一本いかが・中
『コンコンコン』いつもの癖で起き上がる。
――そうか、まだ彼の家で眠っていたんだった。
「ん……どうした」
「見てきます」
立ち上がろうとする私の肩を掴んで、ニストは鏡を指差した。
鏡越しに外を見ると、茶色のベストに緑のネクタイをつけた人が立っている。
新聞記者だ。肩ポケットのペンとメモが特徴的と言えるが、制服の記者か……。
「只者じゃないぜ。制服は追い剥ぎに遭いやすいのに、ホコリ一つ付いてない」
「あれ一着でいくら掛かるんですか」
「家二軒と三食昼寝、従者付きで五年は暮らせる」
「追い剥ぎしたくなる気持ちが分かります」
「そんくらい必死な仕事なんだろ。制服は俺が行くから、私服の方頼んでもいいか」
軽く頷くと、玄関と裏口の二手に分かれた。
裏口は異様に豪華で、悪魔らしいロウソクの灯りで客人の数を教えてくれる。
三本だから――三人ということか?
<失礼します、夙夜新聞社です!>
玄関から聞こえた記者の声を合図に、私は裏口の扉を蹴破った。
ロウソクの灯りに浮かぶ人影――私服の記者が振り返る。
まず目に入ったのは、布地が擦り切れて白く変色したカーディガンだ。
ボタンは一つ欠け、右袖の縫い目がほつれかけている。
「これって強襲ですよね」
「悪魔が相手だからな、こっちも必死なんだよ」
高給取りでないことは一目瞭然だ。
<容赦無く迎え撃て>と家主が言ったんだ、
瀕死にさせて向こうの会社の人事部に任せれば十分だろう。
「三対一ですか」
「杖を奪って殴れ! 魔法使いも数なら勝てる筈だ」
安直な考えだ。そんな正常な頭でイカした記事が書ける訳が無い。
クレームを一報、投げてやろうか。
「私は魔法使いではなく、医者なんですよ」
ドアノブを引き抜いてマチェーテに変えると、喉元を狙って一回。
後ろに持つ手を向けて、振り上げるようにもう一回。
最後の一名は私を見て何かを思い出したようだ。
「じっ、人事部で似た動きをする奴を探せと言う奴が居た、お前の事か⁉︎」
「人違いです」
「いや、確かにお前を――」
ロウソクは煙を立てて消えてしまった。
「元同僚と馴れ合う気は無いので……」
■■■
寝起きの相手としては――いや、どの時間帯でもお断りだ。
「あぁー、今寝起きなんだが」
記者の制服は仕立てたばかりのように折り目がしっかりしているが、胸元に挿されたペンには小さな傷やインク汚れがこびりついている。現場の人間だ。
正社員と非正規社員は天と地ほどの信頼と強さを持ち合わせている。
ソレノイドが帰ってくるまで世間話でもするか。
「朝から失礼します〜。いやー、朝でも夜でも、どんな悪名高い侵攻神様だって記事にはできるってのが、うちの社訓なんです」
「それでも朝の挨拶は欠かしていないなんて、礼儀正しいじゃないか」
本社はこの国に置いているが、支部が全国に展開されている程の支持を得ている。
現代の主な職業の中に『自営業か農業か、新聞社か』と言われる程だ。
噂話を本当のゴシップに変えている危険団体と呼んでも過言ではない。
意図的にデマを吹っ掛ける時さえある。
「それにしても、侵攻神様にお目にかかれるなんて光栄です。これ、うちの新聞の一面に載せれば相当売れるでしょうねぇ」
記者はメモ帳にペンを走らせた。
その動きには隙がなく、既に自分の目的が達成されたような余裕が滲んでいた。
「俺以外の奴に会ってきたか?」
「えぇ。確か強欲と憤怒のお二人でしたね。喜んで許諾してくれましたよ」
「そりゃ良かったな。海岸に憂鬱の奴が暇してたから、相手してやってくれよ」
走っていたペンは動きを止める。
「編集長が苦笑していましたよ。うちの離職率がまた減っていますねって」
「俺より楽に
挑発的な言葉に思わずペンが震えた。
ペン先は俺の口に向けられており、インクがメモ帳の端で魔法陣を描いている。
「望んで死にに行く訳無いですよ……仲間として止める気は無いんですか⁉︎」
「上に言ってくれよ。俺らは下で営業してるだけなんだしさ」
――裏口のドアが破壊された気がする。
ロウソクの反応も完全に消えているな。絶対怒ってるぞ……
「戻りました」
記者はソレノイドを一瞥した後、思い出したように自身へ向ける。
どうやらニストを茶化しに来た訳ではなさそうだ。
2
「最近あなたを追っている厄介者が居る話を聞きまして」
二枚の写真を提示した。
俺がよく使う帰宅ルートに割れた砂入りの瓶が落ちている写真。
黒髪ロングで乱れ髪の人が俺の帰り道を尾行している写真。
「お前さんの所の記者がやってないのか?」
「意図的に足跡が本社で切れるようになっているんです」
「まぁ……ストーカーくらい俺は気にしないから別に良いが」
ある程度は納得できる。
昨晩のように美味しく欲を摂るために泳がせているのかもしれない。
「お前さんならもっと良い証拠があるんだろ? 無いなら憂鬱の下に突き落とすぞ」
脅しにしか見えないが、それ程の苛立ちを感じる会話をしていたのだろう。
プライドを傷つけられたか……彼なら、人間らしく対応してくれなかったか。
「勿論有りますよ」
小さな紙袋の中から、一本の吸い殻が出てきた。
その意味を本人は理解しているのか、一瞬見開いてから興味深く笑う。
「どこで拾った?」
「本社の郵便受けの前です。編集長の下で吸える程肝が座ってる人、居ませんよ」
「……後日、お前さんだけで俺の店の前に来てくれよ。一対一なら取材を受けるぜ」
それから二つ返事で取材は終わった。スムーズすぎる会話に困惑が隠しきれない。
「さて、面白そうだし犯人探しでもしに行こうぜ」
「え、あぁはい……」
吸い殻を手の上に転がしながら、ニストは話を始めた。
タバコの知識が一切ない私に私に聞かれても困る。第一、私は探偵ではない。
しかし彼は引っかかる点があるようで、記者もそれを知って見せたのだろう。
「ゴシップの影響を一切受けていないんだよ。タバコなのに悪影響を一切受けていない」
噂話の対象が人とは限らない。看板が叫んでいると噂されれば、実際に叫び声をあげる。しかし考えすぎな気もするのだが……これが割と重要な事らしい。
「先入観の影響を一切受けていないってことは、俺か煙草を熟知してないとただのフィルターとして形を保てない」
病院の外を一切知らなかった。小さな証拠だが、大きな情報らしい。
なら、魔法が使える者として痕跡を調べることなら手伝えるだろう。
「……魔法の痕跡がありませんね」
「熟練者か、魔法の使い方を知らない奴かの二択だな」
「どちらにせよ怪しいですね」
3
「ってことで、真面目に探すぞ」
「見つけるのは難しいと思います」
「まぁ、そういう時は複数の知識を照らし合わせて見つけるんだよ」
この国の全体図を大まかに描いたマップを広げた。
台形に近い形をしているが、面積が狭い北側が禁足地となっているために、必ず広い南側を探索することになる。彼が住んでいるのは西の郊外であり、人通りが少ない。寝起きの時にノック音だけが聞こえるほどだ。東は人通りが多いが……
「それは無いと思うな」
「どうしてだ?」
「俺が尾行されていると気づけず、自宅に入るのを見た可能性がある」
「自宅の近くを拠点にしているってことですか」
「仮にあの記者の話が本当なら、俺のフィルターを集めるために近くに住むだろ」
「確かに……」
彼は確実に拠点を絞っていく。
家から遠過ぎず、家主が不明の家なら数件に絞れるだろう。
「お前さんも来てくれ、専門家の知識が必要だ」
「分かりました」
そうして目星のついている家を訪ねた。
全部で五軒だが、空き巣が居るかもしれない為最低限の武装は必須だ。
「一軒目だな」
何も無い殺風景な部屋だ。埃が積もっており、魔法の痕跡から見て地下倉庫らしき跡が。
が、これは罠と考えた方が妥当と思えるほど痕跡が隠せていない。ハズレだ。
「二軒目です」
ボロボロなソファやベッドが目に入る。獣人が暴れ回ったような様子が想像できるけど……
「この惨状、お前さんはどう判断できる?」
「……ゴシップの影響を受けて人外になったように見れます」
「詳しく聞かせくれ」
ハズレだとわかっていたが、彼の興味には引っかかったらしい。
割れたコップの持ち手が小さく、机の下に落ちた本は手書きと思える筆跡が残っていた。
「もともと人として暮らしていた痕跡が強いです。獣人と人間で暮らしていたなら、二人分の生活用品を揃える筈ですが、ありません」
「鋭い視点だな……」
「誰でも分かりますよ」
「連れてきて正解だったな」
微笑む彼に心が驚かされた。
こんな状況を楽しんでいるとは狂気の沙汰だ。被害者だぞ。
危険を起点に好転させるのが好きな性格にも見える。
「三軒目ですね」
普通の家に見える。今回こそアタリだろうか。
ドアノブを押す直前で、ニストは煙草を手に取る。
「空き巣だ。マチェーテ持ったか?」
「襲撃するんですか」
「いや、仕事」
意味もわからず扉を開く。その後、武器で脅された空き巣を謎の書類にサインさせていた姿は異様だった。彼の性格上、フェアな取引にさせてくれるだろう。
こんなのを毎日やっていて疲れないのか。
「後二軒ですけど……本当にアタリ取れるんですかね」
「いや、次は確実にアタリだ」
そう言い切れるほどの自信はどこから湧いてきたのか。
ただ、今までの家とは空気感が少し違う気もする。
「生活感をわざと出した様な部屋だ。人間味がない」
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