第十話  本当の名前


 豆餅マメモチは困惑していた。

 迷宮で武蔵をかばい肩をまれ、激痛が走った後に風邪とインフルエンザとコロナワクチン副反応の三つを全て混ぜ合わせて十倍に強化したような苦しみを味わった段階までは辛うじて記憶に残っている。

 無意識の行動で他人を守るように体を動かしていた自分自身に困惑し、体感で毒とおぼしき攻撃を受けたにも関わらず生きていることに困惑し、しかも組合ギルド施設ではなく宿のような場所で寝かされていたことにも困惑する。


「目が覚めたようだな」

『ありがとうなのだ』


 血がにじむ白衣は脱がされ肩には包帯が巻かれていたが、身分パネルは短迷宮服ショートパンツの右ポケットという定位置に戻されていたようである。

 安堵あんどした科学者は咄嗟とっさに手早く〝豆餅〟として対応する。

 

 一言礼を述べてからは緊張して言葉が出ず、身分パネルにもどんな文章を打ち込めばいいか分からなかった。

 武蔵も豆餅も、しばし互いに無言。


 ヒメは隣の部屋で、いつも以上に爆睡している。

 六連配信という冒険疲れ、実況と雑談の二側面を持ち歌まで歌ったことによる配信疲れ、急な事件ハプニング挑戦チャレンジした解毒対応疲れ、豆餅をおぶる武蔵を慮り荷物や獲得物品ドロップ・アイテムを多めに持ったことで発生した更なる身体疲れ、最後に帰り道での意欲過上昇テンションぶちアゲ起因きいんする幸せ疲れ。

 隣室では五つの疲れから疲労五重奏ぐったりクインテットが開演。

 沈みゆく夕日の光が窓から入る、ゆうがた五重奏クインテット

 それでも彼女の寝顔はどこか達成感を感じさせる穏やかなものだった。


 何故なら、その女は全力森林種がんばりエルフだからである。



与謝野よさのと連絡をとった。おぬしの名や身分パネルに事件性ヤバさがない点だけは断言しておった」

『わかるのだ。ボクのところにも院長先生からメールが届いていたのだ』


 外は暗くなり、心許こころもとないランプの明かりに照らされた部屋で武蔵と豆餅は再び言葉を交わす。


「拙者は与謝野を信じておる。なればこそ、今日の一件は不問ふもんで構わぬ」

『ボクに、何も聞かないのだ?』


 武蔵は悩んでいた。

 身分パネルの不具合もことながら〝俺〟という一人称と口調による違和感や豆餅の素性すじょうに興味がいたのである。

 同じ転生人ころりんちゅとして、気になっている。

 しかし、人間の繊細デリケートな部分に安易あんいに踏み込むべきではないという考えも持ち合わせていた。


 何故なら、その男は宮本武蔵だからである。


「何かを拙者に教えてくれるというのなら、聞こう」

『なら、一つだけお願いがあるのだ』


 二人を隔絶していた壁のほんの表面、薄皮一枚だけが剥がれる。


「うむ、申してみよ」

『ボクからのおね』

「お願い、は違うな……条件だ。俺の喋り方や語る内容に文句は言うな。それなら話してやる」


 洞窟の中と同じだった。

 か細く美しい、透き通るような声に不釣り合いとも思える乱暴な口調。

 豆餅ではなく〝中の人〟としての、言葉。


「承知した」

「途中で質問がありゃ聞け。口挟もうが腰折ろうが構わねえ。でも喋り方は、これでいかせてもらう」


 まだ信用出来ぬと言わんばかりにジト目で武蔵を見上げる、中の人。


「構わぬと、言っておろう」

「それと、死ぬほど長ぇぞ。めんどくせえ話になる。迷宮ダンジョンで刀振ってる方がまだ楽なくらいにな」


 武蔵はすでに若干の面倒臭さを感じていたが、自らを〝俺〟とする少女が強く何かを訴えかけたいような雰囲気を瞳から汲み取る。

 

「要らぬ世話かもしれぬが」

「なんだ? 言えよ」


 本人にとっての〝標準〟が〝乱暴な口調〟なら、豆餅として振る舞うのがストレスになっていなかったか?

 丁寧な態度や口調を崩さず維持キープするのは、中々に大変なことなのではないか?

 武蔵は心配というより好奇心から気になった。


「ああ、そこは問題ねえ。こいつを見ろさむらい

「うむ」


 少しでも力を込めたら容易たやすく折れてしまいそうな白く細い指が、身分パネルに「失せろ」と入力した。

 豆餅が、豆餅の指で、豆餅の身分パネルに〝口頭の言葉遣い〟と同様に「失せろ」という荒々しい三文字を打ち込んだのである。

 

 そして、すぐさま表示された三角の再生ボタンをタップする。

 打った文字を〝音〟に変換し読み上げるために。

 

『ちょっと今はお話できないのだ。ボクは一人になりたいのだ。ごめんなさいなのだ』

「って仕組みだ」

「ふむ、便利なものだな。おぬしのパネルは何がしかの拡張機能パッチ・ファイルでも当てたのか?」


 動画や配信には未だうといながらも機能システム面には少しずつ強くなっていった武蔵は、豆餅の用いる言語変換機構も自由使用フリー・ライセンスで使える技術テクニックの一種だと予想していた。


『これはボクが転生してきてすぐに、どうしても口でお話をしたくなくて自分で作ったソフトなのだ』

 

 公的オフィシャルなものではなく豆餅が独自に身分パネルを改造したと知り、武蔵は驚く。


「身分パネルに手を加えるのは重罪と聞いておるのだが」

「知るか。誰にも迷惑かけちゃいねえ」


 豆餅の中の人は相変わらず、ぶっきらぼうである。


「確かに、それもそうかもしれぬな」

「それとな、こうなった以上俺のことは豆餅ではなく刹那セツナと呼べ」


 依然いぜんとして可憐で儚げな声色から高圧的な口調の言葉が飛び出すことには戸惑いつつ、武蔵も少しずつ慣れてきた。


「この身体の苗字だった甲斐かいの苗字か、前世の苗字の田中……どっちを使うか何年も悩んでる」

「ふむ、わからぬが……わかる」


 武蔵は静かに頷く。


「甲斐も田中もそれぞれ別な理由から、嫌いだ。だが名前の方は絶対にゆかりじゃなく刹那セツナを使う。俺もしゃくだがゆずれねえ」

「わからなくもない、な。しかし、刹那は中々なかなかに良い響きだ。何故なにゆえ、好まぬのだ?」


 豆餅ことセツナは小さく溜息をつく。


「前世の両親がよ、俺が生まれた年のアニメの主人公の名前……そのままパクリやがった」

「アニ……メ? パクリ? すまぬ、拙者の知らぬ言葉だ」


 セツナは説明を放棄ほうきしたが、武蔵には何となく伝わる。

 元は〝平田〟という姓でありながら、雰囲気が優しく穏やか過ぎて気に食わないという理由から勝手に〝新免〟という姓を名乗りだした武蔵。

 そこからちょっと気が変わり、故郷と関連する上に響きが強そうなイケてる苗字を思いついたと揚々ノリノリで〝宮本〟姓に着地した武蔵。

 名前にしても、たくましい武士になれという願いを込めて父が授けてくれた〝辨助べんのすけ〟という名をあまりに脆弱シャバいと一蹴いっしゅうし、これまた勝手に〝武蔵〟という名を使いだす始末。

 名を変更アレンジするほどに人一倍こだわりの強い彼は、詳細な理由が分からずともセツナの気持ちに共感した。



 何故なら、その男は宮本武蔵だからである。


 

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