full moon

#1

 ルナと出会ったあの夜から1週間経っても彼女の舌の感覚が未だに焼き付いている僕は、繁盛期真っ只中の癖におひとり様となった残業へヤケクソのようにエナジー系のゼリーを胃に流し込む。


 ふにゃりとしたゼリーが舌の温度に馴染んで転がるたびに彼女を思い出す謎の現象に耐えかねた僕は、現金なくらい減りの悪くなったタバコの箱を一瞥して仰け反ると、ルナから貰った紙切れを天井に掲げ、ボンヤリと光に透かして眺める。


 ──『また会えると嬉しいな』


 お世辞でも嬉しいと思ってしまったその言葉を脳内で反芻させてスマホを握り、慎重に11桁を入力して深く息を吸う。プルルルル……ッと無機質に響くコール音が4回、5回……と重なるたび、色々な後悔が入り混ざる僕が耳からスピーカーを離そうとした瞬間、「お電話ありがとうございますっ!」と元気のいい猫撫で声が内耳を占領した。


「……えっと……『吉岡』と申しますが」

「吉岡……もしかしてこの前のお兄さん?」


 ふふふっと弾むような息遣いで笑うルナの声は表情豊かで、聞いているだけでも心が少し軽くなる。


「よく覚えてたね」

「覚えてますよ、そりゃぁ。『また会えると嬉しい』って言ったじゃないですか」


 幸せ──。

 人は心と心が通った瞬間、きっとそんな淡い喜びを噛み締めるのだろう。


 とても小さなその事実がいたく気に入った僕は柄にもなく咳払いをして姿勢を正すと、自分でも間抜けなほどニヤける顔に手を添えた。


「あのさ……予定、空いてる日ってある?」

「予約ですかぁ?それなら、今からちょうどフリーですけど」

「予約っていうか何というか……この前みたいに話せたら、その……嬉しいなって」


 風俗嬢相手に自分でも何を言っているのか──と呆れつつ、口を噤んでルナの返答を待つと、彼女は一瞬の間を置いてクスクスと笑い出す。


「お兄さんおもろいわ……まさか話し相手の予約が来るとは思わなかった。あー、本当に好き。お兄さんのそーゆーとこ」


 スピーカーの向こうでは顔を見る事なんて出来やしないけれど、僕には何となく彼女がどんな風に笑っているのか想像できるような気がした。


「別に『風俗に行ったら、絶対に致さなきゃいけない』ってルールはないだろ。それに、前回の分もあるし……」


 確かにシャワーはおろか、そういった行為に及んでいないとはいえ、あの晩の体験は暗闇を歩く僕の前にだけ垂れ下がった一縷の蜘蛛の糸に他ならない。それをルナの気持ちに甘えてうやむやにしてしまうのは、人としても男としても気が引ける。


「律儀だなぁ……じゃあさ、店に来なくて良いから、そのお金でご飯奢ってよ!そしたらこの前の続きもゆっくり話せるでしょ?」


 うーんと考える様子で唸った彼女からの提案は、頭の固い僕にとって願ったり叶ったりの贅沢なお願いでしかなかった。

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