第六話 与謝野晶子はなぜ魔獣を殺さなかったのか


「なるほど。お二人のことは、伝わってきました」


 あいも変わらず与謝野晶子よさのあきこは武蔵とヒメに優しく微笑ほほえむ。

 しかし、二人が求める〝答え〟は返さない。


 互いの自己紹介を終えた直後に与謝野晶子がうた哲学的とも言える内容は「何のため迷宮ダンジョン配信という行為こういが存在するか」というものだった。


 対して宮本武蔵が返した言葉は「国のため」である。

 異界ではおそらく、武蔵達が活動する〝国〟が身分パネルや配信環境の基盤インフラを管理。

 そうは言っても配信収益の実に九割を国がむしり取る規約ポリシーは、暴利ぼうりにもほどがある。

 斯様かような鬼畜の所業しょぎょうおよばざるをないほどに、設備の維持管理費用ランニング・コストは膨大なのであろうと武蔵は好意的に解釈する。

 国に貨幣を集めるために配信と税が存在する、それが武蔵の出した結論である。


 一方のヒメは〝自分〟を主体とし、そこから〝誰もが〟を付け加え「多くの者が幸せになる機会チャンスを得るために配信が存在する」と返す。

 この場合の〝幸せ〟とは富や名声、活動ビジネスにおける友好関係コネクションの広がりなど多くのニュアンスを含んだものである。


 国の為に迷宮ダンジョン配信が存在すると予想し、己が強者との戦いを欲することから迷宮ダンジョン配信を続ける武蔵。

 多くの者が幸せになる為に迷宮ダンジョン配信が存在すると予想し、自身の幸せを目的として迷宮配ダンジョン信を続けるヒメ。


「残念ながらどちらも、私の求めてきた迷宮ダンジョン配信の意義とは少しだけ違います」


 ですが、お二人の考えもまた正しいと言いながら笑顔を崩さない与謝野晶子の真意がつかめず武蔵は困惑した。

 ヒメは「あやまった回答で機嫌きげんを損ねたから登録者数や高評価を増やすコツは教えてもらえないのかもしれない」と不安を感じ萎縮いしゅくする始末である。


『与謝野晶子はなぜ魔獣モンスターを殺さなかったのか』


 そんな題名タイトルの、表紙には与謝野晶子の白黒写真が印刷された一冊の本が差し出された。


「よければ、お読みになってみてください」

「承知した」

「わ、ヒメこの本はじめて見たぁ! まだ残ってたんだねぇ……」


 冒険者である与謝野晶子が引退配信を行った最後の迷宮ダンジョン、パワーロードマウンテンの旅を中心に当時の編成人員パーティ・メンバーが記した伝奇譚でんきたん

 発行部数が少なかった上に絶版となっている。


「明日、改めてお話を聞きます。今夜は部屋を用意しましたので、そちらへどうぞ」

「かたじけない」

「ヒメは死にたまふことなかれ読み直そっかなぁ」



 一夜を過ごし薄明はくめいの頃、一人外の空気を吸いに出た宮本武蔵は与謝野晶子と鉢合はちあわせる。


「ちょうどいい、答えが出たところだ」


 武蔵は小さく呟いた。


 言葉を続けようとする慶長けいちょうの侍に、明治の作家は無言でうなずき許可を下す。


迷宮ダンジョン配信が何故なぜ、存在するか。それは命をつなぎ……知識をわたらせるためであろう」

「宮本様……よくぞ、そのいき到達とうたつしましたね」


 今は昔、与謝野晶子もまた武蔵に勝るとも劣らない動乱の日本を生き抜いた末に異界へ召喚された転生人ころりんちゅだった。


 史実において明治十一年に誕生した与謝野晶子が二十代の頃に書き残す「君死にたまふことなかれ」という著書は、あまりにも有名である。

 この作品は日露戦争で従軍した弟の身を案じながら執筆、発表された。

 題名タイトルの「君死にたまふことなかれ」は近代日本のニュアンスに直すならば「キミに、死んで欲しくないんだワ」つまり戦地からの生還を願うメッセージとなる。

 対して後年は戦争賛美ともとれる内容を世に送り出すなど思想に一貫性がないと言われた与謝野晶子だが、転生人ころりんちゅとして第二の人生を歩み始めてからは再び生命賛歌に回帰する。


魔獣モンスターや野生動物を逃がした理由も、ヒメのもうしていた〝死にたまふことなかれ〟なる書物に込めた想いも、根は同じ部分で繋がっておったのだな」

「その通りです」


 ヒメが読み返し武蔵の部屋に持ってきた書籍は「死にたまふことなかれ」「乱れるな冒険者」「魔獣モンスターも動物も生きてて偉い」の合計三冊である。


「あの本は入手可能であったゆえ拙者せっしゃも読ませてもらった」

「光栄です。貴方のお陰で生まれた作品でもありますからね」


 珍しく武蔵は驚き、さすがに動揺を隠せなかった。

 自分のお陰と言われてもに落ちない。


 与謝野晶子が執筆した二冊の〝死にたまふことなかれ〟はそれぞれ別個のもの。

 転生人ころりんちゅになってから手がけた作品シリーズは「君」という字が削除され、あまねく全ての命に祈りを捧ぐ内容だった。

 そして、その源流ルーツには他ならぬ宮本武蔵がのこした書物が関わってくる。


 そう、五輪書である。



一寸いっすんの虫にも五分ごぶ御結おむすびという言葉を、宮本様は覚えていますか?」

「拙者が……作った言葉。元の世界でのもうし方であれば〝魂〟だな、与謝野。しかし、おぬし何故なぜそれを?」


 与謝野晶子が口にした「一寸の虫にも五分の魂」ということわざは、前世で宮本武蔵が下書きした五輪書に記したものと相違そういなかった。

 小さき命ににも魂が宿る、だからこそ不要不急の害虫殺処分は推奨しないニュアンスを表す。


 だが、宮本武蔵は転生ころりんしている。


 史実しじつにおいて〝五輪書〟が執筆しっぴつされたのは彼が六十一歳の時とされ、武蔵の死後に五輪書が世に広まった。

 この事実をさら紐解ひもとくと、十代から二十代にかけての宮本武蔵は新たなことわざ慣用句かんようくを次々と思い付いては下書きとして日々、徒然つれづれと書き残していたのである。


「私は五輪書という本で、先程さきほどの言葉を知りました。貴方あなたの本です」

「なるほど、五輪書……か」


 若かりし頃から名前だけは決めていた五輪書という書物。


 おのれ転生ころりんしたが、下書きは家に置いてきた。二十歳で江戸を去ったおのれの代わりに、親しい誰かが五輪書を世に広めてくれたのであろう。

 武蔵は、そう判断した。


「にしても……宮本様の言うとおり〝魂〟でしたね。その言葉も、ひさしく聞かなくなってしまいました」

「そうだな。この〝国〟では魂よりも御結おむすびの方が浸透しんとうしておる」


 国人くにんちゅの間に〝魂〟という単語は存在せず、人間の肉体と内面を〝御結おむすび〟が結びつけ核として扱う思想が主流だった。

 しかし、それは今この場においては些事さじである。


「五輪書は私にとっての原点、人生とも言えます」

「拙者の書がのちの世を生きた物書きの人生か、まっこと有難ありがたきことだ」


 明治の作家と慶長けいちょうの剣豪、異なる二つの時代を生きた転生人ころりんちゅの邂逅。

 女は男に影響を受け価値観を模索する遠因とし、男もまた女が残す著書や在り方から迷宮ダンジョン配信において肝要な悟りの境地に行き着いた。


 何故なら、その男は宮本武蔵だからである。


 満足げに微笑んだ与謝野晶子は、ふいに武蔵の目をまっすぐと見つめる。


「宮本様に、会わせたい者がいます」


 武蔵は黙って廊下を歩き、後に着いていく。


「あの子にとっても、そして宮本様にとっても……きっと未来を切り開く良縁になるでしょう」



 外からは小鳥の鳴き声が聞こえてきた。

 与謝野孤児院を、二人は進む。


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