一本いかが・下

 1

 一言で言えば、仕事に追われてKAROUSHIする寸前の部屋のようだった。

 日本では『過労死』という名前があるらしい。多分それが一番近い。

「玄関から正面のキッチン付きリビングに行って、寝室へって感じか」

「仕事と趣味のメリハリがあるのかもしれません」

 大量の書類が山になって重なっている。法則性は……日付が合いそうだ。

 脱ぎ捨てた服はベッドの上にある。それだけだ。

『それだけ』である。ホコリと魔法の痕跡しか残っていない。もぬけの殻が似合う。

「抜け毛だ、黒髪で……結構長いな。女性か?」

「あり得ます。他も見てみましょう」

 私は風呂場を、ニストはリビングを探索する。

 風呂場の棚はシャンプーや石鹸の瓶が入っているが、特に変だと思う部分はない。


「すみません、証拠になりそうなものが」

「……なぁ、ソレノイド」

「何ですか」

「やっぱこの家アタリだ」

「どういうことですか?」

「ここ、魔法の痕跡あるだろ」

 ニストは歪んだ水道管に掛けられた微量の痕跡を指差す。

 痕跡に少量の魔力を掛け、再現させる必要があるのだが……

「水道管でイメージできる物ってあるか?」

「水漏れですかね」

「だよな。コレさ、何らかの蒸気が出る痕跡っぽいんだよ」

 ただの蒸気なら問題無いが、ガスなら危険極まりない。熟練者らしい魔法だ。

 犯人らしい材料は揃っている。が、決定打――ニストの『私物』が見当たらない。

「さて、困ったな。出来るだけ長居はしたくないが……」

 彼は平常心を装っているが、微かに手が震えている。

 灯りを付けて家主に気付かれたら何をされるか。

「一度外に出ましょう」

 入り口の扉を開けようとドアノブを回す。


――が、扉自体が溝に引っかかって開かない。


 2


「おい、どうした」

「開きません。ドア自体が引っ掛かっています」

 ニストの手が固まる。建て付けが悪かったのか?

 鍵開けの魔法は使えない。そうだ、窓は?

「何ですかこれ……」

 外の景色が見えるのに、ただの壁に見える。?

「嵌め込み窓じゃないのか、クソッ、どうなってる」

 小刻みに震える手を押さえ、ニストは怒りを無に向ける。

 彼の怒りに反応するように、髪がほのかに赤み掛かっていく。

「風呂場に行こう、煙が充満すればある程度は安全だ」

「はい」

 こんな時に考え事するのは少し違うが、彼も入浴時に喫煙するのだろうか。

 考えながら喫煙をすれば良い商品の売り方を思いついたりするのかもしれない。私は喫煙する身じゃないから分からないのが惜しい。

「嫌だったら背を低くして良いからな」

「非常時ですので仕方ないです」

「……だからってここまで近づくか?」

 彼の背中に身を寄せて抱きしめている図だ。

「あなたが怖い思いをしているようなので」

「なら、外に出るための手伝いをしてくれないか」

「何すれば良いですか」

 彼は鍵が掛かったタイミングが不自然だと判断して、

「多分この家のことをよく知っている奴が居る。風呂場に有るもので魔道具を作る」

 対策を練るようだ。

 風呂場は脱衣所とシャワールームが合わさった部屋で、何かしらの物があるとしたら脱衣所に絞れる。……困った。

「石鹸や入浴剤があればガソリンに近い性質の物が作れる」

「なら、カゴの周辺にあるかもしれません」

「棚の中とかな」

 風呂場の棚はシャンプーや石鹸の瓶が入っているが、特に変だと思う部分はない。

『私にとっては』という例外を除けば。


「石鹸入れか?」

「暫くの間は凌そうですね」

「中に入ってる物によるよな。開けるぞ」

 床に置いてからゆっくりと蓋を持ち上げ、外す。

 コルクで蓋がされた瓶がいくつも入っている。

 その内の一つを持ち上げると、所狭しと煙草のフィルターが詰まっていた。

 全て吸い殻でありながらも綺麗に並べられている。

「は……」

 裏返すと、ラベルで時間と日付が細かく記されている。

「おいおい、まさか……」

 視線を奥へ滑らせる。赤い液体、赤黒い液体、濁った、正体も知りたくない液体。

 鉄の匂いと、不安を掻き立てる匂い。

 行き場のない怒りがニストの髪と瞳を赤く塗り替えていく。

 

 彼は他の瓶で隠れているものを持ち上げた。

「それは商談を失敗して怒りながら吸っていた時ですね」

「――ソレノイド?」

 話を続ける。

「採取法はこれから教えますので、立ち話も何ですし座りませんか」

 赤いピアスを振ると、一瞬にして浴槽で向かい合って座った。

「さて」

「今どうやって」

「今、大事なのは『Why』ではなく『What』でしょう」

「こういう時は犯人が経緯を全部話すのがセオリーじゃないか?」

「……確かに。では最初に経緯から伝えます」

 私の故郷では魂に痕跡があるという言い伝えがあります。

 魂自体は尊いものですので、触れることはできません。ですので、魂と結びついている髪が真っ先に浮かびました。が、この地域ではあまりそういった風習は無く、効力は無いに等しかった。


「その代わり、この国は人のことを煙たがる人が多かった」

「副流煙からタバコの吸い殻をイメージ出来るな。血液に関しては更に欲しいから、とかか?」

「いえ、魔法の材料です」

「……ストーカーやってるのは、本当にお前さんなのか」

 赤い瞳はまだ揺らいでいる。まだ何かの間違いだと信じたいのだろう。

 今から壊してしまうのか。

 悲しいような、匿ってくれた日の食事を捨てるような。

 3

 一秒前までの信頼。

「……そうですよ。早かったですね」

 十秒の沈黙。


「直接、俺に触れるのは無理だったのか」

 百時間後には後悔も消えるだろうか。

『ポタリ』蛇口から水滴が落ち、波紋が反響し合う。

「あなたはただのクランケです。が、私から見れば特別な人なんです」

「似てる所はあるのにか」

「違う人です」

「……間違ってはいないな。それでも、さっき言ってたのは本当か?」

「私が、やりました」

「そっちじゃない」

 何を言っているか分からなかった。私は、彼を追い回して私物を盗って、『私は無関係だ』

という顔で過ごしていた。ここに何の間違いもない。手口についてだろうか。

 ニストは何が言いたいか、今から分かるだろうけど、解りたくなかった。

「理由についてだよ。故郷が理由なら、俺に固執する理由に繋がない」

 人に換えは効く、という言葉を思い出す。

「私にとってあなたは大切でっ」

「大切だと思うのは何故だ?」

「…………」

 理由は分かっていた。

『そんなもの』があると言いたくなかったからだ。

「まぁ、あえてギザな言い方をすれば、愛のせいか?」

「……そうですよ、好きだからです」

 最初から知っていたのなら、本当に彼は悪魔だ。

 彼は微笑むが、何も返さない。

「好きで、本当に好きで堪らないですよっ。あなたが居れば、どれ程」

「嘘だな」

 切り捨てないでほしい。悪魔は心の上澄みだけでは満足しないらしい。

 器ごと喰らうつもりか。酷だ。ひどい。

「俺が『愛』に注釈を付けるならさ」

「やめてください」


 悪魔は優しく微笑んだ。

「――助けて下さい、って書くな」

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2025年1月9日 11:29
2025年1月16日 11:29

Past_Letter 平山美琴 @fact_news_

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