第十一話 基軸喪失症候群


 互いにこの世で肉親はたった一人ずつ、与謝野孤児院で身を寄せ合っていた幼い甲斐かい姉弟きょうだい


 姉はゆかり、弟の名をいなづま


 優しく聡明な甲斐紫。

 明るく活発な甲斐電。


 少女である紫の身体に、令和の若き天才科学者セツナの御結おむすびつまり魂だけが転生ころりんした。


「身のたけちぢみ力も弱まり、しかも性別も変わるとなると……おぬしの苦労ははかり知れぬものだな」

「それだけじゃないぜ、見覚えも愛着もねえ初対面の弟は連日連夜ぴーぴー泣きやがる。最悪だ」


 セツナも弟も一時期は心を深く病む寸前すんぜんまで追い込まれていた。

 転生ころりんしてきた見知らぬ世界、足枷あしかせとなる弟の存在、弟からも周囲の人間からも〝姉〟や〝女〟として生きることを強いられる日々。

 弟もまた、優しかったはずの姉が突然ぶっきらぼうで無愛想ぶあいそな存在へと豹変ひょうへんするさまの当たりにし、夜な夜な枕を涙で濡らす。

 何せ、七歳の姉と五歳の弟である。

 ただ一人、与謝野晶子よさのあきこだけは同じ転生人ころりんちゅとして田中刹那としての存在や人格も尊重し、心配していた。


「ところで、どのように生きておったのだ? おぬしが御結転生おむすびころりんしてくるよりも前は」

「なあさむらい、やめねえか? そのオムスビコロリンってやつ」


 セツナの言わんとすることは武蔵にも何となく伝わる。

 武蔵とて、初めて耳にした際は白米はくまいにぎり飯とまぎらわしいと感じたものである。

 しかし最近とんと米を見かけない。

 異界の国は小麦製品が主流であり、ならば良しと彼は割り切った。


 何故なら、その男は宮本武蔵だからである。


拙者せっしゃ御結転生おむすびころりんの方が、今はしっくりくる」

「まあ、いい。で、まず時代か。お前は〝何〟だった? 見た感じ文禄ぶんろく慶長けいちょう、ってとこだよな」


 言葉足らずな、質問。


「拙者は慶長九年の時を生きた、そこが最後だ」

「なら俺は、そっからぴったり四百二十年先の時代から来た。お前のいた慶長の後に元禄やら天保、慶応だとか三十個くらい続いて、そっから四つすっ飛ばすと〝令和〟になる」


 即答に対する、また即答。


「慶長九年のように令和何年、と表すのか?」

「そう。慶長から慶応までは三十よりもういくつかあった気もするがまぁ誤差だ。ちなみに、その辺は全部〝江戸〟っつわれてる。お前が転生ころりんする前の年に徳川が征夷大将軍なったろ。で、慶応ラストの時点でお前が転生ころりんした年よりも二百六十……四年か五年先になる」


 何だった、で伝わり即答ノータイムで返す。

 言葉を受け取り瞬間的な暗算を済ませたセツナもまた、返す。

 二つの超速理解、異なる時代で生まれた天才同士の応酬ラリー

 何故なら、性別が定まらぬ者は甲斐刹那カイセツナであり、興味と関心を向ける男は宮本武蔵だからである。


「二百六十年、四百年……想像もつかぬ。いや、よそう。すまぬな、話の途中に」

「別に。まあ俺の昔話もそのうち話すさ」


 話が進まない懸念けねんを感じた武蔵は自重じちょうし、気付けば武蔵に対するセツナの態度は柔らかくなっていた。



 演者えんじゃ罹患りかんしやすい心の傷や病として、基軸きじく喪失そうしつ傾向けいこうというものが存在する。

 重篤じゅうとくな場合は存在基軸喪失症候群アイデンティティ・ロスト・シンドロームと名を変え、適切な治療あるいは家族からの支援が必須となる。


 古くは歌舞伎かぶきや舞台役者、昨今では仮想バーチャル配信者や歌手声優俳優、果ては特定飲食店の役職キャストまで、演者に分類カテゴライズされる者は等しく懸念リスクを抱えながら活動していた。


 基軸喪失とは、自身に割り当てた役のキャラクター性が濃すぎるあまり本来の戸籍姓名こせきせいめいとキャラクター名称の境界が曖昧あいまいになってしまう症状を指す。


「旅をした時期もあったんだけどよ、魂転者こんてんしゃは基軸喪失にかかる奴が多い。俺もそうだった」

「こんてんしゃ? コンテンツのようなものか?」


 武蔵は近頃ちかごろ覚え立ての言葉を得意気に使ってみた。


「魂だけが転生てんせいした奴。お前らの言う御結転生人おむすびころりんちゅを俺は魂転者こんてんしゃと呼んでいる」

しからば、拙者せっしゃのような者はさしずめ身転者しんてんしゃといったところか」


 大正解、と返しセツナは説明を続ける。


 近代の日本や世界では、皮肉にも人として優れ秀でていたりファンのことを大切に考える優しい演者こそが基軸喪失におちいりやすかった。


「基軸喪失には外圧性と自発性ってのがあってな。俺ら魂転こんてん……いや、御結転生人おむすびころりんちゅは外圧性にかかりやすい」

「ふむ、まずは聞こう。拙者は魂転者でも構わぬ」


 セツナは武蔵に歩み寄った。


「いや、いいよ。どのみち国人くにんちゅの奴には通じねえ。御結転生人おむすびころりんちゅで進める。とりあえず基軸喪失の説明すっぞ」

「なるほどな、では話の続きを頼む」


 俳優や声優として、狡猾こうかつ悪役ヒール残忍ざんにんヴィランを演じた男性がいたとする。

 高過ぎる表現力が災いし、役者と役柄を混同したやから何故なぜか〝の演者〟を非難バッシングする事例は決して少なくなかった。

 非難バッシングを浴びる本人や周囲の冷静な者から見れば意味不明以外の何物でもないが、混同こんどうするやからは〝悪い敵〟を憎み過ぎて同じ顔や声の演者までも嫌悪けんおし始める。

 キャラクターを押し付けられ苦しむ演者、それが外圧性基軸喪失傾向。


 ファンを第一に考え、大切に想い活動した女性がいたとする。

 優しい心根こころねが災いし〝自分〟ではなく〝キャラクター〟として他者と接する時間が増え過ぎるのは、危険な兆候ちょうこうである。

 そして日常生活や打ち合わせの場においても役柄としての名前で呼ばれたり、職業次第では本名を秘匿ひとくすることで芸名、キャラクター名、活動名、源氏名げんじなに〝日常〟が侵食されていく事例ケースもまた、少なくない。

 キャラクターに近付き過ぎてしまい苦しむ演者、それが自発性基軸喪失傾向。


 どちらの場合も症状が進行するとオンオフ、つまり仕事とプライベートの切り替えが困難になる。

 支援サポート基盤ベースとして制定された名から罹患、症候群といった表現が多用されるが基軸喪失は決して〝おかしい〟ものでも〝病気〟でもない。

 よって薬物での改善は難しく、また演者のみならず教職や接客を生業なりわいとする人間の中でも、殊更ことさらに優しさや真剣さの強い者が苦しみやすく、令和においても多くの場で対応が進められていた。


「俺は一時期、自分が科学者なのか少女なのか、男なのか姉なのか分からなくなっちまった」

「無理からぬことだろうな」


 演者ではなく望まぬ転生ころりんにより新たな立場を与えられ、四方八方からその役柄キャラとして見られ扱われる御結転生人おむすびころりんちゅの苦悩は筆舌ひつぜつくしがたい。


「罪悪感もあった。元の甲斐かいゆかりは消えたからな、人格も心も。頭がおかしくなりそうだった」

「それが決して、おぬしのせいではないとしてもか」


 武士である自分が他者の身体に御結おむすびのみ入り込むことで、身体からだの持ち主の存在や心を奪ってしまう状況を想像した武蔵は、そのなさに溜息ためいきをついた。


「だから俺は、豆餅マメモチを作った。まあ婆さんに言葉遣いが悪いと叱られてたのもあるがな」

「婆さん、とな?」


 セツナは机に置いたままの身分パネルを手に取り、リズミカルに叩いてから武蔵に向けた。


『ボクは心の中で与謝野よさの院長先生のことを、婆さんと呼んでいたのだ』


 周囲から〝少女〟として見られ、本人すらも「消えてしまったゆかりわりになってやらなければ」と不条理な罪悪感や義務感といった葛藤を抱えながら、混ざり合い境界の薄れる〝前世〟と〝現在〟の狭間はざまに苦しむセツナ。

 彼が「二つのどちらでもない」一時的な逃げ道としての役割で生み出したのが、豆餅マメモチ


 その時、寝起きの森林種エルフが武蔵の部屋に参加エントリーする。

 

 ヒメである。

 

 てっきり根暗で声の出ない男性だとばかり思っていた豆餅の口から信じられないほどに美しい女性の声が聞こえたことを思い出し、質の良い黒髪と端整な顔立ちの豆餅を相手に女としての危機感を覚え、愛しの武蔵奪還を目論もくろみ乗り込んできた。



 気付けば、日付が変わろうとしている。



 

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