メガネの底の世界

無頼 チャイ

考える時間

『修飾語トハ、「私は泳いだ」トイウ文章ニ「近場の」「友達と」「楽しく」ト三ツ加エルト「私は近場の海で友達と楽しく泳いだ」トイウ風ニ明確ニ文章ヲイメージシヤスク――』


「はぁ……」


 AIが機械語でレクチャーする光景は珍しくないだろう。でも、機械が言葉を教えるということに不自然を感じない訳ではない。

 一生徒一台のタブレットが配られる現代では、一生徒に一つの人工知能が授業に付き合ってくれる。

 例えば、自分の苦手な計算式があれば、そこを克服するためにビッグデータから最適と思えるドリルを引っ張り出してくれる。AIは計算が苦手で、足し算引き算が出来ても、微分積分ができないなんてザラである。でも、理解してるからこそ疑問というものは発見される。今度は生徒がAIに間違いを指定することで、生徒もAIも学習し成長する。

 相棒のように一緒に道を進み、兄弟のように互いに工夫をし、成長する訳だ。立派なシステムだ。シンギュラリティが起き、人類が機械に支配されるなんて、この光景を見て思う奴なんてもういないだろう。

 宅配システムと郵便ボックスの合体したそれの近くで買い物をすれば、数分でドローンが注文した品を持ってやって来てくれるし、トラックも一台の有人運転に付いてくるように設定すれば、無人のトラック二台が安全と交通を守って走って追従してくれる。

 でも、どうなんだろう。

 機械アンチでもAI否定派でも技術主義者でもない自分が感じる、この変な違和感。


 機械が教える抑揚なんて、AIが打つ読点なんて、本物の会話には及ばない。

 これを、差別だと思っていいのだろうか。それとも、当然の疑問なのか。

 この問題の難しいところは、差別を好き嫌いと同じ分野にするべきか、疑問だとして、根拠と理由のセットをAIに提供できるか。

 結局のところ、この二択だ。


『オノマトペトハ、「ワンワン」「ピー、ピー」「さらさら」ナドノ擬態語ヤ擬声語ナドノ』


「よっと――」


 鬱陶しくて、頭に付けためがねを外した。

 シャー、とカーテンを開ける。外から暖かい陽気が差す。ぽかぽか陽気というやつだ。

 陰ったから上を見ると、分厚い雲が太陽を隠していて、あぁこれは、と思って、思わず指差した。


「銀の裏地!」


 イギリス語学習の先生に、翻訳アプリ越しで聞いたことわざ。意味は、どんな曇天でも裏地には銀のように輝く空があるという。


「……AI学習は確かに便利だけどさ」


 外しためがね――スマートAIゴーグルを装着してだらんと席に戻った。


「便利だから不便だよな。尻いてぇ」


 学習効率がいくら上がったって、この尻の痛みが緩和しないのだから、不便と断言してもいいのかも。


『コンニチハ。四秒八二ノ離席デシタネ』


「うっす。すんません」


『ライブヲ再開し――TEL・こら、授業中に席を立つな』


「あ、すいません。息苦しくて、アハハ」


 この世がいくら便利になったって、いかに理解しやすく主体的にこの世を学べたって、担任の激が怖いことを、AIと語り合うことはできないだろう。


 便利って不便だ。

 簡単とか難しいとか、それを全て排除したって、気持ちは軽くならないんだ。

 だってそうだろ。


「考える時間をくれよ……」


 修飾語を教えたからって、それでもう得意か不得意とか、分かるわけない。

 人間、考えて塵を積もらせてきた。その厚みを、一瞬で理解できるほど、偉大な歴史は短くないのだから。

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