トルテ①




 小鳥たちがちゅんちゅんと愛らしく囀る音に気付いて、夜を覆っていた影たちは大慌て。「逃げろ逃げろ」とばかりにさあっと土の中へと隠れて行きました。

 真っ暗な世界が、たちまち色を変えていきます。

 次の瞬間。

 朝を告げる光がぱあっと四方を照らしていきました。

 空には咲き誇る満開の太陽と、風に運ばれていく白葉の雲。

 天地を支える巨樹の枝に実っていた星々は熟れ落ちて、鱗鳥に啄まれなかった幸運な果実だけが聖花都に恵みをもたらします。

 世界樹の加護は全ての人々を祝福することでしょう。

 いつも通りの、ごく普通の朝です。

 けれど、その日はとある少女にとっては少しだけ違った一日でした。

 カーテンの隙間から差し込む光で、一人の少女が目を開きます。

「ふぁ~。あと半日寝かせて~。ぐう」

 どうしたことでしょう。

 おねぼうさんは朝日の暖かさにもめげず、お布団の中に入り込んでしまいました。

 昨夜はあまりよく眠れなかったのかな?

「えへへ、そんなにいっぱいクッキーがあったらお家が建っちゃうよ~」

 おやおや。この『困ったさん』ときたら、随分と本格的な夢まで見ているみたい。

 このままでは次に自力で目覚めるのはお昼くらいになるかもしれません。

 窓の外では慌ただしく人々が動き始めているというのに、少女ときたら呑気なものです。これでいいのでしょうか。

 もちろん、良くはありません。しばらくすると、どたどたと騒がしい足音と共に『ばあん!』と部屋の扉が開けられました。

「こらあっ、トルテ! 今日は寝坊厳禁だって言ったでしょ! 起きろー!」

 頭の左右のから垂らした髪房を元気よく揺らしながら、ひとりの少女が現れます。

 彼女は少しだけ目立つ風貌をしていました。髪と瞳の色が左右で綺麗に違っているのです。右が輝くような金色で、左が夜空のような黒色。

 二色の長い髪房をなびかせながら勢いよく部屋の奥にあるベッドに近づいた少女は、無造作に布団を引っぺがしました。

「このねぼすけトルテ! いつまでも私に頼ってて、この先どうするつもりなの? はい、ちゃっちゃと起きる! 大事な入学式なんだからね? わかってる?」

「わかってるもん~。キャンディちゃんがずっと起こしてくれるから平気だもん~」

「甘ったれんな! ほらさっさと顔洗ってくる! 朝露溢れそうだよ!」

 キャンディと呼ばれた少女は朝から随分とご機嫌ななめ。

 ご立腹のキャンディちゃんは気の強そうな顔立ちで、だらしのないトルテを強く睨みつけています。知らない人がその様子を見たら、二人の仲は崩壊寸前なのかと思ってしまうかもしれません。

「ったくもう。いっぺん見捨ててやろうかしら」

「え~ん、キャンディちゃんに捨てられたら生きていけないよ~」

 ですが、心配はいりません。

 なんといっても、これが二人のいつも通りだからです。

 何だかんだと言いながらも、トルテとキャンディは大の仲良し。

 小さい頃からずっと一緒の、幼馴染の親友なのでした。

 その証拠に、キャンディはトルテの長い髪を櫛で梳いてあげたり、朝食を食べさせてあげたり、忘れ物のチェックをしてあげたり、着替えを手伝ってあげたりと甲斐甲斐しく世話を焼いています。

 うーん、ちょっと甘やかしすぎな気もしますね?

 とはいえ、このお家にはお寝坊トルテとしっかりもののキャンディが二人きりで住んでいるのみ。誰かに注意される心配はありません。

 さて、しばらくしてから、仲良しの二人はお揃いの恰好で家を出ました。

 真新しいブラウスとスカート、お洒落で格好いいジャケット。

 可憐に凛々しく、颯爽とした姿の二人を見て、シャイな花々は俯きがちに恥じらい、青々とした草が一斉に騒ぎ立てます。

 お調子者のキノコが大きな傘の下で影をざわざわさせながら言います。

「おはよう、お二人さん! 今日はいちだんと美人さんだね!」

「おはよう、キノコさん! ふふん、そうでしょう? 今日から学園生活! お揃いの制服なんだよ! すごいでしょう!」

 ユーモラスに揺れる大きなキノコを見上げながら、トルテはにっこり笑って言いました。キャンディは近くの木の枝から小鳥たちがこっそりとこちらを覗き見ているのに気づいて、小さく手を振っています。

「学園生活? 前に言っていたところかい?」

「そう! この共存域を、もっと大きく広げていくための第一歩! 世界中の色んな国から、たくさんのお友達がやってくるんだ!」

 両手を広げ、トルテは嬉しそうに、そして自慢げに言い放ちました。

 高らかな宣言が一帯に響き渡り、少女の存在感がその場に広がっていきます。

 二人の登場に気づいたその場所はにわかに活気づいてきました。

 トルテもキャンディも、近所では評判の人気者なのです。

 草木や小動物、虫や石ころに至るまで、周囲の全てが二人の少女とお話したいと騒がしく駆けつけてきました。

 にこやかに朝の挨拶をするトルテは、ふとお向かいに建っている大きなお菓子の家から、小さな影が現れたことに気が付きました。

 少女の膝の高さほどの扉がぱたんと開いて、現れたのはちっちゃなシルエット。

 それらは両手に乗るサイズのお菓子たちでした。

 ケーキやクッキー、パンケーキにシュークリーム、その他にも色とりどりのおいしそうなお菓子が、ぴょこぴょこと飛び跳ねながらやってきます。

 ですが、よく見るとただのお菓子ではありません。

 なんと、それはお菓子にすっぽりと包まれた小動物たちでした。

 ぬいぐるみのようなふわふわとした身体と短い手足を持った、犬ともウサギとも似ているけど似ていない、不思議でおかしな生き物たちです。

 それらはきゅーきゅー、みーみーと鳴きながら、トルテたちに話しかけてきます。

「トルテ、トルテ。なでて、なでて」

「トルテ、どこかいくの? 寂しい、ぎゅってして」

「きゅるる。おさんぽ? わたしも一緒がいい」

 人懐っこく近づいてくる半分お菓子で半分小動物の生き物たち。

 トルテは少しだけ困ったような顔になって、優しく彼らを撫でながら言います。

「ごめんね、これから私たち、『学院』に登校しなきゃいけないの。夜までには帰ってくるから、それまでみんなはお利口にして待っててね」

 それを聞いて、お菓子たちは一斉に悲しげな鳴き声を上げました。

「トルテ、どこか行っちゃうの? 連れてって?」

「ぼく、トルテと一緒がいいよう。寂しいよ、悲しいよ」

「トルテのお菓子食べたいな。お腹ぺこぺこ」

 どうやらこのお菓子たち、随分と幼いみたいです。

 今度はわがままを言われる側になったトルテは困った顔。

 見かねたキャンディが眉をきりりと吊り上げて、ぴしゃりと叱りつけようとしたその時でした。トルテはいいことを思いついた、と言うようにぐっと手を握ります。

「よし、みんな一緒に登校しましょう!」

 それを聞いたお菓子たちは大喜び。

 対照的に、キャンディは大層ご立腹です。

「はあ? こいつらぞろぞろ引き連れて? ちょっとトルテ、怒られるに決まってるでしょ、何かあったらどうすんのよ。初日からパパに迷惑かけるつもり?」

「キャンディちゃんから学院長になんとかお願いしてもらえないかな?」

 トルテはキャンディの手を握り、目を潤ませながら上目遣いでお願いしました。

 最初は強気にトルテの目を見返していたキャンディでしたが、次第にうろたえ始め、挙動不審に目が泳ぎ、最後には顔を赤らめて観念してしまいます。

「あ~っ、もうっ! わかった! わかったから! こうしてる時間が惜しいっての! ほらっ、さっさと出発しないと遅刻しちゃう! 行くわよ!」

「わーい、キャンディちゃん優しいから大好き! みんな~、一緒に行ってもいいんだって! さあ、出発進行~!」

 無邪気な笑顔を見せながら、たくさんの小さなお菓子を引き連れて歩き出すトルテ。キャンディはそんな親友を仕方なさそうに見つめながら、それでもどこか楽しそうに付いていきます。

 そうして、いつの間にか二人の初登校は盛大なパレードへと早変わり。

 風にそよぐ草花が、地面を転がる石ころが、飛び回る虫や鳥たちが、そしていい匂いのするお菓子たちが、二人の少女を中心に大行列を作って練り歩きます。

「よーし、友達百人作るぞーっ!」

 トルテが勇ましく手を振り上げると、呼応するようにパレードが大騒ぎ。

 ちょっとちょっと、トルテちゃん。お友達を百人って、あなたの目標としてはちょっと少なすぎるんじゃない?



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