界を薄れる意識で眺めていると、幼女がこちらを見て微笑んだ。
「お姉ちゃん、この世界はどう?」
幼女の本質が悪魔か天使か。それは分からない。
ただ理解できたのは、幼女が自身の頭を指差していた事だけだった。
「おかえりなさい。何よその花冠? 似合ってないわね」
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